番外編 初めての客人
ヴィル視点です。
最近、俺の生活は非常に充実している。
最高の主人であり最愛の恋人であるソニアと心穏やかに暮らし、ファントムやテオなど里の人間と交流しているだけでも十分に楽しかったのだが、そこにコハクという新たな癒しが加わったのだ。
まん丸でうるうるの瞳といい、感情に合わせて動く尻尾といい、短い手足で一生懸命動く様といい、見ていて飽きない。ふわふわの毛皮をずっと撫でていたい。まさに天使。
ファントムの愛娘への溺愛っぷりに内心ドン引きしていたのだが、今となっては気持ちが分かるようになった。今度の飲み会では良い酒が飲めそうだ。
従者の仕事を終え、特製の猫じゃらしでコハクと遊んでいたときのことだ。ソニアが居間にやってきた。
「相変わらず仲良しね」
その声に嫌味や皮肉の色はなかった。
最初の内、なぜかコハクがソニアを警戒し、なかなか懐かなかったのだが、今はそうではないらしい。
本当に良かった。ソニアが嫉妬してくれないかと期待する気持ちがある反面、やはりソニアとコハクにも仲良くしてほしい。
ソニアがソファに座ったので俺もコハクを連れて隣に腰かける。彼女の手には一通の手紙があった。
「ヴィル、今度お客さんが来ることになったの。準備、手伝ってね」
「客? ククルージュにか?」
驚いた。
俺がこの里で暮らし始めてから、一度も来訪者などなかった。魔女の里を訪れたいという者は結構いるのだが、ソニアたちはあれこれと理由をつけて追い返していたのだ。
敵が紛れ込んでくるかもしれないし、無関係の者がいるときにレシピ狙いの魔女が襲撃をかけてくると危ないからだ。
「そうよ。危険な魔女組織もなくなったし、王国とももう敵対していない。今のところミストリア国内に魔術関係で不穏な動きはないもの。里に新しい空気を入れるにはいい機会だわ」
ソニアが悪戯っぽく笑う。いつの間にかコハクが俺の手を離れ、手紙に鼻を近づけて首を傾げていた。
「と言っても、見習い魔女たちがいるから、いきなり一般人を招くわけにはいかないわ。とりあえず、手近な人間で試してみようと思うの。本人がものすごく来たがっているし」
「もしかして、サニーグ殿か?」
思いついた人物を口にしてみたが、ソニアは首を横に振った。ほんの少しだけ困ったような顔で。
「お招きありがとうございます、ソニア様……ますます美しさに磨きがかかって眩しいです……」
銀縁眼鏡の青年が恭しく礼を取った。表情はにこやかなのに、なぜこうも陰気な空気が漂うのだろう。
「ふふ、ありがとう。長旅お疲れ様、ネフラ。何もないところだけれど、ゆっくりしていって。とりあえず私の屋敷に行きましょう」
里の入口から屋敷に着くまで、ネフラ・コンラットは興味深げに周囲を見渡していた。
俺はじっとその様子を観察する。敵意や悪意は感じない。しかし、相変わらず何を考えているか分からない男だ。正直、あまりソニアに近づけたくない。
……断じて、ネフラがソニアに気がありそうな素振りをしているからではない。
ふと視線をやると、魔女殺しをしっかり帯剣している俺を見て、ソニアが小さく笑っていた。
「樹海の奥にこのような場所があるとは、神秘的ですね……。光が柔らかくて温かい雰囲気です。お師匠様に聞いていた話と随分違います……」
「そう? 変わったのはわりと最近だと思うわ」
屋敷に到着し、ネフラを居間に通した。
すると、コハクがそわそわしながら出迎えてくれた。客が来るということで、普段は放置している場所を掃除したり、家具の配置を変えたりしていた。そのせいか、コハクには落ち着かない日々を過ごさせてしまった。
「にゃ、にゃーん!」
初めての客人に人見知りするかと思いきや、コハクは飛びつくようにネフラの足元にすり寄った。
「おや……可愛らしい猫さんですね……お二人のペットですか?」
「そうよ。コハクちゃんという名前よ」
ネフラが頭を撫でると、コハクはゴロゴロと喉を鳴らし、尻尾をふさりふさりと揺らす。めちゃくちゃ喜んでいるときの反応だ。
「……驚いたわ。あなた、動物に好かれやすいの?」
「いえ、このようなことは初めてです……こうも歓迎していただけると、嬉しいですね……連れて帰ってしまいたいです」
「な!?」
その瞬間、コハクがさっと身を引き、慌てて俺の後ろに隠れた。
ああ、コハク。なんて賢くて良い子なんだ。俺は安堵するとともに、緩みそうになる頬を引き締めた。
「残念です……フラれてしまいました」
ネフラは苦笑していた。
