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6 最悪の娘

 


 僕ですら気圧されるほどの凄まじい魔力だった。当たり前か。ソニアはこの世界でただ一人の『純血の魔女』。そこらの魔女とは格が違う。

 風の渦の魔術で周囲を牽制した後、ソニアはヒステリックな声で叫んだ。


「この場にいる全員、殺してやるわ! 覚悟なさい!」


 今度は入り口に火柱が上がり、人々の逃げ道を塞いだ。悲鳴と罵声が大聖堂にこだましている。

 予想外だった。ソニアがここまで怒るなんて。僕は拳を握りしめた。


 ソニアが本格的な詠唱を始めた。僕は術の構成を読み取って、発動する魔術を察する。風の刃が舞い、電撃が走り、酸の雨が撒き散らされる、超厄介で強力な嵐の魔術だ。ソニアの魔力量で発動すれば、本当に大聖堂内の人間は残らず死ぬだろう。魔女殺しの剣を振りかざしても防ぎきれるものではない。


 王子や国王、各国の来賓がどうなろうが別にいい。だけど、ヴィルを殺されるわけにはいかない。モカお嬢さんもこのまま死ぬのは可哀想かな。エメルダもまだ捨てるには惜しい。


 何より、ソニアの暴虐を止めないといけない。

 彼女に濡れ衣を着せ、破滅をもたらす覚悟だったのに矛盾している。わけが分からない強い気持ちに後押しされ、僕は震えながら決意した。


「やっべ! シトリンは避難しろよ! オレはヴィルっちたちの加勢してくる!」


 逃げないよ。僕は、逃げない。

 そう言い聞かせないと、足元から崩れてしまいそうだった。


 チャロットが壁の装飾を足場に下に降りたのを確認して、僕は空中回廊の脇にあった暗幕を引き剥がし、頭から被った。誰かに姿を見られるわけにはいかない。

 まずは核の封印を解く。そして速やかに嵐の魔術を相殺すべく術式を組み上げていく。

 完璧じゃなくてもいい。とりあえず半分でも構わない。ソニアの魔術を打ち消してやる。


【無慈悲な嵐の猛威を以て、害虫を蹂躙せよ――レージ・テンペラーレ】


【寛容なる天恵の守護の下に、隣人の盾となれ――シェイル・ウィッシュ】


 ソニアの魔術の完成からわずかに遅れたものの、僕の魔術が発動した。

 何とか間に合った。場にソニアの魔術が影響を及ぼしきる前に、僕の魔術が妨害して威力を相殺した。人々が絶叫しながら転げまわっているけど、死人は出ないだろう。

 思った威力で嵐が発生せず、すぐに収束したことで、ソニアが苛立ちを露わにしてきょろきょろと辺りを見渡す。僕は見つからないように伏せた。というか、大量に魔力を消費して倒れちゃった。薔薇の宝珠も魔力の回復まではしてくれない。創脳を急激に酷使したせいか、ぐわんぐわんと視界が揺れる。


「くっ! お前らだけは許さない!」


 ソニアも魔力の消費でふらつきながら、風の短縮詠唱で王子とエメルダの首を狙った。しかし風の刃は一閃で掻き消される。それどころか、ソニアは悲鳴を上げて腕を押さえた。血煙が上がり、純白の衣装が少しだけ赤で汚れた。


「本性を現したな、醜悪な魔女め」


 ヴィルが剣を抜き、ソニアに一太刀入れたのだ。両者は間合いを取って睨み合った。


「その剣……魔女殺し(ブラッディ・マガサ)か!」


 厳しい表情で前を見据えるヴィルに対し、ソニアは腹の底から笑った。不気味なほど体を揺らし、艶やかな声を下品に響かせて。


「あははっ! まさか、お前……ああ、おかしい! なんて哀れな犬なのかしら!」


 ソニアは、アロニアからヴィルの出生の秘密を聞いているようだ。確かに哀れだろう。何も知らずに親の形見を振りかざし、仇の息子に仕える姿は。僕だって、悔しくてたまらない。


