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45 とある物語の結末


 エメルダ視点です。


 ストレスフル、サイコホラーの要素があります。ご注意下さい。

 


 こんなはずじゃなかった。

 どうして、どうしてみんなはわたしが悪いみたいに言うの?

 わたしはいつだって正しく生きてきたのに。



 わたしは山奥の村でひっそりと育った。

 両親のことは何も覚えていない。赤ん坊のわたしを拾い、育ててくれたのはスーフェというおばあちゃん。おばあちゃんもそれまで一人で暮らしていて、他に家族はいないみたいだった。

 無口だし無表情だし、基本的に怖いんだけど、ものすごく頭が良いの。草花の名前だけじゃなく、どんな薬や毒になるかも全部覚えていたんだよ。


 不思議だったのが、おばあちゃんが村人の前でその知識を隠していたこと。ただ気難しいだけの平凡な老婆を装っているみたいだった。変なの。その知識を広めればみんなの役に立てるし、見直してもらえるのに。

 この世には知らない方が幸せなことがある。それがスーフェおばあちゃんの口癖。


 おばあちゃんはわたしの力を封じたがった。

 生まれつき、空から突然ヘンテコな映像が降ってくるの。村からほとんど出たことないのに、知らないものがたくさん視えるし、分かる。

 夢みたいなものだと思ったけど、しっかり起きているときにも次々と見知らぬ風景が脳裏を駆け巡っていく。他の子どもたちは起きているときに夢は見ないって言っていた。少し年上のお兄さんはこういうの、白昼夢って言うんだって教えてくれた。


 ある日、村の妊婦さんが転ぶ光景が視えた。

 何だか胸騒ぎがして様子を見に行くと、彼女はまさに家の外に出ようとしているところだった。わたしは咄嗟に声をかけ、妊婦さんの足を止めた。三歩先に動物が掘った窪みがあった。あのまま進んでいたら、もしかしたら映像通りに転んでいたかもしれない。


 そのとき思ったの。

 わたしが視ていたのって未来の映像?


 なにそれ、すごい!

 興奮のまま、スーフェおばあちゃんに話すと眉間のしわが深くなった。下らないことを言うなって怒られちゃった。

 でも、わたしは下らないとは思わない。

 閉鎖的な村、気難しい同居人、孤児だと馬鹿にする子ども、それを止めない大人。

 下らないのはわたしじゃない。みんなのほうがずっとつまらないじゃない。


 それからわたしはおばあちゃんに隠れて能力の検証をした。

 降りてくる予知は不鮮明なものが多くて大変だった。しかも夢中になって映像に集中すると、すぐに目の前が真っ暗になって倒れちゃう。頭が割れるように痛い。

 おばあちゃんには検証していることがすぐにバレた。すごく危険なことをしているって叱られた。

 おばあちゃんはわたしの身を心配して、映像を視るな、使おうとするな、ってうるさく言うんだよね。少しだけ反省した。


 でも……こんな素敵な力を持っていて、使わずにいられる?

 危険だって分かっていても、他の人が持っていない力があるんだよ?

 上手く使えばみんなの役に立てる。ミストリア王国を救った魔女アロニアよりも、有名になることもできちゃうよ。

 きっといつかわたしの力をみんなが必要とするときが来る……そうだったらいいなぁ。

 少しずつ、少しずつ力を試すことにした。体に負担をかけないように。


 十二歳になったとき、とっても素敵な夢を視た。

 動く絵物語だった。声や音も付いていて、見たこともない可愛らしい絵柄。

 タイトルは『エメルダと魔女伝説』……だって。

 もちろん主人公はわたし。王子様や仲間たちと一緒にミストリア王国を救う旅をする。

 敵は救国の魔女アロニアの娘、ソニア・カーネリアン。美しい王子様に執着して、邪魔なわたしを殺そうとする恐ろしい魔女。

 命を狙われたり、仲間が犠牲になったり、ハラハラドキドキ。

 でも最後には王子様と結婚してわたしは本物のお姫様になるの。みんなに誉められて、頼られて、愛される……とても幸せな結末ね。


『へぇ、すごいな。こんなものを拾ってくるとは……それとも脳が作り出した独自の予知映像か? しかしお前に×××××のことを知っていてもらっては困る』


 ふと気づくと、物語の細かいところを忘れていた。

 魔女たちはどうして悪いことをしていたんだっけ?

