10 冷たい夜の傍観者
飛竜酔いを言い訳に、チャロットとモカにこの町で一泊するように頼み込むと、夜を待って宿屋を抜け出した。待っていましたとばかりに若い娘が僕を手招きする。セレスタだ。
「ボスの予想通り、王国の使者もこっちに来てる」
「そうか。じゃあバレないように近づこう」
飛竜に乗り込み、僕はソニアとヴィルの元へ向かった。誰にも見つからないよう、セレスタの魔術で姿を隠してもらう。創脳があっても魔力を感じ取れなくらいの高度な隠蔽術だった。こういう細かい魔術は僕には難しい。
「あのソニアって子、すごくヤバい感じがする。全身を巡る魔力が充実してて、隙がない。わたしより強いかも」
セレスタはなぜか機嫌良さそうに笑っていた。ソニアのことを気に入ったのか、強敵に出会うとワクワクが止まらなくなるタイプなのか……どうでもいいや。
組織の幹部の中でもセレスタは少々異質で、美容や恋愛への興味が乏しい。僕に色目を使ってこないところは付き合いやすいけれど、その分行動が読みにくいんだよね。
「勝手に手を出すなよ」
「はぁい、ボス」
森に到着すると、ちょうどソニアとヴィルが国王の使者・セドニールと対面していた。僕たちは茂みに隠れて様子を見守る。セレスタは興味がないらしく、途中からあくびをしていたけど。
僕は最初から最後まで生きた心地がしなかった。どうしてソニアはこの場にヴィルを連れてきたんだ?
このままでは話が進めば必然的にヴィルが……。
「二十年前の襲撃の真実……それは現ミストリア王と魔女アロニアが共謀して、先代王とジェベラを殺したこと。ようするにクーデターだったのです」
僕の心配をよそに、ソニアが二十年前の真実を語っている。薄暗くてヴィルは見えないけれど、小刻みに震えているようだ。
「まずお母様はジェベラに王都を襲撃させるため、アンバートを仲間に引き入れることにしました」
「……っ」
淡々と僕の名前を口にするソニア。その声からは何の感情も読み取れなかった。
……僕のことなんて、今はどうでもいい。
ほどなくして、ヴィルが崩れ落ちた。自分の出生時に起きた事実を知り、絶望したのだ。
僕も胸を抉られているような気分になった。
クロスが生きていることを、王国の騎士をしていることを知っていれば、クーデターになど協力しなかった。
どれだけ後悔したか分からない。アロニアに促されるままジェベラを唆した僕の行動がクロスの死に繋がったのだ。
ごめん。ごめんね、ヴィル。
どうしても真実を話せなかった。きみを絶望させることも、僕自身が傷つくことも怖かったから。
僕は本当に身勝手で罪深い。
そのせいで今、ヴィルが人生最悪の夜を迎えている。
落ち込んでいる間に密談は急展開を迎えた。セドニールがソニアとヴィルを脅迫し、対立するよう仕向けたのだ。
頭上の飛竜の声が鼓膜を揺らす。早く殺し合えと煽っているようだ。
全く、さすがはミストリア王の腹心と言ったところかな。セドニールは実に醜悪で下劣な男だ。この手で捻り潰してやりたくなった。
「ボス、どうするの?」
セレスタが眠たげに問いかけてきた。
客観的に見て、今の状態でソニアとヴィルが戦えば十中八九ソニアが勝つ。ヴィルの心は折れたままだ。普段の半分も力を発揮できないだろう。
奇跡的にヴィルが勝ったとしても、今度は王国の手にかかるだけ。僕が加勢しなければとてもじゃないけれど、ソニアもセドニールたちも退けられない。
今ここでなら僕がソニアとセドニールたちを殺すこともできる。その後にヴィルを保護して僕の正体を明かし、クロスのための復讐を持ちかけるという考えが一瞬頭をよぎった。
……だけど、それは悪手だ。
ここで「シトリン」が陰謀を束ねている者だと知れば、ヴィルは本当にもう何も信じられなくなる。
「……待機だ」
大丈夫。
ヴィルが窮地に陥っているけれど、不思議と落ち着いていられた。
ソニアの瞳にまるで殺意を感じない。この事態を予想していたらしく、余裕綽々といった様子。十六歳の娘とは思えない貫禄だ。
「意気地なし。やっぱりヴィルが真実を知ったところで何もできないわね。私の言った通りだったでしょ?」
「黙れ! お前に俺の気持ちは分からない!」
激昂するヴィルに対し、ソニアは優美に微笑んでいた。それでいい、と言わんばかりに。
やっぱりおかしい。
薄闇の中に凛と立つ美しい少女。姿形は同じなのに、一周目の彼女とは何もかもが違う。
こんなこととても口には出せないけれど、その……初めてソニアにシンパシーを感じた。
それはともかく、あのセドニールという男はソニアを舐めすぎだ。
彼女は本来、魔女の頂点に立つ力を持つこの世界でただ一人の「純血の魔女」なんだよ?
