14 偽物の本物
間が空いてしまってごめんなさい。
「ユレーア、お前はなんということを……ロゼを生贄にするために育てていたのか? あんなに可愛がっていたではないか」
国王陛下の声には失望が滲んでいた。ユレーア様が俯くと、大粒の涙がその瞳から絶え間なく零れ落ちていった。
「そうです……私はロゼを生贄にして、この王国を守るつもりでした。愛する人が大切に想っている楽園……どうしてもあなたの時代に終わらせたくはなかったのよ……」
その声は涙に濡れ、今にも消え入りそうだった。彼女の苦悩が伝わってくる。
「でも、でも……私は途中で過ちに気づきました。ロゼリント……世界で一番心の美しい、私の可愛い娘……血の繋がりはなくとも、私はあの子を愛しています。この十二年、あの子に注いできた愛情は、決して偽物なんかじゃないわ……!」
そう。
ユレーア様はロゼの成長を見守る途中、心変わりをした。
短い間一緒に暮らしただけの私が感情移入するくらいだもの。母として接してきたユレーア様が愛情を抱くのも無理からぬ話ね。
純粋で健気な心優しい少女。ユレーア様はロゼに母親として慕われるうちに、本物の娘として見るようになっていた。
そしてロゼに絆されたのはユレーア様だけではなかった。
私は黒い箱からも同じように無限文字盤を取り出す。
「こちらはメリサの研究日誌というよりも、贖罪を記した日記のようでした。彼女もまた師となって一緒に暮らすうちに、ロゼを愛しく想うようになっていたのです」
メリサは長い長い葛藤の年月を過ごし、己の野望を叶えることを諦めた。愛弟子のロゼを犠牲にしてまで叶えたい願いではなかったのでしょう。
「なんと……では、ユレーアもメリサもロゼを生贄にするつもりはなかったのか……?」
「そのようですね。ただ、そうなると天使との契約は破棄されることになる。ルジアーロ王国の存亡の危機をどうすべきか。二人は悩み、そして……」
私は言葉を濁した。
少し前まで腹を立てていたけれど、ユレーア様の涙を見ていたら糾弾する気持ちが萎えてしまったわ。
娘を想う母の涙。
簡単に踏みにじれないわ。私が欲しても決して手に入らない遠い存在。どう扱っていいのか分からない。
さて、どうしたものかしら。
「茶番ねぇ」
笑いを噛みしめるような声が響く。
「一生懸命美談にしようとしているけれど、結局のところ、嫌な役目を部外者に押し付けているだけ。身勝手で傲慢。……あなたが責任を取れれば良かったのにねぇ。プラナティに似ているだけの女が、身の程も知らずに王家の問題に手を出すからこんなことになるのよ」
ヘイルミーネ姫がゆらりと立ち上がり、ユレーア様に軽蔑するような視線を向けた。すかさずオリビア様が窘める。
「ヘイルミーネ。黙りなさい。今はあなたに構っている場合では――」
「あはは、お母様……いえ、偉大なるルジアーロの賢妃・オリビア様。こんなときだからこそ、わたくしの話を聞くべきなんじゃないかしら? きっと、わたくしは皆さまの役に立てる」
ヘイルミーネの声が変わった。ねっとりと陰を孕んだ声から、どこか冷たさのあるさらりとした声。
最も早く反応したのはアストラル様だった。腰の剣を抜き、ヘイルミーネの首筋に向ける。
「貴様、何者だ!?」
ヴィルも私を庇うように前に出て身構える。王族の集まる席だからと魔女殺しは預けてしまったのよね。丸腰で敵う相手じゃないので、私はヴィルが飛び出さないようにこっそり服の袖を引っ張った。
こんなところで正体を現すなんてね。
目の前にいたのに全く気づかなかったわ。私の予想を遥かに超えたクオリティの幻影魔術ね。魔力の片鱗すら感じなかった。
近くにいることは分かっていた。
メリサの手記でその出自も判明していた。
でもまさかヘイルミーネに化けているとは思わなかった。大胆なことをするわね。
