5 婚礼の儀
どうしてこうなった。
旅をするにつれ、ヴィルとエメルダが打ち解けてきた。特にヴィルの方は完全に心を奪われている様子だ。恋愛に疎い僕にも分かる。
あれかな。エメルダがヴィルから放たれている「近づくなオーラ」を笑顔で突破しているせいかな。空気読めない人間って強いよね。
きっと今まで、ヴィルにここまで接近した女性はいなかったんだろう。モテる要素はあるのに生い立ちや雰囲気で敬遠されてきたのだと思う。本人が恋愛に興味なかったというのもありそうだけど。
予定外のことに頭を痛めつつ、僕は手っ取り早くレイン王子とエメルダの仲を応援することにした。苦肉の策だ。
エメルダと結ばれたところでヴィルは幸せにはなれない。
何より、ヴィルとエメルダは合わない。ヴィルにはこう、もっと思慮深くて包容力のある落ち着いた女性が合うと思うんだ。あとは料理上手だったら言うことないね。ほら、エメルダとは正反対だ。
「な、なんですか、その黒い物体は……冗談ですよね?」
僕がシチューを騙るヘドロから距離を取ると、エメルダが首を傾げた。
「見た目は悪いけど、味は普通だよ? ねぇ、みんなは食べてくれるよね」
全員が一斉に目を逸らした。
「あはは、僕はもう少しここの空気を味わいたいから、お構いなく」
レイン王子は早々に逃げ出した。ひどい話だね。エメルダの手料理よりも空気の方が美味しいってさ。でもそれは正しい。
「わたくしは今、ダイエット中ですので……ごめんなさい」
「あ、ずるいぜ! モカ! ごっめん! オレも今食事制限中だから!」
新たに旅に加わったモカとチャロットも苦しい言い訳で離脱。エメルダがしゅんと項垂れ、周りに気まずい沈黙が漂う。
そこにヴィルが前に出る。
「……俺は食う」
「本当!? じゃあ大盛りにするね!」
「あ、ああ」
やめてヴィル! 早まらないで!
僕は涙が止まらなかった。
こんなことになるなら、エメルダの味覚をまともな形で残しておくんだった。脳の容量の関係で、今エメルダは何を食べても美味しく感じるようになっている。……いや、だからってこの世に存在してはいけない消し炭料理を生むなんて誰が想像できるだろう。エメルダは悪魔か何かかな?
ヴィルはいつもよりずっと険しい顔でシチューを完食し、「……美味かったが、エメルダにばかり作ってもらうのは悪い。今度は俺が作ろう」と述べた。
その場にいたエメルダ以外の全員がヴィルに惚れかけた。神か。
エメルダも嬉しそうに笑った。それを見てレイン王子が面白くなさそうにしているけど、だったら食えよという話だ。まだ泥シチューは残ってるぞ。
レイン王子は見かけによらず、なかなか腹黒い男だった。彼の魔術に関する知識量から察するに、おそらく予知能力者の寿命の短さを知っている。にもかかわらず、エメルダの予知を止めないし、仲間にも事実を打ち明けない。おまけに婚約者の存在を軽く見ているし、ヴィルの前でも平気でエメルダとイチャついている。
ほぼ僕の思惑通りに動いてくれているのだけど、気にくわないね。
いつか、全てを知って絶望するといい。お前の父親がみんなに何をしたか。
国王の被害者はヴィルだけではない。
王子を慕うメイドのモカは、代々優秀な文官を輩出し、子爵の位を持っていたセリウス家の娘。
セリウス家が没落した理由を知っているか?
モカの父親が王都襲撃の真実に気づき、国王を告発しようとしたからだ。寸前のところで王の側近に情報が漏れたため、事故を装って暗殺された。モカの母親は自ら夫の後を追い、財産は悪徳商人にむしりとられ、子爵位も返上せざるを得なくなり、一家は散り散りになってしまった。
途方に暮れていたモカを、何の因果かレイン王子が拾ったんだよね。元々顔見知りではあったようだし、幼なじみのようなものらしい。
モカお嬢さんにも、僕の復讐に手を貸してもらうことにした。城でのお留守番をやめて、王子を追ってきたのが運の尽き。四人の仲間に入ってもらった。
チャロットくらいだよ。なんの関係もない人間は。
大商会の跡取りを仲間に選んだのは、金銭面で役に立つと思ったから。コンラット家の援助だけでは限度がある。まぁ、無関係な若者を醜悪な復讐劇に巻き込んでしまうのは心が痛いので、ちゃんと報酬を用意している。
エメルダ調べによると、チャロットには不治の難病で苦しむ妹がいる。商会総出で治療法を探しているところらしい。
僕の魔術とエメルダの全知の合わせ技で、病の治療薬を開発してあげる。もちろん、チャロットが僕の役に立ってくれたら、だけど。
僕らの旅は順調だった。
色恋沙汰でぎすぎすしているのが玉にキズだけど、チームワークは悪くない。僕は不本意ながらマスコット的キャラクターとして、波風が立たないように努めた。王子がエメルダと逢引しているときは、できるだけヴィルのそばにいて話し相手になる、とかね。
そして少しずつ少しずつ、王国中に魔女狩りへの布石を撒く。
悪しき魔女たちが怪事件を起こし、エメルダの予知を的中させ、劇的に解決する。これでもかというほど魔女の醜悪さを見せつけ、やがて一連の事件が組織的な犯行だと示していく。
王子たちは情報を求めて魔女を捕らえようとしたけど、上手くいかない。すぐにソニアに辿り着くのはあまりにも作為的だし、ちょっと組織の魔女が増えすぎてしまったから、減らすのを手伝ってもらいたかったんだ。
