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エピローグ ヴィルの最愛



 ルジアーロからミストリアに戻ってから、いろいろと忙しかった。

 王都へ赴きサニーグ殿にルジアーロでの出来事を報告したり、レインとモカに会いに行ったり、ネフラの研究に付き合ったり。ククルージュに帰ってきてからも、ファントム夫妻主催の宴で絡まれたり、置いて行かれて拗ねていたユニカを慰めたり、アスピネル家に残っていたラズにお土産を渡したり。

 国の未来を左右するような事件の後では、取るに足りないことかもしれない。しかし今の俺にとってはどれも大切なことだ。


 ルジアーロ王家からは改めてお礼の書状が届いていたな。カラスが一度怪しげな手紙を届けに来たこともあった。ロゼリントやティガは元気そうだ。


 そうこうしている間に三か月経ち、ようやく身辺が落ち着いてきた。

 今夜は久しぶりに、その、ソニアとデートだ。

 近くの草原で星を眺めながらお茶をするという、贅沢なような慎ましいような、幸福な時間を過ごしている。

 ……誘ったのは俺だ。

 俺は今夜、とある決意とともにこの場にいる。緊張で紅茶の味がよく分からなくなっているのだが、ソニアに気取られてはいないだろうか。


「ふふ、ユニカとコハクちゃんはすっかり仲良しね」


「……そうだな」


 見れば、ユニカがのびのびと草原を駆けていた。たてがみに掴まったコハクが吹き飛ばされないか心配だが、確かに微笑ましい光景だった。あの二匹は妙に仲が良い。俺たちのことを何か相談しているのではないかと思うくらい、「ひひーん」「にゃーん」と会話している。


 一陣の夜風が通り過ぎると、クシュン、とソニアの肩が揺れた。俺は慌てて自分の外套を脱ぐ。


「いいわよ」


「風邪を引くかもしれないだろう」


 無理矢理着せると、ソニアは悪戯っぽく笑って、俺の腕に抱きついた。温かい。


「そうね。もう風邪を引くこともあり得るのよね。気をつけるわ」


「ああ。ケガにもな」


「ヴィルったら、そればかり。この前も少し指を切っただけで大騒ぎして、最近少し過保護よね」


 心配するのは当たり前だ。

 ソニアの体はもう普通の人間と変わらない。薔薇の霊水の効果も消え、薔薇の宝珠は手放している。当たり前といえば当たり前なのだが、ケガや病が瞬く間に治ることはない。


 天使との取引のおかげで、アンバートに宣告された余命は気にしなくてよくなった。  

 それ自体は喜ぶべきことだ。誰に後ろめたさを感じることなく、普通の魔女として生きていける。過去の忌々しい因縁は全て断ち切れたのだ。


 諦めていたことだって、望めば叶う。そのことを俺とソニアは心の底から喜んでいる。

 ……薔薇の宝珠を使っていたら、俺はいざというとき、ソニアを手にかける約束をしていたからな。正直ほっとしている。


 だが、俺は痛感していた。

 ヒトはいつどこで死んでもおかしくない。

 ある日突然、最愛の人を亡くす恐怖。誰もがそんな可能性を抱えて生きているのだ。


 俺がソニアに対して過保護になってしまうのも無理からぬ話だろう。

 ソニアを喪うなんて耐えられない。想像するだけで目の前が真っ暗になる。

 守りたいという思いは強くなる一方だった。俺に守られることなどソニア本人が望んでいないのは分かっている。

 だが、それでも。


「…………」


 俺はコハクたちが遠くにいるのを確認し、深呼吸をした。

 ソニアが体を離して首を傾げる。


「ヴィル? どうしたの?」


 この三か月、本当に忙しかった。

 ソニアに気づかれないように準備してきたのだ。レインに話して筋を通したり、必要なものを入手したり。

 ……まぁ、ソニアがほんの少しだけ笑っているのを見る限り、お見通しだったのだろうな。


「ソニア。大切な話がある。……俺は今夜限りで、お前の従者をやめようと思っている」


「そう。やめてどうするの?」


「変わらずそばにいる。生涯の忠誠も捧げ続けるし、対外的には主従のままでも構わないんだ。だが、俺は――」


 俺は外套のポケットに手を入れようとして、ソニアに着せていることに気づいて慌てた。ソニアはくすくす笑いながら、俺に抱き着いて顔を背けてくれた。その隙に何とかポケットを探ってブツを取り出すことには成功したが、自分の間抜けさに項垂れた。


