第二十五話 水中神殿での決戦・後編
な、なんじゃこりゃああああああああっ!?
「何よこれ!?」
驚愕するベヨネッタだけど、それは私が一番聞きたい。
普段のエカテリーナは極彩色でよく目立つ色をした普通の蛇だった。
それが今は漆黒で、表皮というか鱗は触れたものを全て傷つけるくらい鋭く、牙もまた発達している。
額にあった黒いゴマは真ん中から裂けて紫紺の第三の目が出現している。
そして何より、全身から黒いモヤを放出している。
「こんな秘策あるなら早く出してよねシルヴィアちゃん」
土柱を受けてもビクともしない怪物を前にシンドバットが呆れ顔で言った。
いや、私も知らないわよ。
死を覚悟したあの瞬間、私の中で堪忍袋の緒が切れた。
そして声がどこからともなく聞こえたんだ。
するとエカテリーナがこんな姿で現れた。
「【シャアーーーッ!!】」
その叫びは生物の本能を刺激し、恐怖で包み込む。
三つの目が攻撃対象を捉えて離さない。
「エカテリーナ。殺しちゃ駄目よ!」
「【わかったよ、ママ】」
「喋ったぁ!?」
操られているキャロレインを止めてベヨネッタに何をしたのか吐かせなくちゃいけない。
そう指示を出すと、相棒の召喚獣から幼い声が聞こえた。
今の聞いた?とシンドバットに問うと、彼は首を傾げた。
「声が聞こえなかった?」
「声っていうか、シャーって鳴き声だよね」
この場にいる私以外はエカテリーナの姿に驚いているが、声に反応したのは私だけだった。
他の人には聞こえない?どうして?
私がそうやって悩んでいると、ベヨネッタは更に腕輪に魔力を流して命令した。
「あの化け物をどうにかしなさい!!」
「……こちらも召喚ですの。テディ……」
洗脳されているとはいえ、キャロレインの戦い方に隙はない。
途中で展開されていた土壁が光だし、そこから獰猛な
巨熊が召喚された。
まるでこの間の喧嘩みたい。
ただ違うのは、エカテリーナの見た目に変化があったのと、そのサイズがいつもの倍くらいあること。
召喚する時に大きさは特に弄ってないのに勝手にこのサイズだった。
おかげで現在進行形で少ない魔力がガンガン消費されている。
「エカテリーナ。速攻で決めなさい!」
巨熊に絡みつき、絞め殺そうとする大蛇。
しかし熊の方も鋭い爪を使ってそれを拒む。
「【シャアアアアアアアアアーーッ】」
「ゴァアアアアアアアッ!!」
怪獣大戦争再び。
二匹の召喚獣が激しく暴れ回る。
怪物同士がぶつかり合う度に地面が揺れ、天井からパラパラと石の破片が落ちる。
「くっ……」
エカテリーナに魔力を送るので精一杯の私だけど、もう膝が笑っている。
万全の態勢であればと後悔する気持ちを抑えて状況を確認する。
モルジャーナさんは戦線離脱状態。シンドバットも魔力をほとんど消費して片腕を負傷している。
五体満足で余裕があるのはベヨネッタだけね。
そのベヨネッタは怪獣バトルに怯えているし、キャロレインを支配する腕輪の制御に魔力を割いている。
「シンドバット、相手の戦力はまだ圧倒的じゃないわ。多分、秘宝をまだゲットしていないんだと思う」
相手に聞こえないように音量を控えめにする。
「私はここを動けないから頼める?」
「下手に移動したら踏み潰されそうだけど、今の所は良いとこ無しだからね。やってやるじゃん!」
冷や汗を流しながら震える足を叩いて、シンドバットは覚悟を決めた。
「隙は作るわ。エカテリーナ!」
「【まかせてママ!】」
どう考えてもラスボスみたいな見た目なのに、大蛇から元気な返事があった。
ママってどういう意味か非常に気になる。
エカテリーナが低く唸ると、第三の目が妖しく輝く。
その光を正面から見てしまった巨熊の動きが急に止まる。
蛇に睨まれた蛙。いや、熊ね。
元からエカテリーナは二つの目で相手を睨むと硬直させる邪眼の力があった。それが三つ目の瞳で強化されて、あんな巨大生物まで動きを封じれる。
「今よシンドバット」
「時間稼ぎ頼んだぜ!」
とはいえ、いつまでも動きを止めておけるわけではないので数秒経つと巨熊は動き出した。
「何なの!何なのよお前は!!いつもいつもわたくしの邪魔をして!!」
エカテリーナの能力に憤慨するベヨネッタは走り抜けていったシンドバットに気付いていない。
頼んだわよ。もう私の魔力少ないからさ。
「何か無いの!あの化け物女を殺す方法は!!」
「………ありますの。ただ、残存魔力がゼロになります」
ん?何だって?
