9 ロイヤルファミリーの憂鬱
第一王妃のオリビア様は、厳格な空気を持つ女性だった。
まさに由緒正しき国の正妃という感じ。第三王妃のユレーア様と比べると華はないけれど、目を逸らせないような絶対的な存在感があった。
「ようこそ、ルジアーロへ。歓迎します。ソニア・カーネリアン嬢、ヴィル・オブシディア殿。今日は存分に楽しんでください」
悪い噂しか聞かないヘイルミーネ姫の母親ということで少し警戒していたのだけど、オリビア様の声音に悪意はなく、むしろ公平な懐の広さを感じた。
「お招きありがとうございます」
私たちは主催者への挨拶を済ませ、ほっと息を吐いた。
実は、私だけでなくヴィルも招待されているの。以前ぶっつけ本番でパーティーに参加する羽目になった経験があるせいか、落ち着いてエスコートしてくれている。他の参加者たちの好奇の視線にも慣れたものよ。頼もしい。
館に残してきたロゼのことが心配だけど、本人が「大丈夫」と笑っていたし、ティガとコハクちゃんがついている。信じましょう。
さて、あとは他の参加者と適当に会話をして、お茶を楽しむだけ……で済むといいけれど。
オリビア様主催のお茶会は、ルジアーロ王城自慢の花の庭園で行われる。決まった席はなく、花々を愛でながら各々好きな席に腰かけて歓談するスタイルみたい。
オリビア様の隣にはエクリーフ様が控えて、主に女性陣と和やかに会話している。彼のおかげで、随分場の空気が柔らかくなっているわね。
招待客は私たちを含めて二十名ほど。基本的に二名ずつ招待されているみたい。ご夫婦らしきカップルもいるし、姉妹、母娘だろうという雰囲気の女性たちもいた。
その中で、一際異彩を放っている女性が私たちに近づいてきた。
「あなたが救国の魔女さんよねぇ?」
晴れやかな空、色とりどりの花にくっきりと浮かび上がる黒一色のドレス。それでいて荒れた心を表すかのような斬新なデザイン。彼女の退廃的な美貌には怖いくらい似合っているけれど、この場では違和感しかない。
ある意味、自己主張の塊のようなファッションね。ロゼと正反対すぎて、いっそ清々しい。
「初めてお目にかかります。ミストリアから参りました、ソニア・カーネリアンと申します。ヘイルミーネ殿下。先日は、せっかくのお誘いをお断りしてしまい、申し訳ありませんでした」
「あら、私が誰かご存じでしたのね。ふーん……」
そりゃ分かるわよ。第一王妃主催のお茶会でこんな奇抜な格好をして平気な顔ができるのは、実の娘くらいでしょう。
ヘイルミーネは私の全身を視線でなぞり、眉をひそめた。
私は持参したクラシカルなグレーのワンピースドレスを着ている。ミストリアでは正統派のデザインで、気に入っている一着よ。ヴィルやロゼからの評判も良かった。
花園の風景を損なったり、本物の貴族の中で悪目立ちしたり、肌を過度に露出しないように気をつけて選んだつもりなのだけど、どこか変かしら?
