46 霧の中の玉座
ヴィル視点です。
煙幕をソニアが風の魔術で払ったとき、チャロットとエメルダを乗せた飛竜はすで灰色の空の向こうにいた。まっすぐ王都の方角に向かっている。
ソニアもサニーグ殿もさして動じていなかった。涙銀雫を奪われていないか、けが人がいないか、被害状況を確認するのみだ。
「本当に追わなくていいのか?」
「ええ。チャロットは銃を持っているんでしょう? 空中戦では分が悪いわ。それに目的地は同じみたいだから問題ないでしょう。もし違ってもエメルダ嬢にはいくつか目印をつけてあるんですって。いざというときは兄様の術士が魔術で居場所を特定できる」
ソニアは冷静だった。
道中テロ組織の魔女に襲撃され、エメルダを攫われるかもしれないとは考えていた。エメルダが本当に予知と全知の能力を持っているなら、早く手元に戻したいはずだ。しかし俺はチャロットがエメルダを強引に連れて行くとは思わなかった。
ここで何も告げず俺たちから離反する理由は一つしか思い浮かばない。
「……チャロットは王国を裏切ってテロ組織に与したんだな」
「おそらく。黒幕さんに弱みでも握られているのかしら。……残念ね」
家族のためにも王国を荒らしたくないと言っていたチャロットの顔がよぎる。とても嘘をついているようには見えなかった。
「俺たちもチャロットに乗せられて、アズライト領から連れ出されたということか」
「違うわ。私も兄様もどっちみち王都には行く必要がある。チャロットの思惑なんて関係なく」
もしチャロットに裏切られたとしても、証拠もなく問い詰めるより、泳がせる方が利が大きいと踏んだらしい。上手くすれば黒幕の居場所が分かるし、裏切りが決定的となった以上、今後遠慮しなくていい。
乗せられてあげたのよ、とソニアは言う。サニーグ殿もだが、頼もしすぎて怖い。
ソニアが気遣わしげに俺を見上げる。「つらい?」「エメルダ嬢が心配?」と問いかけられているような気分になった。
「大丈夫だ。覚悟はしていた」
チャロットの裏切りはそれほど堪えていない。
例え脅迫されていたとしても、従うか逆らうかはチャロットの自由。俺に助けを求めもしなかった。
これが彼にとって最善の答えなのだろう。何かを捨ててでも大切なモノを守る。その行為を責める資格はない。俺も物事に優先順位をつけている。
連れ去られたエメルダは、ただただ哀れだ。造られ、操られ、利用され、それに気づかず前だけを見ているとしたら、これほど滑稽な人生はない。
でも今は、なりふり構わず彼女を助けたいとは思えない。
エメルダは俺の一番大切なものを攻撃した。例え彼女が黒幕に洗脳され、ソニアを憎むように仕向けられていたとしても、関係ない。またエメルダがソニアを傷つけようとしたら、今度は迷いもなく魔女殺しを抜き、敵として排除するだろう。
自分でも不思議なくらい、エメルダへの感情がない。
かつてあれほど胸を焦がしていた彼女への想いはどこにいってしまったのだろう。いろいろな事実がショックで、考えることを拒否しているのだろうか。
本当に薄情だと思う。今思い返せば、あれが本当に恋だったのか疑わしい。ソニアへの鮮烈な想いと比べてしまうと、ひどく淡く儚い、後ろ向きな気持ちだったように感じる。
俺がエメルダにできることはもう何もない。ただ祈るだけだ。
二人が王城に向かったのなら、せめてレイン王子に会えると良い。いつが二人にとって最後になるか分からないから。
改めて出発し、一行は無事王都に到着した。ひとまず俺とソニアはアスピネル家所有の屋敷で休むように言いつけられた。国王への謁見の申し込みに手間取るのが目に見えていたからだ。
俺もソニアも旅装を解き、並んで窓の外を眺めた。
「霧が濃いわね」
土地柄、王都は霧が出やすいが、今日はまた一段と濃い。視界が見通せないせいか不安を掻き立てられる。
