8 魔女殺しの弱点
私はユニカを宥めつつ、ヴィルの戦いを見守ることにした。一応援護魔術の準備はしておくけど、多分必要ないわね。
ヴィルが鞘から魔女殺しを引き抜く。直後、私の肌はぞくぞくと粟立った。
なんて禍々しい魔力の渦。
鈍色の刃に紅い光が妖しく反射している。全身の血が凍るような心地がした。
それくらい、美しい。
私も銀狼も思わず釘付けになる。
不自然なほどの静寂が耳を覆った。
ヴィルが一歩踏み込み、遅れて銀狼が地を蹴る。呆気なく勝負はついた。魔力を纏った分厚い毛皮をものともせず、ヴィルが一刀で銀狼を斬り捨てたのだ。
怪我どころか、返り血も浴びず、息も乱れていない。金色の瞳が横たわる狼を見て少しだけ揺れたような気がしたけれど、すぐに無に戻る。
剣についた血と脂は、ぴきりと音を立てて消滅した。魔女殺しに吸収されたみたい。
痺れるような感覚が背筋を走った。
“あにめ”で何度もヴィルの戦闘シーンを視たけど、てっきり誇張されていると思っていたわ。
白状する。斬り結んだ瞬間、ヴィルがどういう動きをしたのか私にも見えなかった。魔女殺しの力だけではない。ヴィルの実力は相当のものだ。
「……ありがとう、ヴィル。やっぱりあなた、とても強いのね。頼もしいわ」
うん。思った以上に強かった。ちょっとどうしようって焦るくらい。顔には出さないけど。
「世辞はいい。葬送はどうする?」
「そうね。しておきましょうか」
私は馬上から息絶えた銀狼に手をかざす。
【尽きた命よ、その身を精錬し、再び天地を巡れ】
詠唱をすれば、銀狼の体が淡い光に包まれて消えた。正確には右腕の鋭い爪を一片残し、後は消滅した。私もヴィルも短く黙祷を捧げる。
これは葬送の術。
死体を自然界の魔力の川に還元する術、なのだけど、魔獣の核は溶け込めずに残る。まぁ、ようするに死体が消えて戦利品が手に入るのよ。
この銀狼の場合、爪に核があったというわけね。魔力の塊だからそれなりの値で売れる。
……ちなみに魔女や核持ちの遺体に葬送の術を使うことは、大陸全土で禁じられているわ。血みどろの歴史から学んだ結果よ。
ヴィルは素直に爪を拾って私に差し出した。一般的に戦利品はとどめを刺した者に所有権があるんだけど、同行者に主従関係があれば話は別。ヴィル、従者としての自覚はあるみたいね。
受け取るとき、せっかくなのでヴィルの頭をよしよしと撫でた。一撫でしただけで無言で避けられちゃったわ。残念。
「ふふ、ご褒美に今夜は美味しいものを食べましょう。何が良い?」
ピクリと肩を揺らすヴィル。
「…………く」
「うん?」
「……肉料理がいい」
きゅう、と間抜けな音が森に響いた。
ああ、そこも原作通りなのね。
なんとか日没までに町に到着した。
宿を取り、ユニカを預け、近所の酒場に夕食を取りにいく。
机の上に所狭しと皿が並び、香ばしい匂いが混じり合う。私は甘酸っぱい果実酒をあおりながら、目の前の光景を興味深く眺めた。
最初は私に集まっていた他の客の視線も、今は連れの方に集中している。
パクパク。モグモグ。
焼き飯、鶏の甘辛煮、豚の肉炒め、鹿肉のスープ、そしてビーフシチュー。
五人前はありそうな料理の数々が、見る見るうちにヴィルの口の中に消えていく。
ペースの割りには不思議と静かな食事風景だ。ガツガツ食べるのは下品だもの。王子の元騎士として、最低限のマナーは感じるわ。
「美味しい?」
「ものすごく美味い」
私の質問にこんな柔らかい答えが返ってきたのは初めてね。わずかに口の端が上がっていて、至福って顔をしているわ。
食事に夢中すぎて、私が目の前にいることすら忘れていそう。
それにしてもよく食べる。これも“あにめ”で誇張して表現していると思っていたけど、そのままね。
ヴィルが持つ魔女殺しの剣は、使うと莫大な魔力を消費する。その代償がこの大食い。
原作では度々行き倒れたり、王子の財布を空っぽにしたり、ホットドッグを落として本気で凹んだりしていたわ。
堅物でクールなヴィルの唯一の欠点にして、萌えポイントの一つ、らしい。
私としては、どれだけ食べても太らない体質が少し憎い。でもヴィルを見ていると圧倒されて食欲がなくなったから、ダイエットにちょうどいいかも。
あらかたの料理を食べ終えても、物足りなさそうにしているヴィル。女性と食事をしているのに、そんなショボくれた顔をしちゃダメでしょう。
「あげる」
自分のお皿に取り分けておいた鶏のモモ肉を、ヴィルのお皿に移す。
私と鶏肉を見比べて少し警戒していたけれど、やがて彼は手を伸ばし、パクリと食べた。最後の一つだからか、ものすごく味わっている。
……可愛い。
自然に私の頬も緩んでしまう。餌付けにハマっちゃいそう。
微笑ましく眺めていたら、ヴィルがようやく私の視線に気づいた。
「なぜ笑っている?」
「よく食べる人、素敵だと思って」
