13 復讐の果て
霊山攻略に失敗した後、チャロットにはエメルダを連れてアズライト領に行ってもらった。
ソニアとヴィルと霊山を攻略してから、王都まで連れてきてもらう予定だ。見返りはもちろん妹の病の特効薬だ。
エメルダを連れて行かせたのは、ヴィルの気持ちを確かめるため。
ソニアとエメルダ、どちらを選ぶのか、そしてソニアはどれくらいヴィルに執着しているのか、二人の関係を改めて確認したい。理性を取り払って暴走気味のエメルダのことだから、きっといい働きをしてくれるだろう。
僕が二人を試すなんて本来お門違いだ。でも心配なものは仕方ない。
セレスタからの報告で二人の仲睦ましい様子は聞いていたんだけど、なんだか信じられないんだよね。あのヴィルが、真面目で一途で恋愛からは縁遠いヴィルが、ソニアに骨抜きにされているなんて……。
いや、ソニアは悪い魔女ではなかったわけだし、大抵の男が惹かれる要素を押さえている。ヴィルが惚れてもおかしくない。でもあまりにもエメルダと正反対だから、ヴィルの守備範囲の広さに困惑しているんだよ、僕は。
合うのかなぁ、あの二人。
エメルダに惑わされることなく、ソニアとヴィルがカテドラル霊山に登ることができれば、二人の絆は証明される。王家を助けようとした事実も残る。王が呪いで崩御しても、ククルージュの魔女が糾弾されることはないだろう。
魔女を殺し尽くそうとは、もう考えていなかった。
ただ、後の世に憂いは残したくない。生かす者は生かし、殺す者は殺す。そして僕は復讐の旅を終わらせようと思う。
怪我をしたモカとともに一足先に王都に帰った。王子と国王の容体は変わらず、城には陰鬱とした空気が漂っていた。
モカは王子の看病につくことになった。誰もが呪いを恐れる中、モカは王子の体中の痣を見ても怯まず、いつも通り振る舞う。その献身的な姿にはさすがに罪悪感を覚えた。
「ああ、お師匠様、おかえりなさい。なんだか久しぶりですね……」
「お互いに忙しかったからね」
「いえ、僕はそうでもありませんよ……」
王の容体を安定させようと、城の術士は昼夜問わず駆り出されている。しかしもう手は尽くし、奇跡を待つしかない状況になっているらしい。呪いを恐れて逃げ出す臣下もいるらしく、ネフラも業務を放棄していた。にこにこと一通の手紙を取り出す。
「ソニア様から論文の感想が届いたんです。大絶賛ですよ……それに、いくつかご助言をいただきました。さすがお師匠様のお嬢さんです……」
空間魔術の国家規模での実用に関する論文は、ネフラが長年取り組んできた課題で、僕も度々手を貸してきた。
ソニアからの手紙に目を通す。術式を安定させる補助の魔術円の素案が書かれていた。魔術の上っ面ではなく深淵を理解しているのがよく分かる。魔女は好きな分野の魔術以外は興味を示さないというのに、ソニアはその限りではないようだ。
「ソニア様のご提案を取り入れた術式がこちらです。どうですか、お師匠様……」
「んー? 悪くないけど、この辺りが少しぐちゃぐちゃしていて気持ち悪いな。もっと効率化できるよ」
それから数日、ネフラとああでもないこうでもないと術式を弄った。
他に喋るべきことはたくさんあるのに、お互いに話を切り出すのを避けている感じ。その代わりに魔術談議に花を咲かせる。
ネフラが術式の展開に悩んでいる間、僕はいろいろな薬を調合したり、今まで書き溜めた魔術のアイディアを本に記したり、身の回りの整理をして過ごした。
師匠らしいことはあまりしてあげられなかった。ネフラはいつも僕の心配をして、サポートをして、どれだけ悪事に手を染めても変わらず付いてきてくれたのに。
せめて最後くらいは復讐も懺悔も忘れて、師弟として過ごしたい。僕の持っているあらゆる知識と技術の中で、ネフラの今後に役立つものを教え込む。
これから僕がすることを伝えたら、ネフラは何を思うだろうか。この変わり者の弟子が子どもだった頃からの付き合いだけど、怒ったり泣いたりするところを久しく見ていない。あまり、見たくないな。
ある日、研究室の窓辺にカラスがやってきた。セレスタからの連絡だ。ソニアとヴィルが旅立ったらしい。アズライトの領主の機転により霊山には寄らず、そのまま王都に来るようだ。
