6 魔女の遺品
見習いの身でありながら、ロゼの魔力操作の技術は天才的だった。
私でもあれほど美しい三角錐は作れないわよ。感情の起伏によって魔力を暴走させることはあっても、平常の状態でこれだけできるのなら、もうロゼに師匠なんて必要ないかもしれない。
もしかして既に高等魔術を使いこなせたりするのかしら?
……と、思ったのだけど、ロゼに今までメリサに教えられたことを聞いてみたら、呆れるくらい魔力制御の修業しかしていなかった。
八年近く魔力を自在に操る術だけを学び続けていれば、そりゃ職人技も身につくわよね。
「変ね」
メリサは何を考えていたのかしら。
魔力への属性付与や術式の構築はできず、薬草や魔獣に関する知識もゼロ。ロゼは本来魔女が学ぶべきことを少しも習得していない。
確かに魔力制御は大切よ。ロゼが公の場に出るためには、最初にマスターしなければいけないことだと断言できる。
でも、だからと言って修業内容が偏りすぎているわ。
魔力の操作だけ上手くたって魔術は使えない。魔力操作と術式の構築を並列処理をする訓練が必要だもの。早くから慣れておかないと、後で苦労するのは目に見えている。
メリサはロゼを魔女として育てる気がなかったとしか思えない。
「ねぇ、ロゼ。もしかしてあなた、魔術を覚えてはいけないと国王陛下に言われているのかしら?」
娘が強力な魔術を使いこなすことを恐れ、あえて教えないようメリサに指示を出したのかもしれない。
しかしロゼは首を横に振った。
「決してそのようなことは……お父様もお母様も、わたくしが魔術を覚えるのを楽しみにしていらっしゃるもの。え、わたくしの修業、もしかして遅れているの?」
ククルージュではロゼよりも年下の子でも既に魔術の基礎を学び、ヴィルに悪戯できるくらいには使いこなしている。
そんな私の話を聞いて、ロゼは困惑を露わにした。
「そんな……でもメリサは、魔女の修業はこういうものだって……魔力操作が完璧になるまでは、術式を学ぶことは許されないって……」
「ロゼの魔力操作はもう完璧に近いわよ。精度だけで言えば、並みの魔女よりもずっと優れているくらい」
誉められ慣れてないのか、それとも亡き師の意向が読めないからか、ロゼは弱々しく笑った。
「でも、えっと、もしかしたら他の教育の進度を気にして、わたくしを甘やかしていたのかも……あんまり一度にたくさんのことを覚えられなくて、いつも泣き言ばかり言っていたから」
ロゼは魔女の修業だけではなく、王族としての教育も別口で受けている。
マナーにダンス、語学に社会学、国にまつわる知識と教養の数々。かつて王妃になるべくアスピネル家で学んだ身としては、その大変さがよく分かる。
単にメリサが可愛い弟子に負担をかけないために、魔女の修業をおざなりにしていたのならいいのだけど……ちょっと考えづらいわね。
だけどロゼに不安を与えるべきではない。私は何事もなかったかのように微笑む。
「……そうかもしれないわね。国や流派によって教え方に違いはあるのでしょうし、メリサはロゼのためを思って魔力操作に注力したのよね。ごめんなさい、不安にさせるようなことを言って」
ロゼはほっとしたように肩の力を抜いた。
「メリサの出身はどこ? ご家族や他のお弟子さんはいたのかしら?」
「ううん。気軽な独り身だって言っていたし、お弟子さんの話も聞いたことないわ。北国の生まれらしいけど、もう何十年も故郷には帰ってないみたいな口ぶりだった」
「そう。じゃあ、メリサの遺品は一番弟子であるロゼが相続するのね?」
「そうなるのかしら? といっても何があるか分からないけど。メリサの部屋は簡単に調べただけで、そのままにしてあるの。いつかは整理しなければいけないけど、今はまだとてもそんな気分になれなくて……」
メリサと過ごした日々を思い出してしまって胸が痛む。そう言ってロゼは小さな手を握りしめた。
「ゆっくりでいいと思うわ。ああ、でも、もしかしたらメリサがあなたのために何か遺しているかもしれないわね」
魔女の師弟関係において、師が遺した研究成果は弟子が受け継ぐ、あるいは奪い合うと決まっている。弟子に渡したくないものがあるのなら、生きているうちに誰の手にも渡らないように細工をしておくものだし。
そのことを説明した後、私は揺れるロゼの瞳をまっすぐに見つめた。
「断ってくれても構わないのだけど、私にメリサの遺品を調べさせてもらえないかしら? 何か見つかったら、必ずロゼに手渡すと約束するから」
「え? どうして……」