「まぁ、座って。お茶を淹れるわ。味の好き嫌いはあるかしら?」
「お心づかい感謝いたします。苦手なものはありません。そうだ、こちらを預かってまいりました……」
やけに大荷物だなと思っていたが、ネフラは一抱えほどある箱を見せ、俺に手渡した。
「エアーム商会の最新の茶器だそうです。以前、チャロットくんと約束したそうですね? 『今度オレからも何か贈る』と」
「そう言えば、そんなこともあったような気がするけれど……律儀ね」
あれはいつのことだったか。
そうだ、ソニアとククルージュに向かう途中、チャロットたちが先回りして待っていたことがあった。そのときにそのような約束をしていた気がする。
てっきり社交辞令だと思っていたのだが……本当に律儀だな。
「先の一件での謝罪の意味もあるかと思います。どうか、受け取っていただけませんか。アスピネル家にも色違いのものを贈られたとのことですよ……」
確かチャロットは今、コンラット家に引き取られたエメルダの様子をよく見に行っているのだったか。その縁でネフラとチャロットには交流があるらしい。
「そう。じゃあ、ありがたく使わせていただくわ。チャロットにお礼状を書いたら、渡して下さる?」
「喜んで。あと、これは僕から……ささやかではありますが、王都で人気のブランドのものです。お口合うといいのですが」
「気を遣わせてしまったわね。ありがとう。じゃあお茶の準備をしてくるから、少し待っていて」
俺とソニアは貰い物を手にキッチンへ向かった。コハクも付いてきた。
ティーセットはエアーム商会の新商品というだけあって洗練された一品だった。鮮やかな色合いだが、華美になりすぎず、男女問わず好まれそうだ。
少なくともソニアは気に入ったようで、様々な角度から眺めていた。
「うん。魔術が施された形跡はないわね。毒も塗られてない。せっかくだし、使わせていただきましょう」
「あ、ああ……俺が洗おう」
今更ながら、ソニアの歩んできた人生を思い、俺は密かに胸を痛めた。贈り物に魔術や毒を仕込まれてないか気にするなど、普通の少女の感覚ではない。
「ネフラのお土産は……あら、美味しそう。クルミ入りのクッキーね」
コハクの尻尾がぴん、と反応した。にゃごにゃごと、ソニアを見上げて何かを訴える。
「ダメよ、コハクちゃんは」
「うにゃーん……」
しゅんと項垂れるコハクを見て、俺とソニアはひどい罪悪感に襲われた。
「今度、猫にクッキーを食べさせてもいいか調べましょう。大丈夫なら、私が同じものを作ってあげるわ。それでいい?」
「にゃ!」
とりあえずソニアが一つ毒見をした。「好きな味」とのことだ。
……俺もクッキーの作り方を勉強しよう。
こちらも問題なさそうなので、あらかじめ用意しておいた焼き菓子とともに盛り付けて、ネフラの元に戻った。
お茶をして軽く近況について話し合った後、ネフラが本題を切り出した。
ネフラがククルージュにやってきたのは、ただの物見遊山ではない。現国王サニーグ陛下から命を受けてのことだった。
「王都とアズライト領を空間魔術によって結びたいと考えています。こちらがこれまでの実験結果です……」
ソニアがレポートをぱらぱらと眺め、頷いた。
「短距離での物体移動にはすでに成功しているのね。すごいわ」
「はい。いずれは人間の転移を可能にしたいところですが、まだ危険がないわけではないので、まずは物で試していくことになりまして……」
この空間魔術による転移が可能になれば、世界は大きく変わる。ゆえにまだ秘密裏に実験している段階だという。
壮大な話に、俺は途中からついていけなくなってしまった。
とりあえず、サニーグ陛下は王都とアズライト領を空間魔術で繋ぎ、いざというときの避難路として使いたいとのことだ。
「陛下は、ソニア様のいるククルージュの付近に転移陣を設置したいとお考えです。王国と魔女の新たな友好と信頼の証にもなりましょう」
「まぁ、魔術円を管理する者は必要よね。それに、この樹海は魔力が潤沢だし、普通の人間は立ち入らないし、実験場にはうってつけというわけね」
王家の許可がなければ起動しないよう、何重もの防御策が施されているらしいので、不届き者に悪用される恐れもないとのことだ。
「そうね……少し検討させて下さる? 私一人で決めていい問題ではないし、術式を詳しく見てみたいのよ」
「もちろんです。ぜひまた感想をお聞かせください」
話がまとまったところで、ソニアが俺に微笑む。
「ヴィル。ネフラに屋敷と周りを案内してあげて」
「承知した」
ソニアを残し、俺とネフラは部屋を出た。
