3 騎士のプライド
騎士見習いの少年はティガと名乗り、ヴィルに剣を突きつけた。
「オレと勝負しろ」
屋敷の案内や食事のことを聞こうと思って声をかけたのだけど……何この展開。
エクリーフ様はお城に帰っちゃったし、他に使用人の姿はないし、どこに苦情を言えばいいのかしら。
ヴィルが顔をしかめながら、剣の間合いから私を守るように一歩前に出た。
「なんのつもりだ」
「あんた、ミストリア最強の騎士だったんだろ? 腕試しにはちょうどいい相手だ」
「ティガ、だ、ダメですよ。無礼です。控えなさい……!」
ロゼが慌てふためきながら命令したものの、ティガに睨まれると瞳に涙を溜めて黙ってしまった。他人のことは言えないけど、なかなかユニークな主従関係を築いているようね。
「別にただ喧嘩を売ってるわけじゃねぇよ。これからしばらく一緒に暮らして、お前の警護をしなきゃならねぇんだ。お互いどれくらいできるか知っておく必要がある。そう思わねぇか?」
本音はともかく、建前は筋が通っているわね。いざというとき戦力になるか見極めておくのは悪くない。
ヴィルは面白くなさそうだったけど、私に視線で許可を求めた。
「いいけど、訓練用の剣にしなさいね?」
こんなことで怪我をしたら許さないから、と付け加えるとヴィルは私にしか見えない位置で苦笑した。私の心配がくすぐったかったみたい。それともティガ相手に手こずるわけがないと余裕を表したのかしらね。
「はっ、別にいいぜ。その様子じゃ魔女に飼われてるって話、本当だったんだな」
いちいち好戦的な子ねぇ。
ちょうど尖っている時期なのでしょう。前世女は暗黒ポエムを読んでいた年頃だし、私も少しだけ身に覚えがあるわ。初めてお母様に口答えして、いろいろと、ね。
いつかティガも黒歴史に悶える日が来ると思えば、別に腹は立たない。
ヴィルも多分……怒ってないわよね?
二人が庭先に向かったので、私とロゼは二階のバルコニーから観戦することにした。青ざめて何度も謝罪を口にするロゼに、私は気にしていないと笑ってから尋ねた。
「彼は何者なのですか? 私やヴィルへともかく、ロゼ様にまであの言葉遣いは……」
「申し訳ありません。わたくしがティガに敬語を使わないでほしいとお願いしていたのです。ですが、お客様にまであのような態度を取るなんて……」
ロゼが申し訳なさそうに語った。
ティガは九歳のときに、平民向けの騎士団の実技試験に合格するほど身体能力に優れた子どもだった。学力試験と面接で不合格になってしまったけれど、彼が移民の孤児で身寄りがないと分かると騎士団の上層部が目をつけ、引き取ることにした。
「でも……ティガはそのときからもう大人の手に負えないほど強くって、態度もあんな感じで、持て余されていたそうです。それで、その……」
どうせ騎士として使い物にならないのなら、厄介な第二王女の警護に回すことにした……ということらしいわ。外部からの刺客よりも、ロゼが魔力を暴走させないかを心配するだけの閑職。人前に出ることもないだろうし、厄介払いにはちょうどいい。
表向きは「ロゼ王女と年が近くいい刺激になるだろう」という理由で国王様を丸め込んだみたい。何か問題が起きても血縁者のいないティガならば処分するのも簡単。分かりやすいわね。
「ティガは決して悪い人ではないのです……わたくしにとっては従者というよりもたった一人のお友達で、とても大切な……いえ、だから、えっと……主従なのにおかしいかもしれませんけど……普通に接してほしかったんです」
しどろもどろになるロゼ。青白かった頬に赤みが差す。
この子も分かりやすい。まぁ、閉ざされた環境で少し年上の男の子と一緒に育てば、意識するなという方が難しいかしら。
「ふふ、おかしくなどありません。ヴィルも私には敬語を使いませんから。ロゼ様が蔑ろにされていないのならいいのです」