ヴィルの手を煩わせるのは申し訳ないけれど、その分武功が増える。ヴィルには王都襲撃で貶められたクロスの汚名を雪いでほしい。
魔女コーラルの死に際は少し気の毒だったかな。組織に入ったコーラルは怪事件を起こして捕まるや否や、口封じのために仲間に魔術で消されてしまった。
コーラルも自分の美容のために他人の命をむしり取ろうとした。だから仕方ないんだけどね。
「ワタシは何も知りませんっ。ただ、ソニア様の命令で……っ!」
やがて王子が策謀を巡らせ、やっとのことで生け捕りにした魔女が一人の少女の名前を吐いた。その後も二、三人捕らえたところ、同じような証言をした。同時に王都襲撃が救国の魔女アロニアの企てであったことも明らかになった。
「やはり、ソニア嬢が……」
最初のミストリアの滅びの予言で「紅い魔女の娘」と聞いたときから、ソニアを連想していたのだろう。今や、エメルダの予知の的中率は疑う余地のないレベルになっている。そして魔女の証言を以て、レイン王子は確信を得た。
「ソニア・カーネリアンをおびき出し、告発しよう。彼女の罪を白日の下に晒す」
「どうやって? 国民の大半は未だに救国の魔女アロニアを熱狂的に讃えているんだぜ。いくら王子様の言葉でも、決定的な証拠がなけりゃ信じてもらえるか分かんねぇぞ」
チャロットの言葉に王子は薄く笑った。
「冷静さを奪い、自ら本性を現してもらう。これは賭けだけどね」
気づけば、王子とソニアの婚礼の儀は来月に迫っていた。
約十六年ぶりにソニアと再会する。
緊張していないと言えば嘘になる。罪悪感を抱いていないとも言えない。
でももう僕は後には引けないんだ。
魔女は滅ぼし尽くすと決めたんだ。そのために利用できるものはなんだって利用する。
血の繋がった娘に濡れ衣を着せ、復讐の要とすることすら厭わない。
「本当に、よろしいのですか」
婚礼の儀の数日前、城に待機している間、何度も何度もネフラに尋ねられた。
最初は鬱陶しかったけれど、本当に僕を心配してくれているのが分かった。だから最後には笑って答えることができた。
「ごめんね、ネフラ。僕はきみの尊敬を受けるに値しない。もう弟子なんてやめてもいいよ」
ネフラはため息を吐いた。
呆れられてしまったみたいだ。でも弟子をやめるとは言われなかった。
そして迎えた婚礼の日。
僕はチャロットともに大聖堂の側面にある、空中回廊に隠れていた。何かあれば僕の魔術とチャロットの狙撃で王子たちを守る、という役だ。
ヴィルとモカは他の従者とともに、王子の側に付き添っている。エメルダは「どうしても」とわがままを言って王子についていった。
大聖堂の一番高い席に国王が座している。僕は殺意を堪えるため心臓を拳で押さえた。ここから魔術を唱え、奴に最大級の苦痛と死を与えてやれたらどれほどいいか。
しかし、まだそのときではない。
国王にはクロスの受けた何百倍もの痛みを返す。自分の治世で再び魔女狩りが起こり、ミストリアが荒廃していく様を見るがいい。
「さぁ、噂の魔女様はどんな顔を晒すかな。王子と結婚できると思ったら、糾弾されて自分の罪を暴かれるなんて、最悪の結婚式だな」
チャロットの言葉に息が詰まった。
僕はソニアのことを何も知らない。エメルダの力でもどうしてか調べられなかった。
直接足を運んで話すということもしなかった。正体がバレ、復讐計画が狂うのを恐れたから。それ以前に、父親だと知られれば罵倒されると思ったから。それが嫌だったんだ。
僕はソニアから全力で逃げていた。目を逸らしてきた。
ソニアはどんな少女だろう。
やはり悪女に育ってしまったか。それとももしかしたら、善良に育っていたりするのだろうか。
アロニアに育てられた時点で、そんなことはあり得ないと分かっている。でも、だけど……王子の糾弾で泣き出してしまったらどうしよう。
僕の心はぐつぐつと煮えたぎっていた。
自分の犯した最大の罪と向き合うのだと、そのときになって気づいた。
大聖堂がざわつく。
王子が花婿衣装を纏うことなく登場したからだ。
宰相は面食らっていたが、進行を止めることはできなかった。
高らかに音楽が鳴り、ソニアの入場が告げられる。豪華な純白のドレスに身を包んだ少女。ベールに覆われて顔を見ることはできない。
「僕は忌まわしき魔女となど結婚しない。僕が愛するのはエメルダだけだ」
王子の、強い拒絶の声が響いた。
ソニアは足を止める。王子に寄り添うエメルダを見て、心なしか震えたように見えた。
宰相を含む周囲の者たちが一斉に王子の暴挙を非難した。しかし王子は揺らぐことなく、言葉を紡いだ。
「王国をあだなす者との盟約なんて、知ったことか。この婚姻は、全てかの紅き魔女に仕組まれたことだ」
それからアロニアが二十年前に犯した罪を滔々と述べていく。聴衆が王子の言葉に惹きつけられていくのが分かる。
ソニアの視線がミストリア王へ向かった。王はこの王子の行動を知らないはずなのに、顔色一つ変えていなかった。止めようともしない。
「答えろ、強欲の魔女め! 何が目的でこの場に現れた!」
大聖堂にいる全員の視線がソニアに向かう。緊張が最大限に高まり、耳が痛くなるほどの静寂が場を包み込んだ。
「――ふざけるなっ! よくも、よくも! この私を貶めるなんて!」
静寂は花嫁の咆哮によって爆発した。
ソニアの殺意が魔力の渦を呼び、大聖堂は一気に混乱に陥った。