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50 らすぼす魔女の最愛


 あの日から三か月。

 ミストリア王国のその後について少し語りましょう。


 魔女組織による国王暗殺事件は、全国民の知るところとなった。

 国王の死も、死因が呪術であることも、それが魔女たちによる計画的な犯行であったことも、隠し通すことはできなかった。

 多くの城仕えの人間が魔女の襲撃を目撃していたからね。口の堅い人間ばかりじゃないし、隠蔽は難しい。

 だからほとんどの真実を明るみにしつつ、都合の悪い部分だけ秘匿、あるいは捏造して国民に発表することになった。魔女狩りが始まらないよう、情報操作をしてもらったわ。


 国民に伝えられた事件のあらましはこう。

 魔女組織が呪いを利用して城を乗っ取った。その動機は、私とレイン王子の婚約破棄である。魔女は王家が盟約を蔑ろにしたと激怒し、ソニア・カーネリアンが無理なら他の魔女と王子を婚姻させろと詰め寄った。

 しかし国王も王子もそれを拒否。逆上した魔女たちが過激な犯行に及んだ。

 結果、国王と王太子、そして臣下十二名が命を落とした。


「婚約破棄については王家に非がある」と思う国民もいたから、動機はすんなりと受け入れられたわ。

 前代未聞の呪殺テロにより魔女への反感や恐怖心が高まったけれど、できる限り手は打った。

 悪しき魔女を倒し、城を解放したのが私とククルージュを擁する兄様の兵団だということにしたの。

 魔女の悪事を魔女が裁く。二十年前の王都襲撃の焼き回しだけど、親子二代で国を救ったというのがドラマチックで効果的だったみたい。国民の大半は魔女そのものを憎むことはなかった。


 ダメ押しで王妃様と和平条約を結び直したわ。魔女嫌いというのは本当らしく、王妃様は青白い顔をしていて、私と目を合わせるふりをして遠くを見ていたけれど、表面上は友好的な笑みを浮かべていた。

 仕方がない。彼女の立場を考えれば、魔女を憎んでもおかしくないもの。むしろ気丈に振る舞う姿を賞賛したわ。


 本心はともかく、王妃様は調印の場で高らかに宣言した。

 ミストリア王国には良き魔女と悪しき魔女がいた。そして悪しき魔女は駆逐された。これからは良き魔女とともにミストリアはさらなる繁栄を遂げるでしょう、と。

 こうして魔女狩りの懸念は払拭された。


 事件からしばらくして、国葬がしめやかに執り行われた。

 国王シュネロと、王太子レインを偲んで多くの民が涙を流した。


 葬儀が終わると、王妃様は体調を崩して長い療養に入られた。何もかもに疲れちゃったらしいわ。もう政務に携わることはできないと権力を手放した。

 必然的に王位が側室の第二王子のクラウディ・ミストリアに転がり込んだのだけど……。


「絶対ヤダ……絶対ムリ……絶対拒否っ」


 国王になんかなるもんか、とクラウディ王子は情けないほど必死に逃げ回った。幼い頃から腹違いの兄と比べられていじけて育った結果、すっかり弱気でわがままな王子になってしまったみたい。まぁ、立て続けに身内を魔女に殺されているから、王になったら死ぬと恐怖してもおかしくない。まだ十三歳だし、逃げたくなる気持ちも分かるわ。

 王と王太子という柱を失くして、それでも必死に国を立て直そうと頑張っていた臣下達は第二王子の姿を見て萎えまくり。


 これではまずいと、各地の領主を交えた議会で話し合われた結果、暫定的にサニーグ兄様が国王を代行することになったわ。びっくりよね。

 異例の措置だけれど、兄様が王族の血を引いていること、能力的に問題がないこと、魔女と強い繋がりがあること、民の人望が厚いことを理由に多くの有力者にゴリ押しされて決定されたわ。

 代行と言わずそのまま王になってしまえばいいという意見もあったんですって。もちろん中には兄様が王位を略奪するために企てた事件ではないか、と疑う者もいたけれど、多方面からの証言で無実が証明された。