「……あの、ソニア様も敬語ではなく、普通に話していただけませんか?」
幼気な瞳が恐る恐る私を見上げる。
「ですが、王族の方に礼を失するわけには」
「臨時とはいえ、わたくしの師になるのですから問題ありません。メリサもわたくしのことは呼び捨てでしたもの」
師を亡くした寂しさを埋めたい、という本能が働いたのかしらね。これは断りきれそうにないわ。
「……分かったわ。私的な場所だけね。その代わりロゼもよ?」
ロゼははにかんで頷いた。
「ソニアさん……あの、猫ちゃん触らせてもらってもいい?」
「いいわよ。今はお昼寝中だけど、起きたら連れてくるわ」
そんな感じで女子二人が和やかに打ち解けている間に、庭先でヴィルとティガの試合が始まった。
固唾を飲むロゼを横目に、私は小さくため息を吐いた。
正直、あまりヴィルの心配はしていない。体格差で有利な上に、実戦経験だってヴィルの方が豊富だもの。年下の騎士見習い程度に彼が負けるはずないわ。
……年下に見えて実は大人だったっていう魔人を知っているから、油断はできないけれど。
「っ!」
刃を潰した剣が交錯した瞬間に火花を散らし、金属音が断続的に響いた。
「おせぇよ!」
……ちょっと驚いたわ。ヴィル相手に何合も打ち合えている。それどころかティガがヴィルを押しているように見えるわ。手数が圧倒的で、剣の軌道が独特……まるで野生動物のように力強く躍動している。
ヴィルが防御に徹することで調子を上げたのか、どんどんティガの攻撃のスピードが上がっていく。
ロゼは私の手前控えめにしているけど、ティガを尊敬するように目を輝かせていた。
「もらった!」
ヴィルが見せた隙を見逃さず、ティガが素早く一歩踏み込む。勝利を確信したかのような表情で。
……こういうの“負けふらぐ”よね。
「なっ!」
ヴィルの剣が稲妻のように翻り、ティガの一撃を迎え撃つ。結果、ティガは剣ごと弾き飛ばされて尻餅をついた。
勝負が一瞬でひっくり返ったように見えるけれど、実はヴィルはそれほど劣勢じゃなかった。
私には打ち合いの高度な駆け引きは分からないけれど、ヴィルが終始冷静だったのは顔を見れば分かる。
試合前のティガの建前通り、ヴィルは相手の力量を測っていただけ。その気になれば、勝敗はすぐについたでしょう。
「……っ!」
首筋に剣を突きつけられ、ティガは顔を歪めた。
「俺の実力は伝わったか?」
「ああ。あんたの勝ちだ。……くそ、強ぇな」
不貞腐れて地面を殴るティガ。
ヴィルがちらりとバルコニーを仰いだので、にこりと微笑みを返す。勝って当然だって信じていた、と伝わったかしら。ほんの少しだけヴィルが目を細めた。
一方、隣にいたロゼは居ても立っても居られない様子で階下に向かっていった。私も移動する。
「――うるせぇ! あんたにだけは言われたくねぇよ!」
私たちが庭に出た途端、ティガが入れ替わりで館に入ってきた。
「ティガ、だ、大丈夫? 怪我は? あの――」
「見りゃ分かるだろ、なんともねぇ!」
ティガはつんとそっぽを向き、そのままどこかへ行ってしまった。お姫様の前で負けて恥ずかしいんでしょうけど、この態度はダメよね、さすがに。取り残されたロゼが萎縮して泣きそうになっているわ。
というか、護衛役が主のそばを離れないでほしい。私たちのこと信頼しているのなら光栄だけど。
「ヴィル、ティガと何を話したの?」
ヴィルはヴィルで何か精神的にダメージを負ったのか、片手で顔を覆っている。
「いや……悪い。確かに俺が言うべきではなかった。失言だ」
ヴィルは元騎士として黙っていられず、ティガの態度を嗜めたらしい。
『剣の腕は良い。天賦の才がある。だが、騎士としてはあまりにも不適格だ。王女の心を曇らせるような言動は慎め』
ようするにロゼを心配させるなってことよね。今、ロゼの心は不安定で、魔力の制御が危うくなっている。自分の行いで主を追い詰めるなどあってはならない、と。
