20 らすぼす魔女と楽園の天使
ルジアーロ王国のその後について語らなければならないわね。
まず、お城は半壊したわ。
……うん。地下が崩れた時点で覚悟はしていたけれど、実際地上であの惨状を目の当たりにしたときは、血の気が引く思いだった。
でも、私たち以上に顔を青くしていたのが国王陛下とお妃様たちらしいわ。
てっきり私たちごと地下遺跡が埋没したのだと思ったみたい。ありがたいことに歴史ある王城よりも、娘や客人の命を第一に心配してくださっていた。
城の人間は本当に全員が避難していたため、今回の事件での死者はゼロ。不幸中の幸いね。
ただ国庫には大きなダメージを受けた。国を動かす貴重な物だけはなんとか持ち出せたみたいだけど、高価な調度品や美術品の多くが失われてしまった。城の修繕費を考えると気が遠くなる。というか、多分別の場所に新しく建て直すことになるのでしょうね。
それでも国王陛下は快活に笑っていらっしゃったわ。
「命に勝る宝はない。皆が無事で何よりだ」
当たり前と言えば当たり前かもしれないけれど、どこかの呪い殺された国王とは大違いね。
後で麗しのアンブルスの絵画も土砂に埋まったと聞いて、少しだけ惜しく思った。彼は私とは無関係のヒトなのに、それでももう一度だけ、あの横顔を見ておきたかったわ。
それはさておき、私たちは揃って王領地の森で倒れているところを発見された。
見つけてもらえる場所に転移していて良かった。生き埋めも嫌だけど、野垂れ死にも最悪だわ。格好悪すぎる。
もう一つ運が良かったのは、ロゼとティガよりも先に私が意識を取り戻したこと。
私が空間魔術を使ったことについて、口止めする時間がなかったからね。陛下たちには天使ルインアリンが地上に返してくれたと説明して納得してもらったわ。目覚めたロゼとティガとは、隙を見て口裏を合わせた。
天使との取引についても一部事実を捻じ曲げたわ。
契約終了の代償として、私とロゼとセレスタの魔力を渡し、この地から旅立ってもらった。翼を再生させる条件については語らないでおいたの。薔薇の宝珠については絶対に話せない。
まぁ、さすがにこの地の魔力の川にいずれ影響が出るという点は包み隠さず伝えたけどね。
陛下は穏やかに頷いていらっしゃったわ。「楽園の名を返上することになっても、必ず民が飢えない国を維持する」と。
ロゼたちは薔薇の宝珠のことが分かっていなかったし、私に恩を感じたのか余計なことは言わないでくれた。セレスタはほとんど何も証言しなかったから、私の話が真実だと国王陛下は疑わなかった。
「どうにも都合が良すぎる。魔女三人の魔力で片付く問題ではない気がするが……」
ただ、第一王子のアストラル様には疑われてしまった。魔力の枯渇で寝込んでいた私の元にお見舞いに来て、スリル満点の時間を提供してくださったわ。
「まぁ、良い。貴殿に聞いたところで、私が納得する答えが返ってくるとは思えん。真実は自らの手で探し出さねばな」
あまり魔女の深淵に触れないでほしいのだけど……全てはもう終わったこと。語る者がいない以上、アストラル様が真実に辿り着くことはないでしょう。辿り着いたところで、彼が私や魔女全体に危害を加えるとは思えない。口を閉ざすのが賢明だと分かるでしょうから。
「さて、借りができてしまったな、ミストリアの客人。何か望むものがあれば言え」
「数万の民と妹の命を救ってくださった恩には遠く及ばないでしょうが、最大限の礼を尽くします」
第三王子のエクリーフ様も清々しい微笑みを浮かべた。
「いいえ、謹んで辞退いたします。私はロゼリント様とセレスタ様に付き添って、天使との対面の場に居合わせただけですもの。天使に捧げた魔力だって時間が経てば回復しますし、礼を受けるなど、もったいないことですわ」
「たとえあなたがそうおっしゃったとしても、我々の気が済まないのです。さぁ、遠慮なさらず」
「…………」
私はこの地で既に欲しいものを手に入れた。だから何も要らない……とは言えないわよね。天使と取引をしたことを勘繰られてしまう。大体、住居を失った相手に何かをもらおうなんて厚かましいし……。
でもこのまま頑なに辞退していては、お二人の面子を潰しかねない。形だけでも何かお願いしておくべきかしら。
「……では、お言葉に甘えて、二つお願いさせてください。これからもミストリア王国、延いてはククルージュと友好的なお付き合いを」
