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18 魔女と天使の取引


※コハク視点です。

 

 きっと、僕の知らないところでいろいろあったんだろうなぁ。

 なんて、諦観の面持ちで僕は箱庭に辿り着いた。この場に満ちる独特の魔力になぜか懐かしさを感じ、そして、めちゃくちゃ気持ち悪くなった。酔いそう。


 ソニアたちの会話やヴィルが遺跡の扉を開けたことから推測するに、僕やクロスの基になった人間がルジアーロの人間なんだろうね。

 スレイツィアめ。王墓から細胞片を盗んだ話は本当だったんだな。


 いや、もう死んだ魔女のことはどうでもいい。

 僕は前世の自分が殺しそびれた魔女を睨む。

 ヴィルはティガの決意に応えて戦い、ソニアはロゼリントを少々厳しい言葉で説得している。その間、セレスタは眠たそうな目で箱庭全体を眺めていた。

 しっかり見張っておかなくちゃね!


 あのときヘイルミーネに化けてロゼリントを訪ねてきたのは、やっぱりセレスタだったんだね。相変わらず幻影魔術の腕は一級品だな、くそ。

 でも、まさか本物の王女だとは。組織にいたときには高貴な雰囲気は全く感じなかったんだけど、確かに他の魔女とはどこか違った。掴みどころのない部下だった。


 セレスタったら、僕のことをヘタレとか可愛いとか、ソニアとヴィルの前で好き勝手言ってくれた。

 何を企んでいるんだ。僕への復讐と恩返しだって? 


「うにゃ……」


 ふと思いついた考えに僕の心臓が強く脈打った。

 もしかしてこの時のために、セレスタはソニアをこの箱庭に連れてきたのか……?

 じゃあソニアもそのつもりで?

 だとしたら僕は、僕のしたことは……。


 そのとき、まばゆい光が箱庭に満ちた。


【時は満ちた。新たな血を捧げるか、王の末裔よ】


 光が収束したとき、天使が先ほどまでなかった両腕を広げ、僕たちに対して歓迎を示した。

 さっきまで石膏のような質感だったというのに、今では光の粒子で構成されているかのように半透明で神秘的だった。

 捉えようのない膨大な魔力に、全身の毛が逆立つ。


 いけない。もう天使が目覚めちゃった!