久しぶりの王都に懐古の念は露ほどもなく、帰ってきたという気持ちにはなれなかった。町並みに異常はなく、行き交う人々も変わりないように思える。どうやら変わったのは俺の方らしい。
しかし見上げた王城だけはどことなく陰鬱とした気配を放っている。王子の呪いが渦巻いているのを知っているからだろうか。
「間に合ったのではないかしら。奇妙な気配も感じるけれど、かすかにバンハイドのときと似た魔力を感じるわ。まだ呪いは解けていないみたいね。王子が火刑に処されていたら、もう少し騒がしいでしょうし」
「そうだな」
涙銀雫を届ければレイン王子は処刑を免れるかもしれない。そう簡単にいかないことは分かっているが、どうにか助かってほしい。
王子は時に王族としての責務を果たそうと残酷な選択していたが、良い君主であろうと常に考え、努力する人だった。ここで死ぬなんてあんまりだ。彼はきっと良い王になる。少なくとも今の国王よりはずっと。
ソニアは言っていた。王子は二十年前の王都襲撃の真実を知ったために、王に詰め寄ったのではないかと。それで呪いを発現させた。国王に憤ってくれた王子になら、俺は会いたいと切に思う。
そしてはっきりと決別を告げたい。
俺は二度とミストリア王家の下には戻らない。今までの恩は決して忘れない。ミストリアの西端で平穏を祈っている、と。
自分勝手で申し訳ないが、俺のけじめをつけるためにも王子には助かってほしい。
問題は呪いが解けた後、王が王子を許すのかどうかだが……場合によってはアスピネル家が他の領地にも呼びかけ、助命を嘆願してくれるそうだ。テロ組織を倒すまでは王家内で争っている場合ではない。王子の処罰は一旦見送るべき、との趣旨で。
サニーグ殿は今、城下の様子を自らの足で見に行っている。強行軍の旅をしてきたというのにタフだ。俺は鍛えているから平気だが……。
「あ」
俺は自分の至らなさに頭を抱えた。従者たるもの主の体調には常に気を配らなくてはならないのに、すっかり失念していた。
「どうしたの?」
「ソニア、少し横になって休んだらどうだ? 疲れただろう」
「うん? 大丈夫よ、ありがとう」
返って来たのは長旅の疲れを感じさせない優美な微笑だった。
「…………」
いつ魔女の襲撃があるかと気を張り、チャロットにエメルダを連れ去られ、時間と争いながら王都にやってきた。体の方は薔薇の霊水とやらで疲れ知らずなのかもしれないが、精神的には疲弊しているはずだ。
ふと疑問に思った。
以前ソニアは今が幸せだから自然と笑えると言っていた。今もそうか?
気のせいでなければ、今のソニアには何かを恐れるような、憂鬱な予定を前にしているかのような、そんな気配がある。表情を取り繕っている気がしてならない。
これから何が起こるのか、王子と王は助かるのか、魔女はどう動くのか。
そして黒幕は誰で、その目的は何か。
俺は先が全く読めず、漠然とした不安を抱いている。だからこそソニアを守るという一点に忠実であろうと決め、後はその場の状況に合わせて動くしかないと腹をくくった。
だがソニアは違うのかもしれない。ある程度予測がついているからこそ緊張している。本当はもう、黒幕の正体や目的も薄々勘付いているのではないだろうか。
それがソニアにとって都合の悪い事実だとしたら。
どう対処すればいいのか、決めかねているとしたら。
尋ねるべきか迷った。ソニアが無理をしていないかとても気になる。だが、彼女を煩わせるような問題を俺ごときが解決できるわけがない。そもそも気のせいかもしれないし、自分でも抱いている疑問をうまく言葉にできない。
謁見前に余計な気を遣わせるのはまずい。そっとしておこう。
……そう結論を出しかけて、踏み止まった。考えすぎて何もできなくなるのは俺の悪癖だ。
俺は何のためにソニアのそばに居るんだ。
散々悩んだ末、俺は黙ってソニアの華奢な体を引き寄せた。なぁに、と問いつつも全く抵抗なくソニアは腕の中に収まってくれた。
