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17 天使の目覚め

 

 ティガは動かなかった。こちらの出方を窺っているみたい。

 背を向けているロゼには分からないでしょうね。自分の騎士がどんな顔をしているのか。


 こちらを睨みながらも、どこか安堵したような表情。

 私たちのことを心の底から待ち望んでいたのでしょう。初めてティガのことが可愛く思えたわ。健気なこと。

 期待に応えてあげたくなっちゃうわ。もちろんヴィルを生贄になんてさせないけれど……。


「ソニア、ティガのことは俺に任せてくれ」


 ヴィルは魔女殺しを抜いた。紅い刃が妖しく煌めく。

 意外と面倒見が良いわよね。たった数週間でも弟子は弟子。現実の厳しさを教えるために立ち塞がるのが師匠の役目。


 ティガはヴィルに任せれば大丈夫そうね。私は私の役目を果たしましょう。


「えぇ、お願いするわ。でもあまり遊んでいる時間はないの。しつこいようなら手足を切り落としても構わないわ」


 私が冷たく告げると、ヴィルはピクリと眉を動かしながらも頷いた。


「……承知した」


「そんなっ。待ってください! ティガ、もうやめて!」


 私たちのやり取りにロゼが青ざめる。対照的にティガは笑った。そして、自らに喝を入れるかのように叫び、力強く地を蹴った。

 箱庭に金属音が響く。騎士見習いと元騎士の戦いが始まった。


 ティガは最初から全力みたいね。初めてヴィルに勝負を持ちかけたときよりも、動きが鋭い。ヴィルの教えの成果が出ているのかしら。獣じみた動きの中に、堅実な剣の型が見える。


 でも残念ね。どう考えてもヴィルの勝ちは揺らぎようがない。たった数週間で二人の差が埋まるはずもない。

 ヴィルはティガの攻撃を確実に防ぎ、気力を削いでいく。


「もう、やめてください……」


 ロゼは膝から崩れ落ち、手で顔を覆って泣き出してしまった。

 私はため息を吐き、小声でセレスタに問いかけた。


「それで、あなたはどうするの? 見てるだけ?」


「うん。ロゼのことはソニアに任せる。私よりも効果的」


「ああ、そう。なんだか踊らされている気がして面白くないのだけど」


 セレスタはちょっとムカつくくらい上品な笑みを見せた。


「面倒な役目を押し付ける代わりに、とびっきり幸運な機会をあげる。安心して。見込み(・・・)が外れたときは私も手伝う」


 ああ、なるほど。そうよね。私よりもルジアーロに詳しいセレスタが、あの可能性に気づかないはずがない。

 ようやく彼女の目的が掴めてきた。


「初めからそのつもりだったのかしら?」


「そうだよ。だって、やり直すのならゼロにした方が簡単でしょ。ボスができなかったこと、私が代わりにやる。それが私なりの復讐であり、恩返しだと思うから」


 セレスタは曖昧に笑った。

 的確に私の弱いところをついてくるわね。セレスタにお父様(アンバート)の名前を出されると、いつもみたいに受け流せない。


「お父様は、本当に罪なヒトね。……上手くいくまで感謝はしないわよ」


「いいよ。別に。感謝するのは私の方だから」


 私は思い切り息を吐き、気持ちを切り替えた。

 セレスタよりも今はロゼの相手をしなくちゃね。


 ……正論を説くのはあまり得意ではないの。だから悪役を演じさせてもらうわ。


「コハクちゃん、ちょっと待っていてね」


 セレスタに預ける気になれず、コハクを地面に降ろした。金の瞳が「何するの?」「大丈夫?」と言わんばかりにそわそわしている。でも私の後についてこようとはしなかった。やっぱりこの子、賢いわ。


 ヴィルとティガが戦っている横を通り、私はやすやすとロゼの元に歩み寄った。ティガは攻撃に転じたヴィルの相手で手一杯。というか、元から止めるつもりがないのでしょう。

 ロゼは私を涙目で見上げ、自らの腕を抱きしめる。随分と警戒されているわね。


「ロゼ、迎えに来たわ。地上に戻りましょう」


「ソニアさん……わたくしは戻りません。この命を天使に捧げ、ルジアーロを救います。止めないで下さい」


 震えた声には強い決意が込められていた。もう崩壊寸前の精神で気丈に微笑む様は、私の奥底に眠る激情を駆り立てた。 

 本当に嫌になる。


「これで良かったんです。ずっと、王女として人前に出るのが怖かったの。魔女の修業だって中途半端で、自信を持てない……わたくしには何もないわ。本当に、なんの価値もない。身の丈に合わない身分が苦しかった。だから、本当は天使に甘き血を捧げるだけの存在だって分かって、ほっとしたの。わたくしは……わたくしの役目を果たします」


「そんなことを軽々しく口にするの、やめてほしいわね。あなたを救うために、ユレーア様とメリサが何をしようとしたのか、セレスタに聞かなかったのかしら?」


 ロゼは入り口付近に佇むセレスタを一瞥し、俯いた。


「はい。お母様とメリサが、ソニアさんとヴィルさんをわたくしの代わりにしようとしたことも、聞きました。とんでもないことです」


 少し不機嫌な私の様子に気づいたのか、ロゼが首を横に振った。


「ソニアさんがわたくしの死を気にすることはありません。元よりあなたたちはこの国の行く末とは関係な――」


「ええ、そうね。関係ないわ。最初から命を捨てる気なんてないの。この国は私の大切なモノの中に含まれていないもの。少し思惑があって災いの予知を防ごうと思っていたのだけれど、自分たちが傷つくようならすぐ手を引くつもりでいたわ」