 何か危険なものを造ろうとしていたような……。

 他にも物語のところどころが穴だらけになっちゃった。

 ……まぁいいや。わたしと王子様が結ばれるなら、他のことはどうだっていい。


 この物語が現実になったらいいなぁ。

 いつもの映像とは全然違ったから、実現するとは限らない。本当にただの夢かもね。

 それでも少しでも物語のわたしに近づきたくて、明るくて素直、他人に優しく、感情豊かに日々を楽しむことを心がけた。もちろん身だしなみにも気を遣ったよ。絵物語のわたしはとっても可愛らしかったから。


 そんな夢見がちな日々を送る中で、ときどき不思議なことが起こった。

 ふと気づくと時間が経っていて、その間に起こったことを覚えていない。何かの病気かなぁ、と不安になっておばあちゃんに相談するけど、「心配ない」と取り合ってくれない。

 そういうとき、おばあちゃんは珍しく機嫌が良かった。わたしが記憶を失っている間、来客でもあったのかな。食器棚のお客さん用のティーカップの位置が変わっていたり、家の中に微かに良い匂いが残っていたり……。

 まぁいいや。不思議と頭がすっきりしていたから気にしないことにした。


 退屈な村の代わり映えのしない日常は辛かった。

 村を出たいけれど、わたしには十分なお金はないし、年老いたおばあちゃんを置いていったら周りになんて言われるか分からない。

 十六歳になれば、きっときっと、絵物語と同じように王子様と出会えるはず。

 縋るようにそう信じるしかなかった。






 そして運命の日がやってきた。

 悪しき魔女がやってきて村人を惨殺する、という予知が降りてきたの。これは「エメルダと魔女伝説」の序章と同じだ。

 私は絵物語の通りに行動し、そしてレイン様に出会った。あとヴィルくんも。

 実物の王子様はこの世のものとは思えないくらい美しかった。青い瞳が宝石のようにきらきらしていて、わたしは一目で心を奪われた。

 優しくて、賢くて、頼もしい、理想の王子様。

 彼を助けたい。必要とされたい。そして、特別愛されたい。


 わたしは決めた。

 絵物語を現実のものにする。悪しき魔女ソニア・カーネリアンを倒してミストリア王国を救い、レイン様と結婚するの。


 もちろん自分の欲望を叶えるためだけじゃない。

 悪を倒せば王国の平和は保たれる。

 わたしが動かないと、王国を魔女に支配されちゃうかもしれない。そんなの絶対ダメだよね。

 最後に勝つと分かっていても、絵物語をなぞるなら何度も魔女に殺されかける。危険だと思う。

 でもわたし、みんなのために頑張るよ!


 レイン様と出会ってすぐ、おばあちゃんが亡くなった。「アロニアこそが悪の魔女」だと言い残して。よく覚えてないけど、これも多分絵物語通り。おばあちゃんを一人残して旅立てないし。

