4 王家の光と闇
ルジアーロ王国での生活が始まった。
旅行やプチ留学だったのなら楽しいのでしょうけれど、予知で示された大量死の謎を解き、魔女メリサを殺害したと思われるセレスタを討つことを目指しつつ、ロゼとティガを守り育てなければならない。
やることが重すぎる上に多すぎて、楽しむ余地はないわね。まぁ、遊びに来たわけじゃないからそれはいいわ。
一番困ったのは現在この館にティガ以外に住込みの従者がいないこと。
今までは国王陛下が信頼を寄せる侍女頭が城から通ってお世話をしていたらしいけれど、メリサの無惨な遺体とロゼが魔力を暴走させる様に腰を抜かしてしまい、今は寝込んでいるんですって。
掃除は毎日頑張る必要はないし、洗濯は城が近いから何とかなる。問題は食事よ。
城で作られた料理が警備の騎士を通じて届けられる、とは聞いていたけど……。
初日の夕食、ロゼの希望により四人一緒に食事をすることになった。ヴィルは恐縮していたし、ティガは面倒くさそうにしていたけど、一度に済ませた方が効率的だもの。私は賛成した。
冷めている点を除けばミストリアで見かけない食材や調理法の数々に私とヴィルは楽しめていたのだけど、ロゼはあまり口をつけなかった。
「ロゼ、大丈夫?」
「ごめんなさい。食欲がなくて……」
「はっきり言えよ。また嫌いなもんばっかり入ってて、気が滅入るって。嫌がらせをされてんだろ」
ティガの言葉を否定せず、俯くロゼ。
「どういうことかしら?」
「いえ、あの……わたくし、お肉と辛いものが苦手で……城の料理人はそのことを知っているはずなのに最近はスパイシーな肉料理ばかり出てくるの。でも、食べられないわたくしが悪いから……」
ティガが鼻で笑った。
「そういう問題かよ。レバーや腸詰め料理なんて、今まで見たことねぇもんが急に出てくるようになったのに」
ヴィルが肉料理ばかりという単語に一瞬反応したのを横目で窘めつつ、私は考える。ただでさえメリサの死で食欲がないというのに、苦手な料理ばかり運ばれてくるなんて、本当に嫌がらせ以外の何物でもないわね。
城の人間のほとんどがメリサの存在すら知らない。それをいいことにメリサの死に際を彷彿とさせる料理が出てくるなんてね。
これは胃に優しくない。やつれるのも無理はないわ。
「誰の指示なのか分かる?」
「第一王女のヘイルミーネだろ、どうせ。常に場の中心に自分がいないと気が済まない性質の女だ」
ティガが吐き捨てるように言う。
ヘイルミーネというと、第一王妃の娘でエクリーフ様の同腹の妹姫よね。婚約者を二度も亡くした悲劇の王女の話はミストリアにも届いている。
ティガの言い様で大体どういう性格か分かったわ。どこの王家もドロドロしているわねぇ。
ただ、ヘイルミーネが嫌がらせをしている証拠はない。あったところで、もみ消されてしまうでしょう。
「エクリーフ様には相談してみたの?」
「ただでさえエクリーフお兄様にはご面倒をおかけしているのだから、これ以上は……。大丈夫。わたくし、これを機に苦手を克服するわ」
弱々しく笑って、すっかり冷めて脂が浮いた肉の塊を口に入れるロゼ。
ロゼには、立場的にも血筋的にもエクリーフ様に頼りきりになるわけにはいかないという自覚があった。
その心意気は立派だけど、泣き寝入りはいただけない。
舌が痺れる不快な感覚を思い出し、私は小さくため息を吐いた。
「確かに好き嫌いは良くないけれど、悪意のあるものを無理して食べる必要はないんじゃないかしら? お肌に良くないわ。もうすぐあなたが主役の誕生パーティーがあるのに、そんな顔色じゃ招待客を心配させてしまうわよ?」
他人の、それも王族のお家事情に首を突っ込むなんて私らしくない。だけど、放っておけなかった。他人事には思えなくて。
「そうね。もし良ければ、ミストリアの家庭料理を紹介させて。特に美容にいいものを」
……ということで、次の日から私が食事を作ることになったわ。エクリーフ様にはそれとなく事情を話し、ちゃんと許可を取った。兄妹仲に波風を立てたくないというロゼの意思を伝えると、申し訳なさそうな表情をしていらしたわ。
