1 隣国の危機
ルジアーロ王国はミストリア王国の西隣に位置している。
大陸の中でも古い歴史を持つ大国。気候は一年を通して穏やかで住みやすい。色とりどりの花と柔らかい日差しに包まれた王都・ルインアリンは地上の楽園と称されるほど。
その楽園に、私とヴィルは招かれていた。
白を基調とした建物に、いたるところに植えられた花々が映え、一歩足を踏み入れるだけで朗らかな気分になる街並みだった。
霧が深く重厚な印象のミストリアの王都とは違い、軽快な明るさがあるわ。深く息を吸い込めば花の甘い香りで胸がいっぱいになる。
通りを歩く人々の表情は、楽園の名にふさわしい穏やかさに満ちていた。
王都の北側にそびえるのは、淡く輝く白いお城――ルジアーロの王族の居城ね。
私たちが乗った竜車は城門をくぐるとそのままお城を通り越して、背後に広がる森に入った。そして、ぽつんと建つ小さな館の前で停まる。
「遠路はるばる、ようこそおいでくださいました。心より歓迎いたします」
出迎えてくれたのはルジアーロの第三王子エクリーフ・ゾラ・ルジアルディン様。
サニーグ兄様の友人で、アスピネル家のパーティーで知り合った方よ。相変わらず知的な紳士ね。
「お招きいただき、ありがとうございます。エクリーフ様」
私は貴族の作法に従って礼をすると、背後に控えたヴィルも従者らしく目礼した。
メイドさんに預けた籠の中で、コハクが大人しく私たちの様子を伺っている。長旅で疲れているはずなのにお利口さんね。
エクリーフ様が少し疲れたように笑った。
「盟友ミストリアの紅き魔女よ、魔女殺しの騎士の子よ、どうか我が王国をもお救い下さい」
芝居の一節のようなセリフに、私とヴィルは顔を見合わせ、何とも言えない表情をした。
私たちがルジアーロ王国を訪問するに至るきっかけ。
結論から言うと、アンバートお父様が本に遺した予言を回避するためよ。
『ルジアーロ王国の第二王女ロゼリント。彼女の十二歳の誕生日の前後、王都ルインアリン全域にて、数万人単位の死者が出る。
死因は不明。城の廊下や町の道端で、人々が真っ青な顔で絶命していく予知映像を確認……的中確率は一割以下。
呪術、あるいは魔術的な人災の可能性が高いと思われる』
こんな走り書きがあったの。とても無視できないでしょう?
とりあえず兄様に報告したわ。ルジアーロ王国とアズライト領は隣り合っているし、お友達のエクリーフ様の祖国だもの。公的にも私的にも見過ごせないはず。
現在ミストリアの国王を代行している兄様は、エクリーフ様に内密に予知のことを伝えた。国王呪殺事件の全貌はともかく、エメルダ嬢という予知能力者の存在は知られていたから説明は簡単だったみたい。
だけど、この情報は不確定な予知。しかも的中確率は一割にも満たない。
エメルダ嬢はもう予知能力を失ってしまったから、今後新しい情報が手に入ることもない。
兄様はどう伝えるべきかどうか慎重に検討されていたわ。
隣国に信憑性の低い情報をもたらして、国政を揺るがすような事態になったら国際問題になってしまう。
悩みに悩んだ末、国王としてではなく、友人からの忠告としてエクリーフ様に伝えたの。
話を聞き、エクリーフ様もどのように対処すべきか苦慮されたそうよ。
兄様のことは信頼していても、他国の王からの情報だ。簡単に鵜呑みにするわけにもいかないし、無視もできない。
結局、この情報はルジアーロの国王陛下にもきちんと伝えらえた。
一割の確率で数万人の命が失われるなんて、よく考えるまでもなく恐ろしいことだものね。犠牲になるのは民だけではなく、城に住む王族全員が命を落とす可能性だってある。
とはいえ、ルジアーロの国王陛下は困り果てた。
王都で暮らす全員が避難すれば確実に予知を回避することができるでしょうけど、王都には十万人近い人間が出入りしている。空っぽにすることは難しいわ。
第二王女の誕生日の前後、なんて言われてもどれくらいの期間かも分からない。王都の流通が止まれば、経済的な損失だって計り知れないでしょう。
それに、ルジアーロの王族にとって、十二歳の誕生日は特別なものらしいわ。盛大なパーティーを開いて自身をお披露目する……つまり、華々しく社交界デビューをする日なのですって。
これが無事に終わらなければ、今後の扱いが違うこともあるそうよ。
命には代えられないが、不確実な情報で可愛い娘に恥をかかせるわけにはいかない。国王は思い悩んだ。
予知のことを知れば、民は混乱する。暴動だって起こりうる。他国に付け入られるかもしれない。よって公表はできない。
数か月の葛藤の末、国王陛下は結論を出した。
これはもう、事が起こる前に原因を見つけて食い止めるしかない!
