書籍発売記念SS 婚礼前夜
本編1話の前日譚です。
1月12日に第1巻発売です。
よろしくお願いします。
明日の早朝に到着する旨を記し、窓から連絡用の鳥を飛ばす。
花嫁と連絡が取れない、と城の人たちを不安にさせたら申し訳ないものね。本当なら数日前に到着すべきところを、ぎりぎりの時間まで猶予をもらっている。
きっと城にはたくさんの人が集まっている。全く気が抜けなさそうで滞在する気になれなかった。
今となっては王子たちと接触することも危ない。国王の神経を逆撫でする恐れがある。
というわけで、私は王都に隣接する町の宿にいた。魔術薬で髪の色を変え、目立たない服装をして。
明日は、私とレイン王子の婚礼の日。
お祝いムード一色の町に出る気になれず、こうして宿屋に引きこもっている。
「……はぁ」
いろいろと神経を尖らせ、遠回りを重ねてきたせいか疲れてしまった。
明日のことを考えると気が重い。
せめてサニーグ兄様が参列してくれていたら、少しだけ気が楽だったかもしれない。
珍しく領内がごたついていて、兄様はアズライトを離れられなくなり、急遽名代を立てることになった。
アスピネル家に最後の挨拶に行ったときのことを思い出す。
『悪いが、むしろ良かったのかもしれん。ソニアの花嫁衣装を見たら、泣く自信しかない。式をぶち壊す恐れがある。……許せ! 達者で暮らせよ。気持ちが落ち着いたら必ず祝いに行く』
嘆き悲しむ兄様と、白けたユーディアの表情が印象的だったわ。
……やっぱり兄様は来ない方が良かったかもね。
もしも“あにめ”通りの展開になるなら、大勢の賓客の前でレイン王子に糾弾され、婚礼の儀は無茶苦茶になる。
兄様は微妙な立場にいるから、巻き込まれたら苦労しそう。アズライトにいてもらった方が安心できるわ。
明日は間違いなく私の人生の分岐点となるでしょう。
王子からの追及を躱せるかどうか。
それはそれで面倒だけど、“あにめ”通りでなかった場合のことも想定しなければいけない。
例えば、怪事件の黒幕として証拠が挙がらず、盟約通りレイン王子と結婚することになったりしたら。
憂鬱ね。
好きでもない男、しかも私にまるで興味を持っていない男と結婚して、王太子妃になるなんて……。
気を許せる者は周りにおらず、好き勝手に振る舞うことも許されない。その上、国王や怪事件を起こしている魔女たちの動向にも注意しなければならない。
私、いろいろと我慢できるか心配だわ。
でもククルージュの同胞のためを思えば、私から盟約を反故にはできない。魔女の立場を悪くしたくない。
ここはやっぱり、王子に愛される努力をすべきかしら?
王子好みの、“あにめ”のエメルダのような純真で可愛らしい少女を演じてみる?
「……ふふ、似合わない」
滑稽すぎて、乾いた笑いが口から漏れた。ダメね。暗いことばかり考えては。楽しいことを想像しましょう。
明日、ヴィルに会える。
何も知らずに王家に仕える哀れな騎士。報われない想いを胸に忍耐を重ねる彼を、きっと私が救ってみせる。
……いえ、それは実際この目で見てから決めることにしたんだった。私は“あにめ”のヴィルしか知らないもの。無意識に美化していなければいいけれど。
まぁ、でも、私とヴィルが同じ日に死ぬという運命だけは絶対に回避しないとね。お互いのために。
ヴィルへの期待を膨らませる自分を諌めながら、私は再び窓の外を見た。
どこまでも透き通るような夜空に、冷たい光の星が浮かんでいた。
◆
城の中はいつになく浮き足立っていた。
俺はレイン王子に付き従い、彼の私室に戻った。二人きりになると、王子は深いため息を吐く。
「みんな、忙しくしつつもどことなく楽しそうだよね。彼らの期待を裏切ってしまうのは、申し訳ないな」
「王子……」
明日はレイン王子と魔女ソニアの婚礼の儀が執り行われる。
国内外から多くの賓客が招かれており、城の人間は皆、準備や客のもてなしに駆り出されていた。
彼らは誇らしげだった。盟約を果たし、王太子が救国の魔女の娘を正室に迎える。これでミストリアの未来は安泰になると信じているのだ。
城仕えの者達の気持ちを想えば、俺も浮かない気分になる。王子は明日、ソニアを悪しき魔女として糾弾する。盟約は決して果たされない。
「だが、この選択が正しかったのだと必ず証明してみせる」
レイン王子から並々ならぬ決意を感じ、俺は自然と腰の魔女殺しに手を伸ばしていた。
王子のために、王国の民のために、そして、亡き父母のために、必ず悪しき魔女を討つ。
明日、魔女ソニアが怪事件の黒幕だと証明されたそのときは……この剣が魔女の血を吸うことになるだろう。
「失礼いたします。……王子、エメルダは寝つきましたわ。強引にベッドに入れたらすぐに。疲れがたまっていたのでしょうね」
モカが入室して報告すると、王子が頬を緩めた。
「そう……少しでも休めればいいんだけど」
最近のエメルダは眠れない夜が続いているようで、具合が悪そうだった。エメルダは二重の意味で緊張しているのだと思う。
明日、ずっと追いかけてきた怪事件の黒幕であり、レイン王子の婚約者と対決するのだ。
様々なことを考えてしまうに違いない。
「チャロットとシトリンは?」
「エアーム商会の屋敷にいるそうです。王都に魔女たちが潜んでいないか調査すると」
「そう。十分に気を付けるように伝えて」
「かしこまりました」
王子の婚姻を祝福して、王都ではお祭り騒ぎをしている。遠方からやってきた民に紛れ、魔女が何かを企むかもしれない。
騎士団も治安維持を名目に巡回を増やすというが、チャロットが商会の力を使って目を配ってくれるならより安心だろう。
……シトリンはちゃんと休めているだろうか。
最近、ぼんやりと何かを考えることが増えた。しっかりしているが、まだ十二歳の子どもだ。心がついていかないこともあるだろう。
明日の朝、声をかけてみるか。
シトリンはなぜか俺に懐いてくれている。子どもは好きではないし、正直苦手意識しかないが、落ち着いたらどこかに遊びに連れて行ってやろう。喜んでくれればいいのだが。
王子も明日に備えて休むというので、寝室へ続く扉の前で警備についた。王子やモカには休めと言われたが、どうせ横になったところで眠れない。
「明日、か」
魔女の邪悪さと罪深さを暴き、断罪する。怪事件の幕を引くのだ。そして盟約から解き放たれた王子は、エメルダと――。
ふと思う。
もしも王子の婚約者が悪しき魔女などではなく、どこかの姫君やご令嬢であったなら、エメルダはどうなっていただろう。
馬鹿か、俺は。
何がどう変わっても、運命が逆巻いても、俺とエメルダがどうにかなる未来はない。
ならば、これでいい。王子とエメルダが真に結ばれるのならそれが一番の幸せだ。きっと報われた気分になれるだろう。
小さく息を吐いて、気を紛らわせようと窓の外を見た。
城下ではいつにも増して灯りが目につき、夜空の境を曖昧にしていた。