慣れないキッチンで王族の口に入れる料理を作るのは怖いのだけど、開き直りましょう。ロゼは良い子だから多少失敗しても文句は言わないと思うし、ティガがケチをつけてきても黙殺することにした。
結局自分で作ったものが一番信用できる。ロゼに付き合って私とヴィルまで健康を損なうのも嫌だもの。
ヴィルが手伝ってくれるので調理自体はそう苦でもない。
「わぁ、すごく美味しそう」
「お口に合うといいんだけど」
食堂に入ってきたロゼが、テーブルの上の料理を見て小さく微笑んだ。
お姫様が食べる物だからと高級志向にすべきか迷ったけど、結局ポトフやリゾットを中心としたごく普通の料理にしたわ。見栄を張っても恥をかくだけだもの。ただし、栄養とカロリーのバランスについては自信があるわ。
「それで、毒見はどうする?」
「そんな……ソニアさんが作ったものなら、わたくし――」
「オレがやるから黙って待ってろ」
私が作った料理の数々をティガが口にし、もぐもぐと咀嚼している。
毒見にしては一口がどんどん大きくなっていくので、受け入れてもらえたみたいね。良かった。ただし、エナメルピーマンの炒めものだけは、まるで「見えていません」とばかりにスルーしようとする。
「おい。毒見役が好き嫌いをするな」
ヴィルに舌打ちを返し、ティガはものすごく嫌そうにピーマンを口に入れてすぐに飲み込んだ。そして全ての品を食べ終え、味や体調に異変がないことをロゼに報告する。
「多分大丈夫だろ。無味無臭で遅効性の毒が入っていたらどうしようもねぇけど、自分で作った料理に毒を盛るほど馬鹿じゃないだろうし」
「ティガ! ごめんなさい、ソニアさん。わたくしは毒の心配なんて全くしてないから!」
「別にいいわ。でも、少しは警戒した方がいいわよ。私が盛ってなくても、予め食材や調味料、食器に仕込まれていることだって有り得るんだから。もちろん全部確認したから大丈夫だけど」
この館に一度殺人鬼が侵入している以上、徹底的に調べないと料理なんてしていられないわ。
ロゼは少し怯えたようだけど、銀のスプーンをスープに浸し、口に運んだ。
「とっても美味しいわ。ねぇ、ティガ?」
「……別に。食えればなんでもいい」
と言いつつ、おかわりを要求してくるティガに、ヴィルが冷たい視線を向ける。私の料理への感想がおざなりだったせいか、それとも取り分が減ることを気にしているのか……多分両方の理由ね。
「にゃーん」
ちなみに、足にまとわりついてきたコハクにはほぐした白身魚をあげた。
予定外の労働で自分の首を締めつつも、時間を惜しむように精力的に働く。
「魔力制御で重要なのは自分の魔力の波を理解すること。あとは地震が起きても雷が落ちても、揺るがない精神力よ」
「うん。メリサも同じことを言っていた」
まずはロゼの魔力制御の訓練ね。どれくらいのレベルなのか知っておきたいわ。
二人で手を繋ぎ、お互いの魔力を感じ取る。
ロゼから緊張が伝わって来るけれど、魔力自体は安定している。それに魔力量も驚くほど多い。
十一歳でこれならば十分だと思うわ。ロゼが優秀というのもあるけれど、メリサも良い師匠だったのでしょう。
課題は突発的な感情の乱れよね。こればかりは魔力の扱いに慣れて自信をつけてもらうしかない。地道な反復練習をしてもらいましょうか。
「氷削りはやったことあるかしら? 三角錐を作ってみて」
私が魔術で凍らせた氷の塊を、ロゼが魔力で溶かして形作る訓練。自然に溶けるよりも早く形を作らないといけないから、結構焦るのよね。加減を間違えると氷が割れるし。
むむむ、と眉間に皺を寄せながら氷とにらめっこするロゼ。
ひとまず手の空いた私は、ルジアーロの術士たちが調べた地下遺跡についての報告に目を通す。
ちなみにヴィルとティガは外で剣の稽古をしているわ。ヴィルに師事することにティガは思いのほか反発せず、素直に教わっている様子。