……というわけで、私とヴィルが原因究明のためにルジアーロ王国に派遣されることになったの。魔女や魔術に関することなら、魔女に任せるのが一番ということね。
先方からの要請という形にはなっているけれど、兄様に打ち明けた時点でこうなることは覚悟していた。たとえ要請されなくても、なんとか現地で調査できるように兄様に取り計らってもらえるように頼み込んだでしょうね。
情報だけ投げて知らんぷりなんて、いくらなんでも無責任すぎるわ。
……あまり大きな声では言えないけれど、数万人の命を助けることで、薔薇の宝珠を使う罪悪感を薄めたいの。
まぁ、何も起きないならそれに越したことはないけれど。
正式に派遣が決まり、ククルージュに伝令としてやってきたネフラから、兄様の言葉を聞いた。
『ソニア、決して無理はしないように。ルジアーロの筆頭術士に逐一指示を仰ぎ、私にもこまめに連絡を』
『ヴィルくん、ソニアの身の安全を第一に考えて行動してほしい。ただし、剣を抜く場は可能な限り弁えるように』
やっぱり快く送り出してはくれないわよね。サニーグ兄様の苦々しい表情が目に浮かぶような言伝だわ。
いつも魔女がらみのことで苦労をかけて、申し訳なくなる。無事に事態が収束した暁には、お土産をたくさん持って会いに行きましょう。
「王女様の誕生パーティーには、僕が名代で参加することになりそうです……その際はよろしくお願いします……」
ネフラが覇気のない声で言った。瞳はこれでもかってほど輝いているけれどね。
正直ありがたい話だった。アンバートの弟子というだけで戦力的には十分。知識もあてになるわ。事情を全て知っていて気が楽だし。
「ソニア様……そろそろ体調に異変があるかもしれません。どうかご自愛ください……」
「ええ、分かっているわ」
薔薇の霊水の効力が切れて、普通の体に戻り始めている。まだ体調不良を感じていないから、宝珠を使ってないけどね。
また長くククルージュを離れることをばば様たちに告げ、コーラルとファントムに留守番を頼んだ。
「いってらっしゃーい。みんなのお世話は任せてー」
「うぅ、ソニア様、ヴィル……気をつけて……っ」
二人にユニカとコハクのお世話、屋敷の管理をお願いしたのだけど、ルジアーロ王国からの迎えの竜車に乗り、最初の休憩地点に辿り着いたところで里の黒フクロウが追いついてきた。コーラルからの文を持って。
『どうしよう、コハクちゃんの姿が見えなーい!』
まさかと思って荷物を漁ったら、コハクが素知らぬ顔で紛れ込んでいた。全然気がつかなかったわ。
送り帰そうと思ったのだけど、コハクは必死にヴィルにしがみついて離れようとしなかった。「僕も行く」「置いていかないで」「お留守番は寂しい」と心の声が聞こえてくるような気がして、あえなく強制送還は断念した。……私もヴィルもこの子に弱いのよね。
ルジアーロの使者さんも、連れて行って構わないと言って下さったわ。
黒フクロウに「コハク発見。このまま連れて行く」と文を結んで里に帰し、途中の町で猫用の旅支度を整えた。基本的に賢い子だから手はかからないし、子猫の今が一番可愛い時期と言っても過言ではないので、一緒にいられるのは嬉しい。
でも……ごめんね、ユニカ。あなただけお留守番になってしまって。
耳の奥に「ひひーん」と嘆きの嘶きが聞こえたような気がした。ユニカにもお土産をたくさん買うことを決意する。
こうしてちょっとしたハプニングに見舞われながら、私たちは無事にルジアーロ王国の王都ルインアリンに辿り着いた。
第二王女の誕生日まで、あとひと月。
王城の背後には豊かな森が広がっていた。立ち入り禁止の王領地で、たまに王族の方々が狩りをすることもあるんですって。
そんな森の最奥にぽつんと佇む館は、生まれつき虚弱な第二王女ロゼリントのために建てられたらしい。
可愛らしいデザインだけど、なぜかしら。重苦しい気配が漂っているように感じられた。周囲に魔術結界を張っているのも気になる。
応接室に通され、私とエクリーフ様が向かい合ってソファーに腰かける。王女様の姿はなく、後ほど挨拶をとのことだった。
今のヴィルは従者扱いだから、私の後ろに控えてくれているわ。さすがにコハクは別室にいてもらおうと思ったのだけど、つぶらな瞳でじっと見つめられたエクリーフ様が快く同席を許してくれた。
エクリーフ様はコハクを籠に入れたまま膝に乗せて、ふわふわな体を撫でたりくすぐったりした。
相当お疲れなのかしら。子猫の愛らしさに癒されて、昇天しそうな顔をしている。
……他国の王子様をも虜にするなんて、うちの子の可愛さ、異常じゃないかしら?