 丁重に弔って祈りを捧げた。今までありがとう、おばあちゃん。わたし、アロニアが悪い魔女だってみんなに広めてくるから。


「行こう、エメルダ」


「は、はい」


 旅をしてしばらく、わたしは全てをレイン様に打ち明けようか迷った。彼らが追っている怪事件の黒幕はソニア・カーネリアン――レイン様の婚約者だ。

 それはこれから旅を通じて少しずつ明らかになっていく事実なんだけど、最初にわたしが敵の名を口にすれば、一息に展開が進むかもしれない。


『やめておいたほうがいいよ。田舎の小娘がいきなりそんなことを言っても、信じてもらえるわけがない。まずは信頼を得ることが大事だ』


 ……やっぱり絵物語通りに進めなきゃダメ。予知はわたしの行動次第で覆っちゃうから、余計なことはしない方がいい。

 旅をして各地で仲間に出会わないといけないし、焦ったら全てが台無しになる。

 わたしは全てを知っていることを黙っていることにした。

 それでも予知で怪事件を解決していくのに不都合はなかった。だって、本当にそのときがくると予知が降りてきたから。

 このままいけば絵物語は簡単に現実になる。


 一つだけ心に引っかかるのは、最終決戦のこと。

 仲間のみんなが傷つく。特にヴィルくんはわたしを庇って死ぬことがはっきりしている。


 これだけは、回避してあげたいけど……。

 余裕があったら頑張ってみよう。レイン様がきっと気に病む。ヴィルくんと仲良しだもんね。


 実はわたし、ヴィルくんが苦手。

 冷たいし、雰囲気が重いし、一緒にいると息が詰まる。

 見た目はかっこいい。剣の腕もすごいと思う。でも魅力を感じない。むしろいつもレイン様と旅程の確認などで喋っていてズルい。

 好きな人と過ごす時間を奪われている感じがして、すごくもやもやする。


 絵物語の通りに行動していると、やがてヴィルくんの態度が軟化していった。彼のわたしを見る目が熱を帯びていく。

 少し優しくしただけなのに……そんなに愛に飢えているの? なんか可哀想。

 同情はするけど、ますますげんなりした。思わせぶりな態度を取るのをやめて、距離を置いた方がいいかもしれない。わたしと関わってもヴィルくん死ぬだけだし。

 最終決戦のときは王国の他の騎士様に守ってもらえるよう、レイン様にお願いしてみようかなぁ。


『ダメだよ。ヴィルに優しくしないと、守ってもらえない。お前もレイン王子も死んでしまうよ? 今はこのままでいいんだ。シナリオを変えるな』


 ……やっぱり絵物語の通りにしよう。


 例え最終決戦で死ぬことになってもヴィルくんはきっと幸せだよね。

 だって好きな人のために死ねるんだもん。実際絵物語の中では穏やかに息を引き取ったし。

 わたしもレイン様のためなら死んでもいい。むしろそうやって彼の心に存在を刻みこめるなら満足だよ。山奥の村で朽ちていくくらいなら、一瞬でも強く輝きたい。そう思う。

 ごめんね、ヴィルくん。






 全てが順調だった。絵物語は全て現実となった。

 あの瞬間までは。


「……私はミストリア王と母アロニアが結んだ盟約の下、嫁入りのためにやってきただけ。レイン様がおっしゃるような犯罪の類には一切関わりございません」


 初めて聞くセリフとともに、純白のベールから燃えるような赤髪が零れた。

 レイン様とソニア・カーネリアンの婚礼の日、初めて絵物語と現実にズレが生じた。


 怒り狂って王子を呪うはずなのに、悪の魔女は涼しげに聴衆を説き伏せていった。

 わたしは焦っていろいろと失敗をした。このままじゃ予定通りレイン様と結婚しちゃうと思って、必死だったの。

 でも悪の魔女はわたしを嘲笑い、ミストリアの王族とは結婚しないと明言した。ほっとできたのも束の間だった。彼女は賠償としてヴィルくんの身柄を要求してきた。信じられない。


 もしかして、ソニア・カーネリアンも予知能力を持っているの?

 きっとそう。自分が殺されないために、魔女殺しごとヴィルくんを取り込んだんだ。


 あれよあれよという間に軟禁され、王国から予知能力の検証実験に協力するよう言われた。能力を証明できなければ裁判にかけて断罪すると脅されもした。

 それどころじゃないよ!


 どうしよう、どうしよう。

 予知を覆された。これから何が起こるの……?