 僕は大急ぎでソニアの元に向かった。本能的なものもあって、天使に対して威嚇態勢をとる。


「く、コハクに先を越されたか」


 ヴィルもソニアとロゼを庇うように前に出て、魔女殺しを構えた。広い背中が頼もしいな。でも、ソニアは守られるだけというのは嫌なのか、さりげなく彼の隣に立った。


 そうこうしているうちに、ティガもしっかりロゼの横に来たね。もう既に戦う力は残っていなさそうだけど、ロゼを守る役目は誰にも渡さないと言わんばかりの表情をしている。


 セレスタもゆっくりとこちらに近づき、少し離れた場所で止まった。

 ……いざとなれば魔術を発動できるように、術式を構築しているみたいだね。後方支援を任せるのは不安だけど、でも、仕方ない。


 あー、もう。全く、おかしなことになったよね。

 天使という本来崇めるべき存在に対し、臨戦態勢を整えているなんて。


【ヒトは業が深い。よもや、これほど色濃くメルジンの血を受け継ぐ者に再び相まみえるとは。歪な術を用いたか】


 不思議。天使の顔は相変わらずのっぺらぼうなのに、どこからか中性的な声が聞こえ、視線はヴィルを捉えているように感じた。


【そして、雨望む乙女よ。汝は時を超えたか】


「いえ、いいえ……わたくしは、プラナティ様の紛い物です」


 自分に問いかけられていると気づき、ロゼリントが怯えながら答えた。


【真にヒトは罪深き生き物よ。しかし、それゆえに地上は豊かで色鮮やかである。我が箱庭がこれほど賑わうとは……律儀に刻限を待った甲斐があったというもの】


 ルインアリンは僕たち全員を見渡し、一つ頷いた、ように見えた。

 ちゃんと僕にも視線が向いたことに、ぞっとした。僕の正体に気づいているようだ。さすが天使というべきかな。

 余計なことを言わないでね、と念を込める。


 だけど、感情のない平坦な声に少しだけ安心した。会話が成立するというだけでこれからの展望に希望が持てる。


【さぁ、異形の者たちよ。改めて問おう。契約の継続を望むか?】


「いいえ。ルジアーロ王国はもう天使の力を必要としないよ。二度と甘き血は捧げない。あなたの傷が癒えているのならば、旅立ってくれていい」


 鋭い声で答えたのはセレスタだった。ロゼリントが何か言い出す前に先手を打ったんだな。元々の王女はセレスタなんだから、別に構わないけれど。

 箱庭の空気が揺らぐ。ルインアリンは少しだけ驚いたみたい。


【おお、そうか。自らの意志で楽園の終焉を選ぶのだな。では、我の見送りに来たというわけか。これまでこの地を満たしてきた幸福を糧に、私ははばたく】


「いけません! そのようなこと……」


 ロゼリントを制止し、ソニアが問う。


「少し待って。念のために尋ねておきたいのだけど、あなたが旅立つと地上はどうなるのかしら? 具体的に教えて」


【長き年月を経て、我はこの地の魔力の大河そのものになった。我が羽ばたくということは、この地一帯の魔力全てが天へ還るということ。大地は死に絶えるであろう。そして、長くこの地で暮らした命もまた、魔力を宿した血肉を失う】


 この地に網目状に広がった魔力の川が根こそぎなくなってしまう。人間もその他の命も、その身に宿る魔力を徴収される。

 エメルダの予知映像の謎が解けたね。


『ルジアーロ王国の第二王女ロゼリント。彼女の十二歳の誕生日の前後、王都ルインアリン全域にて、数万人単位の死者が出る。

 死因は不明。城の廊下や町の道端で、人々が真っ青な顔で絶命していく予知映像を確認……的中確率は一割以下。

 呪術、あるいは魔術的な人災の可能性が高いと思われる』


 天使との契約の失効は目前だった。

 真っ青な顔で絶命していく人々は、契約の失効とともに魔力と血を失ったから。


「つまり、この地とルジアーロの民は死んでしまうのね。この地を離れても、人々の体にこの地の魔力が宿る限り、死は避けられないということ?」


【しかり】


 なんてこった。どこに逃げても民が死ぬのなら、本当にルジアーロは滅亡しちゃうね。

 まぁ、美味い話には裏があるものだよね。借金と利子みたいだ。

 天使ルインアリンは永く永くこの地に恩恵を与えてきた。王族が支払ってきた甘き血は契約継続の証にすぎず、利子は全く支払えていないんだ。膨れ上がった利子は、契約満了時にまとめて支払わなければならないってことだね。

 理不尽な気がするけれど、でも、天使は九百年にわたってルジアーロ王国に過大な恩恵を与えてきた。それを考えると返済拒否はできないかな。


「ということは、魔力の大河と一体化したあなたを、綺麗に切り離さないといけないのね」


 ソニアに目配せされ、ヴィルが剣を天使に見えるように掲げた。


「魔女殺し……元々は魔女の魔術を無効化するために生み出された呪いの剣なのだけど、ある時を境に少し変質したの。この剣ならば、あなたを傷つけることなく、川と切断することもできると思うのだけど」


【……可能である】


 僕は変質したという魔女殺しを瞳に映す。

 前世の僕の心臓を貫いた血濡れの魔女。ヴィルたちを守ってくれという僕の祈りが届いたのだろうか。


「あなたが魔力の大河と離れれば、この地の人間は死なずに済むかしら?」


【否。この地からはばたくには翼が必要である。その翼を形成するために大河より吸い上げた魔力が必須。九百年前に切り落とされた翼を、この地の魔力で再生するのだ。いたずらに我と大河の接続を切れば、我は死にこの地に災いを残すだろう。天に生まれしこの体が大地に還ることはできない】


 ようするに、翼がないと天使は死に、その死体は大地にとって毒であるってことか。

 九百年前にメルジンが天使を助けなければ、今頃この地はどうなっていたことやら。


 ロゼリントが潰れそうな声で言った。


「やはり、契約の継続しかありません。そうすればまた三百年は安寧を得られます。わたくしの命一つで、済むのならば……」


「何を言っているのか分かっているの? 時間を稼いだところで、また生贄が必要になる。今のルジアーロ王族に初代王メルジンの子孫だと証明できる血潮は宿っていないのに。また、あなたみたいな禁忌の存在を造り出すことになるんだよ。こんなやり方、いずれは破綻する」


