2 王女の事情
挨拶をした後、ロゼリント――ロゼは緊張した様子でエクリーフ様の隣に腰かけた。コハクを見て一瞬あどけない笑みを浮かべたけれど、すぐに口元を引き締めて俯いてしまった。
開け放たれたままの扉のそばに、十四歳くらいの少年が立つ。身なりから見て、ロゼに仕える騎士見習いかしら。
明るい茶色の髪に同色の瞳。私と目が合った途端、顔をしかめて視線を逸らした。うーん、出会ったばかりの誰かを彷彿とさせる態度ね。
ロゼの分のお茶が用意された後、私はにこやかに切り出した。
「驚きました。存じ上げませんでしたもの。ロゼ様のこと」
隣国の王族に魔女が生まれていたとはね。
サニーグ兄様からも聞いていないし、ククルージュの情報網にも引っかかっていない。当然、アンバートの本にも書かれていなかった。
ルジアーロ王国は徹底的にこの事実を隠していたようね。
思い返せば、エクリーフ様が兄様を通じて私に渡りをつけたのは、義理の妹姫のことで何かあったときの保険かしら。
「ええ。父の判断です。父は、ロゼリントのことが可愛くて仕方がないのです。どうしても手元に置いておきたかったために、この館で隠し育てました」
ロゼの母は第三王妃で、最も国王の寵愛を受けている女性なのですって。しかも子どもはロゼ一人だけで母親にそっくり。
陛下がロゼを溺愛するのも無理からぬ話ね。
問題は、その可愛い娘が核と創脳を併せ持って生まれてきたこと。つまり、六歳になるまでに魔女に弟子入りさせなければならない。
しかし国王陛下はロゼを魔女の元にやりたくなかった。
「魔女の力を持つ子どもを王城で育てることはできません。暴走の危険がありますし、その……お気を悪くしないでほしいのですが、隣国ミストリアでの王都襲撃事件のことで、魔女の力を恐れる者がおりましたので」
「ええ、理解できます。お気遣いありがとうございます」
第二王女が魔女だと判明したら、城から追い出せと言いそうな臣下が大勢いたのでしょう。だから病弱で静養が必要だと偽り、人目に付かないように城の裏手の屋敷で育てた……と。
私はちらりとロゼの顔を見た。
顔色が悪く、目が充血している。本当に病弱そうに見えるのだけど……。
私とヴィルに緊張しているのか、予言のことを聞いて怯えているのか、それとも何か嫌なことがあって眠れぬ夜を過ごしているのか。
まぁ、いいわ。そのうち分かるでしょう。
「では、ロゼ様はどのようにして魔力の制御をなさっているのでしょう? 師となる魔女を召し抱えてらっしゃるの?」
気になっていたのよね。師匠が一緒に住んでいるのなら、どうしてこの場に姿を現さないのか。
私の質問に部屋の空気が凍りついた。
「ソニアさんのおっしゃる通り、父はメリサという老齢の魔女を雇い、ロゼリントに修業をつけるように依頼しました。八年もの間、メリサはこの館でロゼリントを育ててくれたのですが……」
エクリーフ様がロゼの背中に手を回す。するとロゼは顔を上げ、震える声で述べた。
「メリサは、本物のおばあ様のようにわたくしを可愛がってくれました。……しかし、十日前に何者かの手によって……」
殺されてしまったのです。
ロゼはかすれた声で呟いた後、両手で顔を覆った。少女の嗚咽が響く中、私は内心の恨めしい気持ちを隠して冷静に尋ねた。
「殺された? この館で魔女が?」
喋れなくなったロゼに代わり、エクリーフ様が教えてくれたわ。
十日前の早朝、メリサが館のエントランスで血まみれで倒れ、事切れているのが発見された。無惨に腸を引きずり出された状態で。
メリサのお腹の中には木の根が残されていたそうよ。まるでそれでお腹の中をかき混ぜたみたいだったんですって。猟奇的ね。
夜のうちの犯行で、盗まれたものや壊されたものなどはない。館にいたのはロゼと見習い騎士の少年だけ。二人とも何も気づかなかったそうよ。
二人が犯人じゃないのなら、王領地にある秘密の館に何者かが侵入し、熟練の魔女を殺害していったということになる。
すぅっと体の芯から熱が引いた。思っていた以上に厄介なことになっているわね。