さて、親バカな考えは頭の隅に片付けなきゃね。
改めて挨拶を済ませ、お茶をいただいて一息つくと、さっそく本題に入った。
予知のことを聞いてから、ルジアーロの術士たちが大量死の原因を探っている。その成果を教えて下さるそうよ。
「数か月の調査の結果、大量死の原因ではないかと思うものを見つけました」
しかしエクリーフ様の表情は暗い。とても厄介な話を聞かされる予感。
「王都の地下にある遺跡のせいではないか、と。どうやら遺跡の中に凄まじい魔力の塊があるようなのです」
「遺跡……それは、どのような?」
「それが、よく分からないのです。城の地下に入り口があるのですが、扉はこの三百年の間、一度も開かれておりません。古い文献に『天使の座する庭』との記述がありましたが、どのような場所なのか記されておらず……」
それは、確かに怪しいけれど、今回の件に本当に関係あるのかしら?
私の疑問混じりの視線を受けて、エクリーフ様は頷く。
「しかし、扉を開ける方法は分かっています。王族に代々伝わる言い伝えがありまして、それが今回の件と関連しているようなのです」
エクリーフ様は歌うように述べた。
【天使へ至る扉は、初代王メルジンの血潮を色濃く受け継ぎ、比類なき魔力を宿す子の手によって開かれるだろう。甘き血を捧げよ。さすれば、永久の栄光を与えられん。天使の眠りは浅い】
私とヴィルはリアクションに困って固まった。
……なんか、危ない匂いがするわね。前世女なら“ちゅうに病おつ”と一言添えるでしょう。
咳払いをして、私は首を傾げた。
「後半部分はよく分かりませんが、前半部分は理解できました。ルジアーロの王族で強い魔力を宿す方がいれば、扉を開けられると」
「はい。三百年前の王族に、有名な姫君がおりました。おそらく彼女の手によって扉が開かれたのでしょう……彼女は魔女だったそうです」
「まぁ」
魔女は非常に生まれにくい。母親が魔女ならば、娘が魔女に生まれる可能性もあるけれど、大抵は核か創脳のどちらかのみ受け継ぐ。コーラルの娘のフレーナも核は持っているけれど、創脳はない。
親子二代で魔女という稀有なケースは、実は私も自分以外に知らないのよ。まぁ、私の場合は父親が世界でただ一人の魔人だから、稀有どころの話ではないけれど。
それはさておき、大昔、山奥に引きこもっていた時代の魔女が王族と結ばれる可能性は低いし、ルジアーロの血筋に魔女が多いという話は聞かない。
その三百年前のお姫様は奇跡的な確率で生まれたと言っていいわ。
……と思ったのだけど、奇跡は結構ありふれているらしい。
「お兄様、遅くなって申し訳ありません」
か細い声とともに応接室の扉が開いた。
眩しいほどの美しい銀髪に、青白い肌。そして、神秘的な色合いの藍の瞳。白いワンピースから覗く手足は細く、そよ風一つで飛んでいってしまいそうな頼りなさだった。
「紹介いたします。私の妹……第二王女ロゼリント・イル・ルジアルディン。三百年ぶりに王家の血筋に生まれた魔女です」
幼くも儚げな美貌を携えた少女が、ぎこちない所作でお辞儀をした。
「初めまして、かの紅凛の魔女のご息女ソニア・カーネリアン様。お会いできて光栄です。わたくしはまだ修業を終えていない見習いの身ですの。どうかわたくしのことは、ロゼとお呼びくださいませ」
ロゼリントは小さな唇を歪め、薄幸な笑みを浮かべた。
次回はヴィルも喋ります。