「……あなたはもう喪に服していないのですねぇ。レイン様の死からまだ一年と経っていないでしょう?」
デリケートな話題をいきなり放り込んできたので、私もヴィルも一瞬息を詰まらせた。周りにいた他の招待客の間にも動揺が走る。
なるほど。彼女の纏う黒は喪服なのね。二度も婚約者を亡くした悲劇の王女だったわね、確か。
「ええ。レイン様が亡くなられたのは、私たちが婚約を解消した後でしたから。それに、私が死を悼んだところで、レイン様はお困りになるだけでしょう」
というか、彼は死んでないしね。今はペンフレンドとして以前よりも真っ当な付き合いをしている。
ヘイルミーネが知る由もないでしょうけど、二度目の王都襲撃事件で死んだのは別の人よ。彼もきっと私が喪に服すことなんて望んでない。いつか私の自己満足でお墓を造りたいと思っているけれど、今は悲しみに暮れている時ではないの。
ヘイルミーネは私と後ろのヴィルを見比べ、露骨に目を伏せた。
「そう……私、あなたとなら仲良くなれると思っていたのですよ。将来夫となるはずの方を亡くし、さぞかし落ち込んでいるだろうと……分かり合えると思ったのに」
「それは、お心遣い感謝いたします。ですが、私とヘイルミーネ様とでは状況が違いすぎますわ。悲しみを分かち合うことは難しいかと……」
「そうでしょうね。ソニアさんに私の気持ちは分からない」
目尻にハンカチを当てるヘイルミーネ。絞り出すような声が呪詛のように響く。雲行きが怪しくなってきたわ。
「私の招待は断ったのに、こうしてお母様の呼び掛けには二人揃って応じた。もしかして、新しい恋人を見せびらかしにいらしたの?」
「え」
「ひどい方……あなた、私のことお嫌いでしょう? ロゼリントからあることないこと吹き込まれたのではなくて?」
「…………」
私としたことが返す言葉を失ってしまった。
私がヘイルミーネの招待を断ったのは面倒くさかったから……じゃなくて、いろいろとやることがあって忙しかったからよ。
今日のお茶会に渋々参加した理由はルジアーロの方々、特にオリビア様に嫌われないため。
オリビア様の思惑の全容は分からないけれど、エクリーフ様曰く、「ミストリアからの客人をもてなさず、隠れて行動させるわけにはいかない」とのこと。
ようするに、私が好き勝手しないように釘を刺したいのでしょう。
他国の魔女が自分の国を揺るがしかねない問題について調査する。場合によっては地下遺跡の秘密を暴くことになるかもしれない。国を愛する者の中には、外国人が自国の歴史に触れることに拒否反応を示す人もいる。
実際、『天使の座する庭』の扉を調べたいと申し出ているのだけど、なかなか許可が降りないのよね。誰かが私が近づくことを強く反対しているみたい。
ルジアーロを救うために協力しているとはいえ、傍から見れば何か企んでいるように見えるのかもしれない。
エクリーフ様は兄様との繋がりがあるから信頼して下さっているけど、自分で言うのもなんだけど怪しいわよね。実際隠し事もあるわけで、腹を割って話すこともできない。無難に立ち回って少しでも信頼を得るしかないわ。
とにかく、私とヘイルミーネでは立場も目的もこの場で纏う衣装も異なる。
彼女と張り合って、ここでルジアーロ人の顰蹙を買うわけにはいかない。……だからヴィル、あんまり相手を睨まないで。
「ヘイルミーネ様を嫌うなど、とんでもないことですわ。ですが、私の言動がお気に触ったのなら、申し訳ありません。残念ですが今回は退席いたします」
付き合っていられないわ。
オリビア様の心証が悪くなってしまうかもしれないけど、このまま留まると決定的にこじれそうだもの。ヴィルも「そうしよう、今すぐ出ていくべきだ」と金色の目で強く訴えている。
しかしヘイルミーネは面白くなさそうに言う。
「まぁ、それではまるで、私が追い出したみたいではないですか。いいのですよ。あなたはお茶会を楽しんでください」
「ですが――」
「きっとみなさんも、あなた方とお話するのを楽しみにしていたでしょうから」
ねぇ、とヘイルミーネが同意を求めると、他の招待客たちは困惑気味に唸った。
ここで同意すべきか否か。ヘイルミーネの性格を鑑みるに、私たちがこの場でもてはやされることは望んでいないでしょう。王女の不興を買いかねないのに、私たちと歓談を希望する猛者はいなさそうね。
気づけば、ひんやりとした空気が周囲に漂っていた。
このままお茶会が台無しになってしまいそうなんだけど、もしかしてこれ、私のせいになるのかしら?