 セレスタが吐き捨てるように言った。

 確かにね。今回扉が開いたのだって奇跡的なことだ。

 個人的にも、人造生命はもう生み出されるべきではないと思っている。不幸が積み重なっていくだけだ。


 ロゼリントは苦しげに胸を押さえた。


「たとえその場にしのぎに過ぎなくても、それでも今は他に方法が――」


「私と取引をしましょう。天使ルインアリン」


 全ての懸念を振り切るように、ソニアが一歩前に出た。


「ルジアーロの民がむやみに死なないようにするには、ようするに、この地から魔力を吸い上げなくても、あなたの翼が元通りに戻ればいいのでしょう?」


 その手に掲げられたのは紅い宝珠。

 前世の僕がソニアの命を繋ぐために託した、たった一つの希望。


「天使ルインアリンに魔女の秘宝を、魔人が守り続けてきた薔薇の宝珠を捧げるわ。この宝珠を身に宿せば、あなたの翼を再生することもできるのではなくて?」


 天使が薔薇の宝珠を見て息をのむ。

 永遠の美と若さを約束する禁忌の秘宝。あらゆる病を癒し、傷を治す力を持つ。

 僕は、静かに成り行きを見守った。


【ヒトの欲望と大罪を孕んだ英知の結晶……確かに、この宝珠を用いれば、我は大地の犠牲なく天にはばたくことができるだろう】


 ソニアは艶やかに微笑んだ。

 ルジアーロの人々を救う聖女のごとき行為をしておきながら、その顔は己の野望を叶えんとする魔女そのものだった。


「そう。それは何より。でも、この宝珠は私の命を繋ぐために必要不可欠なもの。……それに、父の形見でもあるのよね。無償で提供するわけにはいかない」


 ほんの少しだけ惜しむように宝珠の表面を指で撫でるソニア。

 僕は誰にも見られない位置で、小さく頷いた。


 いいよ、ソニア。僕の想いは確かにきみに届いていた。それだけでいい。

 モノとして形が残らなくたっていいんだ。きみがヴィルと一緒に幸せになれるのなら、薔薇の宝珠なんて要らない。

 むしろ、消し去ってくれた方がせいせいする。

 僕らの世代が生んだ罪の全てを、ゼロに。

 そして過去に縛られることなく、誰も予知できなかった未来を一から歩んでいってほしい。


 ……本当に、全ての尻拭いをさせてしまって申し訳なく思うよ。

 ごめんね、ソニア。ありがとう。


 ソニアは凛と立ち、天使に告げた。


「私の、いえ、私とヴィル、そしてロゼ。人造生命であったり、人造生命の子であったり、歪な身体構造を持つ者の体を正常な人間と同じようにしてほしい。翼を再生させるには膨大な魔力が必要なのでしょうけど、天使ともなれば、たかが人間の体をいじることくらい造作もないでしょう?」


 薔薇の宝珠と引き換えに、ソニアたちの体を普通の人間と同じものにする。

 三百年前、救国の魔女プラナティは天使と取引をして、雨乞いの魔術を実行する力を得た。でも、天使に何ができて何ができないのかは分からない。これは賭けだ。

 

 ソニアの願いに対し、天使は答えではなく問いを返した。


【そのようなことで良いのか? その宝珠の力があれば、汝は悠久の時を生きられる。人の世を統べ、平らげることも可能であろう。大地の支配者になれるというのに】


「興味ないわ。私の望みはただ一つ。好きな人と好きな場所で好き勝手に暮らすこと。特別な力は必要ないの」


 ヴィルが感極まったような顔で力強く頷いている。激しく同意って感じだ。

 セレスタは肩をすくめ、ロゼは訳が分からない様子で首を傾げ、ティガも話についていけなくてむっつりしている。

 僕は天使を見上げた。お願いだ、どうか。


「さぁ、ルインアリン。この取引、受けてもらえるかしら?」


 ソニアの再びの問いかけに、天使は――。






年内で完結しなくてごめんなさい。

来年は頑張ります。

良いお年を!

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