先に教えておいてほしかったけれど、十日前ならば私たちがククルージュを出発した後だから、連絡が行き違ってしまったのかも。
エクリーフ様は沈痛な面持ちで言った。
「申し訳ありません。このような館にお招きすることになってしまって……しかし、ソニアさんに無理を承知でお願いしたいことがあるのです。どうか、ロゼリントの誕生日まで、この館に滞在していただけないでしょうか?」
「それはロゼ様を警護しつつ、魔力制御の監督をしてほしい、ということでしょうか?」
館の周りの仰々しい結界は、ロゼが魔力を暴走させたときのために、ルジアーロの術士が張ったのね。納得。
「ええ。警護に関しては、屋敷の周囲に王国の精鋭部隊を配置しますので、ご安心を。ネズミ一匹侵入させません。
ロゼリントの魔力制御に関してはここ数年暴走させていなかったのですが、メリサの死に動揺して一度派手に……あの日以来、ロゼリントはすっかり不安定になってしまいまして、このままでは誕生日の式典ができません。一人前になるまでは隠し通さねばならないというのに……」
人前で魔力を暴走させてしまったら、もう魔女だということを隠し通すことはできないものね。
ただでさえ社交界デビューに緊張しているのに、予知の大量死に加えて、師匠が殺害されてしまった。ロゼはすっかり精神的に追い詰められている。
エクリーフ様は縋るように身を乗り出した。
「代理で構いません。報酬はソニアさんの望むものを必ず用意いたします。お願いします。ロゼリントの師になって下さい! 私が信頼できる魔女は、もはやソニアさんだけなのです!」
「お、お願いします……」
ロゼも涙を拭き、兄の隣で頭を垂れた。
「…………」
ロゼのことはちょっと可哀想だけど……私は元々、大量死について調査しに来たのよね。
彼女に構ってばかりいられないし、正直弟子を取るなんて気が重いわ。一国の王女が相手なんて手に余る。
でも、地下の遺跡とロゼの存在が大量死と結びつきそうな気がする。メリサを殺した犯人のことも無視できないわ。
私は背後に立つヴィルを仰いだ。ものすごく不機嫌な顔をしているわね。
それでも異を唱えることはせず、ヴィルは一つ頷きを返した。
そうね、ヴィル。覚悟はしてきたわ。
「分かりました。未熟な身ではありますが、ロゼ様のためにできる限りのことをさせていただきます」
「! ありがとうございます!」
安堵する兄妹に、私は忘れずに釘を刺した。
私が何か失敗しても、その責をミストリアやククルージュに問わないこと。
私が求めた情報を隠さないこと。
全てが解決したら必ず私たちをミストリアに帰すこと。
「あと、サニーグ陛下にだけは本当のことを伝え、逐一報告をしたいのですが」
口封じされないように布石を打っておかないとね。兄様にここでの情報を流しておけば、牽制になるでしょう。
エクリーフ様はしばし考え、頷いた。
「構いません。サニーグ陛下には私からも話は通します。しかしそれ以外の方には他言しないよう、お願いします」
私の方からも好きに連絡していいんですって。エクリーフ様と兄様の友情が本物なら、騙し合いにはならないでしょう。
気の抜けた表情をしているロゼに向かって、私は優美に微笑んで見せた。少しでも不安がなくなるように。
「では、ロゼ様。ひと月の間、よろしくお願いします」
「は、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
ロゼと握手を交わすと、コハクが心配そうに一声鳴いた。
元々ロゼが隠れ住むための館なので、客間は一つしかなかった。
たまに国王陛下と第三王妃が泊まりに来ているんですって。その部屋を貸していただけるのは光栄だけど、ちょっと不安。
「にゃーん!」
「コハク、その辺りで爪を研ぐなよ!」
ヴィルの慌てた声に、コハクは「分かってるよ!」と言わんばかりに道中で購入した木の板でガリガリし始めた。相変わらず賢い。この部屋の調度品に傷をつけたら大変だもの。