 いや、もういいだろう。どうせソニアには勝てないし、俺が多少下手を打ったところで見捨てられることもない。

 大丈夫だ。


「ソニア、これを受け取ってほしい」


 気を取り直して顔を上げ、小さな箱を開いてソニアに見せる。


「俺と結婚してくれ」


 従者ではなく、夫になりたい。つまりはそういうことだ。


 三か月どころか、ソニアと結ばれたその日からずっと考えてきた。

 恋人では足りない。主従ではいざというときに動けない。

 お互いに干渉し、尊重できる関係になりたい。俺はソニアと本物の家族になりたいんだ。


 恐る恐るソニアの反応を伺う。予想していたどんな反応とも違った。

 赤銅色の瞳を見開いて固まっている。今夜のプロポーズを察していると思ったのだが、違ったか?


「どうして?」


「ん?」


「どうして指輪にしたの?」


 ミストリアでは結婚の申し込みの際に、誓いの品を渡す習わしがある。財の一部を分け与えて愛と覚悟を示すのだ。

 渡すものは階級や地域、個人の趣味などによって様々だ。土地や家、はたまた育てた花々や野菜を渡すこともあるが、身に着けるアクセサリーが一般的だろう。

 品はネックレスや腕輪、ブローチなどが多い。一生に一度の気合の入ったプレゼントだ。ここぞとばかりに豪華な宝石が散りばめられていることが多い。


 しかし、俺が選んだのはシンプルな金属製の指輪だった。

 宝石の一つもついていないが、素材自体は大変高価なものだ。騎士時代の給金の他、日々隙を見つけては有害な魔獣を狩って蓄えてきた財の結晶だ。

 高純度の魔力を含んでいるせいか、月の光を浴びて不思議な金色に光っている。

 ソニアならば、この指輪がどれだけ希少価値が高いものか分かるだろう。俺の本気具合が伝わっているはずだ。


 テオに紹介してもらった装飾品の職人にオーダーメイドで注文した。こんな地味なデザインでいいのかと何度も確認されたものだ。

 俺だって何にするかいろいろと悩んだのだ。


 薔薇の宝珠の代わりにソニアが身に着けてくれるものが良かった。

 しかしネックレスや腕輪は、拘束具を連想して嫌だ。ブローチと迷ったが、デザインを考えるのが難しくて断念した。ファッションによっては合わないし、センスに自信がなかったのだ。

