8 状況の整理
ソニアがベールを剥ぎ取ると、皆がその美しさに息を飲んだ。チャロットも隣で「すっげー美少女……」とぼんやりと呟く。
僕も呆然としていた。どうなっているんだ? 前のソニアは怒って暴れていたのに、なんで……?
ソニアが優雅に二十年前の王都襲撃について語る。
アロニアの所業に同情を誘う動機をつけ、見事に悲劇の救世主に仕立てあげてみせた。本当のことは黙秘の契約のせいで話せないけれど、この嘘ならば契約違反にはならない。よくもまぁ、こんなに堂々とありもしない言葉を並べられるもんだね。
聴衆はすっかり騙され、ソニアの肩を持った。エメルダが墓穴を掘ったせいもあるけれど、完全に流れを持っていかれ、王子たちが窮地に立たされている。
最終的にソニアは婚姻の破棄を受け入れ、王子の暴挙に対する賠償を求め始めた。
冷静で、抜け目がない。
僕はますます混乱した。
記憶にある一周目のソニアは、堪え性のないヒステリックな鬼畜だった。これではまるで別人じゃないか。
何がどうなったらこんな展開になるんだ?
「そこの鋭い雰囲気の方……レイン王子の騎士ですね? そしてその腰の剣は……魔女殺し」
ソニアは妖艶に微笑み、ヴィルを指差した。
「ミストリア王、彼を私の従者にし、故郷ククルージュに連れ帰る許可を」
「……は?」
僕は思わず身を乗り出していた。
国王の「どうするか」という問いに対し、ヴィルが葛藤の末に跪いて騎士の礼を取る。
「この身一つで王国の平穏が保たれるのならば……何の不満もございません。ククルージュに参ります」
ちょっと待って!
とんでもない展開になってる!
……僕はすっかりソニアを殺すタイミングを逸した。
「大丈夫、落ち着こう……ううん、無理!」
ヴィルがソニアの従者になってしまった。本来なら殺し合うはずの二人なのに、絶対におかしい。これは異常事態だ。
王子とエメルダが国王の側近に連行され、チャロットとモカが情報収集のために走り回っている中、僕はネフラの研究室で頭を抱えた。今頃ソニアは郊外の屋敷に向かっている頃だろうか。ヴィルは騎士を辞すための手続きが終わり次第、ソニアと対面しに行くらしい。
「と、とりあえず、状況を整理しよう」
「お茶を淹れますね、お師匠様……」
ああ、またネフラと会えて良かった。それは嬉しい。だけど、喜んでいる場合ではない。考えなきゃ。もう失敗はできないんだ。
まずは一周目との違いを確認しよう。
頭痛を堪えて記憶の差異を探す。僕は一体どこまで時間を巻き戻せたのかな。
スレイツィアが死に、クロスと生き別れて、ジェベラに拾われ、アロニアにクーデター計画を持ちかけられ、王都襲撃で絶望したところまでは同じだ。クロスの死は避けられなかった。
その後、アロニアに誘われてククルージュに住み始め、こっそり魔術の研究をしつつ魔女たちを勧誘している間に、ソニアが生まれる。あとエメルダも。
ククルージュで過ごしていた頃にわずかな違いがあった。生まれたソニアにあまり興味を持てず、常にそっけない態度だったこと。これは一周目の記憶が無意識下にあったせいかな。ヴィルを殺したソニアを自然と疎み、遠ざけ続けた。
一度だけ抱っこしたときもばあさんに勧められて無理矢理だったし、書庫にソニアのための本をあまり残さなかった。
「こんなことがソニアの人格形成に関係したのか? いや、あり得ない。ソニアは赤ん坊だったし、僕のことを覚えているはずない。他に何か――」
「クッキーもどうぞ。お師匠様が好きなクルミ入りですよ……」
ネフラの淹れたお茶を飲み、クッキーをもぐもぐ頬張りながら、僕はさらに記憶を精査する。
……そう言えば、今回はコーラルに会ってない。
宝珠のレシピ欲しさにククルージュに侵入し、ソニアに返り討ちにされた若い魔女。前回は組織に引き入れ、怪事件の最中に仲間に殺された。
コーラルは今、どうしているんだろう。もしかしてククルージュで捕らえられ、ソニアの側近になったのかな。
