10 麗しの絵画
ヘイルミーネが去り、アストラル様が公務に戻られてからは、他の招待客と打ち解け、和やかな時間を過ごせた。
事前に王妃様から言い含められていたのか、レイン王子との婚約破棄のことも、二度目の王都襲撃のこともあまり聞かれなかったわ。
サニーグ兄様が王になってからミストリアの空気が変わりつつあるとか、エアーム商会の食器が人気だとか、次期国王となるクラウディ王子の婚約はいつになるのかとか、身近なようで遠い話題が多かったけれど。
お茶会の後、私とヴィルはオリビア様に招かれて、王族と限られた客人しか入れないというサロンに案内された。
お付の者は扉の外で待つように命じられていた。王族が警護なしにほぼ初対面の人間と密室に入って大丈夫なのかしら。まぁ、それぐらい他の者には聞かせたくないお話をするということよね。
広いサロンの中には高価な美術品や絵画、膨大な蔵書が収まった本棚がある。オリビア様は一つの絵の前で足を止めた。
「これをあなたたちにお見せしたかったのです。どう思われますか?」
その絵画には穏やかに微笑む少女が描かれていた。
少女の年齢は私と同じくらい。水色のドレスを纏い、金のティアラを頭に戴いている。身なりや佇まいからしても高貴な人物――お姫様という感じね。
特筆すべきは、保存状態が良いにもかかわらず古い絵画だということ。アスピネル家で教育を受け、審美眼を養ったから多少の目利きはできるのよ。これは数百年前の作品だわ。
……と冷静に絵画を眺めつつも、オリビア様が指摘してほしいポイントは一目で分かったわ。
「この方は、驚くほどユレーア様とロゼリント様にそっくりですね。ルジアーロ王家の方なのですか?」
ユレーア様の若い頃、あるいはロゼリントの成長した姿。そう言われても違和感がないほど、絵画の少女は二人の面影を持っていた。髪や瞳の色は違うけれど、血の繋がりを感じさせる顔立ちだわ。
「ええ。彼女の名はプラナティ。ルジアーロの救国の魔女の姿絵です。ここまで写実的な作品は他にありません」
この絵画は普段は厳重に仕舞われており、アストラル様やエクリーフ様を始めとする王子や王女でさえ見たことがないのですって。もちろんロゼも、自分がプラナティと瓜二つであることを知らない。
私とヴィルが顔を見合わせると、オリビア様は苦笑した。
「あの人……国王陛下は幼少の頃に絵画のプラナティに一目惚れをしてしまったのです。それでユレーアと出会ったときは『運命だ』と、なりふり構わず求婚したのです」
元々ユレーア様は上流階級の貴族ではなかったので、国王陛下との結婚には周囲の人間がこぞって反対した。しかし最終的には彼女の人柄と美貌、偉大な救国の魔女の面影を持つという理由で、王室に迎えられることになったらしいわ。
「二人の間にはなかなか子どもを授からず、いろいろと不幸なこともありました。でも、ようやく授かったロゼリントが魔女だと分かると、陛下は『ロゼリントはプラナティ姫の生まれ変わりに違いない』と大はしゃぎで……宥めるのに苦労しましたわ。ユレーアも困り果てていました」
懐かしそうに当時を思い返し、目を細めるオリビア様。その心中は複雑すぎて推し量れない。
生まれ変わり、ね。前世女の存在を知っている私には笑えない言葉だわ。
「ロゼリントは、日に日にプラナティに近づいていきます。薄々気づいていましたが、予知のことを聞いたときに確信しました。ロゼリントは……きっと当代の王家にとって特別な子です。王位継承に影響を及ぼす可能性を考え、この絵画を隠したのは正解でした」
同感だわ。救国の魔女プラナティに生き写しで、同じ魔女であるロゼリント。先日ドレスを試着したときの彼女の姿からして、熱烈な信者を生みそうだもの。
第三王妃の子が多大な影響力を持てば、ロゼやオリビア様の意思に関わらず、周囲が利用しようとするかもしれない。
「なぜ、この絵画を私たちに?」
ミストリアの人間にこんな重大な秘密を明かしていいのかしら。嫌よ。口封じされたり、脅迫されたり、そういうのはもうごめんだわ。
「あなたたちの身を守るために必要だと思ったからです。いいですか。陛下はもちろんですが、ユレーアもロゼリントをとても大切に思っています。彼女を守るためならば何だってするでしょう」
私の懸念とは裏腹に、オリビア様は毅然と述べた。
「ルジアーロの災いの予知と、王家の伝わる言い伝え、そしてプラナティの末路からして、悲劇を連想するのは容易です。あなたも気づいているでしょう?」
その言葉に私は心の中で頷く。ヴィルもどことなく苦い表情をしているわ。
『ルジアーロ王国の第二王女ロゼリント。彼女の十二歳の誕生日の前後、王都ルインアリン全域にて、数万人単位の死者が出る。
死因は不明。城の廊下や町の道端で、人々が真っ青な顔で絶命していく予知映像を確認……的中確率は一割以下。
呪術、あるいは魔術的な人災の可能性が高いと思われる』
【天使へ至る扉は、初代王メルジンの血潮を色濃く受け継ぎ、比類なき魔力を宿す子の手によって開かれるだろう。甘き血を捧げよ。さすれば、永久の栄光を与えられん。天使の眠りは浅い】
そして三百年前、プラナティは日照りで飢饉に陥った王国を雨乞いの魔術で救い、十八歳の若さでこの世を去った。その直前、プラナティは地下遺跡『天使の座する庭』に入っている。
「確かに、嫌な想像をしてしまいますね」