俺はソニアがどんな道を選んでも最後まで隣にいる。一人で困難に立ち向かわせたりはしない。困ったことがあるのなら相談してほしい。どうしても一人で抱え込むというのなら、せめて今だけでも一息ついてくれ。
そんな願いとともに腕に力を込めると、しばらくしてソニアも体重を預けてきた。
「……早く、ククルージュに帰りたいわ」
ぽつりと零れた拗ねたような声に胸がいっぱいになった。珍しくソニアの本音を聞けた気がした。
「ああ。さっさと決着をつけて帰ろう」
「…………うん」
体を離すと、ソニアは機嫌よく笑った。変な“ふらぐ”にしないでね、と訳の分からないこと言ってもう一度俺に抱きついた。
ああ、良かった。
今の笑顔は本物だ。
ほどなくしてサニーグ殿に呼ばれ、俺たちは城門へ向かった。
近くに立つと、創脳のない俺でも異様な空気で肌がざわついた。
「門番は不在で、城門には魔術結界が張られていて中に入れないらしい。エメルダ嬢は城内にいるようだが……一足遅かったな」
「まぁ、間に合ってなかったのね。どうしましょう?」
サニーグ殿が鼻を鳴らし、ソニアは小首を傾げた。
既に悪しき魔女たちに城を占拠されてしまったのだろうか。だとしたら、王と王子の両方を人質に取られたことになるし、いつ殺されてもおかしくない。ソニアは大した脅威ではないと言っていたが、エメルダの全知の力を使われ、こちらの動向が筒抜けになってしまう恐れもあった。
状況は最悪だ。
「強行突破するには戦力が足りぬか。ふむ、城下の民が城の乗っ取りに気づいていないことから考えて、敵の数はさほどいないとは思うのだが、ソニアはどう思う?」
「同感よ。少数精鋭なのか、城内に手引きした人間がいるのかも。ただ人質もいるでしょうから、とりあえず武力行使は最終手段にして、交渉を提案して隙を伺うのはいかが?」
「交渉か。王の命を盾にされたら、普通はまともな取引などできぬわけだが――」
何故さして焦りもなく淡々と作戦を練れるのだろう、と俺が気の遠くなる想いで二人の会話を聞いていると、霧の向こうから覇気のない声が聞こえた。
「予想よりずっとお早いご到着で、驚きました……」
かつて国王の使者としてやってきた男、ネフラ・コンラットが現れ、恭しく貴族の礼をとった。彼は結界を通り抜けてきた。
「ネフラ……あなたはミストリアの裏切り者?」
ソニアの問いにネフラは銀縁眼鏡を押さえ、薄い微笑を返した。
「まさか。僕は脅されているのです。命令に逆らえば、王家や家族がどうなるか分からない。……そういうわけなのでご容赦下さい。せっかくいただいた手紙を返信できず、申し訳ございませんでした」
まるでこの状況を楽しんでいるかのように目を細めるネフラ。あまりの白々しさに俺たちは警戒を露わにする。
王家に仕える術士までテロ組織に寝返った。城の中はどうなっているのだろう。王子やモカ、シトリンは無事なのか。冷や汗が背筋を伝う。
俺たちに囲まれても怯むことなく、ネフラは流麗に告げる。
「早速で申し訳ないのですが……ソニア・カーネリアン様、ヴィル・オブシディア様。お二人を城内へご案内するよう申し付けられております」
「あら、誰が何のために私たちを呼ぶの?」
「強いて申し上げるなら、全ての企みを束ねている方が、あなたたちの心を確かめるために、です」
ひどく抽象的な物言いにイライラした。ソニアは困ったように笑う。
「ふふ、つまり黒幕さんが私たちの考えていることを知りたいということね。意味が分からないわ。そんな誘い文句でのこのこついて行くとでも? 安く見られたものね」
「いいえ、あなたならいらっしゃるはず。ですが、そうですね……」
ネフラはすっとソニアにすり寄り、何かを耳打ちした。殺気がなかったので魔女殺しに手をかけるに留めたが、舌打ちをしたくなるような光景だった。
「……いいわ。行きましょう」
目を剥く俺とは対照的に、サニーグ殿は冷静だった。