遺跡の名前は『天使の座する庭』。
地下にいる時点で「それは天使なの?」と疑問を投げかけたくなるわね。
天使……カテドラル霊山の頂上にいるという天の使いと似たような存在かしら。
兄様の精鋭私兵の方たちも、姿自体は見ていないそうよ。頂上に至ったことを賞賛されて、気づいたら涙銀雫の入った小瓶を握っていたらしいわ。
天使、巨人、龍神、妖精、そういう神秘的な存在を実際に目撃した人は今でこそ少ないけれど、各地に実在したという痕跡を残している。
人間の前に現われ、時に力を貸して導き、時に誘惑し堕落させ、歴史の転換を促したという。
ルジアーロ王国はミストリアよりもずっと古い歴史を持つ国で、建国から九百年もの間、初代国王の直系の血筋が一度も絶えることなく続いている。これはちょっとすごいと思うわ。
【天使へ至る扉は、初代王メルジンの血潮を色濃く受け継ぎ、比類なき魔力を宿す子の手によって開かれるだろう。甘き血を捧げよ。さすれば、永久の栄光を与えられん。天使の眠りは浅い】
甘き血と永久の栄光という言葉が気になるわね。
まるで生贄を捧げることで王家の威光が保たれる、と言われているような……。
「にゃーん」
「ダメよ。ごめんね、コハクちゃん。後で遊んであげるから」
この子、いつも私が本や資料を読んでいると覗き込もうとするのよね。もしかして紙の匂いフェチ?
イヤイヤ、と珍しく粘るので仕方なくコハクを膝の上に乗せる。一緒に資料を読んでいる気分。和んでしまって集中できないんだけど……。
ふわふわの毛並をもふりながら、私はゆっくりと文字を目で追う。
次の資料はルジアーロ王家に生まれた崇青の魔女プラナティについて。
三百年前のこと。かの魔女は修業のために国を出たが、日照りにより飢饉に陥っていたルジアーロを救うために舞い戻り、決死の覚悟で王国全土を覆う巨大な雨雲を呼んだ。恵み雨は枯れ果てた大地に浸透し、すぐさま畑に豊作をもたらし、多くの民を救ったという。
しかし大規模な雨乞いの魔術の反動か、プラナティは十八の若さでこの世を去った。兄に国の繁栄を託して。
ルジアーロ王国にとって、救国の魔女と言えばプラナティを指す。
雨乞いの魔術は、禁忌というほどではないけれど、あまり推奨されない魔術の一つね。
天候を操る魔術は広範囲ゆえに術者の負担が大きく、周囲の環境も大幅に狂わせる。しわ寄せが別の場所に行くから、下手に使うと近隣諸国から因縁をつけられてしまうでしょうね。
賢い魔女なら使わないし、覚えない。使ったが最後、何か自然災害がある度に、その魔女のせいにされてしまうもの。
プラナティのように王族であるならば、祖国を救うために無茶をするのも許されるかもしれないけれど。
で、今肝心なのは、プラナティが雨乞いの魔術を使う前に地下遺跡の扉を開けたという記述。
中に入ったのは彼女一人。帰還した彼女は多くを語らなかった。ただ一言、穏やかな表情で「天使の眠りを妨げてはならない」と言い残したという。
「なんか怪しいのよね」
「うにゃ」
よく考えてみれば、十八歳の若い魔女が雨乞いの魔術なんて使えるかしら?
ルジアーロの国土は広い。三百年前は今よりも開拓が進んでいなかったとはいえ、それでも王国全土を覆う雨雲を生み出そうと思ったら一人の魔女の魔力じゃ足りないと思うけれど。
少なくとも今の私には無理。水属性の魔術が苦手ということもあるけれど、何年か練習しないと難しいと思うわ。魔力だってきっと自前のものだけでは足りない。
プラナティはそれほど優れた魔女だったということ?
遺跡の扉を開けられたということは「比類なき魔力を宿す子」なのでしょうし。
「できた! どうですか?」
ロゼの声に私は顔を上げ、目を見開いた。
氷の表面は滑らかでそれぞれの辺は揺らぎのない直線、頂点は鋭く尖がっている。非の打ちどころのない完璧無比な造形だった。
このお姫様、もしかしたら天才かも。
みなさまのおかげで書籍の2巻が7月12日に発売します。
どうぞよろしくお願いいたします。