この場から逃げればヘイルミーネが被害者ぶって嘆き、私の印象が悪くなる。この場に残っても孤立してしまい、惨めな気分になるだけ。
なるほど、こういう手口か。ロゼへの嫌がらせといい、本当にいやらしい。
「…………」
誰も何も言い出せない。ヘイルミーネが薄く笑っているのが見えて、舌打ちしたくなった。
「いい加減にしろ。茶が不味くなるだろう」
嫌な空気をばっさりと払ってくれたのは、気だるげな紳士だった。三十代半ばくらいで、オリビア様の面影のある男性。もしかしなくても……。
「王太子殿下……!」
「助かった……」
「いや、待て。これはまずいぞ」
この国の第一王子・アストラル様が遅れて茶会にやって来て、一気に注目が集まった。他の客人と歓談していたオリビア様やエクリーフ様も、ようやくこの場の異変に気づいた模様。
「お兄様、何を……」
「ヘイルミーネ。またそのようなおかしな服を着て、恥ずかしくないのか」
「これは……喪服ですわ! シルヴァ様とブラス様、そしてレイン様の――」
「そんなに喪に服していたいのなら、お前の方がこの場から去れ。鬱陶しい。いい歳して、場の空気もろくに読めんのか」
空気を読むという一点に置いては“おまいう”と突っ込みたい衝動に駆られたわ。しないけど。
「この様では、三人目の婚約者は見つからんな。嫁がせたところで王家の恥を晒すだけ。私が王位を継ぐ前に城から出ていってほしいものだが、どうしたものか」
露骨なため息に、誰も彼もが凍りついた。
この国の王太子様は、随分はっきりと物を言うのね。ちょっとヘイルミーネが可哀想になってきたわ。
ヘイルミーネは顔を真っ赤にして、わなわなと震えた。
「気分が優れないので、失礼いたしますわっ」
「ああ、出て行け出て行け」
ヘイルミーネがお付の侍女と一緒に去ると、皆が一斉に息を吐いた。緊張のあまり呼吸が止まっていた人もいたみたい。
「……愚妹が失礼をした、ミストリアの客人。皆もすまなかったな」
「い、いえ、めっそうもございません」
アストラル様は何事もなかったかのように、テーブルのサンドイッチを摘まみ、紅茶を所望して侍女たちを慌てさせた。
「サニーグは息災か?」
私をちらりと見て、アストラル様が問いかけてきた。
「はい」
「そうか。……まさか私よりも先に王位につくとはな。面白い男だ。ミストリアは今大変だろうが、サニーグが王となった以上、おかしなことにはならんだろう。むしろルジアーロの方がおかしなことになっている」
アストラル様は「ふっ」と笑い、私とヴィルにお茶やお菓子を薦めた。ありがたく頂戴したいところだけど、とても味わう余裕はないわ。
「アストラル、あまりヘイルミーネを刺激しないでちょうだい」
やってきたオリビア様はこめかみを押さえていた。エクリーフ様は場の空気を再び和やかなものに戻そうと奮闘しているみたい。風変わりな兄と妹に挟まれて大変ね。
「母上、あまりあいつを甘やかすべきではない。一度、徹底的に性格を矯正しなければ、本当に嫁の貰い手がないぞ」
「やり方が手荒すぎます。ヘイルミーネがあんな風に育ったのも、元はと言えばあなたが……いえ、もう良いです」
王妃様の心労を想い、私とヴィルは心の底から同情した。
「……ソニアさん、ヴィルさん。このあと少しお時間を頂けるかしら」
お茶会の後、オリビア様からこっそりと声をかけられた。
ヘイルミーネやロゼリントのことかと思っていたけれど、違った。
「あなたたちに、お見せしたいものがあるのです」
案内された部屋で、私とヴィルはとんでもないものを見た。
アリアンローズ様のホームページにて、
7/12発売の2巻の表紙と登場人物紹介が公開されています。
よろしくお願いします。