ヘイルミーネの姿に靄がかかったと思ったら、アストラル様の剣から離れた場所に一人の女性が姿を現した。
「嫌だわ、お兄様。挨拶の前に剣を向けるなんて。悲しいです」
「お兄様だと……? まさか、貴様」
透き通るような水色の髪に、藍色の瞳。どこかユレーア様の面影を持つ冷たい美貌。
その女性はくすりと笑ったが、直後真顔に戻った。
「……はぁ、お姫様っぽい口調って疲れる、もうやめた」
彼女は面倒くさそうに髪を掻きあげ、やる気のない口調で告げた。
「初めまして、ルジアーロ王族の皆様とその他大勢たち。私は、セレスタ・イル・ルジアルディン。一応、この国の本物の第二王女で、魔女メリサの弟子。……よろしく」
「セレスタ!? あなたが、わたしの」
ユレーア様が涙で腫れた瞳を見開く。その様子を見て、セレスタは鼻で笑った。
「そうよ、お母様。私をこの世に産んでくれてありがと。でも、それ以外のことは一切感謝しない。あなたのせいで、私は今、とっても不幸」
はっきりと告げられた言葉に場が凍りつく。
「私だけじゃない。ロゼリントも、オリビア様も、ソニアもヴィルも、みんな迷惑してる。たくさん反省して大人しくしていて? 気安くされたら殺してしまいそうだから」
ひきつけを起こしたようにユレーア様は震えた。顔色が真っ白だわ。呼吸困難に陥って、側近たちが慌てて駆けよる。
王族たちの中で最初に冷静さを取り戻したのは、国王陛下だった。
「セレスタ……そなたが私の血を引く娘か」
「ええ、お父様。初めまして」
「かけるべき言葉が見つからん。だが、無礼を承知で先に尋ねる。本物のヘイルミーネはどうした」
セレスタは蠱惑的な笑みを浮かべ、肩をすくめた。
「あのいけすかないお姉様なら、みんながロゼを探すのに必死で構ってくれないって拗ねちゃったの。『あなたも姿を消して心配させてみれば』って提案したら、ノリノリだった。城下町に連れて行ってあげたから、今頃のびのびと遊んでるんじゃない?」
「……すぐに捜して連れ戻せ」
国王の命令で何人か出て行った。
「私の話、信じてくれるんだ」
「信じるしかない、という方が正しいな。して、セレスタよ。何をしに、ヘイルミーネに化けてこの場に現われたのだ」
セレスタは部屋にいる人間を見渡した。私とヴィルだけはわざとらしく避けてね。
「皆様に決めてもらおうと思って。私とロゼリント、どちらに天使の生贄になってほしい?」
「なっ」
「本来生贄になるべきだった本物の王女と、生贄にするために造られた偽物の王女。どちらを選ぶのかと聞いているの。それとも、楽園の名を捨てる? 天使がいなくなれば、たくさんの民が死ぬことになるけど」
場は完全にセレスタに支配されていた。
突きつけられた選択肢は残酷極まりない。さすがの国王陛下も絶句する。
「……もしも私たちが死ねと言えば、お前はその命をロゼリントの代わりに天使に捧げるのか?」
アストラル様が低い声で問えば、セレスタは愉しげに頷いた。
「望まれるのなら構わない。なんだ、やっぱりお兄様はロゼリントの方が可愛いんだ?」
「可愛い可愛くないの問題ではない。だが、天使ルインアリンとの契約は当代の王家に架されたものだろう。ならば、ロゼリントの命で賄うのはおかしい。父の血を引く本物の王女のお前が身を捧げるのが道理だと、そう思っただけだ」
「兄上……」
エクリーフ様が苦々しげに呟けば、オリビア様も同じように顔をしかめた。
「そう。その冷徹さやはっきりとした物言い、嫌いじゃない。あなたとなら、仲の良い兄妹になれたかも」
「そうだな、セレスタ。ヘイルミーネやロゼリントよりもよほど気が合いそうだ。残念だ」
セレスタとアストラル様が何やら分かり合った感じで見つめ合う中、さすがに黙っていられなくなったのか国王陛下が割って入った。
