16 鏡合わせの王女
通路は緩やかな弧を描きながら、下へ下へと続いていた。
濃密な魔力の気配に近づいていく。
「私だって最初はメリサに可愛がられていた。お菓子を作ってもらったり、絵本を読んでもらったり、実の孫のように甘やかされていた。幼い頃は……真実を知る前は幸せだったと思う」
薄暗い通路に、セレスタの抑揚のない声が響く。
私とヴィルは彼女の挙動に気をつけながら、半歩後ろを進んだ。いざというとき庇えるように、両掌でコハクを包み込む。
ロゼたちが心配で気は急くし、セレスタを警戒し続けるのは神経がすり減るけれど、焦りは禁物。
今はセレスタの思惑をはっきりさせましょう。
「ある日、メリサから自分の出自と役目について教えられた」
幼い彼女は心を躍らせた。
自分がとある王国のお姫様で、国の危機を救う唯一の存在だったから。まるで物語のヒロインのような役回り。役目を果たしたとき、きっと世界中の人に愛され、感謝される。
例えばそう、ミストリアを救った救国の魔女アロニアのように。
……うーん。こういう思考の少女に覚えがあるわね。
私は内心苦々しい思いをしながらも、セレスタの話に相槌を打つ。
「一通り魔女の修業を終えた後、メリサに連れられてこっそりルジアーロに来た。私に『天使の座する庭』へ入る資格があるか確かめるためだった。私は大好きなメリサと、まだ見ぬお父様とお母様のために張り切っていたわ。生贄の意味なんて知らなかった。でも、それ以前の問題だった。当代の王家の血では、もう天使に認められない。それが分かってから、メリサの変わり様はひどかった」
老齢の魔女は手の平を返し、セレスタに冷たく当たった。
役立たず、無能、ごみ。
ひどい言葉で罵り、殺すために育てていたと告げ、最終的にはお金も食べ物も持たせず、カタラタ帝国の奥地へ捨てていったそうよ。
「メリサの悪いクセ。私のことを道具としか見ていないのなら、最初からそういう風に扱えば良かったのに……中途半端に可愛がるから、憎しみがとめどないほど沸き上がった」
その憎しみが、セレスタに生きる力を与えたという。
夢から覚めたお姫様は貪欲に魔術の腕を磨いた。なりふりかまっていられなかった。
時に幻影魔術で大人を装い、時に子どもの顔で甘える。自分を偽ることに慣れていけば、罪を犯しても良心は痛まなかったそうよ。
演じるのに慣れて自分を見失うなんて道化そのものね。
私も気をつけなくちゃ。
「誰も本当の私を知らない。私も、自分がなんのために生きているのか分からなかった。何をすればいいのか、何がしたいのか。自分には何の価値もないんじゃないかって、そういうイタいことを考えちゃうお年頃だった。少し恥ずかしい」
ルジアーロの王女であると、名乗り出るつもりは全くなかったそうよ。どうせ捕えられて生贄にされるだけ。実際の王家は天使との契約について欠伝していたわけだけど、当時のセレスタには分からなかった。ユレーア様がセレスタのためにメリサに預けたことすら知らなかったらしい。
セレスタは過去から目を背け、全てを諦めていた。
「そのときにはもうメリサへの復讐もどうでもよくなっていた。ううん、願ってはいたけれど、動き出す気力がなかっただけかな」
セレスタは怠惰に日々を過ごしていた。戯れに年老いた魔女たちと抗争していたみたい。メリサの影がちらついて手を出してしまったのかもしれないわね。
「そんなとき、ボスに出会った。一目で心を鷲掴みにされたわ。そして、心の底から恐れた。ソニア、あなたの父親はとっても素敵で残酷なヒトだったよ」
「…………」
彼女の口からアンバートのことを語られると、妙な気分になるわね。
私よりもずっとセレスタはアンバートの傍にいた。私の知らない彼の姿をたくさん知っている。
セレスタはアンバートに組織に誘われ、少し迷った。
この可愛らしい少年は危険。きっと魔女に破滅をもたらす。
だって目が言っている。魔女が憎い、魔女を滅ぼしてやる、と。