ヴィルは悔しそうに、恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「……燃費の良さが最高の美徳じゃなかったのか?」
「もしかして気にしていたの? 騎獣と人は違うわ」
ヴィルは腑に落ちない様子だったけど、残りの料理をぺろりと平らげた。
酒場の主人がヴィルの食べっぷりと私の美貌を讃えて、デザートをサービスしてくれた。リンゴと蜂蜜のケーキを味わいながらのんびりしていると、いろいろな話が耳に入ってくる。
「そういやレイン王子とアロニア様のご息女との婚礼、ダメになっちまったってな。王都は大パニックだってよ」
「何でも王子には他に恋人がいたらしい」
「素敵! 純愛を貫いたのね。相手のお嬢さんが羨ましいわ」
「アホか。俺はがっかりしたぜ。婚礼の儀の直前に破談にするなんて非常識すぎる。次代のミストリアが心配だ」
「アロニア様の娘、それはそれは美しかったらしい。しかも王子の無礼を許して下さったとか」
「心の広い娘さんで良かったねぇ。また魔女と戦いになったらと思うと、わたしは恐ろしくて……」
私の評判は上々ね。あれだけ大勢の前での暴挙だったから、王国側も王子を庇うような情報操作はできなかったみたい。でもみんなの話題の中心は婚約破棄の件ばかりで、二十年前の襲撃の真実については話されていない。
国王陛下、有能ね。
もう少し噂話を聞いていたかったけれど、ヴィルが居心地悪そうにしていたので宿に戻ることにした。
私のための少し広い部屋とヴィル用の普通の部屋、二部屋取ってある。私は同室でもいいって言ったのに、ヴィルが絶対イヤだっていうから。
「困ったな。今日はもう満室なんだ。王子の婚礼がなくなって、とんぼ返りする客が多いみたいでね……悪いが、他をあたってくれ」
「そこを何とかお願いします。ここが最後なんです!」
宿屋の受付が騒がしかった。
ご両親と小さな子ども、三人の家族連れが宿屋のご主人に必死に食いついていた。話を聞く限り、部屋を取り損ねて今夜の宿がないらしい。
「この子だけでもお願いできませんか? 朝からちょっと具合が悪くて……」
「病人かい……それは気の毒だがね」
見れば、小さな男の子がごほんごほんと咳をしている。ほっぺも少し赤いから多分風邪ね。可哀想に。
私は受付に足を向けた。
「失礼。もしよろしければ、私たちの部屋をひとつお譲りしますわ」
「え、いいんですか!?」
「ええ。困ったときはお互い様ですもの。ねぇ、ヴィル」
ヴィルがものすごく何かを言いたそうにしていたけれど、子どもの辛そうな様子を見て言葉を飲み込んでいた。宿がいっぱいなのも例の婚約破棄騒動のせいみたいだし、無視はできないわよね。
私は屈んで男の子の額に手を当てた。びっくりしていたけれど、のどが痛くて声が出ないみたい。首元に湿疹が出ているし、最近子どもの間で流行している風邪の症状だ。
「蜂蜜とマキナギショウガをお湯に溶かして飲ませてあげてください。だいぶのどの痛みが和らぐでしょう。今はまだ微熱だけど、明日の昼くらいに高熱が出るから無理に移動するのはやめたほうがいい。朝一でこの町のお医者さんに診せてあげて」
「は、はい。あの、あなたは医学の心得が?」
ご両親は不安そうだった。
「まだ勉強中の身ですが、薬師を生業にしています。大丈夫。大人にはうつりにくい風邪だし、安静にしていればすぐによくなります。今晩はゆっくりなさって」
何の心配もいらない、と私が自信満々に微笑むと、ご両親も宿屋の主人もほっと胸を撫で下ろしていた。
ベッドが大きい部屋を彼らに譲り、私はヴィルの部屋に転がり込んだ。
安い部屋だから一人用のベッドとシャワールームがあるだけ。狭いからか沈黙が余計痛々しい。
「お、俺は酒場で夜を明かす」
「待ちなさい、ヴィル。ちゃんと寝て疲れを取らなきゃダメ。明日の旅程で主を危険に晒すつもり?」
よく見れば、ヴィルは額に汗をかいていた。この世の終わりのような顔をしている。
この状況でどうして男のほうが緊張しているのかしら。
もしかしたら私、無礼な仕打ちを受けているのかも?
「じゃあ床で寝る……」
「私は別に同じベッドでくっついて寝ても構わなくてよ? 騎士道精神を尊ぶヴィルのことだもの。おかしなことにはならないでしょう?」
「あ、当たり前だ! でもやっぱり同衾はできない。しない。俺は床がいいんだ……」
しまいには部屋の隅で頭を抱えてしまった。
意志は固そうなのでもう放っておきましょう。
「どうしてもというなら止めないけど。先にお風呂使うわね?」
呻きとも取れる返事があって、私はくすりと笑みをこぼした。
戦っているとき、食事をしているとき、ハプニングに見舞われたとき、いろいろなヴィルを見られた。
帰り道、まだまだ楽しめそうだわ。
次回はヴィル視点の予定です。