出立と憂い
辺りは一面の花畑。
家を飛び出していた少女は、そこで花畑に寝転がる少年を見つけた。少年が身にまとうものは、地味な物だが高級な服だとわかる。分かるが故にどうして少年がこんな場所に一人でいるのか、少女は疑問に思ってしまう。
好奇心旺盛な少女は、少年の傍に駆け寄って膝をつく。そしてそのまま少年の顔を覗き込んだ。
すると、急に目を開いた少年と目が合う。
驚いた少女は身体を仰け反らせた。少年は手をついて起き上がり、少女をじっとみる。居心地悪く思った少女が、にへらっと笑うと少年は数回瞬きをした。
遂に沈黙に耐えきれず、少女が口を開こうとしたとき、それよりも早く少年の口が動いた。
『なぁ、お前、名前は?』
いきなり名前を問われた少女は、戸惑いながらも正直に答える。
──私?私はエミリア、エミリア・スカーレット。
『ふぅん、お前、エミリアっていうの?』
名前を答えたあとに、少女はしまったと口を押さえるがもう遅い。お付きの白い従者から外では本名を言うなと言われていたにも関わらず、本当の名前を少年に教えてしまったからだ。
こうなってしまったのなら、仕方がない。自分は正直に答えたのだから、相手の名前を知る権利が自分にもあるはずだ、と少女は少年に問い返す。
──そうだよ、貴方は?
『俺はレオって言うんだ!』
──かっこいい名前ね!
レオとは、百獣の王を表す言葉でもあり、現国王の第一王子の名前とも似る部分がある。だから、少女はかっこいいと評したのだ。
少年は照れたようにはにかむ。
『そうだろ!なぁ、お前に見せたいものがあるんだ』
夕焼けのような瞳をした彼が私の手をとった。
◇◆◇
「ほら、起きて」
「う、ん〜?」
「何時まで寝てるつもり?もう時間だよ!」
「ふぁい!!」
バシッと勢いよく肩を叩かれ、私は飛び起きる。出発の時間になったので、シルヴァンが起こしに来てくれたのだ。急いで立ち上がり、軽く身なりを整える。今はドレスではなく、動きやすい格好に着替えていたのでそう時間はかからない。
ふと、横を見て一緒に寝ていたはずのカインがいないことに気がつく。部屋を見回してみると、隅でニヤニヤとこちらを見つめているカインと目が合った。ヴァンが来る前に自力で起きたのか、最初から寝ていなかったのか。詳細は不明だが、とにかくヴァンに叩き起されることを避けたのだということはわかる。流石、勘のいい男である。
「ほら、起きたなら移動する!」
「わかった!」
休まずに動き続けているはずなのに、ヴァンはそれを一切感じさせないほど、隙のない足取りで部屋を出る。その後に小走りの私が続き、そのまた後ろにゆったりとした足取りのカインが続く。
馬車が停めてある場所まで歩き、ヴァンや侍女2人と共に馬車に乗り込む。私が乗っている馬車に乗り切らない侍女たちも、後発の馬車に乗り込んだ。それを確認したカインが、出発の合図を御者に送る。カインはそのあと、私たちの馬車の御者の隣に飛び乗った。夜は夜目のきくカインが見張り兼護衛として外にいることになっている。昼はヴァンと交代して馬車で休むのだ。
馬車が動き出し、私は少しだけ窓にかかるカーテンを開けた。沈みかけている月を見て、溜息をもらす。
(これから忙しくなる)
考えるのはやはり、数時間前に起こったあの出来事だ。
隣国から勝手な事情で招いた婚約者に対して、招いた側がこれまた勝手に婚約破棄を公の場で公表したという前代未聞の出来事。しかも、婚約者でもない女にうつつを抜かした上での行動に、もはや呆れしか感じない。
いくら婚約破棄されたからといっても、双方の国の代表が話し合いをしてから、帰るべきだと私も思う。だが、問題が解決するまでこの国に居座るにはいくつかのリスクがあった。それを事前に察知していた父に『もしもの場合一旦ナイメリア国に帰るように』と言いつけられていたのだ。
あの阿呆男は、私が国に帰ることでこれ幸いとリヴィア嬢と婚約するだろう。だが、この問題はそんな簡単には終わらない。嫁を寄越せと要求した側が、両国の話し合いもなしに婚約破棄したのだ。国際問題になること間違いない。
現に横にいるヴァンも気を張りつめたままである。ちゃんと休んで欲しいのに、なんの為に彼がこうして頑張ってくれているのかを考えると、注意の言葉が言えずに口を噤んでしまう。
「ありがとう、ヴァン」
「別に?」
ふいっと、そっぽを向いたヴァンの横顔が月に照らされて儚く見えた。
こうして、人目を避けるように私たちは、約2年間過ごした館をあとにしたのだった。
◆◇◆
エミリアたちが館を出発して少し経った頃。ナイメリア国王城にて、彼の王様は部下からの報告を受けていた。
諜報員から、既にエミリア公爵令嬢が一方的に婚約破棄されたことは聞いてはいたが、その詳細な報告が今あがってきたのだ。
「諜報員からあがってきた報告は以上となります」
王の傍に控えていた近衛騎士がそう言葉を締めくくる。朝日に照らされた横顔はまだあどけなさが残るものの、灰色の瞳には静かな決意がにじみでていた。
「ふ〜ん……」
大問題がおこったというのに、王はつまらなさそうにそう返す。夕日の様な色の瞳には、なんの感情も窺えない。
部屋には王と近衛騎士のみ。とはいえ、あまり態度を崩すのも如何なものかと、近衛騎士は咳払いをして話を続ける。
「…いかがいたしましょうか?」
近衛騎士は己の主人に意見をあおぐ。若いが実力のある王だと知っているからこその信頼である。少しの間逡巡したのち、主人は立ち上がって歩き出す。
「こっちも動くぞ」
「はっ…!」
近衛騎士も王にならって、部屋を出る。歩く度に出会う臣下たちに頭を下げられながら、王は謁見の間へと急ぐ。この問題は早く動いた者勝ちなのだと王は解っていた。せっかく彼女が実家に帰ってくるのだ。その行為を無駄にしないためにも、王である自身が動く必要がある。
「大事な姫さんを貶してくれたんだ、こっちも精一杯お返ししないとな……」
にやり、と夕焼けのような瞳が弧を描いた。