「何がおかしい」


「何もかもよ!」


 しばらく嘲笑を続けた後、ソニアはぴたりと動きを止めた。魔力も鳴りを潜め、周囲が静まり返る。僕には再び吹き荒れる嵐の前の静寂に思えた。

 ヴィルが危ない。僕は動かない体を叱咤し、どうにか下へ降りる道筋を探した。チャロットみたいに壁沿いに降りようにも、残念ながら手足の長さが足りない。

 誰もが息を飲んで硬直する中、エメルダが前に出た。本当に鈍感だな、あの子は。


「あなたが怪事件を起こしていたんだよね? どうして? どうしてあんなひどいことができるの? 何が目的なの?」


「…………」


 答えはない。そりゃそうだ。身に覚えがないんだもんね。必死に本物の黒幕の思惑を読み取ろうとしているはず。

 ソニアの中では国王が一番の容疑者かな。ネフラによると、アロニアが死んでからソニアと王家は宝珠の研究について連絡を取っていないらしい。国王が自分に濡れ衣を着せて拘束して、宝珠の研究を強要させようとしている、とでも考えているのかもしれない。


「ひどいよ! あなたのせいでたくさんの人が亡くなったんだよ? それなのに、それを隠してレイン様のお嫁さんになるつもりだったの? 信じられない! そんな心の醜い人、レイン様には似合わないよ!」


「……お前は、なんなの? 得意げに王子の横にこびへつらって、何様のつもり?」


「わたしはエメルダ・ポプラ。あなたのやることは全部お見通しなんだから」


 懇切丁寧にエメルダは説明し始めた。自分が予知能力者で、紅い魔女の娘がミストリアを滅ぼすという予言が下りてきたこと。そして王子と愛し合っていることを。

 馬鹿か。わざわざ狙われるようなことを……どんどんソニアの殺気が尖っていく。


「緑の蛆虫が……身の程を思い知らせる必要がありそうね。私のモノに手を出すなんて」


 エメルダを庇って今度はレイン王子が前に出た。


「エメルダを侮辱するな。もう一度言おう。僕が愛するのはエメルダだけだ。性悪な魔女のモノになった覚えはない!」


「……そう。よく分かったわ」


 ソニアは冷淡に呟き、直後、再び魔力が膨れ上がった。

 いや、違う。これはただの魔力ではない。この禍々しく悪意に満ちた気は……。


「いいわ! その予言通りミストリアに滅びを与えてやる! まずはお前だっ! レイン・ミストリア!」


 ソニアから飛び出した黒い靄が、レイン王子めがけて放物線を描いて飛びこんでいった。


「ぐぁ!」


「レイン様!?」


 エメルダたちが急に苦しみ出した王子に駆け寄る。そこからはあっという間の出来事だった。


「あははっ! いい気味! この私を侮辱した罪を味わうがいいわ!」


「王子に何をした!?」


 ヴィルが床を蹴ってソニアに斬りかかったが、直後、大聖堂の屋根の一部が壊れ、穴から金の竜――現存する最強の竜属である金滅竜が侵入してきた。凶暴な鳴き声が人々の耳を貫く。

 魔女殺しの一閃から逃れ、竜に乗り移ったソニアは高らかに宣言した。


「魔女への非礼は高くつくの。私の殺意、私の憎悪、全てを王子の体に刻んだ。呪いが心身を蝕み、やがて命をも奪う。王子の死がミストリア破滅の序幕となるわ!」






 ソニアから呪いを受け、王子は倒れた。高熱を出し、意識が戻らないという。

 僕も『七大禁考』を研究したから、呪術の類がどれだけ厄介かは理解している。解呪の可能性は低い。

 主が倒れたことでヴィルはひどく狼狽した。だけど僕に慰めている余裕はなかった。

 城内が騒然となった隙に、僕はゼオリを呼び出してソニアに接触するように命じた。目的は魔女組織への勧誘……いや、組織を丸ごと差し出してその長に収まってもらうためだ。

 王国とソニアの対立は決定的なものとなった。このまま王国と魔女組織で殺し合ってもらおう。魔女の代表にはソニアを据える。単独で逃げられては困る。


「お師匠様、それはなんですか?」


「新発明、遠隔覗き水晶ってところかな。上手くいくかは分からないけど」


 ネフラの研究室にお邪魔して、僕は水を張った桶に水晶玉を入れる。

 この水晶玉と同じ魔力を通わせた水晶のイヤリングをゼオリに身に着けさせている。ゼオリがイヤリングに魔力を送ると、ゼオリの視力と聴力をこの水晶玉から出力できる。ちなみに水晶は数時間ほどで壊れるから、使い勝手は良くない。