コーラルがソニアを変えた? どうだろう、たった一人の魔女の存在であんなに性格変わるとは思えないけど。
僕は首を捻った。ソニアについては謎が多い。一周目でもククルージュの周辺は全知で探りきれず、密偵も大した情報を拾ってこなかった。元の状態を知らないのだから、たとえ大きな変化があっても気づけない。
僕の身の周りではどうだろう。何か変化があっただろうか。
……エメルダとスーフェの関係が微妙に違ったな。
僕はスーフェにエメルダをかなり厳しく管理させた。ヴィルに守られて生き永らえておきながら、王子と結婚して幸せになった彼女が許せない、という負の感情が影響したみたい。一周目以上に僕はエメルダを道具として扱った。スーフェも僕の意思を汲み、エメルダを頭ごなしに叱ったりしていた。
その結果、今回のエメルダは捻くれて、心が薄汚れている。スーフェの死を悲しむこともなく、ただ王子に好かれようと良い子を演じている状態だ。それでも一周目と同様、王子とヴィルの心を掴んでしまったのだけど。
「あっ! そう言えば! げほっ!」
「あー、大丈夫ですか。おかわり注ぎますね……」
クッキーの破片が喉に刺さって死にそうになったけど、それどころではない。すごい差異を見つけた。
あれはエメルダが十二歳の頃だった。
おかしな予知映像を拾ってきた。音楽がついた絵物語風の映像で、タイトルまであった。確か『エメルダと魔女伝説』だ。
当時エメルダの脳を覗いたときは、
『へぇ、すごいな。こんなものを拾ってくるとは……それとも脳が作り出した独自の予知映像か? しかしお前に薔薇の宝珠のことを知っていてもらっては困る』
……くらいにしか思ってなかった。
僕は薔薇の宝珠など都合の悪いことだけエメルダの脳から消して、後の映像については放置している。エメルダはこの絵物語を真に受け、かなり本気で王子様が迎えに来るのを待っていたっけ。
今にして思えば、この予知はそのまんま一周目の出来事だ。ところどころ情報が虫食いなのは相変わらずだけど、僕が立ち会うことから逃げたヴィルとソニアの死の瞬間もバッチリ映像化されている。これは予知などではなく、一周目の記憶の欠片がエメルダに残ってしまったと考えるべきだろう。
記憶を取り戻す前の二周目の僕も、絵物語の映像が予知ではなく、すでに起こった歴史であると分かっていた。そして、変えることができる未来だと信じていた。
ソニアが王子を呪うことやヴィルが死ぬことも示されていたのに、さして焦りもせず放置していたのはそのせいだろう。
「はぁ、僕は馬鹿だ……最低だ」
どうして絵物語を観た時点で記憶を取り戻せなかったんだろう。
そりゃ魔女組織を造るために各地を巡るのに夢中で、あまりエメルダに構ってられなかったし、そもそもミストリアになかなか戻ってこられなかったけどさ。もう少し絵物語について考察していれば、早めに記憶が戻ったかもしれない。
自分の失態に改めて項垂れ、そして唐突に気づいた。
「もしかしてソニアも……?」
エメルダ同様、一周目の記憶が残っているんじゃないか?
そう考えれば辻褄が合う。ソニアは全て知っていたんだ。
だから婚礼の儀で暴れることなく冷静に対応し、自分に致命傷を与えられるヴィルを早々に従者にして、死の運命を避けた。
「くそっ、やられた!」
「お師匠様、あまり大きな声を出すと、城の人間に本性がバレて――」
「そうだよ、本性だ。ソニアの本性はきっと変わっていない。ただ猫を被っているだけ。そんな魔女にヴィルを奪われた。最悪!」
あの性悪で残忍なソニアがヴィルをどのように扱うか、考えただけで血の気が引く。主従関係を盾に虐げたり貶したりして、最終的に処分するつもりに違いない。
婚礼の儀での振る舞いを見る限り、自分とアロニアの社会的地位は守ろうとしていたので、人目のあるところでヴィルを殺すことはないだろう。おそらく、ククルージュに連れ帰るまでは無事でいられる。それだって、何の保証もないけどさ!