しかし、魔女の王となりうる存在に甘い言葉を囁かれ、ほとんどの魔女が魅了されて付き従った。セレスタには彼女たちの気持ちが痛いほど分かったらしいわ。
罠だと気づきながらも抗えない。それほどアンバートの存在は魔女の心を執拗に駆り立てた。
自分だけは違う。きっと彼に愛されて見せる。誰よりも役に立って、誰よりも彼の傍に。
私が、可哀想なあなたを癒してあげる。
そうして魔女たちは争うようにアンバートの寵を求めた。
「私も、最終的にはボスについていくことにした。予感がしたの。ボスは私ですら躊躇うような残虐の限りを尽くして、誰も幸せにならないような野望を果たす。そんな最悪な瞬間が見られたら、きっと胸がスカッとする。ボスは人間のふりをした悪魔……魔人そのものだね。私も他の魔女と一緒に、魔人に魂を売り渡した」
セレスタの目にからかいの色が浮かぶ。
「組織での活動は面白かった。いろいろと調べたの。二十年前の救国の魔女アロニアとミストリア王の企みも、ククルージュの裏の顔も、山奥の村の予知能力者のことも、ボスの正体と本当の目的も。ところどころ分からないこともあるけど、大体の真相は知っているつもり。もちろん、薔薇の宝珠の行方や、ソニアとヴィルが抱える事情も」
この口ぶり、嘘ではなさそうね。
さすがに私の前世やら“あにめ”やら、この世界が二周目であることまでは掴んでいないでしょうけど。
「私の目に狂いはなかった。ボスはすごい。どんな運命を紡げば、あんな風になるの? そしてソニア、あなたも。そういうところは親子ってことかな」
……当初の目的通り、やはり口封じを敢行すべきかしら。
セレスタの存在は脅威だわ。
でも、変ね。秘密を知っているという示唆が危険なことくらい、分かっているでしょうに。
いくらセレスタが強くても、私とヴィルの二人がかりなら難なく討ち取れるわよ。
セレスタは本当に自らの死を望んでいる?
私たちに殺されるために、この状況を作り出したの?
イマイチ考えが読めない。
セレスタから悪意を感じないのが不気味だった。
私が物騒なことを考えていると、セレスタは自嘲気味に笑った。
「でも、ボスは私を裏切った。騙して殺そうとしたことはどうでもいい。覚悟はしていたから。私が許せなかったのは、ボスが最後に娘を守る親の顔になっていたこと。そんな陳腐なもの、見たくなかった」
「……お父様が守りたかったのは、私ではなくヴィルよ」
「本気で言ってる?」
セレスタは呆れ果てた様子だった。
割りと本気よ。
まぁ、今となっては全く情がなかったとは思わないけれど。
「お父様が改心、というか、心変わりしたのは確かなのでしょうね」
この世の魔女を殺し尽くすのはやめて、ミストリア王への復讐と魔女組織の解体のみに注力した。
そして私に宝珠と予言書を遺して死んだ。
あの人の最期の顔を思い出す。
……分からないわよ。愛されていたかどうかなんて。
もっと言葉を重ねられたら良かったのでしょうけど、それはもう叶わない。
コハクがごろごろと喉を鳴らし、必死に私の手に頭を擦り付けてきた。まるで「僕はきみの味方!」と言わんばかりで可愛い。和む。
「私の心はすっかり冷めた。野望の途中でヘタレたボスに殺されるのが癪だったから、幻影魔術で偽装して逃げたの」
「…………」
セレスタは小さくため息を吐いた。
「ううん、嘘。私にはやらなくちゃいけないことがあったから、まだ死ねなかっただけ。私にボスの選択を怒る資格なんてないし……うん、ソニアを殺すかどうか苦悩するボスはものすごく可愛いかったし、許してあげてもいいかな」
「何よそれ」
私が何とも言えない複雑な気持ちを噛みしめていると、ヴィルがそっと肩を叩いてくれた。
分かっているわ。突っ込んだら負けよね。ネフラもそうだけど、お父様に関わりのあるヒトは独特な感性の持ち主ばかりだわ。ペースが狂う。
