第十八話 海の向こうの皇子様。
「うわぁああああ!恥ずかしい!!」
丸いお月様が見える夜。
夕食と入浴を済ませた私は、一人ベッドの上でのたうち回っていた。
こうなっている原因は昨日の夜の出来事だ。
お師匠様のお屋敷に遊びに行った時、いつになく甘えたがりになったお師匠様が私を帰してくれなかった。
ちょっとだけ……いや、かなり寂しかった私としてはお師匠様と触れ合えて、お師匠様が私を変わらず好きでいてくれて嬉しかった。
一緒にご飯を食べてまるで夫婦みたいだなぁ〜って思っていたら、
『今日はもう夜遅い。泊まっていきなさい』
そう言われてしまった。
楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、昨日は夜遅くまでお師匠様と話をしていた。
とはいえ私なら暗い夜道も心配無いし、ここ最近は暗闇の中がよく見える。
でも、お師匠様から折角言ってくれたので好意に甘える事にした。
寮の管理人さんにはお師匠様から魔法でメッセージを送ったそうなので心置きなく泊まれると思ったら事件は起きた。
『ここに寝なさい』
そう言って連れ込まれたのはお師匠様の寝室だった。
他の使っていない部屋にもベッドはあったけど、お師匠様の最低限の生活スペースを優先して掃除したので、そちらは荷物置き場になっていた。
だったらソファーや最悪は床に毛布を敷いて寝ると言ったらそのままお師匠様のベッドに押し倒された。
私、何の準備もしていないのに今晩ここで……。
いつかはそういう日が来ると思っていたけど、あまりに突然だった。
しかし私は恥ずかしいながらも決死の覚悟を決めてお師匠様を受け入れようとした。
『何をしている。寝なさい』
だというのにお師匠様は、私に密着したままの状態で普通に寝た。
ただの抱き枕にされた。
目の前に長い睫毛の黒髪で同級生とは違う大人の色香を放つイケメンの寝顔があるのは役得なんだけど、何もなかった。ただ添い寝するだけ。
大人の階段なんて無くて、私だけが一方的に緊張して、ドキドキして、息が荒くなって、深呼吸していたら普通に寝た。
このシチュエーションで寝るお師匠様も大概だが、私もどうかしていると思う。
結果、二人で普通に起きて朝食を食べて学校に行った。
私だけ何かを期待して妄想してドキマギするなんて!!穴があったら入りたいくらいに恥ずかしい!
お師匠様よりそういう欲が強いとか死にたい!嘘です。死にたくはない。
おまけに考え足らずでお師匠様と二人一緒に教室に入って注目の的になってしまった。
同じクラスの人は寮も同じだから、朝方に私が帰っていない事に気づいたらしい。ソフィアやアリアも私を探したのかもしれない。
休み時間になったら私は囲まれて質問攻めにあった。アリアなんて凄いグイグイ聞いて来たけど、本当に何もなかったからありのままを伝えた。
それなのに私が恥ずかしがって答えをはぐらかしていると思われた。
「こんなの日本だったら社会的に処刑だよ……」
婚約者とはいえ、生徒と教師が朝チュンして登校した。
ーーー文句なしにアウト!
異世界で、乙女ゲームの世界で本当に良かったわよ。
というわけで、私は自分の部屋で悶絶していた。
トントン。
枕に顔を押しつけてゴロゴロしていたらドアがノックされた。
「はーい。誰?」
こんな夜遅くに誰だろう?
