5 ヴィルの心境
ヴィル視点です。短めです。
ルジアーロ王国を訪問するのは初めてだが、騎士をしていた頃は常春の楽園の噂をよく耳にしていた。王都ルインアリンは貴族のバカンス先として有名だった。
当時の俺は「自分とは無縁の場所」と欠片も興味を持てなかったが、今は違う。道中ちらりと目にした花畑のような都の風景は、想像以上の美しさだった。
観光で来たかったと素直に思う。
ソニアと二人で花の都を練り歩いたら、さぞ楽しかっただろう。ルジアーロの名物の一つ、花の刺繍がふんだんに施された服を身に纏い、コハクと戯れるソニアの姿を想像するだけで頬が緩む。
気が早いが、ハネムーン候補地として心に刻んでおこう――。
「何笑ってやがる……っ!」
地面に転がっていた見習い騎士の少年に睨まれ、俺は我に返った。現実逃避から頭の中がお花畑に浸食されていた。
気を引き締めろ、俺。
今回の旅は遊びではない。もしもアンバートの遺した予知が実現すれば、数万人の命が危険に晒される。騎士を辞して一般人になったとはいえ、知ってしまった以上は見過ごせない。
悲劇を防ぐためにも、ソニアの憂いを失くすためにも、絶対に予知を覆さなければ。
「笑ってられるも今のうちだ……! すぐに吠え面かかせてやっからな!」
俺はため息を吐く。
本当ならさっさと怪しげな遺跡を調べたり、魔女メリサを手にかけたと思われるセレスタの手がかりを探しに行きたいのだが……どうして俺は森の中で剣の指導をしているのだろう。
「まだ続けるのか?」
「ああ! 次は絶対に当ててやるからなぁ!」
刃を潰した剣を杖替わりにしてティガが起き上がった。その不屈の姿勢は買うが、勢いだけでは何も変わらない。
向こうが俺の剣を読み切る前に、俺の方が彼の変則的な剣筋に慣れてしまった。十秒後、再びティガは砂まみれになった。お約束の展開と言える。
「くそっ!」
ひょんなことから彼を鍛えることになったのだが、なかなかどうして上手くいかない。基本の型や体作りを教えようとしても「そんなもん一人でもできるじゃねぇか。時間がもったいねぇ」というので、実戦形式の模擬試合ばかりしている。そして進歩がない。
いや、模擬戦自体は悪くないはずだ。対人戦闘の経験値はいざという時に必ず役に立つ。俺もできるだけいろいろな動きを見せ、戦闘における選択肢を提示している。ティガが上手く盗んで自分なりに応用してくれれば……。
ティガは放っておいても強くなるタイプだ。身体機能も戦闘センスも一級品で、まだまだ伸び代が大きい。
焦りで剣を曇らせてさえいなければ、すぐに俺と互角に打ち合えるようになるだろうに。
俺の教え方が悪いせいもあるだろうが……。
「もっと呼吸を深くして、視野を広く持った方が――」
「はぁ!? 息してる余裕なんてねぇよ!」
「いや、そういうことではなくてだな……とりあえず落ち着け」
ティガの気持ちはよく分かる。
ロゼリント姫の誕生パーティーまで一か月を切った。何が起こるか分からないというこの状況、俺も同じ立場ならば、がむしゃらに強さを求めただろう。地道にコツコツと、という回り道の発想など出てこない。
『あの子、暴走しそうで危なっかしいわ。今のうちに信頼を築いた方がいいかも。お願いね、ヴィル』
ティガはいざとなったらなりふり構わず行動しそうで恐ろしい。ソニアの懸念はもっともだ。もしものときに話を聞いてもらえるくらいの信頼関係が必要なのは分かる。
……だが、俺にコミュニケーション能力必須の任務を与えるのはどうなんだ。ただでさえどこかの年齢詐称魔人のせいで、子どもがますます苦手になったというのに。
「あー……ティガは、どうして騎士を志してるんだ?」
とりあえず会話だ。気になっていることを聞いてみた。何か共通点が見つかれば打ち解けられるかもしれない。
ミストリアにおける騎士とは、無私の心で主に忠義を尽くし、己の犠牲を顧みず弱きを助け悪をくじく勇敢な戦士のことだった。
最低条件として高貴な方に仕えるにふさわしい教養と気品が求められるが、それは身なりを清潔にして無駄口を叩かず勤勉に働けば大丈夫だった。生まれや育ちはよほど特殊な例ではない限り問題視されない……と思う。多分。