「最初から最後まで予定が狂いっぱなしだよ。もう少し時間があると思ったのにな」
そろそろ動き出さなければならない。ネフラとの共同研究はあと少しというところで完成しなかった。でも、それで良かったのかもしれない。
「ネフラ、最後は一人で完成させるんだよ」
この魔術が完成すれば、この世界に革新をもたらすだろう。紛い物の僕ではなく、これからの未来を生きる青年の手で完成させた方がいい。歴史に名を遺すのはネフラだけでいいんだ。
僕はこれからすることをネフラに告げた。ある程度察していたのか、ネフラは静かに聞き入れて、力なく笑った。
「そんなに生き急ぐことないじゃないですか。ソニア様に全てを打ち明ければ、もう少し延命の研究ができるでしょう……?」
「ダメだよ。結果は変わらないんだ。そんな悲しい時間は要らないよ」
「どうしても、ですか?」
「うん。どうしてもだよ。最初から長く生きるつもりはなかった」
ネフラは何かを言いかけ、口を噤んだ。痛みをこらえるような顔に申し訳なさでいっぱいになった。
僕は一冊のノートを取り出す。普段、全知や予知で知り得た情報を本に記録している。特殊な暗号文字で記した上、特定の魔力を持つ者以外に読めないように魔術で細工を施してある。
このノートはその本とは違い、魔術のアイディアを書き殴ったただのメモ書きだ。あまり復讐に使えない研究に時間を割かなかったせいもあるけれど、僕が行き詰った問題も数多く記されている。ネフラの今後の課題にしてもらえれば嬉しい。
「もし重荷じゃなければ……いつか僕を越えてね、ネフラ」
ネフラはノートを恭しい所作で受け取り、目を輝かせた。難問に遭遇して喜ぶなんて知的マゾもいいところだ。
「一体何十年かかることやら……厳しく偉大な師を持てて幸せです。宝物にします」
僕の方こそ、出来の良い弟子がいてくれて良かったよ。
照れくさくて口にできなかったけれど、僕の気持ちを見透かすようにネフラは目を細めた。
それから間もなく組織の魔女たちに命じて城を占領した。王妃や元気な臣下は地下牢におしこめておく。造作もなかった。
僕は国王の部屋を訪れた。何十日もの間、身を踏み潰されるような痛みに苛まれていた男は、静かに横たわっていた。もうとっくに限界を超え、息も絶え絶えだ。骨に皮が張り付いただけの青白い顔を見ても、少しも同情できなかった。
「本当はもっともっと苦しめてやりたかったけれど、もうおしまい。いいように利用していた息子に呪われて死ぬ気分はどう?」
国王が薄らと目を開ける。僕は見下すように唇を笑みにかたどる。
「この国と玉座は僕がもらうね。美しい国土は跡形もなく荒れ果て、ミストリアは大陸中の国々から忌み嫌われる存在となるだろう。今までの悪行が白日の下に晒されれば、国民は誰一人とて、お前の死を悼むことはない。シュネロ・ミストリアは名君ではなく、無様で無能な王として歴史に名を遺すんだ」
僕は嘘を吐いた。今更ミストリアをどうこうしようなんて考えてない。二十年前の王都襲撃の真実を表沙汰する気もない。
ただ、この男が一番嫌がることを言っただけ。一切の情けをかけず、死の間際まで苦しむようにもう一度呪いをかけたようなものだ。
国王は濁った目を見開いて涙を流し、何かを訴えるように口をぱくぱくと動かした。もはや声を出す力もないらしい。死にたくない、と唇から言葉を読み取れた。
「今すぐクロスを生き返らせてくれたら、許してあげてもいいよ」
王は凍りついたように動かない。
僕は部屋を後にした。
やがてチャロットが青い顔で城にやって来た。
霊山に寄ってもらえなかったのは残念だけど、ソニアとヴィルを丸め込んで王都に連れてくるだけでも大変な作業だ。その上エメルダを攫って逃げてくるなんて命懸けだったと思う。
そんな相手に報酬を渋るほど僕は鬼じゃない。大体、チャロットには恨みはなく、むしろ巻き込んで申し訳ないと思っているくらいだ。
興味深い、というか、複雑な気分になる話も聞いた。
ソニアとヴィルが……その、既にかなり深い関係になっているらしい。
大丈夫かな、ヴィル。遊ばれてない?