「なら早くそれを使いなさい!もういい加減うんざりなのよ。さっさと消えなさい!」
今なんか、キャロレインの口から嫌な言葉が聞こえた気がする。
操られていてぎこちないながらも、キャロレインが杖を構えた。
ありったけの魔力が先端に集中し、地面に放たれた。
「エカテリーナ気をつけて!」
何か来ると感じとった相棒は素早く巨熊から距離を取る。
しかし、それは悪手だった。
ボコボコと地面が盛り上がると、巨熊が土に飲み込まれる。
自滅した?と思ったら、土の体積が圧縮して中から土の鎧を纏った巨熊が現れた。
その大きさも今までより大きくなっている。
「……魔力量で敵わないなら、それ以外で補いますの」
パワーアップしたエカテリーナの力で有利になったかと思ったら相手もパワーアップした。
土の鎧は頑丈で、エカテリーナの鋭い鱗に触れても中の熊の毛が見えない。
牙を突き立てても中身にはダメージが通らないようだ。
「本当に凄いわよキャロレイン。だからこそこんな形で戦うのが悔しいわね」
鎧が重いのか、巨熊は動き辛そうにしている。
慣れていない無理矢理な機動は、まだ練習不足だという証拠なのだろう。
もしかするとこの技は私と戦った以降に思いついたものなのかも知れない。
負けず嫌いで、次は絶対に勝つ!と意気込んだ彼女の努力の結晶がこれだ。
私もそれに全力で応えたかった。
その結果として私が負けたなら、彼女に称賛の声を送りたかった。
「でも負けないんだからね!」
魔力はもう空っぽだ。
だがしかし、倒れるわけにはいかない。
ここで私が負けたらシンドバットもモルジャーナさんも死んでしまう。
ベヨネッタが何をするか分からないし、キャロレインだってあんなに滅茶苦茶に体を弄られたらどんな後遺症が出るから分からない。
あんなクソ姉に操られて人を殺めたらキャロレインの心はきっと取り返しがつかなくなる。
その確信はあった。
だって、今も私の息の根を止めようとする彼女は、
「ーーーそんな悔しそうに泣いてる貴方を私は見捨ててはおけないわ!!」
苦痛に襲われ、頭を掻き回されながら、その虚な目からは涙が溢れている。
きつく噛んでいる唇からは赤い血が流れている。
「【ママ、もうちからが……】」
「まだまだよ!持っていけるだけ全部使いなさい!」
我慢比べだ。意地の張り合いだ。
身体中から魔力を掻き集めて注ぎ込む。
無茶をしているのは承知で、鼻血が出るはあちこちで血管が切れて血が溢れる。
それでも倒れるわけにはいかない。
私は否定しなくちゃならない。
ーーー操られている奴なんかに私が負けるわけないじゃない!!
その証明をするためにさ!
「しつこいわね。もう、こうなったらわたくしの手で殺してやるわ」
私が必死に抵抗する姿に我慢出来なくなったのか、ベヨネッタが杖を構える。
ちょっと避ける力は残ってないし、確実に死ぬ。
「死ね!」
私を焼き殺すために撃ち出された豪火球。
「【ママ!!】」
エカテリーナの声が聞こえるが、巨熊との取っ組み合いをしている相棒の助けは間に合わない。
ーーーあぁ、こんなことならお師匠様に助けを求めればよかった。
左手薬指に嵌めてある指輪ならお師匠様と通話出来た。
ただ、魔力を大量に消費する。キャロレインは私の手で助けたかったからそっちに使う魔力が残っていない。
土壇場のピンチで新しい力に覚醒したのに負けるなんて、やっぱり主人公補正が無いわね私ったら。
ーーーあぁ、死にたくないな。
「まだ死なせるかよ!」
ジュッ!!