プラナティが現在、救国の魔女として“永久の栄光”を手にしているのは、天使へと至る扉を開け、甘き血を捧げたからかもしれない。
だとすれば“甘き血”=“自分の命”の可能性が高い。
王国の危機を救うため、プラナティは自らの命を天使に捧げ、雨乞いの魔術を使えるだけの力を与えられた。
そう考えればいろいろな疑問は解消できる。あり得なくはない。
私はあまり納得していないけれど、一応材料は揃っているわよね。
「オリビア様は、あるいはユレーア様も、予知で起こる災いを解決するため、ロゼリント様が遺跡に入られるのを恐れていらっしゃるのですね」
今回の予知、王都の民が絶命していくという災いを防ぐために、ロゼが自らの命を捧げることになるのではないか。
……三百年前の歴史の焼き回しだわ。嫌な話ね。
オリビア様は愁いを帯びた瞳でプラナティの絵画を見つめた。
「あまり話したことのない私でも分かるほどに、ロゼリントは心優しい子です。もしも自分の犠牲で多くの民が救われると分かれば、プラナティと同じ道を選ぶと思います。……しかし、陛下やユレーアは絶対に許さないでしょう」
ロゼだって死にたくはないでしょうけど、自分の命に固執して大勢の民を見捨てる性格ではないものね。悲しげに微笑む姿が想像できてしまって、げんなりした。
そういう自己犠牲の精神は美しいかもしれない。だけど、やっぱり好きにはなれない。
私はちらりとヴィルを見て、憂鬱を噛みしめる。
「陛下は万が一に備え、民を王都から避難させる準備に奔走しています。ロゼリントを犠牲にすることも、民を見殺すことも選ばない。ロゼリントの誕生式典を先延ばしにする手筈も整えています」
「予知が実現するかは、まだ……」
「ええ。それは十分承知していますが、何も対策をしないわけにもいかないのです。……もっとも、民を王都から避難させたり、式典の日付を変更したところで、災いを回避できる保証はありません。私には、そんな単純な方法で解決できるとは思えないのです」
オリビア様は重いため息を吐き、告げた。
「ユレーアは最近、どうも様子がおかしい。ロゼリントのことで心労が溜まっているのは分かりますが、それにしても落ち着きがありません。魔女メリサの殺害した者も捕まっていません。念のため警戒していてください。私も目を光らせてはいますが、目が届かない場所もあるでしょう」
ヘイルミーネのことも、と小さな声で付け加えた。申し訳なさそうなオリビア様の表情がエクリーフ様にそっくりで、なんだかいたたまれなくなったわ。
それにしても、もしかしてオリビア様が今日のお茶会に私たちを招待したのは、ユレーア様への牽制の意味があったのかしら。私とヴィルは第一王妃にもてなされた客人として、貴族たちに顔を覚えてもらった。
ユレーア様が私たちに何かをするだなんて考えたくはないけれど、まぁ、誰に対しても警戒は解かないつもり。
セレスタが誰かに化けている可能性だってあるわけだし。
話が一段落し、せっかくだからとオリビア様にサロンの中を案内していただいた。ヴィルは重い話を聞いたからか浮かない顔をしていたけれど、私は素直に楽しんだ。こんな機会でもなければ、他国の美術品のを鑑賞する機会なんてないでしょう。
そんな気楽な気持ちでいた私は、とある絵画の前で息を飲んだ。
「どうされました?」
それは、部屋の中でもひときわ古い絵画だった。
色褪せた額縁の中で、一人の青年が木陰で本を読んでいる。倦怠の色を宿す瞳は黒く、木漏れ日を受けて柔らかい髪は金色に輝いている。
その青年の横顔に強烈な既視感を覚え、思わず立ち尽くしてしまった。
「……ああ、彼は麗しのアンブルス。初代王メルジンの頭脳と称された天才です。優れた武勇で部落争いを終結させたメルジンですが、政治の方はからっきしだったそうで、アンブルスに頼りきりだったそうですよ」
私が食い入るように見つめている絵に気づき、オリビア様は笑みを漏らした。
「これは作者不明の作品で、アンブルスとどこまで似ているかは定かではありません。しかし文献によれば見る者全てを魅了するような、妖艶な美貌の持ち主であったとか。時代を超えて乙女の瞳を釘付けにするのならば、この絵姿は本物かもしれませんね」
「そ、ソニア? 大丈夫か?」
ヴィルが後ろから私の顔を心配そうに覗き込んだ。
「ふふ、大丈夫よ、ヴィル。私のタイプじゃないわ」
分からない。
この絵画の線は曖昧で、モデルを断定できるほどありのままを描いているわけではなさそうだもの。横顔だけでは、確信は持てない。
だけど、一目見た瞬間に全身が悲鳴を上げた。
「……少し、知り合いに似ている気がして驚いただけ。ねぇ、ヴィルはそう思わない?」
「知り合い? 誰のことだ?」
ヴィルは絵画を見つめ、首を傾げた。気づかないのも無理はないわね。ヴィルは、彼の子どもの姿しか知らないのだもの。
「年齢不詳で、いつも大きな本を持ち歩いていた嘘つきさんよ」
露骨なヒントに、ヴィルは目を見開いた。
脳裏に蘇るのは過去視で覗いた赤ん坊の記憶と、声変わり前の少年の声。
『実の兄弟のように育ったけれど、僕とクロスに血縁関係はない。僕たちは黒艶の魔女スレイツィアの野望のために人工的に造られた生命……どこかの王墓から拾ってきた細胞から復元したらしい。もしかしたら、高貴な血の持ち主かもね』
粟立った肌を撫で、私は小さく笑った。
私もヴィルも、ルジアーロと全く無関係というわけではなさそうね?
本当に嫌になるわ。