いまいちソニアを信用しきれない。霊山で試せなかった分、やっぱり僕が直々に二人の絆を確かめるしかなさそうだ。うう、あんまりやりたくないんだけど……。
そんなことを考えながらチャロットに薬を渡して解放した。
国王へのとどめはレイン王子が刺してくれた。正確にはエメルダかな。
彼女の脳機能はもう限界だったので、正気の内に王子に会わせてあげようと思ったんだけど……それがこの結果に繋がった。
モカに凶悪な一撃を食らわされたエメルダだけど、しぶとく息があった。幸か不幸か創脳が機能しなくなっており、もう予知も全知も使えないだろう。僕はエメルダの治療をしてから一連の記憶を消して、ネフラに託した。
一周目のエメルダは純朴な少女だった。
だけど二周目のエメルダは悪い未来を回避するために運命を歪めるのではなく、良い未来を再現するために自分を歪めてしまっていた。
これも僕の罪の一つだ。せめて残された時間は何の憂いもなく、真っ白な未来を生きてほしい。
王子とモカは二人とも恐慌状態に陥って、手が付けられなくなった。仕方ないので眠らせた。正直どうすればいいのか分からない。
今となってはレイン王子に死んでほしいとは思わない。モカお嬢さんは言わずもがなだ。
二人が目覚めて全てが終わっていたとき、手を汚したことを恥じ、死を望むだろうか。
でも、何の根拠もないけど、二人一緒ならば大丈夫な気がした。
人生のどん底に堕ちても隣に自分を思ってくれる人がいれば……。
こればかりはどうしようもない。
最後の始末として、組織の魔女たちを全員中庭に集めた。
国王が死に、ミストリア王国は魔女のもの。みんなうきうきしている。
僕はまた嘘を吐く。
「まだ敵は多いけれど、何の心配も要らない。僕らは人の枠を越えた存在になれる。これからもよろしくね」
「おお! ついに、ついに薔薇の宝珠をいただけるのですね!」
僕は穏やかに微笑み、魔女たちにご褒美を配った。血を固めたような色の丸薬――甘い甘い不老の毒を。
「噛まずに飲みこめば腹部に定着するようになっている。僕みたいに子どもの姿まで若返りはしないから安心して」
僕が「どうぞ」と手で指し示すと半数の魔女が勢いよく毒薔薇を口にした。僕を盲信して我先に若返ろうとする愚か者たち。
当然、警戒心の強い者は動かなかった。しかし彼女たちは即効性の毒に苦しみ出した魔女たちを見て、目を剥いて襲いかかってきた。
この数をまともに相手にするのは面倒だ。詠唱する時間を与えてもらえない。だから一応対策は立てた。
「ぐっ……なぜ!」
毒を飲んでいない魔女たちの動きは鈍かった。事前に無味無臭で空気よりも重い毒素を中庭に撒いておいたからね。もちろん、薔薇の宝珠を持つ僕に害はない。
「ごめんね。でも、一度悪に染まった魔女はこれからの世界に必要ない。……すぐに僕も行くから、待っていて」
僕は無慈悲に魔術を紡いで魔女たちを殲滅した。
風の魔術で毒素を散らす。中庭には凄惨な光景が広がっていた。普通の人間なら吐いたり気を失ったりするんだろう。
でもさ、もう慣れた。
長い旅の中で、何度も何度も血腥い場面を見た。もしかしたら、そういう宿命なのかもしれない。
人ならざる者がまともな人生を歩めるはずがない。思えば、予定が狂いまくったのも僕がこの世界に疎まれているからかもしれない。
「お師匠様、ソニア様たちが王都に到着したようです……」
「そっか。ありがとう。じゃあ、二人を謁見の間に案内してくれる? 頼むよ」
ネフラは感慨深そうに頷く。
「ようやくソニア様に対面されるのですね。親子として……」
「そうだね。シトリンとして一度会っているけど……でも、父親ぶるつもりはない。お前が想像するような感動の再会にはならないよ」
遺伝上そうだというだけで、世間一般のそれとは程遠い。これからすることだってただの自己満足だ。
淡々と、伝えるべきことを伝えて死のう。そして薔薇の宝珠をソニアに託し、ヴィルと一緒に生きていけるように願う。
それだけだ。
ネフラは深いため息を吐いた。
なんだよ、その心底がっかりしたような顔は。前々から思っていたけど、ネフラはたまに僕のこと馬鹿にしているよね。最後だっていうのに、いや、最後だからこそ一回叱っておくべき?
僕がむぅっと頬を膨らませていると、やがてネフラはにっこりと笑った。
「相変わらず不器用な愛し方ですね。お師匠様らしいです……お師匠様の旅路の果てが穏やかで実り多いものであることを祈っています。では……」
背を向けて颯爽と去っていく弟子。最後の別れだっていうのに潔い。
僕はその場にぽかんと立ち尽くした。
「…………愛?」
なんだそれ。あり得ない。慌てて否定しかけるも、図星を指されたときみたいに顔が急激に熱くなる。
娘を愛しいと思える感情が僕の中にあるとでも?
胸に手を置いて考えてみた。
分からない。だけど、鼓動がやけに早くて落ち着かなかった。
次回で外伝は終わりです。
明日更新予定です。