男同士、とはいえ、気安い仲ではないので、自然と言葉数は少なくなってしまった。俺は気まずさを感じたのだが、ネフラの方は飄々としている。
本当はこの男に尋ねたいことがたくさんある。
シトリン、いや、アンバートのことだ。俺の知らない本当の彼をネフラはよく知っているだろう。師弟という間柄なのだから。
しかし彼について、ソニアがいない場所で話すのは躊躇われた。避けては通れない話題なのだから、夕食のときにでも改めて尋ねてみよう。
「ああ、井戸がありますね。少しお願いがあるのですが……」
屋敷の中を案内し終え、裏口から外に出たとき、ネフラがにこにこと俺に言った。桶に水を入れて貸してほしい、と。
「構わないが、何をするんだ?」
「僕なりに改良したものをお持ちしたので、一緒に確かめていただこうかと」
首を傾げつつも、言われた通り水を用意した。ネフラは懐から取り出した水晶を水に入れ、水面を見つめた。
しばらくして、俺はとんでもないものを見た。
桶の水面に、居間の様子が映し出されたのだ。ソニアがソファに腰かけて、レポートを熱心に読み込んでいる。
「な、なんだこれは……!」
「遠隔覗き水晶と言いまして、お師匠様の発明品の一つです。本当は魔力を持つ者が身に付けないと使えないのですが、魔力結晶と組み合わせることで設置するだけで発動するようにしました……上手くいったようですね」
単純にすごい、と俺は感嘆した。こんな魔道具は初めて見た。使い方によっては便利だろう。
しかしすぐに問題点に気づいた。
「お前っ……何を勝手に!」
俺の最愛の人が現在進行形で覗きの被害に遭っている。猛烈に腹が立った。
どうやら俺とソニアがキッチンに立った隙に設置したらしい。やられた。
「無礼は承知の上です。ですが、下心はありませんよ。その証拠に一人で見るようなことはせず、あなたもお誘いしたじゃないですか……」
「そういう問題ではない!」
プライバシーの侵害だ!
急ぎ居間に向かい、いかがわしい魔道具を粉々にしてやる。その後ネフラを締める。徹底的に。ファントムも呼んで血祭りに……。
「あ、見てください……ソニア様のところに猫さんが……」
ネフラの一言につい俺は足を止め、桶の中を見てしまった。
コハクがソファに登って、ソニアの手元を覗き込んでいた。なんだかんだで、ソニアとコハクが仲良くしている場面を見たことのなかったため、釘付けになってしまった。
『にゃん』
『コハクちゃん、ごめんね。今はちょっと……ふふ、くすぐったいわ。仕方ないわね。少し遊びましょうか』
ソニアはレポートを置いて、猫じゃらしを取り出した。
「美少女と小動物が戯れる姿は……素晴らしいですね……」
心の中で激しく同意する俺。
しかし、同時に凄まじい疎外感に襲われた。
『にゃ! にゃにゃっ! にゃーん!』
『ふふ……ああ、可愛い』
ソニアの年相応の柔らかい笑顔……最高に可愛い。しかし、おかしいな。俺といるときはめったに見せない表情に思える。
コハクはコハクで、俺と遊ぶときよりノリノリじゃないか?
猫じゃらしに翻弄され、ぱたりと倒れたりして、すごく愛らしい。ソニアも大変喜んでいる。
いつの間にこんなに仲良くなったんだ。
というか俺、どうしてこの場にいないんだ……?
水面の映像が唐突に途切れた。
「魔力切れですね……やはり魔力結晶ではすぐに効果が切れてしまいます……もう少し改良の余地が――」
ネフラの考察などどうでもよく、俺は足早に居間に戻った。
絶賛戯れ中だったソニアとコハクが、俺を見て首を傾げる。
「どうしたの? ヴィル」
「にゃ?」
「ソニア……コハク……俺は……!」
俺がぽつりぽつりと事情を話すと、ソニアは迷わず背中を撫でてくれた。
「今度三人で……ユニカと一緒にお出かけして遊びましょうね?」
「ああ。悪い。自分でも、こんなにダメージを食らうとは思わなかった……」
情けない。いい歳して、仲間外れにされた気分になって落ち込むとは。
しかしソニアに呆れられなくて良かった。これ以上ないというくらいご満悦な表情をしているのは引っかかるが……。
一方コハクは、話を聞くや否や部屋を飛び出し、ネフラに見事なひっかき傷をつけて帰ってきた。我が家の天使の意外な凶暴性を見た。
その後、ネフラが客人としてもてなされることはなかった。
ネタ切れと諸々の作業と新連載のため、更新頻度を減らします。
申し訳ありません。
一か月に一度は更新するように頑張りますので、今後とも「らすぼす魔女」をよろしくお願いします。