プロローグ
「俺、旅に出るよ!」
朝食の準備をするには早い時間、暖炉の前に座る大柄の男に向かって、少年は話を切り出した。
「……旅にでて、どうしたい?」
その声は低く、職人気質であるその男の、頑固さを表した固い声色であった。
「とりあえず、旅人を名乗るよ。それ以外は考えてない」
旅に憧れがあったという事も事実だ。だが、旅に出ることを考えたのは、もっとずっと前から考えていた事だった。
「嘘つけガキ、何年の付き合いがあると思ってやがる。本当の理由を言え」
この大男は、父親ではない。そもそも、人間である少年と、"人間ですらない"この大男が親子であるはずもないのだが、少年はこの男に許可を取らなければならないと感じていた。同じ屋根の下に住む者として。
「世界を救いたい!」
大真面目だった。今年十五の成人を迎える少年にとって、それは夢でも、理想でもなく、叶えられる目標として掲げたものだった。
「可愛くねえ、ガキだな。世界を救うなんてことが出来るのは、御伽噺に出てくる勇者くらいなもんだ。お前は勇者にでもなろうって言うのか?」
男のいう事も、十分理解していた。そもそも、世界とはなんなのか、救うといっても世界がピンチになった状況など、ここ数百年ないと言われている。
救うべき対象も、救うべき目的も、倒すべき悪役も、存在などしないのだ。
「それでも、俺は……世界を救うよ」
「それに俺がなりたいのは、勇者じゃない、旅人だ。俺はただのアル、旅人のアルだ」
「おおそうか、旅人のアルさんよ。たしかに、お前は過酷な環境で育ち、あらゆる出来事を乗り越えてきた。身を守る術も知っているし、力もある。だが、お前に足りないものもある、ひとつだけな」
そういうと大男は暖炉の前から離れ、部屋の奥の物置へ向かった。
男は帰ってくるなり、ダイニングテーブルの上へと、大きなカバンを乱雑に置いた。
「俺からの餞別だ。成人の日に渡すつもりだったんだがな」
革で出来た大きなカバンから中身を取り出すと、ガラクタのようなものばかりだった。
ゴーグル、指輪、大きな布、砂の入ったビン、そして一際異彩を放っている、何かの角。
「おい、ほかはまだ理解できるが、なんだこの角。これアンタの角だろ!」
「おうそうさ、正真正銘、牛人族の職人・モリス様の角だ。生え変わりの角をとって置いたんだ。お前がホームシックになった時、泣いてすがれるものが必要だろ!」
「なんねぇよ、俺はそんなにガキじゃない。それに、農家のモリスの間違いだろ?」
目の前の大きな男、頭から立派な角が二本生えており、顔は牛そのもの。格好はといえば、職人というより農家にみえるのだ。実際先ほどまで畑仕事をしていたのだから、当然といえば当然なのだが。
「相変わらず可愛くねえ、ガキだな。本音でいえばこれは換金用だ。冒険者ギルドに持っていきゃあ、旅の足しにはなる。ろくに路銀もないくせに偉そうだな?」
「うぐっ、金ならある。ちょーっと旅をするには足りないかなってだけだ」
「そうだ、お前には金が足りない、そして旅支度が足りない。これは全部俺が作った魔道具だからな。大切に使え、だが困ったら売れ。それだけだ」
「太っ腹だな、魔道具をくれるなんて」
魔道具職人であるモリスにとって、道具とは息子同然。元々高価である魔道具に加えて、それをよこすと言っているのだ。
「昔使ってたやつだからな。もう俺には必要ない。このゴーグルは暗闇でも少しだけ見える、この布はマントで体温を一定に保ってくれる、指輪はすこしだけ気配を消してくれる。どれも一級品だぞ」
「俺に盗賊でもやらせる気かよ、ちなみにこの緑の砂はなんだ?」
「それは殺菌作用のある砂だ。用を足したらケツを拭け。俺のおさがりだ」
「いるか、ボケェ!!」
アルは砂の入ったビンを投げつける。しかし、地面にぶつかってもそのビンは割れることはなかった。
「丈夫なビンだろ? 竜族のやつらでも割れない最高傑作だぞ?」
「日用品にそんな耐久力はいらん。アンタの作る道具は偏りすぎだ、どうせ他の道具もろくでもないだろ」
「それは、ヒ・ミ・ツ」
指を立て言葉のリズムに合わせて左右に振る仕草。可愛い女の子なら破壊力抜群だが、獣人の巨体を持つおっさんにやられると、別のベクトルの破壊力を持つようだった。
こうして、ある程度長い付き合いのある二人の別れの朝は過ぎていった。
それから四年。
旅人アルとして、旅屋を名乗り、体のいい何でも屋で路銀を稼ぎ、時には人助けを積極的に行っていた。国中を旅した少年が辿りついたのは、商業が盛んな大都市であった。
その街で出会う人々により、アルの一人旅に変化が訪れるのである。