間違ったことは言っていないと思うけれど、ヴィルは「俺に騎士を語る資格はなかったな……」と消沈している。
ヴィルは一度忠誠を捧げた主、レイン王子を守れずに亡くしている。本当は生きているのだけれど、それはミストリアのトップシークレットだから世間一般には知られていない。
それどころかレイン王子と婚約解消した私に仕え、今となってはラブラブなわけで……話だけ聞くと不誠実な裏切り者みたいよね。ヴィルほど誠実で純真なヒトはいないと思うけれど、事情を知らない者からすればあまりイメージは良くないかも。
今までヴィルは自分の世間体に無頓着だったし、ククルージュのみんなや兄様たちはなじったりしないから大丈夫だったけど、ティガに「お前が言うな」と返されて胸に突き刺さった、と。
ヴィルを助けるためだったとはいえ、王子から強引に身柄を奪った私にも責任があるわよね。
どうやって慰めようかしら。ここで抱きしめるわけにもいかないし……。
「あ、あの、ごめんなさい。ティガは、ヴィルさんがこちらに滞在されると知って、ずっと落ち着かない様子で……」
ロゼ曰く、ティガはこの館の警護を命じられ、騎士団の稽古にほとんど参加できずにいた。彼を鍛えていたのは魔女メリサで、いつも巧みな魔術で翻弄されていたらしいわ。それはそれで充実していたようだけど、剣での戦い方が独学になっていることが不安だったみたい。
そんな中、ロゼに関係ありそうな不吉な予言がもたらされ、私とヴィルの来訪を知った。そしてメリサが何者かに殺されてしまい、ティガの心の中は荒れた。
生まれて初めて自分の手に負えないものに直面し、どうすればいいのか分からない。しかしロゼの前で弱音を吐くこともできなかった。
「きっとティガも不安なのです……わたくしのせいでっ」
ロゼの声が湿り始め、ゆらりと体の周りの空気が揺れたように見えた。
魔力の暴走の気配を感じ取り、私はすかさず彼女の手を取った。体の内側からゆっくりと彼女の魔力に干渉し、コントロールする。
「大丈夫よ、ロゼ。何も恐れることはないわ」
「でも、わたくし、ティガにも皆さんにも、申し訳なくて……」
「あなたが謝ることは一つもない。ティガだってあなたに怒っているわけじゃないわ」
彼がヴィルに戦いを挑んだのも、不安の裏返しだったのかしら。だとしたら、負けたことにホっとしているのかもね。自分より強い者がこの館で一緒にロゼを守ってくれるのだから。
だけどティガはそんな自分の甘えが許せない。プライドが高いのよ。
ようするに自分自身に腹を立てているのだわ。
「ティガのことは……ヴィルに任せましょう。ここにいる間、鍛えてもらえばいいわ」
「……は?」
ヴィルが目を点にする。
「私はロゼの魔力制御の訓練を見るから、ヴィルはティガに剣を教えてあげて。もっと強くなれればティガの不安は解消するでしょう」
「いや、しかし、俺は人に教えるのはあまり……」
言い淀むヴィルを、ロゼが不安そうに見上げた。
私は視線の圧で命じる。頷きなさい、このままだと彼女の魔力が暴走してしまうわよ。
「わ……分かった。善処する」
「! ありがとうございます!」
ロゼが華やいだ笑顔を見せる。どうやら魔力も落ち着きを取り戻したみたい。私とヴィルは同時に胸を撫で下ろした。
こうして私だけではなく、ヴィルも臨時の師匠をする羽目に陥った。
ごめんなさいね、ヴィル。素直そうなロゼと違って、捻くれたティガの相手は大変でしょう。ククルージュに帰ったら存分に労うから頑張って。これはここで平穏に暮らすために必要なことなの。
ちなみにお昼寝から目覚めたコハクは、ヴィルに執拗に撫でまわされて戸惑っていた。あとでロゼも合流し、もふもふの毛並みを余すことなく堪能されていたわ。
うん、コハクがついてきてくれて良かった。
これからたくさんアニマルセラピーが必要になりそうだもの。