 今は多分、誰も疑っていないと思う。王に推薦されて、兄様自身が一番嫌がっていたもの。

 でも愚者が王位に就き、国をさらに混乱させるくらいなら、と渋々引き受けることにしたみたい。


 まぁ、こっそり教えてくれた話によると、クラウディ王子が成人したら王位を押し付け、兄様はまたアズライトの領主に戻るつもりなんですって。そんなこと許されるとは思えないんだけど、兄様なら実現させそうね。

 大丈夫かしら、この王国。


 なんとも不安な門出だけど、こうして新生ミストリア王国が始動した。






「何を読んでいるんだ?」


 顔を上げると、ヴィルが私にジュースを差し出した。ご当地のトロピカルな果物を使ったものだわ。こういうものが出てくると、旅行をしているって実感できて素敵。

 パラソルの下、浜辺で波音を聞き、のんびり過ごせる日が来るなんて思わなかった。日が傾いてきたせいか、気温は高くなくて快適。潮風も新鮮で気持ちいい。


「今朝届いた手紙。ふふ、全部男のヒトからよ」


「な、なんだと……」


 三通の手紙を差し出すと、ヴィルは恐る恐る一通目を広げた。


「なんだ、ファントムか……字、汚いな。しかも多い」


 そこにはククルージュの近況が書かれている。

 ばば様たちや見習い魔女たちはすこぶる元気で、外部からの襲撃もない。平和そのものですって。あとはコーラルがお小遣いをくれないという愚痴と、愛娘フレーナの成長記録が延々とつづられているわ。狂気じみているような、微笑ましいような。


「相変わらずだな。といっても、まだ旅に出て一週間だが」


 事件が収束し、周囲が落ち着いてきた頃を見計らって、私とヴィルは念願の旅行に出かけた。

 もう国王との約束は意味をなさない。二十年前のクーデターに関わった者はアンバートがことごとく始末していたから、真実を知る政府要人はもうほとんど残っていない。もしかしたら兄様とネフラだけかもしれないわね。でも二人とも私たちをアズライトに縛り付ける気はないみたい。


 私とヴィルは自由になった。しがらみもなく、どこへでも行ける。

 そしてヴィルは、約束通り私に海を見せてくれた。


「で、こっちは……ネフラか」


 私の屋敷に届いたものを、コーラルが気を利かせて黒フクロウを使って転送してくれたの。

 ヴィルは私が差し出したネフラの手紙に目を通し、苦々しい表情を見せた。そこには決して公にできない呪殺事件のあれこれが記されている。一応私の魔力に反応して文字が浮かび上がる術がかけてあるけれど、ヴィルが読んだら早めに処分しましょう。


 ネフラ・コンラットはアンバートの弟子だったらしい。

 どこで二人が繋がったのかというと、アンバートが救国の魔女アロニアと婚姻した際、元男娼という出自ではまずいということで貴族の養子になった。その貴族がコンラット家だったんですって。盲点だったわ。

 お母様に殺されかけてククルージュを出た後、アンバートは度々コンラット家に出入りしていたらしい。

 言葉は悪いけれど、コンラット家は一言でいうと魔術バカの一族。アンバートの生み出す魔術や、魔人という存在そのものに強い興味を示し、国王に隠れて援助していたそうよ。


 テロ組織のボスと知りながら手を貸していたなんて、立派な国家反逆罪。処刑沙汰や一家取り潰しになってもおかしくないのだけど、そこは兄様が隠蔽してしまった。

 アンバートがネフラに与えた魔術の知識が、危機に瀕したミストリアを救う可能性を持っていると判断したから。


 実は今回の事件を企てたのが、アンバートだと知る者は少ないの。

 国の偉い人たちには申し訳ないけれど、魔人の存在を公にするわけにはいかない。争いの種となるだけ。アンバートについて語るとなれば、二十年前のクーデターや薔薇の宝珠についても説明しないといけなくなる。それは私たちにとって大変都合が悪かった。だから秘匿させてもらったの。


