婚約破棄からの帰省準備
「お前が権力をかさにきて、いたいけな少女を虐める女だとは知らなかった!」
男の罵声が会場中に響き渡る。
このエンフィオネ国の第一王子であるデイビッド・エンフィオネが、男爵令嬢のリヴィア・ライネスを庇うように抱き寄せながら吼える。デイビッドの目の前に立つのは、彼の婚約者としてこの学園主催のパーティに参加している私こと、公爵令嬢エミリア・スカーレットである。後ろに立つ従者には「待機」と指示をだして、私は我が婚約者に向き直る。
「失礼ですが、殿下。私、心当たりがありません」
「巫山戯るな!リヴィアにしてきた数々の仕打ち、忘れたとは言わせないぞ?!彼女がどれだけ涙を流してきたことか…」
「はぁ…」
素直に心当たりが無いと言えば、更に逆上するデイビッド。正直に言うとうるさい。私の背後の従者から、剣呑な雰囲気がただよってくる。ステイステイ。
「ぐすっ…いいんです、デイビッド様…。私が何かエミリア様の気に障ることをしてしまったのですわ…。だから、あんなことをっ……」
「可哀想にリヴィア…」
「……………」
いや、可哀想なのお前の頭だろ???
すんでのところで口から出そうになった言葉を飲み込む。危ない危ない。彼らに新たなネタを提供してしまうところだった。
一向に罪を認めようとしない(実際してない)私に痺れを切らしたのか。何かを決心したかのように、私を睨みつけたデイビッドが高らかに宣言した。
「お前との婚約は、今この時をもって破棄する!」
ガラガラと歯車が歪な音をたてた気がした。
◇◆◇
長らくこの大陸にある国々は均衡を保っていた。しかし、だからと言って油断は出来ない。国は大陸外にもあるのだから。いつ海の向こうから敵が攻めてくるとも限らない。先代のナイメリア国王は考えた。
そこで、私の祖国であるナイメリア国は、隣の大国エンフィオネと同盟関係を結ぼうとした。同盟を持ちかけたナイメリアに対し、先方は同盟を結ぶ代わりとして第一王子との結婚を提案してきた。つまり、人質を寄越せと言ってきたのである。
だがそこで問題が生じた。王族に王子と見合う年齢の娘がいなかったのだ。そこで白羽の矢がたったのが、ナイメリア国の宰相を父にもつ私だった。当時10歳だった私は、国の為ならば、と貴族としての義務を果たすためにその婚約を了承した。
その時には、18歳になったら王子に嫁ぐという話で纏まったのだが、私が15歳になった時に「王子と共に国立の学園に通って親交を深めてくれ」という書状が届いたのだ。いくら大国とはいえ、私たちがここまで下手に出る訳にはいかないと、父や幼馴染たちは反対してくれた。でも、私が無理を押して隣国へと赴いたのだ。私が学園に通うだけで争いの火種を消すことが出来るのならば、それほど簡単なことはない。そうして私は、幼馴染で私の騎士であるシルヴァンと同じく騎士であるカイン、そして数人の侍女を伴ってエンフィオネ国に行くことにした。
最初の1年はよかった。
少々感情任せのところはあるが、女性に対する偏見がなく、意見をしっかりと聞いて取り入れてくれるデイビッド殿下と過ごす時間は悪くはなかった。
しかし、2年目に入る時、彼女がやってきた。ライネス男爵が、メイドに手をつけて生まれた子であるリヴィア嬢である。
彼女は元々庶民として暮らしていたが、子供に恵まれなかった男爵が引き取って、デイビッドや私、シルヴァンが通う学園に編入させたのだ。初めて会った時以来、何故だか私に対して人を介して嫌がらせをしてくるようになった。嫌がらせの殆どがシルヴァンによって闇に葬られているともしらずに、ことある事に絡んでくるリヴィア嬢。仕舞いには、私にいじめられたと言いふらし、デイビッドに取り入った。右利きである私にぶたれたと右側の頬を冷やしながら泣く彼女には、私もシルヴァンもほとほと呆れたものだった。