「そのようなこと、言われるまでもない。サニーグ・アスピネルや貴殿と敵対しても何も益はないからな。二つ目が本命の願いか?」
頷いてもう一つの願いを口にすると、アストラル様もエクリーフ様も揃って苦笑し、どうやって国王陛下を励ますか相談し始めた。まだ答えは分からないけれど、この場にいる誰もが同じ結論を出していた。これもまた、私が言うまでもない話だったかしら。
王国の地下で眠っていた天使が解き放たれた今、長く森の館に隠れ住んでいた偽りの王女も巣立ちのときを迎えたのかもしれない。
私が願ったのは、ロゼの自由。
できるなら彼女自身に選ばせてあげてほしい。これからどこで、どのように生きていくのか。
ロゼさえ良ければ、これからはククルージュで魔女の修業をしてはどうかしら。同年代の見習いもいるし、可愛い魔獣もたくさんいる。このままルジアーロで暮らすよりは絶対羽が伸ばせるわ。男手は随時募集中だから、もちろんティガも歓迎するわよ。
……そう提案したのだけど、ロゼは申し訳なさそうに首を横に振った。
少し驚いた。あの夜以前の彼女ならば、目を輝かせて誘いを受けていたでしょう。
箱庭で結構きついことを言ったから、嫌われてしまったのかしら。
「違います! ククルージュで暮らしたら、絶対楽しい。ソニアさんが正式にお師匠様になってくださったら、夢みたいに嬉しいもの。コハクちゃんともまだ一緒にいたい。でも、わたくしは……」
ロゼが悩み抜いた末に出した結論は、私の予想の斜め上だった。
「セレスタお姉様! わたくしを連れて逃げてくださいませんか!」
「…………は?」
セレスタを正式なルジアーロの王女として公表すると国王陛下が決めた、その日の夜に城から逃げ出す者がいた。何を隠そう、この国の真の第二王女セレスタ姫だった。
私はロゼに頼まれて、セレスタの逃亡を阻んだ。コハクちゃんが獣の本能を遺憾なく発揮し、逃走経路を見事に的中させたのよ。後で美味しいおやつをあげましょう。
「いろいろとツッコミどころ満載なんだけど……お姉様? 私をそう呼んだ?」
「はい。だって、セレスタお姉様は同じ師を持つ、わたくしにとっては姉弟子にあたる方。お姉様とお呼びすべき存在です」
「……馬鹿なの? あんたの大好きなお師匠様を殺したのは、私なのに。唯一の愛弟子として、私を罵倒すべきじゃない?」
皮肉交じりの言葉にも負けず、ロゼは毅然とした表情で頷いた。
「メリサのことは、正直まだ割り切れません。お姉様のしたことは、許されることじゃない。でも、それ以上にメリサはお姉様にひどいことをした。だから……わたくしがあなたを責める資格はないと思っています」
セレスタは一生懸命話すロゼを嘲笑った。分かった風な口を利くなと言っているかのよう。
「それで、どうして私があんたを連れて行かなきゃいけないの?」
「連れて行かなければならないということはありません。ただ、わたくしがあなたとともに行くことを望むのです。どうか、わたくしを本物の魔女にしてください」
「……誰がそんな面倒くさいことを引き受けるって? 修業なら、ソニアに頼めばいいじゃない」
「ソニアさんはお優しい方だからダメなのです。わたくしは、もうこれ以上優しくされたくない。わたくしを毛虫のように嫌うお姉様のような方に従事しなければ、心の成長は見込めません!」
意味分かんない、とセレスタがロゼを通り越して私を睨んだ。なんとかしろと視線で圧を受けたけれど、私はあっさりと匙を投げた。
仕方がないじゃない。ロゼはあの夜を境にすっかり茨の道を歩く気になってしまったのだから。
思えば、ククルージュでの暮らしも、こことそんなに変わらないものね。樹海の魔女の里で慎ましく生きるよりも、セレスタとともに荒野を征く。人としての視野が広がるのは確かでしょう。箱入りのお姫様には無茶だと思うけれど、ロゼは一人きりではない。
「オレも行くからな。いいかげん、森での暮らしには飽きた。今のオレなら剣で十分稼げるだろうし、腕試しも兼ねてしばらく護衛してやるよ」
「驕るな。基礎の鍛錬は毎日欠かさず続けろよ」
ヴィルに叱られ、ティガは面白くなさそうに唇を尖らせた。
「へっ、偉そうに。今度会ったときは絶対に負かしてやっからな……」