事情を知らないネフラは生温かい笑みを浮かべた。
「よく分かりませんが、やはり離れていても親子ですね。似ています。お師匠様とソニア様、どちらもヴィル・オブシディアに執着するなんて。それに、笑ったときの妖艶な雰囲気が本当にそっくりで――」
「やめろ! 僕に似ていたら、あんな思い通りに場を支配できるはずないだろ!」
「……自分で言って悲しくなりませんか?」
僕は耳を塞いで目を閉じた。今回も誤算ばかり身に降りかかりそうだ。
その後、ソニアに対面してきたヴィルが憤慨して戻ってきた。僕は無事に帰って来たことにホッとしつつ、モカやチャロットと一緒に話を聞いた。
どうやら濡れた足を拭かされたり、王子やエメルダを侮辱されたり、散々だったらしい。
僕も腹が立った。やっぱりソニアは性格悪い。
ただ、気になったことがある。ヴィルの生い立ちを聞き、ソニアが二十年前の王都襲撃のことを魔女として謝罪したという点だ。する必要のないことをわざわざするなんて裏がありそうだな。
「それで、ヴィルっちはキレて出てきちまったのか?」
「あ、ああ……」
モカとチャロットが揃ってため息を吐いた。
「ヴィルさん。相手が怪事件を起こした魔女だとしても、今無礼を働くのは賢くありません。あなただけでなく王子やエメルダ、ミストリア王家全体の立場が悪くなります。彼女の機嫌を損ねることは慎むべきです」
「そうだぜ。大体、何のために従者になったんだよ。あの子が悪しき魔女だという証拠を探るためだろ? ここはむしろソニア嬢を誘惑して、メロメロにするくらいの――」
「ヴィルさんにそんな器用な真似できるわけないでしょう。不可能なことを言わないで」
「分かってるって。でも打ち解けたふりをして隙を狙うくらいはしないとな。こうなった以上どれだけ屈辱を受けても、耐えるしかねぇだろ」
ヴィルは渋々頷いた。善処する、と。
話がまとまりかけたけれど、僕は空気を読まずに手を挙げた。
「あの、別に逃げてもいいと思います。ヴィルさんが素直に従者になることはないですよ」
「それはダメだ。あんな大勢の前で従者になることを承諾したんだ。俺が逃げ出せば、王家の威信に泥を塗るだけだ」
塗ればいいじゃん、あんな王家……と思うのは僕だけかな。
「さっきはついカッとなってしまったが、大丈夫だ。耐え忍ぶのは慣れている」
そんな悲しいことを言わないでほしい。僕はなおも食い下がった。
「でも、ククルージュに連れて行かれたら、ヴィルさんが殺されるかもしれないじゃないですか! 僕はそんなの嫌です!」
ヴィルは僕の頭を軽く叩いた。
「心配はいらない。俺はただでやられはしない」
最悪刺し違えてもソニアだけは殺す、とヴィルの目が物語っている。だから、それをやめてほしいんだけど。
ああ、どうしよう。これ、このままじゃ一周目よりも悪い結末になっちゃうんじゃない?
やっぱり今からでもソニアのいる屋敷に忍び込んで、殺してきた方がいいかな。
「それにしても、ヴィルっちが魔女殺しを没収されてないのは意外だな」
「そうですね。てっきりこの剣を王家から奪うために、ヴィルさんを従者にしたのだと思っていました。魔女にとってこれほど危険なものはありません」
チャロットとモカがヴィルの腰に目を向ける。ヴィルは剣に触れて頷いた。
「俺もそれは不思議だった。あの女も俺が迂闊に魔女殺しを向けられないのを分かっているんだろうが……明日の朝にでも確認してみる」
僕も唸った。確かにおかしい。
一周目で自分が魔女殺しによって致命傷を負ったことを知っていれば、真っ先にこの剣を処分すると思う。没収の理由はいくらでも用意できるのに、なぜしないんだろう?
ソニアが何を考えているのか分からない。ただの油断か、それとも深い企みがあるのか。
とりあえず様子を見るべき……か?
明日は王子とソニアの婚約解消の儀式がある。二人の体に刻まれた黙秘の契約も解除されるだろう。
ソニアのことも気になるけれど、国王の動向にも注意しなければいけない。
僕は気を引き締めて、拳を握りしめた。
書籍化が決定しました。
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