だが、そんな彼女の戯言に騙され同情したのが何を隠そう私の婚約者であるデイビッド。彼女に惚れ込んでいた彼は私に対して怒り、婚約破棄を宣言するに至ったのである。
などと、回想しても現状が変わるはずもなく。私はエンフィオネにある別邸で荷物整理をしていた。
「で〜?リアは『実家に帰らせていただきます!』って啖呵切ってきたの?やるぅ〜」
「カイン、シルヴァンに話聞いたと思うけど、日が出る前にこの館からでるから仕度して?」
「仕度って言っても、俺の荷物は元々少ないし〜?リアに貰ったものとかはもう纏めて、ヴァンに渡してあるから、リアが遅いんだよ♪」
「むぅ………」
私のベットの上に寝転がりながら、楽しそうに血のような目を細めて微笑むこの男はカインといって、私が幼い頃森で拾った猫のような従者である。昼間は日向ぼっこをしながら昼寝をし、夜になれば楽しそうに館を徘徊する。しかし、シルヴァンと並び立つほど剣の腕がたつ。私とシルヴァンが学園にいる間、この館と侍女たちを守っていてくれたのは彼である。
言い返せずに黙って作業を再開した私を寝ながら彼が見ているのは、私の警護のためというのはわかっている。学園主催のパーティであんなことがあったのだ。今夜あたり、何かあってもおかしくはない。
しばらくして準備が終わった私は、荷物を持ってカインと共にシルヴァンの元へと移動する。
慌ただしく動く侍女たちの間をすり抜けながら歩いていると、カインが話しかけてきた。
「リアはさ、国に帰ったら何したい?」
「突然何?どうしたの?」
「ん〜?気まぐれ?」
「何よそれ。でも、カインらしいや」
カインの促すような視線をうけ、私は考える。帰ったら何をしたいか?しばらくはドタバタするだろうけれど、それが落ち着いたら私は何をするだろう?
「…ヴァンやカイン、それにレオと昔みたいにあちこちを探検したいかも。街にでて、お店をまわったり、孤児院で子供たちと遊ぶの」
「いいね〜、楽しそうじゃん」
「でも、レオは無理かもね。王さまだもの」
「ああ〜、確かに。でも、リアが誘ったら来るかもよ?だって、あいつが1ヶ所に留まれるわけないもん」
「そうかなぁ…」
私とシルヴァン、レオナルドは幼いときからの幼馴染で、カインも途中から私たちの輪に加わった。レオがよく城から脱走し私の家に来ては、私たちを連れて街へ繰り出していた。お陰で私はカインに出会えたし、館の外のことを知ることが出来た。
そんなレオナルドは、私がエンフィオネ国に行く数ヶ月前に急逝した先王の跡を継いで王様となった。私もシルヴァンたちもエンフィオネ行きでバタバタしていたのもあり、ろくな挨拶も出来ずに今に至る。彼は今どうしているのだろうか。
考えているうちに、侍女たちに指示をだすシルヴァンの後ろ姿を見つける。私はカインとともに駆け寄り、声を掛けた。
「ヴァン!」
「準備は終わった?リア」
「うん、終わったよ」
「じゃあ、こっちにそれ詰めて。これはこっちね」
シルヴァンに言われるとおりに待機させてあった馬車の荷台に荷物を詰める。私の荷物で最後だったらしく、荷台はいっぱいになっていた。
「ヴァン、詰めたよ」
「そう?なら、少しだけ仮眠してきて。時間になったら起こしに行くから。頼んだよ、カイン」
「わかった」
「りょ〜かい」
そして、馬車にいちばん近い部屋に入った私たちは、身を寄せあってシルヴァンが呼びにくるまでの少しの間、身体をやすめたのであった。