 わたしは未来を知りたくて必死に創脳に力を込めた。


『しばらく大人しくしていて。安心するといい。王子と結ばれる未来は揺るがないさ』


 そう、だよね……今無茶をして倒れたら、みんなに心配かけちゃう。自然に予知が降って来るまで休んでいようっと。

 でもヴィルくんがそばにいないのは不安。いつ悪い魔女たちに襲撃されるかもしれない。面会に来てくれる王子や仲間たちに、ヴィルくんから手紙がないかを聞く。

 みんな、ヴィルくんがわたし達を裏切るわけないって言ってくれる。わたしもそう思う。だって、命がけで守るくらいわたしを愛している最強の騎士だもん。例え相手が絶世の美少女でも揺らいだりしないよね。


 ……うん。あのソニアって魔女はとても綺麗だった。

 色っぽくて、スタイルが良くて、頭も良さそうだった。同い年とは思えない。婚約破棄の儀式の時に対面したというレイン様は、彼女のことを控えめに賞賛していた。今の僕たちが敵う相手ではなかった、と。


 ……嫌い。

 なんだろう。彼女を見ていると、複雑な感情が甦ってくる。

 わたしの大切な人を横から奪った女。若いだけが取り柄の醜い心根の女。そんな気がしてくる。

 ヴィルくんはわたしの大切な人じゃないし、レイン様の心だってわたしのところにあるのに、不思議。


『ふふ、怖いなぁ。まだ残ってるんだ。そういう気持ち。いいよ、復讐の機会をあげる。新しいシナリオを始めよう。滅ぶ者と救われる者を分ける、選別の時だ』


 ある日、脳裏に恐ろしい映像が降りてきた。

 レイン様の肌に黒い痣が浮かび、倒れて苦しむ予知だ。思わず悲鳴を上げそうになった。

 久しぶりの予知は短くて他のことは何も分からない。今の状況でこれを周囲に伝えてもいいのかな?

 どうしよう、どうしよう。

 わたしはすっかり判断力を鈍らせていた。今までは絵物語通りに行動するだけで良かった。答えが全て分かっているのって楽だよね。


 悩んだ甲斐もなく、すぐに予知を話さなきゃいけなくなった。レイン様が新しい婚約者を探すと言い出したから。ひどい。わたしのこと、本気じゃなかったの?

 絶対に、諦めないんだから。

 婚約者探しどころじゃなくなるよね? 予知の内容が内容だし。


 呪いの予知のことを話してしばらくしてから、またも恐ろしい映像が脳裏に浮かんだ。

 少し幼いソニア・カーネリアンが人を殺すところ。

 ところどころ途切れていて分からなかったけれど、殺されたのが彼女の母親――アロニア・カーネリアンであることが分かった。

 本当に悪い魔女なんだね。

 楽しそうに母親を殺して、血に濡れても平然としている。なんだか慣れているみたいだった。これが彼女の本性なんだね。

 婚礼の儀では良い子ぶっていたくせに、許せない。


『そうか……彼女は……そういうことか』


 予知通りレイン様が倒れ、わたしは仲間たちとともに涙銀雫を手に入れてくるよう、王妃様に命じられた。

 なんだか絵物語の展開が戻ってきた。ヴィルくんがいないけど、何とかなるよね!