でも、なんだかティガは嬉しそうにしているわね。デレたみたい。
一方セレスタはげんなりと肩を落とす。
「子ども二人のお守りなんて絶対イヤ。超迷惑。よそを当たって」
決して折れないセレスタ。
だけど、本気で嫌なら幻影魔術でも使って姿をくらませればいいのに、そうしない。心の中では迷っているのでしょう。
セレスタは、ロゼに負い目があるのかもね。二人は限りなく似て非なる存在。放っておけないのだわ。
……しょうがないわね。私も一応セレスタには借りがある。後押ししてあげましょう。
「そうね。セレスタとロゼ、二人が黙って姿を消せば、さぞユレーア様が悲しむでしょう。お可哀想に」
ぴくり、とセレスタが反応した。
あの夜ロゼが帰還してからというもの、ユレーア様は泣き通しなの。二人の娘と、そして私とヴィルにも必死に許しを乞うているのよ。あの姿には正直同情するわ。
「やっぱりロゼ、あなたはルジアーロに残った方がいいわ。ユレーア様のこと、まだ嫌ってはいないのでしょう?」
「そんな……嫌っていないからこそ、もうおそばにはいられないのです。お母様は……お母様こそ、許されないことをしました。わたくしにも、お姉様にも。そばにいたら許してしまいそうだから……これが、わたくしがお母様に下せる精一杯の罰なのです」
私の誘導に気づかず、ロゼが苦しげに本心を吐き出す。
面と向かって育ての親を詰る勇気はまだない。でも、それではユレーア様を本当の意味で許し、楽にしてあげることはできない。
これは曖昧にして終わらせていい問題ではないと思うから。だから今は、ユレーア様から距離を置きたい。
「ふぅん……」
セレスタの心が動いているのに気付いたのか、ロゼは最後の食い下がりを見せた。
「わたくしは、一人前の魔女となるまではルジアーロに戻りません。偽りの王女や血の繋がらない娘としてではなく、一人の人間としてあのヒトに向き合いたい。誰かに造られるのではなく、わたくし自身がわたくしを形作りたい。もっと強くなりたいのです! 泣いてばかりでは悔しいから!」
セレスタは目を見張り、そして悪い笑顔を浮かべた。
「……生意気。でも、これはこれでアリかも。あのヒトにどう復讐しようか悩んでいたんだけど、この方法が一番かな。仕方ない」
セレスタは気怠げに髪をいじった後、ぷいっと顔を背けた。
「……いいよ、ロゼ。あんたの師匠になってあげても」
「ほ、本当ですか!?」
「うん。今『お母様大嫌い発言』が聞けないのは残念だけど、いずれあの女を泣かせるくらいの性悪で激強な魔女に育ててあげる」
……全く、他人のことは言えないけれど、捻くれているわね。
ロゼが悪の魔女にならないことを祈りつつも、変わるのはセレスタの方だと私は思う。ティガもいるし、多分大丈夫でしょう。
「お別れね、ロゼ。元気で。そのうちククルージュにも遊びに来て」
ロゼはぐっと涙をこらえ、私を仰いだ。
「ソニアさん、本当にありがとうございました。短い間だったけれど、あなたの弟子になれて良かった。教わったこと、いただいた言葉、受けた恩、決して忘れません。わたくしは、とても師に恵まれていますね」
「何も教えた覚えはないのだけど……それでも私のことも師と呼んでくれるのね」
「はい、ソニアさんはわたくしの目標ですから」
ロゼはすっと姿勢を正した。
背筋を伸ばし、おへその下に力を入れ、肩はやや開くイメージ。目の下に逆三角形を意識して、顎を引き、そして、口角を少しだけ持ち上げて微笑む。
「あなたがいてくれて良かった」
……本当に驚かせてくれるわね。
今のロゼからは、初対面のおどおどした雰囲気は微塵も感じられない。感慨深いわ。
「じゃあね、ソニア。……ボスのお墓ができたら一応連絡して。いろいろと報告したいから」
こうしてセレスタは実の母親への復讐と嘯き、ロゼを連れて旅立っていった。ついでにティガも。
ユレーア様はそれはそれは悲しんだけれど、陛下と嘆き合い、オリビア様に励まされ、そして、「ルジアーロの魔力の川を維持する方法を探してきます」というロゼの置き手紙にまた泣かされていたわ。
楽園からもう一人、天使が去った。
その後ルジアーロの第二王女が公の場に姿を現すことはなく、その存在は謎に包まれ、やがて人々の記憶から薄れていった。
私もまたヴィルとコハク、ネフラとともにミストリアへ帰還した。
次でラストです(多分)