「ソニア。見え見えの罠に乗るな」
「大丈夫よ。少なくとも今はまだ敵に害されない確信がある。それに黒幕さんが城にいるって分かったんだもの。ぜひお会いして、話をつけなくちゃ」
「……ならば私も行こう。構わないな?」
サニーグ殿が一歩前に出ると、ネフラは苦笑した。
「やめておいた方がよろしいかと。ミストリア王家は断絶の危機にあります。あなたはいざという時のため、御身を大切になさるべきです。サニーグ・アスピネル様……八つの時まで王位継承権をお持ちだったあなたなら、その意味がお分かりになるでしょう?」
「え?」
その発言には俺もソニアも驚いた。動じなかったのは、サニーグ殿の腹心たちだけだ。
「兄様……もしかして王族の血を引いてらっしゃるの?」
サニーグ殿は面白くなさそうに眉間に皺を寄せ、曇り空を仰いだ。
「ああ。遠縁ゆえにほとんど誰も知らぬはずだ。今思うと意図的に隠されていたのかもしれん。先代のストムス王には随分可愛がってもらったものだが、それがシュネロ陛下を苦悩させたらしい。王都襲撃の後、すぐに継承権を返上し、陛下に絶対の忠誠を誓った。以後もことあるごとに尻尾を振ったものだ。でなければ、アスピネル家はとっくの昔に断絶していたかもしれない」
確か、現ミストリア王シュネロは父親と折り合いが悪く、王位を継げるか不安がっていたらしい。それが二十年前のクーデター計画に繋がった。
シュネロ王の不安の一端は、幼い頃から聡明でカリスマ性があり、王に目をかけられていたサニーグ殿の存在だったらしい。
「私は今も昔も玉座になど興味はない。アズライト領くらいの庭があれば十分だ。これから先も、不自由極まりない玉座に収まる気はないのだがな」
「そうは言っても、やっぱり兄様は屋敷でお待ちになっていて。兄様に何かあれば、アズライトの民が困り果ててしまうわ」
「それはお前もだろう。ソニアがいなくなれば、ククルージュの魔女たちが――」
「私はいなくなったりしないわ。簡単に敵にやられる間抜けでもない。ヴィルも一緒だもの。兄様は私たちのこと信じて下さらないの?」
ソニアに上目遣いでお願いされたら、大抵の男は頷いてしまう。サニーグ殿もその威力に敗北した。ため息を吐き、そして俺の肩を叩いた。任せた、と言われた気がした。ここで応えなければ男ではない。俺は覚悟を決めた。
「では、参りましょう」
ネフラを先頭に入城すると、結界を難なくくぐり抜けることができた。
城内には寒々しい空気が流れていた。かつての荘厳さは見る影もない。照明は暗く、床に泥や枯葉が落ち、まるで打ち捨てられたかのようだ。人の気配はなく、俺たちの足音だけが響いていく。
「兄様から涙銀雫の一部をお預かりしてきたのだけど……陛下やレイン王子はご無事なの?」
「いえ……王子はまだかろうじて生きてらっしゃいますが、国王陛下は、すでに息を引き取りました」
「っ!」
ネフラは息を呑む俺たちの反応を楽しみながら、詳しく話した。
数日前、魔女が城に入り込み、速やかに制圧。王妃や呪われていない臣下は地下牢に監禁された。そして数刻前、王子の憎しみの心が増長するような出来事があり、一気に呪われていた王と腹心たち数人が亡くなったという。その瞬間に死ななかった者もいるが、そろそろ体力も限界らしい。そして王子も今も城のどこかに隔離され、いつ命が尽きてもおかしくない。
間に合わなかった。全然、間に合っていない。
だが、何かおかしい。敵の目的は一体なんだ?
二十年前の王都襲撃では魔女ジェベラが国王の首を討ちとり、ミストリアが魔女の王国になることを宣言し、民を恐怖のどん底へ突き落とした。魔女の圧倒的な力を前に、国中が戦意を喪失したらしい。
しかし今回は王子によって王を呪い殺させた上、王の死を城の内に秘匿している。一方で俺やソニア、サニーグ殿を王都に引っ張り出した。
死亡時刻をずらして、俺たちに王殺しの罪を着せたいのか?