 というわけで、いないとされている者に協力したことで罪に問うことはできず、ネフラは今も飄々と国の術士として働いているわ。

 一杯食わされたような悔しい気分になるけれど、兄様がネフラをこき使って私の鬱憤を晴らしてくれると信じるしかない。


「……エメルダも元気そうだな」


 今回の手紙に書いてあったのは、エメルダ嬢のその後について。

 何でも彼女、チャロットに攫われた後にレイン王子に会っていろいろやらかしたらしく、頭蓋骨を骨折する大怪我を負ったらしい。怪我のショックなのか、それとも本当にアンバートが記憶を操ったのか、目覚めたエメルダ嬢は記憶を失っていた。

 文字の読み書きやお金の数え方など知識に問題はないけれど、自分に関わるエピソードを何も思い出せないという状態だった。もちろん王子やヴィルのことも覚えていない。

 私も城で一度顔を合わせたから間違いないわ。


『だぁれ? すごく綺麗な赤髪だね。羨ましいな』


 そう言ってふわりと可憐に笑う少女を見て、私は戦慄した。たとえ無害になってもやっぱり私は彼女が苦手。

 その後彼女はコンラット家に引き取られ、王都を離れて自然の豊かな田舎に行った。十六歳のどこにでもいる少女として、毎日楽しく暮らしているらしい。

 余談だけど、償いのつもりなのかチャロットが度々エメルダ嬢の元を訪れ、生活を援助しているらしい。不治の病に苦しんでいた妹さんは快方に向かっているようね。アンバートとの裏取引の賜物かしら。


「やっぱりエメルダはもう、予知も全知も使えないんだな」


「ええ」


 あれからエメルダ嬢は一度も予知を口にしていていないらしい。怪我のせいで創脳にもダメージが入って、能力自体を失ったというのがネフラの見解ね。

 本当かどうか分からないから、エメルダ嬢には兄様の部下も付き添っている。混乱を呼ぶ予知をしない限り、監視付きで生かすことにしたの。


「まるで別人みたいに大人しいらしいわよ」


「そうか……」


 ヴィルは曖昧に笑った。

 お互い言葉にはしなかったけれど、多分似たようなことを考えた。エメルダ嬢は一体どれくらい生きられるのだろう、と。

 せめて残された時間を心穏やかに過ごしてほしいと願うのは傲慢かしら。まぁ、心の中で何を思うのかは自由よね。もう会うこともないでしょうし。


「で、三通目は……差出人の名前がないが?」


「本来届いてはいけない、死者からの手紙だもの。筆跡に見覚えがあるでしょう?」


 ヴィルは息を飲んだ後、静かに文面を目で追い始めた。やがて読み終わると、ぼんやりと海を眺めた。


「恋人が元カレと連絡を取り合っているのを知った気分?」


「茶化すな。レイン王子はまだ地下から出られないのか……」


「もう王子ではないわ。それに、一生出ないって言っていたじゃない」


 ヴィルはやりきれないように目を閉じる。

 元王太子のレイン様は今、王城の地下で生活している。表向きは魔女に殺されたことになっているけど、レイン様は生きている。アンバートが死ぬと同時に呪術から解放され、一命を取り留めた。地下牢とは別に隠し部屋があって、そこに閉じこもっている。私とヴィルも一度だけ会いに行ったわ。

 

 どうしてレイン様が死んだことになっているかというと、国王を呪殺した罪で処刑を望む本人と、王家の威信を守るため王子の罪状を明らかにしたくない大人たちと、助命の嘆願をしたヴィルとモカ、全ての者の願いを叶える折衷案が採用されたから。

 死んだことにして、生涯地下に幽閉される。

 それがレイン様の望みであり、下された罰だ。


「あのまま被害者を装って王位を継ぐなんてできなかったんでしょうね。人前に立つのが怖いみたいだし」


 手紙にも書かれている。闇の中で暮らす日々は恐ろしいが、ひどく安堵する、と。


 実は呪いの代償としてレイン様の体には黒い痣が消えずに残ってしまった。多分あの痣は、殺した人数に応じて残るのでしょう。一人殺したラズとは違い、レイン様の体には無数の痣が刻まれた。

 体だけなら服で隠せるけれど、痣は顔の半分を覆っているみたい。レイン様はその忌まわしい顔を他人に見られることを極端に恐れた。いっそ殺してほしいと何度も懇願していたらしい。