 ……意気揚々と出発したけど、霊山攻略は失敗しちゃった。

 やっぱりヴィルくんって絵物語の再現に必要だったんだね。近衛騎士さんはもちろん、チャロットくんやモカちゃん、シトリンじゃ代わりにならないみたい。

 このままじゃレイン様が死んじゃう。

 ううん! 大丈夫、大丈夫。まだ手がなくなったわけじゃない。


「ヴィルくんに助けてもらおうよ! レイン様の危機だもん! 何を差し置いても絶対に協力してくれるよ!」


「確かに……このまま手ぶらで王都に帰れねぇな」


 怪我をしたモカちゃんとシトリンを王都に帰して、いつになく暗い表情のチャロットくんと一緒にアズライトの領主様のお屋敷に行った。ヴィルくんに面会させてもらうために。


 そこからはもう、信じられないことの連続だった。

 一番驚いたのは、ヴィルくんがソニア・カーネリアンの恋人になっていたこと。

 ……きっと色気に負けたんだ。情けなくて涙が出てくる。

 でも一番悪いのは誘惑した悪の魔女だ。単純なヴィルくんは騙されているだけ。


 わたしは心を込めてお願いした。わたしへの気持ちを思い出してほしかった。でもヴィルくんはそれを拒んだ。

 レイン様を救う最後の道が断たれた。


 どうしてこんなことになったの。

 みんなわたしが悪いみたいに言う。

 領主様も、その奥さんも、ヴィルくんも。

 ソニア・カーネリアンはずっと余裕の笑みを浮かべていた。ああ、そう。アズライト領は悪の手に堕ちて、腐り果てているんだね。


 紅茶をかけられたり、魔力の風を叩きつけられたり、散々な目に遭った。

 嫌だよ。こんなところで悪に屈するなんて。

 わたしはずぅっとみんなの幸せのために頑張ってきた。このままじゃ終われない。


 最後の力を振り絞って告げた。彼女の母親殺しの罪を。

 慌てるといい。ヴィルくんに失望されちゃえ。


 悪の魔女を呪いながら、わたしは力尽きた。






 声が聞こえて、意識が浮上した。体の節々が錆びついているみたいに固かった。


「約束通りエメルダを連れてきた。アズライト領での出来事も話した。……アンタも約束を守れ」


「ああ、ご苦労様。約束の治療薬だ」


 声は男の人のものが二つ。一人はチャロットくんだ。もう一人の声は分からない。なんだか懐かしい。どこかで聞いたことがある気がするけれど、頭がぼんやりして思い出せない。


「この薬で、本当に妹は助かるのか?」


「使い方を間違えなければね。一日一滴、半年間必ず毎日服用すること。多く飲ませ過ぎたら死ぬよ。劇薬だから」


「分かった。……感謝するぜ」


「どういたしまして。……しかしきみはとことん運がなかったねぇ。順調に薬学が進めば、あと十年ほどで開発されるレベルの薬なのに。時代さえ合えば、きみは仲間を裏切らずに済んだ」


 耳をくすぐるような笑い声が聞こえる。言っていることは不穏だけど、素敵な声。


「責めているわけじゃない。同情しているのさ。きみは何も悪くない。大切なきょうだいのためにできることをやったんだから」


「……もう、オレに用はないよな。じゃあな」


 苛立った声を最後にチャロットくんの足音が遠ざかる。待って。どういう状況か説明してよ。


 わたしは全身に力を込めて体を起こした。部屋にはもうチャロットくんの姿はなかった。

 ここは、王都のお城みたい。窓の外の尖塔に見覚えがあった。アズライトにいたはずなのに……あれから何日経ったんだろう。

 

「起きたんだ。顔色悪いね。大丈夫?」


「え」


 私の目の前に男の人が立つ。

 水中で目を開いたときみたいに視界がぼやける。周りの景色ははっきりと見えるのに、その人だけが認識できない。

 誰?

 その疑問は瞬く間に溶けてどうでもよくなった。


「エメルダもありがとう。お前のおかげで大切な情報を入手できた。味覚や恐怖心、自制心や理性を犠牲にして脳の寿命を延ばした甲斐があった」


 何のことだろう。分からない。

 その人は私の手を引いて歩き出した。私は逆らわずについていく。誰ともすれ違わないのが不思議だった。このお城、人の気配がしない。


「レイン王子の顔を見に行こう。そろそろ体力も限界だ。心配だろう?」


「……っレイン様!」


 そうだ。早く会いたい。わたしの大好きな人。未来の旦那様。

 彼が呪いで倒れてから一度も会えていない。ずっと心配していたのに会わせてもらえなかったの。愛しさと切なさで胸が壊れてしまいそう。


 あの部屋だ、と指差された扉に向かってわたしは駆け出した。案内してくれた男の人がくすりと笑う。胸が熱くなるような強烈な懐かしさを感じ、次の瞬間には全て忘れた。今はもう、わたしの王子様のことしか考えられない。