ルジアーロでも大体同じような定義だと思うのだが、ティガの素行を見ていると騎士とはなんなのか分からなくなる。騎士に憧れているわけではなさそうだ。となると、彼が騎士見習いをしている理由は……。
ティガはムスッとした様子で答えた。
「別に……たまたま剣の腕を見て雇ってもらえるっつー募集があって、それが騎士の入団試験だっただけだ。成り行きってやつだよ。一人で食っていければ何だって良かった。正直騎士って柄じゃねぇのは分かってるけど、今のところ辞めるつもりはねぇよ。この仕事、見習いでも給料はいいからな」
「そ、そうか」
「なんだよ、何か文句があるのか?」
俺は静かに首を横に振った。
てっきり成り上がりの野望でもあるのかと思っていたが、生活のためか。苦労してきたんだろうな。何も言えない。
「あんたはどうなんだよ。どうして騎士になった?」
「俺は……俺も家庭の事情で食うに困っていた。助けてくれたのがミストリアの王子だ。騎士だった父が不名誉な死に方をしたということもあって、自分の騎士にならないかと勧めてくれた」
もしも王子――レインに出会わなければ、俺は今頃どうしていたのだろう。叔母一家に虐げられ、搾取され続けていたかもしれない。
少なくとも王都襲撃の真実を知らず、両親の無念を顧みず、ソニアやククルージュの面々に出会うこともなかったと思う。想像するだけで恐ろしい。
「王子に恩を返したかった。父の名誉を取り戻したかった。俺のような人間を増やさないためにも、悪を正しく断罪する強さと力が必要だったんだ。そのためならこの身を犠牲にしても構わない。そういう意味では、騎士という職はこれ以上ないほど魅力的だった……」
どうやら向いていなかったようだがな、と俺は自嘲気味に呟く。
「でも、あの魔女に籠絡されて、いざってときに王子のそばにいられなかったんだってな? それで、今は自分を許してくれる魔女に依存して生きてるわけだ。だっせ」
ぐさ、と心に刃が突き刺さる。
事実が歪曲しているというか、複雑な事情を簡単に説明すると概ねティガの言った通りになるのがつらい。弁明しようにも言えないことが多すぎるしな……。
剣で勝てないから精神攻撃か? くそ、有効すぎる。
言葉に窮す俺を見てティガは口の端を歪めたが、どこか疲れたような瞳で宙を見た
「あんたくらい強くても、守れないときは守れないんだな……」
それは今にも潰れてしまいそうな声だった。
「…………」
ああ、そうか。騎士になろうとしたきっかけは、最初は成り行きだったかもしれないが、今は違うのかもしれない。
ちらりと儚げな王女の顔が脳裏をよぎった。高貴な身分に生まれながらも不自由な暮らしを強いられ、たくさんの不安を抱えつつも、泣きそうな顔で笑う見習い魔女。
レインとソニア、どちらの立場にも似ているような気がして他人事には思えなかった。
ティガとロゼリント姫には明るい道を歩んでほしい。素直にそう思った。
俺は躊躇いがちに口を開いた。俺の経験が少しでも彼の糧になるのなら、と。
「そうだ。俺に全てを守る力はなかった。だが、一番大切なものは何があっても手放さないし、傷つけさせない。そして、己の命にも同じくらい執着する。彼女を決して一人にはしない。この剣はそのためにある」
そのためなら騎士道精神に反しても構わないと思ったからこそ、俺はレインの危機にかつての仲間からの要請を断った。
後悔はしていないが、未だに苦々しい気持ちになる。
願わくは、ティガには苦渋の選択のときが訪れないといい。
「あんたは……」
軽蔑されただろうか。だが、綺麗な嘘を述べても意味がない。
ティガは何か言いかけ、しかし言葉をのみ込んで立ち上がった。
「けっ、ノロケなんか聞いてられっかよ! そんなことよりもう一勝負だ! 次に地面に転がるのはあんただぜ!」
「……懲りないな」
次に繰り出された剣は、驚くほど真っ直ぐで鋭かった。
ほんの少しだけティガの剣が変わり、俺はバレない程度に小さく笑った。