 その点、シンプルな指輪ならばコーディネートを邪魔することもない。何より視界に入る度に俺が嬉しい。


 しかし、俺の選択にここまでソニアが驚いているということは、がっかりさせてしまったのだろうか。

 ソニアの好みをもう少し研究すべきだった。いっそのこと、何が欲しいか尋ねるべきだったかもしれない。

 俺は今度こそ泣きたくなった。


「すまない。気に入らないのなら、その、また別のものを用意する。だが、結婚のことはどうか前向きに――」


「気に入らないなんて、そんなこと言ってないでしょう。ただ、よりにもよって指輪だったから驚いただけよ。知っているのかと思った」


「? 指輪に何かあるのか? ……ああ、もしかしてネフラがいつか持ってきた――」


「違うから。この素敵な瞬間に、あんなおぞましいもの思い出させないで」


 俺が戸惑っていると、しばらくしてソニアはくすぐったい声で笑った。そして手を差し出してきた。


「嵌めて。薬指に」


「受け取ってくれるのか」


「ええ、もちろん。こんな嬉しい贈り物は初めてよ。私好みだわ」


「っ!」


 俺は歓喜で胸をいっぱいにしつつ、ソニアの左手の薬指に指輪を嵌めた。あまりサイズを考えていなかったのだが、奇跡的にぴったりだった。手が震えた。

 ソニアは嬉しそうに指輪に触れていた。どうやら本当に気に入ってもらえたようだ。ああ、可愛いな。


「ありがとう、ヴィル。ずっと大切にするわ」


「俺の方こそ、一生大切に……必ず幸せにする」


 感極まって抱きしめると、ソニアも俺に抱き着いてくれた。至福。


「ねぇ、ヴィル。お願いがあるのだけど」


「なんだ? 今なら何でも聞く」


「この指輪を作った工房を紹介して。私もあなたに同じものを贈りたいの」


「それは……俺に装飾品は似合わないだろう。大体、女性から高価なものを受け取るのは――」


「対等な関係になりたいのでしょう? ならいいじゃない。それに、夫婦の証にお揃いの指輪をしていたら、素敵だと思うのだけど……どうしても嫌?」


「…………」


 結局のところ、従者から夫になったところでソニアには逆らえない。なにせ、彼女が嬉しそうにしているのが俺にとって一番の幸せだからな。

 それにお揃いのアクセサリーというのは少々恥ずかしいが、夫婦の証というのなら悪くない。いや、むしろ最高かもしれない。

 俺が承諾すると、ソニアはいっそう幸せそうに笑った。肩の力が抜けて、俺は深く息を吐く。


「随分緊張していたみたいね」


「ああ。断られたらどうしようかと思っていた。ソニアの方こそ、俺に対してずっと過保護だっただろう。俺のことを信頼してくれていないんだと、不安で仕方なかった」


 気が抜けた反動だろうか、随分あっさりと吐露していた。

 ソニアは苦笑している。


「まぁ、そうね。出会ったばかりのヴィルは危なっかしかったし、私も体の秘密があってそう簡単に隙を見せられなかったのよ。でも、ルジアーロでは随分ヴィルに支えてもらったし、寿命の心配もなくなった。肩の荷が下りたのかも」


 ソニアは星空を仰いだ。


「欲張りよね。私は、他人の未来を奪ったこともある。たくさんの犠牲の上に立っているのに、これ以上幸せになって許されるかしら」


 俺は言葉を選ぶために黙ったが、結局心のままに告げた。


「もし許されなくても、俺は望む。好きに生きよう。大体、ソニアがいなければ、もっとひどいことになっていた。ソニアがいてくれて本当に良かったと思っている。俺以外にも救われた者はたくさんいるぞ」


 偽らざる俺の気持ちだ。

 しばらくして、ソニアは茶目っ気たっぷりの瞳で俺を見上げた。


「そうね。私らしくないことを言ってしまったわ。これからも、好きに生きてやりましょう。そのために頑張ってきたのだもの」


「ああ。誰にも遠慮することはない」


 試しに何がしたいか尋ねる。


「ふふ、じゃあまずはお父様のお墓を作って、結婚の報告をしましょう。その後は屋敷を建て直すの。もう少し小さくて明るいお家にしたいわ」


「そうだな。婚礼式はどうする?」


「やるなら兄様とユーディアを招待したいから、時期を相談した方がいいわね。ファントムとコーラルにもいろいろ協力をお願いしないといけないし」


「う……また緊張してきた」


 ファントムとサニーグ殿のことだ。結婚の報告をしたら、何かしら俺を脅してくるだろう。

 しかし甘んじて受けよう。この幸せにはそれ以上の価値がある。

 俺の葛藤を知ってか知らずか、ソニアは無邪気に笑った。


 未来について楽しげに語る表情に息をのむ。なんて美しいんだろう。俺はこれから、この笑顔を一生隣で見ていられるんだな。

 過去の辛かった想いの全てが報われる気がする。


「明日から、また忙しくなるわね。従者を可愛がるのも楽しかったけれど、夫に尽くすのも面白そう。それに……」


 こっそり耳打ちされた言葉に俺は赤面した。気が早い。いつもは冷静なソニアも少し浮かれているようだ。


 人生最良の夜が更新された。

 これから何度もそう思う日が来るだろう。

 薔薇の宝珠などなくとも日ごと美しくなっていく最愛の魔女(ソニア)の隣にいる限り、俺は世界一の幸せ者だ。





後日登場人物紹介をアップする予定ですが、お話はこれで一区切りとさせていただきます。


二年間お付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。

他の連載は続けていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。



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[一言] 時世の影響で暇を持て余して開いたこのサイト。 久しぶりになろう作品で読破しました。 読んだあとに虚無感の残る作品は総じて素敵なキャラクター達に彩られた作品です。ラスボス魔女もそんな作品の一つ…
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