 彼は光の差さない地下に籠ることでようやく安息を得た。それでも痣を隠す仮面を外すことができない。あの奇跡のような美貌は永遠に失われてしまった。


「だが、一人ではないから無様でも生きていける……そう書かれているのには安心した」


 私は最後に会った彼の様子を思い出して、頷いた。

 レイン様の傍らにはモカがいた。生涯主に仕えると断言していた。どんなに姿になっても変わらぬ忠誠を示したモカの存在が、レイン様の心を支えているのでしょう。


「最後の最後で一番胸に響く手紙を寄越すなんて、罪なヒトね。元婚約者様は」


 子どもの頃にやり取りしていた手紙には、本心なんて少しも書かれていなかった。中身のない上辺だけの手紙でも、ドキドキしていたのが懐かしいわ。

 でもこの手紙は違った。私やヴィルへの真摯な言葉が並んでいて、とてもしんみりしてしまった。


「別に、最後の手紙にする必要はないだろう。たまにやり取りすればいい。きっと王子……レインも喜ぶと思う」


「……いいの?」


「ああ。俺も書くから一緒に送ろう」


 ヴィルが他の男との文通を認めるなんて意外だわ。嫌がりそうなものなのに。というか、私の方が面白くない。

 アンバートを看取り、レイン様とゆっくりお話してから、ヴィルは少し変わった気がする。


 私は改めて隣に座る青年を見る。

 最近のヴィルはとても頼もしい。今回の旅行を率先して計画して、抜かりなく準備してくれた。移動中もさりげなく気を遣ってくれるし、私の思考を先読みして欲しいものを手に入れてくる。

 私の隣にいても変に緊張しなくなり、愛情表現も上手になってきた。手を取ってエスコートするときだけ少しぎこちないけれど、そこはヴィルの萌えポイントだもの。変わらないでいてくれて嬉しい。

 

 ダメな男にしてやろうという企みは失敗だけど……うん、悪くない。とても良い男になった。

 従者としても恋人としても、ヴィル以上のヒトはいない。惚気を差し引いて冷静に考えてもその結論は変わらないわ。


 私が腕にもたれかかっても、ヴィルは動かない。しばらく無言で過ごしていると、太陽が海に沈んで視界が朱色に染まっていった。

 海面が煌めいて、世界が燃えているようだった。


「ありがとう、ヴィル」


「急にどうした?」


「ヴィルのおかげで綺麗なものを見られたから。ふふ、一生の思い出になりそうだわ」


「これきりじゃないだろ。また何度でも来ればいいし、他にも行きたい場所がたくさんあるんじゃなかったか?」

 

 ヴィルは一度目を伏せて、躊躇いがちに訴えた。


「時間さえあれば、どこにだって一緒に行ける。だから……決断してくれないか」


 ヴィルが何を言いたのか理解し、私は小さな布袋を取り出した。あの日からずっと、肌身離さず持ち歩いているもの――薔薇の宝珠を手の平に感じながら、私は答えた。


「もう少し、待って。本当に症状が現れるまでは」


 まだ体に異変はない。それどころかすこぶる健康体なの。だからアンバートに言われた余命を信じきれないのよね。まぁ、嘘をつかれたなんて思ってないけど。

 私は傍らに置いていた本を膝に乗せた。アンバートのもう一つの形見だ。普段は厳重に保管しているのだけど、家に置いてくるのは心配だから持ってきた。

 と言っても、たとえ盗まれても中身を読むことはできない。私とヴィルの魔力に反応して文字が浮かび上がるように魔術が施されている。ネフラの手紙と一緒ね。

 しかも大切な情報は暗号で書かれているという徹底ぶり。アンバートはどれだけ周りを信用していなかったのかしら。暗号の解読に手こずって悔しかったわ。


 中に記されていたのは、本当にいろいろなことだ。

 新しい魔術のアイディアから七大禁考の研究結果、これからの未来で起こりうる出来事、はたまたアンバートの懺悔を記した手記のような部分もある。


 一番驚いたのは、時間に関する七大禁考を実行したという記述。この世界はアンバートにとって二周目なのですって。一周目でいろいろと間違えて悲しい出来事……ヴィルの死に直面したため、世界を壊さないギリギリのところまで時間を巻き戻したらしい。

 あまり詳しいことは書かれていなかったけど、「巻き戻しで生じた時間の塵を異空間に捨てた」というメモがあった。もしかして、それが前世女の世界にインスピレーションとして降り注いで“あにめ”化された……?

