追っ手とその回避
館を出て半日ほど経った今、私たちは森の中で休憩をしていた。王都からいくつかの都市を過ぎたころ、馬や御者の休息を兼ねて森の中で馬車を停めていたのだ。
辺りは夕焼けでオレンジに染まっている。此処で軽く夕食を済ませた後、またナイメリア国に向けて出発する手筈になっていた。
念の為馬車の中で休んでいた私とヴァンの耳に、ノックの音が聞こえる。2人で顔を合わせ、誰だろうと考えていると、ヴァンと交代したばかりのカインの声がした。
ドアを開けると、立っていたのはやはりカインだった。カインは、微笑んだままヴァンに向けてちょいちょいと手招きをする。
「ヴァンちゃんヴァンちゃん、ちょっとこっち」
「何ぃ?まだ眠いとかほざくなら許さないからねぇ…」
ぶつぶつと小言を言いながら、ヴァンが馬車から出ていく。…多分、カインは私や侍女がいる前では話せない何かをヴァンに相談するために、彼を連れていったのだろう。
はっきり言って私はその手の話題についてはいけない。私には武術の心得など皆無も同然。レオやカインが稽古をしているところに混ざろうとしても、2人とも「お前には必要ない」と言って聞かなかったのだ。エンフィオネ国に行くことになった時も、私が護身術を習いたいと相談したら、ヴァンもカインも困ったような表情をするだけで、すぐに話をそらされた。
私がいくら武術を学んだところで、意味が無いことぐらい解っている。それでも、私は守られるだけの自分が大嫌いだった。ヴァンが当然だと私の前に立つのも、カインが笑って危険な夜の警護をしていることも。それが貴族の娘だから当然なのだと言われても、どうしても納得出来なかったのだ。
ヴァンが居なくなった馬車の中で、私はスカートを握りしめる。私は彼らを見送ることしか出来ない現実が、とても歯がゆく感じた。
「で?何かあったの?」
人気がなく、馬車からもさほど離れていない茂みに入ったところで、ヴァンはカインにそう問うた。
カインはにやりと、口元に笑みを浮かべると「正解」と口笛を吹く。
「さっすが〜察しがいいよね。そ、ついにやばいと思ったのか何人かの尾行がつき始めたよ。中には武器を持ったやつもいる。…どうする?」
カインによると、どうやらこちらの動向を探る者がではじめたらしく、ついに追っ手がついたようなのだ。予想していたこととはいえ、正直に顔を歪ませるヴァンにカインが苦笑をもらす。カインとて、あのボンクラ王子の周りにも多少頭が使える者がいたことに少し驚いているのだ。
溜息をついたヴァンが、口を開く。
「どうするも何も。お帰りいただくしかないでしょ?」
ヴァンの答えに、カインも「確かにね」と思う。邪魔な乱入者にはお帰り頂くしかないのが現実というもの。
「ふふ、ヴァンちゃんらしいや。りょ〜かい。俺が行ってくるから、ヴァンちゃんはリアに気が付かれないように護衛よろしくね〜」
「あんたこそ追跡を止めるだけにしなよ?最後までは…」
ひらひらと手を振るカインに一抹の不安を覚えたヴァンは、目の前の男に一応釘をさしておいた。カインの腕は確かだが、何せ気分屋なきらいがあり、手加減することを忘れてしまわないか心配だったのだ。
ヴァンの忠告にカインは、彼の肩に己の腕をまわしてそれに応える。
「分かってる。リアにとって悪手になるようなことはしない、絶対にね」
黒猫のような男は、ヘラヘラと笑いながら言う。しかし、その血のように赤い瞳だけは笑ってなどいなかった。対する白猫のような男は、仕方がないと肩を竦める。だが、その青空のような瞳には目の前の男への信頼に溢れていた。
少しして帰ってきたヴァンに、エミリアは声をかけた。
「おかえり、ヴァン」
「ん」
私の隣に座り直したヴァンに、もう一度私は声をかける。
「話の内容は聞かないけど、危ないことだけはしないでね?」
「わかってるよ…ほら、早く寝な」
ふっと、微笑んだヴァンの顔から目を逸らす。
「うん、おやすみ」
「おやすみ、リア」と言うヴァンの声を何処か遠くに感じながら私は目を閉じた。
夜闇に隠れるようにして私たちの馬車は、出来るだけ早く、と急ぎ足にナイメリア国へと歩を進めていた。
◆◇◆
──話が違う…っ!
男は必死に逃げながらそう愚痴る。
男は金で雇われた傭兵集団のリーダーだった。少し前に、男たちの住処に身なりの良い男たちが来て、男の傭兵集団にとある依頼をしてきたのだ。
依頼内容は至極単純。とある女を生かしたまま捉えてきてくれ、というもの。女はおそらく馬車で隣国であるナイメリア国に向かっているだろうと。女は2人の従者を連れており、1人はかなり腕がたつ銀髪の男で、もう1人は大した事のない黒髪の男。他には数人侍女がいるだけで、エンフィオネ王都からナイメリアまで旅をしていると聞いたとき、男は嘲笑したものだ。
従者を連れているような身分の高い女が、そんな数で国境越えなど馬鹿げている。エンフィオネ国は田舎になるほど賊が増える。国境あたりともなると、どんなに旅慣れしていようが、必ず1回は賊に襲われると言うほどの難所なのだ。
だから、男はその依頼を引き受けた。こんなに楽な仕事で大金を貰えるなら、これ程嬉しいことはない。仲間もこれ以上にないくらい、やる気になって準備をしはじめる。こりゃ、明日は宴だな、と。
浮かれている男たちは気が付かなかった。どうして身分の高い女が、そんな少人数で国境越えをしようとしているのか?どうして出来ると思ったのかを。
冷静になれば分かったのかもしれない。でも、男たちはついぞ気が付けなかったのだ。
男は転げ回りながら森の中を走る。
走る、はしる、ハシル。
背後から迫ってくる脅威に追いつかれないよう、出来るだけ遠くに逃げるために。
仲間は皆、夜闇に吸い込まれるようにして消えていた。男はそこでようやく、やばいと気がついたのだ。
あと少しで街に出る、と男が安堵したその瞬間。
…男の視界が闇に包まれた。
ドサッと、気絶し倒れた男の傍に、いつの間にか黒猫のような男が立っていた。
男は倒れた傭兵集団のリーダーの枕元にしゃがみこむと、ボソボソと何かを呟く。そして立ち上がると、男たちを囲むようにして佇んでいたモノたちに謝罪と礼を言う。すると、複数の黒い物体が蠢く。その正体は、この森に住む動物たちだった。
男は傭兵たちに自分が何者なのかバレないために、どうしても自身の手で彼らに制裁を加えることが出来なかった。そこで、他のモノの手をかりることにしたのだ。
初めに、音を立てないように動物の前にその動物の好みの食べ物を置く。次に、闇に紛れて予め視ていた傭兵の男たちが通るであろう道筋すべてに、動物たちにだけ効く興奮剤をばらまいておく。最後に、何も知らない傭兵たちが、すっかり捕食者モードに入った動物たちの視界に入れば後は待つだけである。これは黒猫のような男の祖国で、よく狩りに使われる手段であった。
動物たちへの感謝をこめて、それぞれに好物の食べ物をあげるなどの事後処理を終えた男は空を見上げる。先程までは雲に隠れていて見えなかった月が、ぼうっと夜空を照らしていた。にやりと口元に笑みを浮かべた男は、己の主人の元へと帰って行ったのであった。