私の眼前で火球は消えた。消火された。
「ギリギリ間に合ったじゃん」
割り込むように私の前に立つのはシンドバット。
ただ、さっきまでとは違って魔力が満ち溢れている。
「シルヴィアちゃんのおかげで手に入れたぜ。シンドリアンの秘宝をね!」
さっきまで泳ぐために上半身半裸だった彼は水の羽衣を纏っている。
それに彼を囲むように水球がふよふよと浮いている。
「くっ……あの皇子を狙いなさい!」
巨熊がシンドバットに狙いを定めて拳を振り下ろす。
あんな質量で殴られたら地面に赤い染みを作ってしまう。
「へっ。効かねぇよ」
だが、現実はそうならずに水球達が一塊りになって拳を受け止めた。
「この秘宝だけで大昔の戦況はひっくり返ったんだ。倒したければ神様でも連れてきな!」
今度はこちらの番だと、シンドバットは無事な方の拳を巨熊に突き出す。
すると水球は形を変えてシンドバットの腕を包み込み、巨大な水のグーパンチが体格差のある巨熊を殴りつけた。
「グアッ!?」
土の鎧にヒビが入って砕け、中の熊は壁までぶっ飛ばされた。
「なっ!?何なのよその力は!」
光の粒子になって消滅する巨熊のテディ。
たった一撃で私とエカテリーナが苦戦していた相手を倒してしまった。
「シンドリアンの秘宝。名前は水神の羽衣。水の神の力がたっぷり込められた神器だよ」
それは光の聖剣、闇の宝玉と並ぶチートアイテム。
シンドリアン皇国の秘宝と呼ぶに相応しい代物だった。
「次はアンタの番だ」
「ひっ……!?」
怒りに満ちた視線がベヨネッタを射抜く。
その眼光の鋭さに怯えた女は腕輪を使って命令をする。
「まだよ。まだ終わらないのよ!さっさとあいつを倒しなさいよ!」
「無駄じゃん。……もうその子は戦えない」
はっとしたベヨネッタが横を見ると、そこには意識を失って地面に倒れたキャロレインの姿があった。
土の鎧は最後の手段だったようだし、召喚獣が魔法ごと敗北すれば多少なりの衝撃がフィードバックされるだろう。
「嘘。嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘っ!嘘だ!」
「観念して投降するじゃん。今なら一発殴るだけで勘弁してやる」
シンドバットが再び拳を握ると、水球達も同じ形に変化する。
それで殴ったら間違いなく死ぬわよ。
「認めないわ。わたくしはまだ負けていないんだから!覚えていなさい!!」
わなわなと怒りと屈辱に震えながらベヨネッタが吠えた。
何かを察知したシンドバットが慌てて手を伸ばすが、一瞬にしてあの女の体は光の粒子になって消えた。
「ちっ。逃げられたか」
まるで召喚獣を喚び出す時と同じ光景だったけど、まだ私の知らない魔法があるのだろうか。
「シルヴィアちゃん大丈夫……じゃねーな」
「まだ生きてるわよ。それよりもあの子を」
今すぐにでも意識を手放して眠りたいけど、気になるのはその場に放置されたキャロレインだ。
召喚獣が負けた直後、崩れ落ちるように倒れたのだ。
重い足を引き摺りながら彼女の元へ近づく。
離れた場所で戦いを傍観する事しか出来なかったらモルジャーナさんも、痛む体に鞭打ちながら歩いて集まる。
「どうなんだこの娘は」
「こんなの初めて見るから私もよく分からないのよね」
仰向けで寝かせて症状を確認する。
意識は無いみたいだけど、呼吸は乱れて苦しそうだし、尋常じゃない汗が出ている。額に触れるととても熱かった。
何より怖いのは、顔に浮き出ている刺青。ベヨネッタが魔法刻印とか言っていたものが生き物みたいに蠢いている。
「早く医者に見てもらわねぇと!」
「普通の医者じゃ無理よ。理事長かお師匠様に見せなきゃダメ。それにはここを出ないといけないけど……」