「待て。勝手に話を進めるな。セレスタよ、そんな重要な問題の結論をすぐに出せるはずがないだろう。それに、まだ他に方法があるかもしれぬ」
「そんなこと言われても、時間がないんだからしょうがない。知らないかもしれないから教えてあげる。今夜の十二時でロゼリントは十二歳になる。明日がロゼリントの本当の誕生日なんだよ」
メリサに人造生命として生み出された日から、ユレーア様の元に連れて来られる日には数日のタイムラグがあった。だからロゼの公式の誕生日と実際の誕生日は違うそうよ。
「日付が変われば彼女はルジアーロの正式な王族。天使に生贄として認められるようになる。ロゼリントとその従者くんは、すでに扉の中にいる。早く行かないと間に合わないよ?」
ロゼとティガをどれだけ捜しても見つからないはずだわ。
もう既に『天使の座する庭』の中にいるなんて。
「……あなたは何がしたいのかしら? ロゼリント様を館から連れ出して、扉の中に手引きしたのはあなたじゃなくて? それをわざわざ連れ戻しに行くの?」
私が思わず口を出すと、セレスタは気怠げに言った。
「だって、ロゼリントが自分から生贄になるって言ったんだもの。私は彼女の希望を叶えてあげただけ。そして今度はお父様やお兄様たちの願いを叶えてあげる。どこかおかしい?」
ツッコミどころだらけよ。
「そもそもロゼリント様に真実を伝えたのもあなたでしょう。こうなることは予想できたはず」
「まぁね。でも、何も知らないのが可哀想だったから。ロゼリントも、私も、誰かの操り人形じゃない。利用されるにしても、自分の意志で動く」
「確かに操り人形じゃないわね。魔女メリサを殺したのがあなたの意志だったなら」
場がまたざわめく。
私とヴィルは初めから予想していたけれど、他の人たちにとっては驚きでしょうね。魔女メリサ殺害犯がこの第二王女様だったなんて、すぐには結び付かない。
「メリサは、ロゼリントにとっては優しい良い師匠だった。でも、私にとっては冷たい嫌な師匠だった。使えないと分かるとすぐに私を捨てたもの。お母様には無事だと伝えていたみたいだけどね。……何度死にかけたか分からない。そのお返しをさせてもらっただけ。上手に殺せて満足」
セレスタは清々しいまでに穏やかに笑った。微塵も罪悪感を抱いていない様子に、みんな戦慄していたわ。
この王女は、いえ、この魔女は危険。
「私はもうこの国や世界に思い残すことはない。だから、天使の生贄になってもいい。その方が皆様にとっても都合が良いでしょ?」
「いや、待て。やはりお前は信用できん。『天使の座する庭』に入ったら、何か良からぬことをしでかしそうだ。天使の力を利用されたらかなわない」
アストラル様の身もふたもない言葉に、セレスタは苦笑する。
「あっそ。じゃあ見張りでもつけたら? ……ソニアとヴィルなら、ついてきてもいいよ」
「……なぜミストリアの客人の名を出す」
「他の人たちじゃ意味がないから。遺跡の中は危険がいっぱいだし、それに、いざというときに私を殺せるのはソニアとヴィルだけ。そんなことも分からない?」
国王陛下の護衛たちがむっとしたが、特に口を挟んでは来なかった。魔女が相手となると自信がないのかもね。
それにしても、こんな形で巻き込んでくるとは。
私は完全に後手に回っているわね。ちょっと悔しい。
でも、いいわ。引く理由はない。
ロゼを助けに行くためには、今はセレスタの話に乗るしかないもの。
「私は構いません。協力させてください。きっとロゼリント様を無事に連れ帰ります。そして、セレスタ姫に勝手なことはさせません」
アストラル様はあっさり、国王陛下は渋々頷いた。
こうして私とヴィルも『天使の座する庭』に向かうことになった。
連載中の作品が思うように書けなくなり、気分転換に新作を書き始めてしまいました。
勝手ではありますが、そちらもどうかよろしくお願いします。