 いえ、そうなると私と前世女の間でタイムパラドックスが発生してしまう。結局謎は謎のままということね。


 他に、私の体についての考察もあったわ。いつ頃どんな症状が現れ、どのような治療が効果的か。全知と予知をフル活用しても有効な方法は発見できず、結果、薔薇の宝珠による延命しか方法がないと締めくくられていた。

 現実は残酷ね。


「お前の葛藤は分かる。してはいけないことだということも理解している。だが、俺は使ってほしい。……ずっと一緒にいたいんだ」


「…………」


 ヴィルみたいな真面目な男が禁忌に手を出すことを許すなんて、意外ね。

 でも嬉しい。それほど私と過ごす時間を失うことを恐れてくれているのだから。

 

 私は、宝珠を使って生きながらえることを躊躇っている。

 薔薇の宝珠の存在が欲望を煽り、たくさんの人々を苦しめた。私もヴィルもその被害者だ。なのに、全ての元凶となった品を平然と使って、自分だけ良い思いをするの?


 私はククルージュで薔薇の宝珠を造らないと宣言した。それは使わないことと同義だ。

 コーラルは未だに火傷の痕を気にしているし、ファントムはたまにお母様に受けた虐待を夢に見て夜泣きするらしい。エメルダ嬢のように余命少ない人もいれば、レイン様のように美しさを失った人もいる。そんな人々の存在を知りながら、隠れて宝珠を使って永遠の美と若さを体現するなんて……クズ過ぎない?


 正直こんな争いの種、さっさと壊して廃棄すべきだわ。

 たとえアンバートが命と引き換えに託してくれたものだとしても、安易に手を出してはいけない。


 ヒトはいつか死ぬ。明日不慮の事故で死んでもおかしくない。私の場合、死ぬことが分かっているだけマシかもね。身辺整理ができるもの。

 私はヴィルを見つめた。もしも私が一人きりで生きていくのなら、死の運命をすんなりと受け入れられたかもしれない。


「お前は誰よりも辛い想いをしてきたんだ。生き残る機会があったっていいはずだ。アンバートもそう思ったからこそ、ソニアに宝珠を遺したんじゃないか」


「……ようするに頑張ったご褒美ってことね。でも、宝珠を使っていることがバレたら新たな争いを生むわ。見た目がずっと若い娘のままだったら隠し通せないでしょうね。同じ場所で暮らすことも難しくなる。ククルージュのみんなや兄様と殺しあう未来だってあり得る。どう考えても棘の道よ」