 しばらく待っていると、桶の水面に映像が浮かんできた。実験は成功だ。ネフラは興奮して世紀の大発明だの、天才だのとはしゃいでいるけれど、無視した。

 僕は映像と音声に意識を集中させる。


 どこかの建物の中かな。悠然と腰掛けたソニアの前にゼオリが跪き、頭を垂れているみたい。ソニアはノースリーブのワンピースに着替えていた。胸元が大きく開いたデザインで、脚も惜しげもなく晒されている。商売女みたい装いで、なんか嫌だった。

 ヴィルに斬りつけられた部分に包帯を巻いている。


『巷で噂の怪事件の犯人が、こんな冴えない魔女だなんてね』


 きっとゼオリは内心「こんな小娘にこびへつらうなんて」と毒づいている。僕の命令を果たそうと必死に我慢しているに違いない。忠実なことで。

 いや、イヤリングをプレゼントした効果かな? すごく似合っていると誉めてあげたし。


『――ソニア・カーネリアン様。ぜひ、我らが主となり、ミストリアごと支配してくださいませ。そして共に不老の悲願を果たしましょう』


『はぁ? 人を陥れておいてよく言うわね。そんなに殺されたいわけ?』


 ソニアが爪を皮膚に食い込ませ、ゼオリの顎を持ち上げた。ベールに覆われていない、成長したソニアの素顔が水面に映る。

 一目見て「美しい」と思った。

 艶やかな赤髪、真珠のごとき光沢の肌、気の強そうな目鼻立ち。しかしそれらが美しく配置されていても、感情を乗せることでせっかくの美貌が台無しになっていた。

 ゼオリを見下し、苛立ちを露わにする姿はとても醜い。見ているだけで不快になるほどだ。

 これがソニア……僕の血を引く娘。

 胸に苦々しいものが広がる。


『まさか。あなたがあのまま嫁入りしていれば、ミストリア王の思う壺。あなたはすぐに病に倒れ、死んだものとされて地下室で宝珠の研究を強要される予定だったのですよ? そこで我々が王子たちを謀り、婚礼を妨害したのです』


 これは、完全な嘘ではない。ネフラの話では、ミストリア王は秘密の研究室と強力な結界魔術を用意していた。ソニアが幽閉される予定だったのは確かだ。レイン王子に王都襲撃の真実をバラされる前に引き剥がすつもりだったのだろう。


 ゼオリは懸命に手を組む利を説いた。組織の規模、豊富な資金や研究材料、王家の情報などを滑らかに述べていく。ソニアを持ち上げることも忘れない。美しさも強さも魔女の王に相応しいと褒めちぎる。

 素晴らしいセールストークだ。僕はゼオリの意外な才能を知った。


『我々の利害は一致しているはずです』


 ミストリアの支配と不老の実現。ソニアがそれを望んでいるかは分からないけれど……。

 ソニアはくすりと笑い、腕に巻いていた包帯を取った。傷一つない肌が露わになる。魔女殺しによって受けた傷を治癒させる力をソニアは持っている。

 これには僕もゼオリも驚いた。


『なっ!? 既に薔薇の宝珠を完成させて……!』


『違うわ。私の開発した薬には、宝珠のように半永久的な効果はない。また作り出しても効果の持続時間はどんどん短くなって、やがて効かなくなる……そうなる前に、今度こそ薔薇の宝珠を完成させなくちゃいけない』


 ソニアは腕を撫で、冷ややかな笑みを浮かべた。


『いいわ。お前の申し出を受けてあげる。もう魔女狩りを恐れて隠れて研究をする必要はないわ。ミストリア全土を支配し、全ての民を魔女の実験台おもちゃにしましょう』


『ありがとうございます! ソニア様の仰せのままに!』


 ソニアは立ち上がると椅子を蹴りつけた。そのままヒールで踏みつけると、短い悲鳴が上がる。


『感謝なさい、ファントム。あんたにお友達を用意してあげるわ』


 四つん這いになっていた青年は床に倒れ、咳き込みながら感謝を述べた。恐怖に震えた泣き声に、ソニアは機嫌よく笑った。


 最悪だ。最悪の娘だ。

 全身から血の気が引いた。



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