ハッキリ言って神殿の中はボロボロだった。
壁や天井の一部が崩れている。
「シンドバット。その羽衣の力を使って外から助けを呼んで来て」
「オッケー。多分こいつなら水の中は自由自在だし、息もできると思う」
「シン様、頼みます」
任せろ、と言ってシンドバットは入り口になっていた水の中に飛び込んだ。
きっとあの調子なら助けはすぐにやって来るだろう。
「さてと。その間にやれる事はやるわよ」
「何をするつもりだ?」
残ったモルジャーナさんが不安そうな顔をする。
私は後ろを振り返り、興味深そうにこちらを見ていた相棒を呼ぶ。
「エカテリーナ。この子を助けたいんだけど、何か方法を知らない?」
相棒とはいえ、召喚獣に何を聞いているんだ?と普段なら思うだろうけど、今の私には確信に近い信頼があった。
きっとエカテリーナなら何か知っている。どうにかする方法を考えてくれると。
「【にてるのはしってる。ただ、なおしかたはわからない】」
「じゃあ、痛みを和らげたり負担を軽くする方法は?」
キャロレインの顔色は悪くなる一方で、心音も弱っている。
触れているだけで彼女の生命力が減っていくのが感じられた。
「【うつしかたなら…】」
「それでいいわ」
「おい。貴様はさっきから何を言っているのだ?」
エカテリーナの声が聞こえていないモルジャーナさんが頭のおかしい子を見る目をしている。
そりゃあ、大蛇と見つめ合って独り言を言っていたらそうなるわよね。
これ、一時的なものだよね?と私は不安になる。
「【ママがそのアザにさわって、ボクがねんじてうつす】」
「じゃあ、それでお願い」
「【でも、いたいよ。くるしいよ?】」
「平気へっちゃらよ。キャロレインが死んじゃうかもしれない苦しみよりね」
まだ聞いていないから。聞きたい事があるから。
ニールさんと仲直りしたのか?とかね。
喧嘩の決着だってまだだ。今度はお互いに万全な状態でしよう。お師匠様にお願いして正式な決闘として立ち会ってもらうんだ。
クローバー領にも呼んでみたい。
貴族や家族について不信感があるみたいだから、ウチに来ればそんな悩みは解決よ。
アリアやエリスさん、今度はソフィアも一緒にお茶会をしたい。
アリアが変に敵対視しているけどきっと仲良くなれると思っているから。
だから、必ず生きて。無事な姿でキーキー叫びなさいよね。
「【はじめるよ】」
「えぇ、お願い」
優しくキャロレインの小さな顔に触れる。
彼女を蝕む刻印に手が重なると、エカテリーナの紫紺の第三の目が再び光る。
妖しくも蠱惑的な光を浴びると、刻印が生き物のようにうねりだす。
「んっ……んんっ!!」
もぞもぞと何かが這い上がる感触。
私の掌へと刻印が移動する。
ゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾゾッ!!
鳥肌が立ち、あまりの気持ち悪さに声が漏れてしまった。
生理的嫌悪を感じながらも、それでも必死に耐える。
「【おわったよ】」
その声が聞こえた時には、キャロレインの顔から刺青は消えていた。
「おい、何があったのだ。それに今のは……」
少しだけ呼吸が穏やかになった少女の頭を撫でる。
本当、すやすや眠っていたら実年齢よりも遥かに幼く見えるわね。
ーーー泣かないで。もう大丈夫よ。悪い奴はやっつけたんだから。
「おいシルヴィア・クローバー。貴様の召喚獣が消え……何だこれ!?何が起きてる!?」
うるさいわよモルジャーナさん。
私は疲れたの。ちょっと……ちょっとだけ眠りたい。
『【ママ、しなないで。ボクもがんばるから】』
そうね、私も頑張るわよ。
意識が暗転する。
闇が迫りくる。
ーーー死が訪れる。