 百も承知なのでしょう。ヴィルは頷き、そして覚悟のこもった声で言い放った。


「もしもこの先宝珠を使うことで争いが起こるなら、取り返しがつかなくなる前に、俺がお前ごと宝珠を葬る。延命を願った責任をとって」


 耳に蘇ってきたのはアンバートの言葉。


『きみはクロスと同じ魔女殺しの騎士だ。どうあっても魔女を殺す運命なんだよ』


 よく見ると、言い出した本人が小さく震えていた。無理をするわね。


「そんなこと、ヴィルにできるの?」


「やってみせる。どうせソニアの死を避けられないのなら、いっそこの手で楽にさせてやる」


 ヴィルは本気だ。

 私、やっぱりどこかおかしいかもしれない。従者兼恋人に面と向かって殺すと言われて、かつてないほどときめいている。


「……遺体はちゃんと火葬しなきゃだめよ。他の人間には触らせないで」


「ああ。髪の一本、血の一滴だって渡さない」


 冗談の欠片もない声音に、きゅんと胸が跳ねた。

 愛する人を殺し、誰にも奪わせない。

 サスペンスでは陳腐な殺害動機かも知れないけれど、ヴィルに言われるとどうしてこうも胸が高鳴るのかしら。


「そ、それに隠し通せる可能性はある。見た目のことは、どうにかなるかもしれない。俺が毎日言う……」


「うん?」


 それからヴィルはものすごく恥ずかしそうに告げた。


「ソニアは過去を振り返らず、今を生きていく姿が最も美しい。本当に、日ごと美しくなっていくと思う。なら、普通に歳を重ねていけるかもしれないだろう……?」


「…………」


 生まれて初めて夕日に感謝したわ。今の顔色を誤魔化せて良かった。


 確かにアンバートは言っていた。宝珠で若返る年齢は自己の認識次第だと。

 ヴィルに歳を重ねていく姿が美しいと言われたら、若返りたいなんて思わないかもしれない。むしろ心から一緒に歳を取りたいと願うことができそう。

 私は幸せね。未来の先までずっと、明るく見通せる気がした。


「と、とにかく! 俺は、ソニアのためにできる限りのことをする。だから頼む。前向きに宝珠の使用を検討してくれ」


 だんだんヴィルが泣きそうな顔になってきた。先ほどまでの頼もしさはどこに行ってしまったのかしら。でも仕方ないわよね。私の寿命を知ってからヴィルはずっと心配してくれている。

 その頬を軽く突いて、私は笑った。


 うん。きっと私は、その時が来たら宝珠を使うと思う。

 なんだかんだ綺麗ごとを言っても、結局私は自分の身が可愛い。それ以上にヴィルが可愛い。

 せっかく幸せな気分に浸っているのに、この時間を手放して死にたくないわ。ヴィルが泣くのも、死に別れるのも嫌だ。

 意地汚いと自分でも呆れてしまうけど、これが正直な気持ち。


「ねぇ、ヴィル。一つ提案があるの」


 私はアンバートの本を開いた。暗号化されていてヴィルには読めないでしょうけど。


「ここにね、この世界でこれから起こりそうな出来事が書かれているの。お父様がエメルダ嬢の予知能力で引き出したものみたい」


「まるで予言書だな」


「そのまんま予言書よ。で、数か月先に確率は低いけれど、犠牲者がたくさん出る事件が起こるらしいわ」


 その途端、食い入るように読めないページを覗き込むヴィル。気になるわよね。


「正義の味方なんて柄じゃないし、知ったからといって助ける義理もないけれど……ちょっとでも人助けをすれば、宝珠を使う罪悪感が薄まるかもしれない」


 薔薇の宝珠のせいで失われた膨大な命。その命に報いるためにこれから起こる悲劇を防ぐ。

 ひどいエゴだけど、何もしないよりいいでしょう。

 見て見ぬふりは気分が悪いし、運命を変えられるなら挑戦したいわ。


 ……ごめんね、お父様。もし危険な地域に近づくなという意味で予知の内容を遺してくれていたのなら、逆効果だったみたい。


「危険だと思ったら手を引くわ。……だから、ヴィル」


 お留守番していて、と言いかけて私は別の言葉を選んだ。


「協力してくれる?」


 ヴィルはすぐに頷いた。どことなく体から力が抜け、安堵しているよう。


「もちろんだ。俺はどこまでもついていく」


 金色の瞳が夕日の光を帯びて、とても優しい色になっている。最初に顔を合わせたときとは雲泥の差ね。文字通り、愛されているのが一目で分かる。


 どこまでもついていく、ね。

 私が死んでしまったら、その後ヴィルがどういう選択をするか察せられるわね。


 ……その日が少しでも遠ざかるように、最善を尽くしましょう。

 倒錯的な結末もいいけれど、それは日常を十分に味わい尽くしてからでいい。


「ええ、ずっと一緒よ、ヴィル」


 甘えるように腕を伸ばし、彼の頬に唇を寄せる。

 自分と最愛ヴィルの幸せのために、私は手綱を離さない。



   

 



以上で本編は完結となります。

お読みいただきありがとうございました。


引き続き番外編やスピンオフを投稿予定です。

続編も検討しておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。


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― 新着の感想 ―
[良い点] めちゃくちゃ良かったです。 今日までこんな素敵な作品を見つけられなかったなんて。 続編も楽しませていただきます。
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