まだ消灯時間では無いけど、お風呂から上がってそれぞれの部屋に戻っている頃合いだ。
明日も授業な訳で、アリアは自室で予習と復習をしているし、ソフィアは寮の使用人として働いている。
私はもう授業でやる範囲は教え込まれているので、直前に教科書を読み直すぐらいでいい。
「私だ。モルジャーナだ。シルヴィア・クローバー、少し話したい事がある。今から談話室に来られるか?」
モルジャーナさん。シンドバットの側近を務めるちょっとおっかない女の子。
私とシンドバットが軽い口調で話しているのが気に食わないのか敵視されていると思ったけど……。
「分かった。今、出るわ」
寮の外に連れ出されるなら警戒したけど、寮内のそれも談話室で話したいなら危険も無いでしょう。
それとモルジャーナさんの魔法の腕は確かに高いけど、私なら勝てるし。
ニールさんからの調査依頼もあるので、私は誘いに乗って談話室へ向かった。
寮内は男子棟と女子棟。それを結ぶ共用スペースの中央棟がある。
食堂や大浴場もある中央棟には外部からの来客と話したり生徒同士で勉強を教えあったりできる小規模な多目的室が何部屋かあり、その一室に私は案内された。
夜遅いのもあってか、廊下では誰にも出会さなかった。
「入ります」
モルジャーナさんが扉を開けると、中にはシンドバットが寝巻き姿でソファーに座っていた。
「こんばんは〜。ようこそシルヴィアちゃん」
「わざわざ談話室に呼ぶからこんなんだと思ってたわよ」
室内に入るとモルジャーナさんが内側から鍵を閉めてドアの前に立った。
「あぁ、気にしないで。盗み聞きとかされないように立っているだけだからさ」
「穏やかじゃないわね」
今すぐ何かをされるような感じでは無いので、私は大人しくシンドバットの向かい側のソファーに腰を下ろした。
「大したものはねーけど、シンドリアンのお菓子と飲み物ね」
私と彼との間にあるテーブルにはこの国では見た事ないお菓子が置いてあった。
「あら美味しそうね」
もう既に夕食は食べ終わっているけど、ちょっとだけなら良いわよね?
躊躇いなく手を伸ばしてお菓子を口に運ぶ。揚げてある茶色のお団子を食べると、ザクザクとした食感がして中は甘くて美味しい。ひと口揚げドーナツかしら?
沖縄のお菓子に似たようなのがあったけど名前は何だったっけ?
「美味しそうに食べるけど、人から勧められて初めて食べる物に戸惑いとか無いタイプ?」
「無いわね。私ってば毒とか効きにくいし、その辺りは心配しなくていいから助かるわ。それにシンドバットはそんな真似しないでしょ?」
エースやジャックは立場上、そういうのを警戒している。
側近の誰かが先に食べてからとか、最初のひと口は小さく少量だけとかね。
私は小さいお菓子だったらひと口よ。他人から貰う時も遠慮なく大きなひと口を貰うわ。
前にクラブと学園内で買い食いをした時はクラブの買ったクレープが美味しそうで横からひと口ガブリと食べた。
一番中の具が入っている所を食べちゃったせいで顔を真っ赤にしてたのよね。代わりに私のを無理矢理ひと口食べさせたら益々機嫌が悪くなって顔が赤くなった。
あれはやり過ぎたけど、これは私に出されたお菓子だから遠慮なく。もう一個ぱくっと。
「んっ!?んぐぐぐ!!」
「ちょ、シルヴィアちゃん!?そんなにバクバク食べるからじゃん。ほい、飲み物」
喉にお菓子を詰まらせて咽せる私にシンドバットがグラスに入った飲み物を差し出したので、それをグイグイ飲む。
ちょっと酸っぱい柑橘系のジュースね。
「……ふぅ。助かったわ」
「気をつけてね。誰も取らないからゆっくり食べてさ。なんならお土産に包ませるじゃん?」
お、それはありがたいわね。
ソフィアとアリアにも食べさせてあげたいわ。
「シン様。消灯時間になると寮監が来ます」
「わかってるって。それじゃまぁ、お話に入っちゃおうか」
そうだった。
お菓子が美味しくてつい忘れていたわ。
私もシンドバットに聞きたい事があるし、気を引き締めないと。
「シルヴィアちゃんさ、シンドリアンに来ない?」
「えーと、それはどういう意味かしら」
一発目からよく分からない話が来た。
私がシンドリアン皇国に?
「単刀直入に言うとオレっちの嫁としてシンドリアンに来て欲しいんだけどどう?」
思考停止。
個体名シルヴィア・クローバーの脳内は凍結します。
「……え?何だって?」
瞬間氷結した頭をゆっくり解凍して、聞き直す。
私の聞き間違いでとんでもないワードが飛び出した気がするので落ち着こう。
私は難聴系の主人公じゃないから。
「だーかーら、オレっちと家族になろうよ。シルヴィアちゃんと一緒に居ると面白いし、きっと相性悪くないって」
両手を頭の後ろで組んで、褐色の色男は笑顔で私に向かって言った。
ニヤリとした口元から見える白い歯。灰色の瞳はただ一直線に私を見ている。
「オレっち。シルヴィアちゃんの事好きだからさ」
シルヴィア・クローバーは混乱した。