「レイン様!」


 扉を開けると、みずみずしい薔薇の香りが広がった。見事な紅薔薇の大輪が出窓に飾られている。

 天蓋付きのベッドの奥でレイン様が苦しそうに呻いていた。傍らにはモカちゃんがいる。

 励ましていたのか、彼の手を握っているみたい。その光景に胸がむかむかした。ただのメイドさんのくせに、ご主人様に馴れ馴れしすぎるんじゃないかな。


「エメルダ……帰ってきたのですね。良かった」


 モカちゃんがはっとしてレイン様の手を離す。


「エメルダ……?」


 ベールの向こうでレイン様がわたしの名前を呼ぶ。泣きそうな声で。意識不明って聞いてたけど、目が覚めたんだ!

 うん。モカちゃんのことなんてどうでもいいや。レイン様の涙を拭いてあげないと。あの宝石のような瞳を早く見たい。


「殺して、くれ……このままじゃ、僕は……」


「そんな、そんなっ。しっかりしてください! レイン――」 


 わたしはベッドサイドに踏み込んで、言葉を失くした。

 レイン様が目をつぶって顔を背ける。もう手で覆い隠す力も残っていないみたい。


 彼の美しい顔に浮かぶ、おびただしい黒い痣。寒気がした。痩せた頬を虫が這ったみたいに痣がうねっている。白磁のようだった肌は見る影もない。

 これはヒトを呪った者に現れる証だって聞いた。予知映像でも視た。でも、でも、実物はこんなに――。


「きもち悪いっ」

  

 部屋にわたしの声が響いた。おかしいな。こんなこと、思っても言っちゃいけないことくらい分かっているのに。

 輝きを失った青い瞳が絶望して見開かれる。


「やだ! こっち見ないで!」


 目が合うと呪われちゃうかも。

 慌てて部屋の隅に逃げると、ベッドの上からぐちゃぐちゃの嗚咽が聞こえた。壊れてしまったのかな、レイン様。可哀想だけど、わたしのせいじゃないよね。ヒトを呪うからいけないんだよ。


「え、エメルダ、なんてことを――!」


 モカちゃんが激昂して、信じられないものを見る目を向ける。アスピネル家で批難されたことを思い出して、心が大きく軋んだ。ああ、そう。ここでもわたしは悪者なんだね。

 もう何もかもがどうでもいい。なんで頑張ってきたのか分からなくなった。


「もうやめた。涙銀雫は手に入らなかったから、どうせ王子様は助からないもん。後のことは知らない。レイン様はモカちゃんにあげる。好きじゃなくなっちゃったから」


 あーあ。絵物語はやっぱり、作り物の偽物なんだ。

 わたしはヒロインじゃなかった。理想の王子様もいない。

 ……ううん、また探せばいい。旅をして分かった。世界はとっても広いから、きっとどこかにわたしを幸せにしてくれるヒトがいる。次の瞬間には、そういう予知が降りてくるかも!

 ミストリアはもう期待できないし、別の国に行ってみよう。楽しみだなぁ。

 

「今までお世話になりました。ありがとう、さようなら」


 ちゃんと挨拶するのは大切だよね。わたしがにこりと笑うと、モカちゃんが息を呑んだ。

 鋭い視線が全身の肌に突き刺さる。

 その瞬間、目眩がした。床に血だまりが広がる光景が脳裏に浮かぶ。

 今の、なんの予知かな?


 そこからは全ての出来事がゆっくり見えた。目眩で体が動かない。 

 モカちゃんが出窓の花瓶を手にして、薔薇と水を盛大に捨てた。そしてわたしに近づいて花瓶を持つ腕を振り上げる。

 わたしの目は空中の紅薔薇に釘付けになっていた。花弁が舞うように散る。見惚れてしまってなんだか悔しい。


 紅は、あの魔女を思い出させるから嫌い。

 

 鈍い音とともに視界で白い火花が弾ける。

 最後に予知が当たったことを知り、わたしの物語はあっけなく終わりを迎えた。




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