それはありうる。なら、今すぐ城を離脱すべきではないか。
視線で指示を仰いだものの、ソニアは冷ややかな表情でネフラの話を聞くだけだった。
「因果なものですね……二十年前、魔女と手を組み父親から命と玉座を奪い取った方が、魔女の術と御子によって命を奪われる。この一か月、存分に苦しみ、己の行いを悔いたことでしょう」
「当然の報いを受けたと言いたげね。あなた、陛下に恨みでもあるのかしら?」
「僕自身は特に何も。……ただ、従僕の身にも主を選ぶ権利はあるはずです。僕は『ある御方』に尊敬や畏怖の念を抱くとともに、感謝しています。あの御方のおかげで僕の研究は五年分進みました。その恩を返すべく、僕は彼の悲願を叶えるためお力添えをさせていただきました」
ネフラははっきりと認めた。王を裏切り、テロ組織に与したと。
俺が魔女殺しに手をかけたのを察して、ソニアが手で制する。
「あの論文、あなたの力だけで作ったものではないのね?」
「ええ。彼に手伝っていただきました」
「……予知、全知、呪殺に空間魔術。完全に魔女の英知を超えているわね」
いつだったかソニアがネフラの論文を絶賛していたことを思い出す。魔女では思いつけない大胆な発想の新しい魔術。敵は相当魔術への造詣が深い。
「そう、彼は魔女の王となるべくして生まれた方。そこらの魔女では敵いません」
階段を上ったところで、ネフラが回廊の外を示した。ここからは中庭を見下ろせるはず。そう思って身を乗り出し、あり得ない光景に眼球が震えた。
「……全員、死んでいるのか?」
中庭には十数名の女が折り重なるように倒れていた。ある者はどす黒く焼けただれ、ある者は大量の血を流し、ある者は腹から爆散している。
風に乗った腐臭が鼻をかすめ、俺は手で口元を覆った。
「全て、あの御方に仕えていた魔女です。用済みになったので報酬を与えたそうです」
「報酬って……」
「薔薇の宝珠です。ただし、本物ではない毒薔薇でした。疑いなく服用した者は死に、騙されたと気付いた者は歯向かって殺されました。瞬殺……圧巻でしたね」
凄惨な光景が目に浮かぶようだった。
「どうして、自分の部下を……」
「さぁ? 部下だなんて、あの御方は思っていらっしゃらなかったということでしょう。これでご安心していただけたかと思います。この城にいる魔女は、現在ソニア様ただお一人です」
ネフラが先を促す。
俺は敵の力を目の当たりにするとともに、思惑が読めなくて混乱するばかりだった。静かに中庭の様子を眺めていたソニアは、無表情のまま歩みを進めた。
やがてネフラが重厚な扉の前で立ち止まった。
「到着いたしました。こちらで彼がお待ちです」
案内されたのは謁見の間だった。王の権威を示す場所だ。ミストリアの民の一人として、王家に仕えていた元騎士として、この神聖な場を奪われたことに憤りを覚えた。
「中へはお二人でどうぞ。僕は扉の前を守りますので。ご健闘をお祈りいたします、ソニア様」
俺とソニアは顔を見合わせた。紅い瞳が一つ頷く。
ついに黒幕との対面だ。
深呼吸をし、魔女殺しに軽く触れてから、俺は扉を開いた。
謁見の間が纏う厳かな空気に似合わぬ、軽やかな声が響いた。
「――思ったよりも早く会えて嬉しいよ。でも焦った。霊山に寄ってもらうはずだったのにまっすぐ王都に来るものだから、予定より早く王を殺すことになっちゃった。それはちょっと残念だったな」
彼は玉座に腰掛け、にこやかに俺たちを見下ろした。足が床についておらず、ぶらぶらと遊んでいる。
その姿を見た瞬間、俺の頭は真っ白になった。
「シトリン……?」
十二歳の少年が俺を見て無邪気に笑う。悪戯に成功した子どもそのものだ。
「ヴィルはいいね! すごくびっくりしてくれて、嬉しいな。……それに比べてきみは可愛げがないな、ソニア」
ソニアは動揺の欠片もなく、凛とその場に立っていた。
「まさか、シトリンが全ての黒幕ということか……?」
「この状況では間違いないでしょうね」
シトリンは鼻歌混じりに片手で王冠を弄んでいた。おもちゃを扱うかのような手つきに肝が冷えた。
確かに、俺の知っているシトリンではない。彼は弱気で人見知りが激しく、謙虚で純粋な少年だった。
容赦なく魔女を殺す俺を見ても、怯えず懐いていた点は不思議に思っていたが、まさかそんな……。
「あなたには確認したいことがたくさんあるのだけど、良いかしら?」
「どうぞ。そのために呼んだんだから」
ソニアが真っ直ぐにシトリンを見上げる。
「あなたは、私の腹違いの弟?」
俺の心臓が嫌な音を立てた。意味が分からない。
腹違い……ソニアの父親・アンバートは死んで、アロニアに谷底に落とされたと聞いた。それはソニアが赤ん坊だった頃の話で、年齢を考えればシトリンが生まれているはずがない。
もしかして、アンバートは生き延びていたのか?
その可能性を考え始めたときに、ソニアがさらに衝撃の質問を口にした。
「それとも、薔薇の宝珠によって若返ったお父様本人なのかしら?」
「………………は?」
今度こそ思考が停止した。もうついていけない。
シトリンが「ふふっ」と肩を揺らした。
その表情がソニアのそれと重なり、全身の血が凍りついた。