「これでも一応、感謝してる。ボスとソニアを見ていたおかげで思い出せたんだよ。私にも親がいて、故郷があって、憎むべき師匠がいること。ルジアーロのことを調べて、私の『代用品』がいることを知ったとき、私も過去と向き合う覚悟を決めた」
セレスタにとって、ロゼはどんな存在なのか。その心中は計り知れない。
自分の代わりに国王陛下とユレーア様の愛娘として育てられた、偽物の王女。
しかし彼女は、ユレーア様とメリサの愛情を勝ち取った。
不自由な暮らしを強いられながらも愛し愛され、何も知らずに綺麗なまま。
生贄になるために生み出されながら、その役割を免れるほど彼女はみんなに愛されている。
「あなたはロゼを、憎んでいるの?」
セレスタは穏やかに微笑んだ。
こうして見ると、ユレーア様によく似ている。そして、ロゼにも。
「……ロゼの存在が私を傷つけたり、私から居場所を奪ったわけじゃない。憎しみなんてない。ただ見ていると悲しくて、ムカついて、目を背けたくなるだけ。少し運命が違ったら、私がロゼリントの場所にいるのかと思うと、冷静ではいられなくなる」
セレスタにとってロゼは鏡像のようなものなのかもね。とても似ているのに正反対で、決して同じ世界に存在できない。
王女という立場、生贄として育てられた境遇、何より二人は同じ親と師を持っている。
しかし一方は遠ざけられ殺伐とした世界を転々とし、一方は狭い世界の中で何も知らずに慎ましく暮らしてきた。
こうして考えてみるとセレスタの方が不幸に思えるけれど、ロゼは今、王国を救うために命を捧げようとしている。王国の命運なんて重いものを背負わされたロゼが幸せだとは思えない。
……いえ、比べるものではないのでしょうね。
彼女たちはきっと、可哀想だなんて思われたくはない。
その気持ちなら、私も少し理解できる。
「私、ルジアーロ王国のことは正直もうどうでもいい。天使との取引にも興味はないよ。私の目的はもうほとんど果たせている。メリサは殺した。ユレーアにも言いたいことを言った。あとは、ロゼリントに思い知らせるだけ」
気づけば、魔力の塊はすぐそこにあった。辿り着いたみたいね。
緩やかな螺旋を描いた通路は明るい場所へ繋がっていた。
光る花々が咲き乱れる箱庭。
城の地下にこんな広い空間があったなんてね。
魔力が飽和し、きらきらと空間が輝いて見える。宇宙を泳いでいるような感じ。実際、度の合わない眼鏡をかけているみたいに視界がぐにゃりと歪み、まっすぐ歩くのも難しい。
創脳を持つ者には少しきつい。セレスタも顔をしかめているし、コハクちゃんも体が怠いのか私に思い切り体重を預けてきた。私も酔いそうだわ。
「そんな、どうして」
箱庭の中央、巨大な白い像の足元にロゼリントの姿があった。目元が赤く腫れ、今にも倒れてしまいそうな雰囲気だけど、無事で良かった。
というかその白い像が天使……なのかしら?
凹凸のない柱状の体で腕はなく、白い翼を背負っている。顔はのっぺらぼうね。
石膏のような質感で、前世の“えきまえ”に建っていそうなモニュメントやオブジェのよう。
とても生物とは思えない。
だけど、この空間に溢れんばかりの魔力は、間違いなくあの天使像から流れ出ている。
今はまだ眠っているのか、反応はない。
なんとか間に合ったようね。
「ロゼリント。賭けは俺の勝ちだな」
私たちの前に騎士見習いの少年が立ち塞がる。
思わず目を見張ってしまったわ。
たった数日見ない間に、ティガの顔つきが変わった。
生意気でどこか斜に構えていた少年が、真っ直ぐ私たちを睨む。
それは主を守らんとする騎士の顔だった。
「扉を開けたのは誰だ?」
「……俺だ」
ヴィルが名乗り出て前に出る。
ティガもヴィルも剣の柄に手をかけていた。
「そうかよ。意外だ。……でも、ちょうどいい」
鞘から白刃の剣が抜かれ、ヴィルに突き付けられる。
「ヴィル・オブシディア。オレはあんたを倒して、天使の生贄にする。ロゼリントも、ルジアーロも、まとめてオレが救ってやるよ」