 ああ、ものすごく楽だわ。本音に少し偽悪を盛るだけで悪女になれるのだから、私はやっぱりイイ性格をしている。


「勘違いしてない? 私に慈善精神なんてないの。ロゼを迎えに来たのだって、半分以上は自分のため。残りの半分は娘の身を案じる国王陛下に頼まれたからよ。断ってミストリアとの関係が悪くなったら困るもの」


 面食らうロゼを私は鼻で笑った。


「止めないで下さいと言われても、ね。ロゼの抵抗は全く意味がないわ。あなたの決意を折る方法なんて、一瞬で十通りは思いつくもの。魔術で気絶させてもいいし、言葉で脅してもいい。ほら、私の言うことを聞かないとティガを殺すとでも言えば、あなたは従うしかないでしょう?」


 こうして私と対面している時点で、ロゼはもう天使の生贄にはなれない。ロゼには私を止める武器がないもの。


「残念だったわね。王女様のお願いだったら聞いてあげたかもしれないけど、もう違う。もしくはあなたが一人前の魔女ならば、戦って私を退けられる可能性もあったでしょう。……そうね、ロゼ。あなたには何もない。身分も力もない世間知らずの子どもだわ。この世界では、弱者は自分の思い通りに生きることすらできないのよ」


 私がにこやかに笑うと、ロゼがびくりと震え上がった。瞳からはぽろぽろと涙がこぼれる。


「ソニア! 言い過ぎだ!」


 戦いながら私たちの様子を見ていたらしい、ヴィルからブーイングの声が上がる。

 ふふ、怒られちゃったけど、悪い気はしないのよね。


「余裕があるのはいいことだけど、しっかりとティガを足止めしてね」


 ロゼを心配して、ティガがこちらに来ようとする。すかさずヴィルが阻み、反動でティガが吹き飛ばされた。派手に倒れたわね。


「ティガ!」


 反射的に駆け寄ろうとしたロゼの行く手を塞ぐ。

 煽るのはこれくらいでいいかしら。


「ねぇ、ロゼ。分かっているの? ティガがなんのためにヴィルに勝ち目のない戦いを挑んでいるか」


 幼気な瞳が震える。


「それ、は……」


「ティガは、あなたのために命懸けで剣を振るっているのよ。ただロゼの命と心を救うために自分の命を懸けている。それなのにあなたは、自分に価値がないと言うの? ティガの命懸けの行為は無意味なのかしら?」


「だって、ティガは、本当は、ものすごく優しいから……」


「どういう感性してんだ、てめぇは! オレが優しいわけねぇだろ!」


 頭を手で押さえながら、ティガが顔をしかめて起き上がる。


「オレはただ、お前が犠牲になるのがおかしいから止めたいだけだ! こんな理不尽なこと認められるかよ!」


 叫んで眩暈でも起こしたのか、その場にうずくまるティガ。ヴィルが「俺が犠牲になるのはいいのか……」と遠い目をしているわ。

 まぁ、ティガは私たちが絶対にロゼを止めると分かっていたから、あえてヴィルに戦いを挑んだのよね。口で言えないから行動で示したかったでしょう。どれだけティガがロゼを大切に思っているか。


「格好のつかない騎士様ね。でも、同感よ。私も嫌なの。ロゼを迎えに来たのは、私がこの展開を望まないから」


 ロゼは少し前の誰かさんみたいに、自分が犠牲になれば全てが丸く収まると思っている。

 傍から見ている“しちょうしゃ”はこんな胸糞悪い結末、これぽっちも望んでいないのにね。


 ロゼが何か悪いことをした?

 森の中で慎ましく生きてきただけじゃない。私みたいに襲撃者を殺していたわけでもない、ただの十二歳の少女がどうして命を捧げなきゃいけないの。


 たとえ利用されるために造られ、生かされてきたのだとしても、意志を持てば運命は変えられる。

 私の実体験を話せばもう少し説得力が出るのでしょうけど、ロゼには刺激が強そうだからやめておくわ。前世でいうところの“あーる指定”ってやつかしら。それに、やっぱり少し恥ずかしいし……。


「なんのために造られたかなんて、どうでもいいのよ。あなたは本当に生贄になることを望んでいるの?」


「わ、わたくしは……」


 なんだかんだ言ってきたけれど、ロゼが頑なに死を選ぶと言うのなら、悔しいけれど私は止めない。自分の命を何に使うかくらい選ばせてあげたいと思うから。

 だけど、見れば分かる。生きることに未練たらたらなんだもの。自分の出生の秘密を知り、人生を悲観しているだけならば、止めさせてもらうわ。

臨時とはいえ、私はロゼの師匠だもの。いいわよね?


「あなただって自分勝手に生きていいのよ。本当は、他にまだやりたいことがあったのではなくて?」


 ロゼは私を見て、ティガを見て、最後に天使を仰ぎ見た。そしてぎゅっと目を閉じた。


「わたくしは――」


 そのとき、箱庭の空気が変わった。

 私は咄嗟にロゼの体を引き寄せ、背に隠す。


【時は満ちた。新たな血を捧げるか、王の末裔よ】


 天使の像が白い光を放ち、空間に満ちていた魔力を一息に飲み込む。

 三百年ぶりに天使ルインアリンが目覚めた。


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