「メリサは何年もこの館であなたと一緒に暮らしていたんだもの。城の地下の遺跡のことや自分を狙う者、ロゼに関わる予知について何か知っていたかもしれないでしょう?」
メリサの部屋はすでに騎士や術士によって調べられているでしょうけど、私自身でも確認したい。
亡くなった人を悪く言いたくないけれど、考えてみればメリサは怪しい立場よね。国王に頼まれたからって王女の師匠役を引き受け、何年もこんな森の奥で生活していたなんて。金銭の報酬以外にも何か目的があったのかもしれない。……私みたいに。
薄汚れた考え方かしら。
まぁ、何も思惑がなければそれに越したことはないのだし、ぱぱっと調べてしまいましょう。いずれはやるつもりだったけど、ロゼの話を聞いて優先度が高まった。
ロゼはおどおどと宙に視線を彷徨わせてから、こくりと頷いた。
夜、与えられた部屋で私とヴィル、そしてコハクが机を囲む。
「で、これが魔女メリサの遺品か。……怪しいな」
「こんなに怪しいものめったにないわよね」
「にゃ!」
ロゼの許可を取り、メリサの部屋から持ち出してきたのは艶のない黒い箱。
箱自体は両手に載るくらいの大きさで、禍々しい古びた鎖がきつく巻き付いている。鎖には封印系の魔術が施されているみたいで、力尽くでは開けることができない。
いかにも大切なものが入っていると言わんばかりの見た目で、罠かと疑いたくなる。
「どこにあったんだ?」
「クローゼットの隅の暗がりよ。魔術で空間を圧縮して箱を閉じ込めてあったの」
想像の斜め上の隠し場所だったのか、ヴィルは面食らった。
「よく見つけられたな……」
「偶然よ。コハクちゃんが一声鳴いてくれなかったら気づかなかったし、ネフラとお父様の空間魔術の論文を読んでなかったらきっと取り出せなかったと思うわ」
「にゃふ」
どこか誇らしげにコハクが鳴いた。歪んだ空間を見つけたのは野生の勘かしらね。なんにせよお手柄だったわ。ご褒美に夕飯は鶏のささみをたくさんあげた。
それはさておき空間魔術は「七大禁考」の一つ。
転移よりはずっと簡単な理論とはいえ、空間を歪めるのだって危険を伴うし、かなりの研究と魔術の腕が必要だわ。
実際、空間の歪みを直すだけで何時間もかかってしまったもの。ものすごく疲れたわ。
しかもあの術式、一定期間魔力を注がれなかったら、空間自体が消滅するようになっていた。あと何日か放置していたらこの箱を取り出すことはできなくなっていたでしょう。
厳重に隠されていた黒い箱。
魔女メリサの存在がますますきな臭くなってきたわ。
ちなみにロゼはこの箱の存在を知らなかった。怖がりつつも中身は気になったみたいで、危険がないと分かったら渡す約束をしてある。
「これ、開けられるのか?」
「地道に封印の術式を解読するしかないわね。時間はかかるかもしれないけれど」
「そうだ。魔女殺しを使えば――」
「それは最終手段ね。もしも中身が魔術由来の品物だったら、封印と一緒に壊してしまうかもしれないもの」
空間の歪みだって魔女殺しを用いればすぐ直せたかもしれないけれど、下手に魔術を打ち消すのは危険。だからヴィルを呼ばなかったのよ。
「ぐ、そうか……役に立てなくてすまない」
「ふふ、魔女のことは魔女に任せて。コハクちゃんも遊んじゃダメよ」
項垂れたヴィルの背中を軽く撫で、前脚でちょんちょんと鎖を触るコハクから箱を取り上げた。
早速次の日から私は黒箱の封印解除に取りかかった。
ロゼは引き続き魔力操作の訓練をしつつ、メリサの部屋から出てきた薬草辞典を読んでいる。基本術式の構築を教えても良いんだけど、本人が乗り気じゃないみたいなのよね。
まだロゼはメリサの死に対して心の整理がついていない。
すぐにメリサ以外の魔女から魔術を教わる気になれないのかもしれない。エクリーフ様が後任の師匠を探すと言っていたけれど、この分では馴染むのが大変そうね。
私もやることが山積みになっている。可哀想だけどロゼには適度に自習をしていてもらいましょう。今はとにかく時間が惜しい。
……と思ったのも束の間のこと。さらなる厄介事が舞い込んできた。
「ヘイルミーネ様主催のお茶会……ですか?」
「はい。ぜひソニア様に参加していただきたいとのことです」
「まぁ……」
第一王女の従者が持ってきた招待状を見て、私は心の中で呆れ果てた。
自分の国に危険が迫っているかもしれないのに、一体何を考えているのよ。呑気にお茶をしている時間なんてないのだけど。
この王国で無難に過ごしたいのなら、断るべきではない。非公式とはいえミストリアから派遣されているのだもの。サニーグ兄様のメンツを考えれば下手な行動はとれないわ。
さて、どうしようかしら?