コハクは大丈夫そうね。残る問題は……ベッドが一つしかないということ。
「どうする? 二人で寝ても余裕のサイズだけど、一緒に寝るのはまずいわよね」
「…………」
ヴィルがさっとベッドから目を逸らす。
エクリーフ様は私たちが恋人同士だってご存じだから、気を利かせてこの部屋を宛がってくれたのだと思うけれど、重要なお仕事中にいちゃつくわけにはいかない。
何があるか分からないもの。今回は徹底して主従関係を貫かなきゃね。
「使用人の部屋が空いているようならそちらに行く?」
「……いや、俺はソファーで寝る。離れているのは心配だ」
「そうね。また夜に殺人犯がやってこないとも限らないし、ヴィルが目の届くところにいてくれたら私も安心だわ」
「なんなら、寝ずに見張るが?」
私は首を横に振る。
「必要になったらお願いするけれど、まだいいわ。私もこの館全体に結界を張るから。ヴィルもちゃんと寝てね」
ベッドに腰かけ、旅の疲れを拭うように背伸びをする。
「ふふ、初めて同じ部屋で眠ったときのことを思い出すわね。なんなら、またお香を焚きましょうか?」
「いい」
ヴィルはバツが悪そうに首を横に振った。
王都からククルージュに帰るとき、ヴィルはずっと私のことを警戒していてぐったりしていたわね。ああ、懐かしい。
懐かしいと言えば……。
「メリサの殺され方を聞いて、ゼオリのことを思い出したわ。さっそくお父様の尻拭いをすることになりそうね」
「ああ」
お腹の中に木の根が入っていたという死に方……。
忘れないわ、あの痛み。ゼオリに木の蛇でお腹を食い荒らされたときのこと。
これが偶然ではないのなら、メリサを殺した者が私に向けたメッセージということになる。
ゼオリの死は疑いようがないし、ラズは気を失っていた。バンハイドの大楠には他に誰もいなかったはず。
だけど。私が気づいていないだけだったみたい。
ネフラ曰く、あの場にはもう一人魔女がいたそうよ。
「セレスタ……幻影の魔術の使い手。殺し損ねるなんて、お父様ったら詰めが甘い」
ネフラが屋敷にやってきたとき、教えてくれたの。
ミストリア王を殺した後、アンバートは組織の魔女を城の中庭で一掃した。ネフラはその事後処理をしていて、魔女の遺体の数が聞いていたよりも一体少ないことに気づいた。
魔女が自分で葬送の術を使ったのかもしれないし、アンバートが別の場所で殺したのかもしれない。
だけどもしかしたら、あの場で死ななかった魔女がいたのではないか?
ネフラは組織の魔女の顔を知らないから確信はない。
だけど、アンバートから逃げ出せそうな魔女は、セレスタという幻影魔術のエキスパートくらい。彼女なら死んだふりも、人目を盗んで逃げることもできそうね。ゼオリと同じくらい強いみたいだし。
「王領地に忍び込めるほどの魔女か。厄介だな」
「まぁ、そういう魔女がいると分かっていれば、対策はできるわ。でも、セレスタは何がしたいのかしらね。自分の存在を示唆して、私を挑発するなんて」
セレスタが敵であることは間違いなさそうだけど、その目的が分からない。
メリサが死ぬことで私はロゼの師としてこの館に滞在することになった。それを狙ったのかしらね?
「もし戦うことになっても、一人で行くなよ」
ヴィルが心配そうな顔をしている。私は思わず抱きつこうとしたけれど自制して、彼の武骨な手を取った。
私を守ってくる従者の手。
「ありがとう、ヴィル。頼りにしているわ」
ヴィルは私の手をぎゅっと握り返してくれた。
もちろんヴィルを悲しませるようなことはしないわ。セレスタが現れたら、二人で確実に息の根を止めましょう。
もしもセレスタが生きているのなら、絶対に始末しなきゃと思っていたの。ゼオリとの対決の場にいたということは、私の体の秘密を知られている。それどころかアンバートの生い立ちも把握されてるかもしれない。
都合が悪いわ。消えてもらわないと。
私は柔らかく微笑む。懸念事項をまとめて処理できるなんて嬉しいわ。
気づけば、コハクが部屋の隅の方で小さくなっていた。