正面切って殺したいのなら、僕並みの術士かヴィル並みの戦士を連れてくるべきだったね。いや、いないだろうけど。
ソニアは正論の刃でヴィルを詰った後、あっという間にセドニールたちを地に堕とした。使者たちに徹底的に恐怖を刻みつけ、エメルダが短命だという事実でヴィルの精神にとどめを刺し、歌うように告げた。
「帰って陛下に伝えて。魔女ソニアはミストリアとの和平条約を破る気はない。それでもなお私や私の大切なモノを脅かすのなら、二十年前の襲撃以上の血の惨劇を国史に刻み付けてやる。賢明なお返事を待っているわ」
ソニアは生気のないヴィルを天幕まで連れ帰り、労わっていた。
ああ、こうやって弱ったヴィルの心につけ込み、意のままに操るつもりだな。頭ではそう思ったが、どうもしっくりこない。
僕の目にはまるでソニアがヴィルを必死に守ろうとしているように見えた。事実、ソニアはヴィルを傷つける素振りを一度も見せていない。
「殺す?」
セレスタの言葉に僕はゆっくりと首を横に振った。
僕の中で最悪の事態は国王とソニアが手を結ぶことだった。しかし交渉の様子を見る限り、ソニアにその気がないようだった。薔薇の宝珠を造るつもりもないらしい。
気ままな田舎暮らしが良いというのが本心かどうかは定かではないが、このソニアなら分かっているはずだ。ヴィルを殺したら国王の思う壺だということを。
ヴィルはソニアの手で守られ、生かされる。少なくとも再び王の使者が返答を持ってくるまでは。
悲しいことに、今の状況でソニアの他にヴィルを任せられる者がいない。
僕の周りには悪しき魔女だらけだし、二十年前の真実を知ってしまっては王都には戻れない。チャロットたちでは王国の手の者と戦うには不十分。今のヴィルを一人にしておいても自死に走るだけ。
ソニアとともにククルージュにいることが精神的にも身体的にも最適解だった。
なんてことだ。
怒りで自然と拳を握りしめていた。この状況を生みだしたソニアではなく、自分自身が許せなかった。
僕のできなかったことを、僕がやるべきだったことを、ソニアが代わりにやった。
知らない方が幸せなんて生温い対応ではなく、嘘偽りない過酷な真実をヴィルに与えること。
厳しいけれど、正しい行いだ。
僕は身に染みて知っていたはずだ。知っていれば防げた悲劇があった。ヴィルもまた、知っていれば間違えないだろう。たとえ間違えたとしても、後で真実を知るよりずっと後悔は少ないはず。
今僕がヴィルにしてあげられることは何もない。
悔しくてたまらないけれど、僕はセレスタに引き続き監視を命じて引き上げた。万が一にソニアがヴィルに危害を加えるようなら守るように、二人の様子を可能な範囲で報告するように。セレスタは僕の狙いを聞きもせずに「面白そう」と承諾した。
僕は複雑な気持ちを抱えたまま王都に帰った。
今やるべきことははっきりしていた。
国王への復讐を果たす。もう後回しにはしない。ヴィルの身の安全を守るためにも必要なことだ。
復讐の方法はいくつもいくつも考えていた。最も屈辱的で残虐な方法を、と長年準備してきたことだ。
ネフラの研究室で僕は本を広げる。全知や予知で得た情報を書き込んだ僕の秘密の書だ。復讐の草案も書かれている。
「濡れ衣で処刑か、監禁して拷問か、いや、やっぱり呪殺が一番かな。うん。復讐にはぴったりだ」
「物騒な独り言ですね、お師匠様……ですが、興味があります。呪殺は『七大禁考』でしょう? できるのですか?」
ネフラが目を輝かせて迫ってきた
セドニールが重傷を負って帰還し、国王とその側近は夜な夜なソニアへの返答へ頭を悩ませている。タイミングよく、前々から有能さをアピールしていたネフラが側近の一人に取り立てられた。エメルダへの尋問もあって忙しいはずなんだけど、こんなときでもネフラの知識欲は衰えないみたい。
「残念だけど、僕一人では呪殺できない。でも、やり方は分かるよ」
「? どういうことですか?」
呪術は憎悪を魔術的なエネルギーに変えて人を害す禁忌。狙って使える代物じゃない。魔術的な才能も必要だしね。
でも僕の場合、憎悪も魔術的な才能も十分なはずなのに、ミストリア王に対して呪いは発動しなかった。やれるならとっくにやっている。
「僕が本物の人間じゃないからかな」
ぽつりと呟くと、ネフラは何とも言えない表情をした。
クロスの死を悼む気持ちが弱いなんて思いたくない。きっと僕が人工的に生まれた魔人だから呪いが使えないんだ。そう思っていたい。
「でも、代わりの方法は全知を使って解明済み。別に一人で呪わなくたっていいんだ」
憎悪を他の人間に任せて、術の部分だけ担当すればいい。リスクも肩代わりさせられる。別に、命が惜しいわけではないけれど。
「この方法なら僕も国王を呪うことができる。と言っても実験は必要だな。失敗は許されない。ゼオリにデータを取らせよう。あいつ、やけに呪術に詳しいみたいだから」
広範囲に害をなす魔障病に近い症状にすれば、王国側も混乱するだろう。呪術だと気づかれて国王に警戒されたくないし。
頭の中で計画を組み立てる。妙に冴えていて迷いはなかった。
「お師匠様……大丈夫ですか?」
「何が?」
「……いえ、なんでもありません」
僕はゼオリに画期的な呪術の方法を教え、ミストリアの民を使って実験させることにした。あまり罪悪感はなかった。
だって、犠牲になる者は人に呪われてもおかしくないことをしてきた悪人ばかり。呪術の協力者は死んだ方がマシな状況にいる者を選ばせる。
こういう倫理観の欠如は魔人ゆえなのか、長く悪しき魔女たちを束ねてきたせいで思考が染まってしまったからなのか。
最悪だと自覚していても、改めることができない。性質が悪いと自分でも思う。
「国王陛下を呪殺するとして、その協力者はどうするのですか? 陛下を殺したいほど憎む者に心当たりが?」
ネフラの問いに僕は薄く笑った。
「探せばたくさんいそうだけど、最もふさわしい人物を知っている。ミストリア王に報いを与えるのなら、彼しかいない」
ヴィルは真実を知り、深く傷ついた。不公平だ。
彼にも知る権利がある。そして、苦しんでもらわないと。
ねぇ、レイン王子?