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43 ヒロインの秘密


ヴィルがうじうじしています。

苦手な方はご注意下さい。


 アスピネル家の屋敷には私の部屋がある。

 八歳の頃から月に一週間ほど滞在することになり、用意された。教育が終わってからもいつ来ても使えるように整えてもらってある。

 靴を脱いで天蓋付きのベッドに上がり込み、四つの柱に紐を張って盗聴防止の魔術をかける。結界の完成と同時にベッドの上から手招きすると、ヴィルは特に抵抗もなく上がってきた。心ここにあらずといった様子。


「この中なら何を叫んでも外に聞こえないわ」


「叫ぶって何を」


「心の中ぐちゃぐちゃでしょう? 泣き喚いてもいいのよ」


「……別に」


「強がっちゃって」


 私は指折り数えて指摘した。

 レイン王子を見捨てる選択をしたこと。初恋の少女の醜態を目の辺りにしたこと。チャロットの愛国心を知り、己の幸福を優先にした自分が恥ずかしくなったこと。これから先どうすればいいか全く分からないこと。……それから恋人に暗に別れを示されたこと。

 大丈夫かと案じて見せると、ヴィルは力尽きたようにベッドに倒れ込んだ。


「お前……全部分かっていてどうしてそんなに嬉しそうなんだ……ひどくないか?」


 仕方がないでしょう。ヴィルの堕落が私の望みなのだから。

 親友よりも初恋の人よりもミストリアの民よりも、ヴィルは私とともにある幸福を選んだ。苦渋の選択だったでしょう。自己嫌悪で苦しげなヴィルが堪らなく愛しいわ。


 例えばファントムなら、当然のように私を選んで何も後悔しない。盲目的な狂信者だから。

 でもヴィルは違う。

 私を最優先にすると決めていても、実際に親友や母国の危機に見て見ぬ振りでいるのは心苦しい。幸せな日々に浸っていた間は良くても、外の世界の有様を知った途端、すさまじい罪悪感に襲われてしまう。

 結局、まともな神経の持ち主なのよね、ヴィルは。

 自分たちさえ幸せならそれでいい、と割り切ろうとしても没頭できない。


 でも私はそういう不器用なヴィルが好き。

 必ず私を選ぶように仕向けておいて、ヴィルの思い悩む姿が嬉しいなんて……私は歪み、矛盾しているわね。


「悪いと思っているわ。だから不満を聞いてあげる。言いたいことは今のうちに全部吐き出しておきなさい。自分の言葉で」


 ヴィルはシーツに突っ伏したまま、弱々しい声を漏らした。観念したみたい。


「俺は薄情だ。エメルダの言う通りかもしれない。たった数か月でどうしてこんなに変わってしまったんだろう」


 ヴィルはぽつりと呟いていく。

 昔の自分なら迷わずレイン王子を助ける道を選んだ。己の幸せを捨てても、私と別れてでも、たとえエメルダ嬢の盾になって死ぬと分かっていても、弱き者を助ける騎士の正義に殉じただろう、と。 

 うん、自己犠牲精神の塊だったものね。

 

「だが今はたった一人に囚われて、後のことは他人任せだ……ダメ人間になっている気がしているのに、ソニアが笑っているなら、もう何もかもがどうでもいい。それいいのか?」


「いいじゃない。私は嬉しいわよ?」


「お前を選んだことに後悔はない。だが、依存して、顔色を伺って、求められる通りに応えて……それで本当にお前を幸せにできるか不安だ。お前のことを想うなら、もっと頼もしい男にならないといけない。サニーグ殿くらい、先回りしていろいろ用意できるような男にならなければ守りきれないのに……こうしてうだうだ悩み、お前に余計な気遣いをさせていると思うと気が滅入る」  


 流れるような弱音の数々。大半の女性は鬱陶しく思うだろうけど、私は何故か胸がきゅんとした。庇護欲をそそられる感じ?


 変なプライドなんて捨てて甘やかされていればいいのに。私は万能のヒーローなど求めてない。ヴィルが助けてくれたらそれは嬉しいけれど、別に何もしてくれなくてもいい。生きていてくれればいい。


「実際情けないから、ソニアは俺のことを信頼してくれないんじゃないか? あの言い方はない……」


 生気のない声が布地越しに響く。どこかしょんぼりしたヴィルの頭を優しく撫でた。以前はすぐに振り払われたけど、今はされるがままだ。はぁ、可愛い。どこかの小娘のせいで荒んだ心が癒される……。


「ご、誤魔化されないぞ」


 はっとして私の手を取るヴィル。揺れる瞳が私を見上げる。


「情けないなんて思ってないし、ヴィルの気持ちを疑ったわけでもないわ。でも、心が揺れているのは分かったからちょっと不安だったの。ああ言えば、絶対私の元に残ってくれるって思っていたわ。……あれが私なりのヴィルへの執着なのだけど、そんなに嫌だった?」


 ようするにエメルダ嬢に渡したくなくて必死だったの。

 そう伝えると、ヴィルは慌てて布団に顔をうずめた。顔を隠しても無駄よ。耳が赤くなってるから。


「は、ハッタリでも要らないと言われるのは堪える。揺らいだところを見せたのは悪かったが、もう二度と言わないでくれ」


「分かった。ヴィルは格好良かったわよ……みんなの前で私を選んでくれて嬉しかった」


 ありがとうと感謝を述べる。しばらくして精神を持ち直したのかヴィルは起き上がり、私の手を自らの両手で包み込んだ。


「少し気が済んだ。すまない。ソニアは叫ばなくて大丈夫か? いろいろ無神経なことを言われて……その……エメルダのこと、怒ってるだろ?」


「安心して。もう殺意はないわ」


 小物にいつまでも感情を乱していられない。頭を切り替えなくちゃね。

 にこりと微笑を返すとヴィルの頬がひきつった。


「そ、そうか……庇うわけではないんだが、エメルダの様子はどこかおかしかった。以前はあそこまで周りが見えない子ではなかったんだ。やはり予知能力のストレスで徐々に脳が……」


「そのことだけどね、エメルダ嬢の能力について分かったことがあるの。本人は気づいていないようだけど、おそらく予知以外の力を持っている」


 私が姿勢を正すと、ヴィルもそれに倣った。心の憂いもひとまず片付いたみたいだし、真剣なお話をしましょう。

 緩んでいた空気がぴりりと引き締まる。


「お母様を殺したときの光景を知るのは私だけ。それを知っているということは、エメルダ嬢は私の記憶を覗いたってことになる。寒気がするわ」


「できるのか? そんなことが」


 息を飲む音が聞こえた。信じられないといった表情ね。実は、私も信じられない。


「普通はできないわ。というか、今まで誰もできなかったけれど、エメルダ嬢の脳なら不可能を可能にできるのかもしれない。彼女のもう一つの能力は……全知」


 自然界の魔力の川を通じ、人々の記憶に干渉し、この世の全てを把握する、知識の最上位魔術。

 予知と同じく知識に関する「七大禁考タブー」。有史以来、誰も手に入れたことのない神に等しき力。


 それならば別の時空の産物である“あにめ”を知っていることにも頷ける。

 私が過去視で視た“あにめ”を、私の脳を通じてエメルダ嬢が全知の力で把握したというわけね。

 ……反則よ。


 ちょうどバンハイドでゼオリを倒した後、私は過去の記憶を夢で見た。いつも心の奥底に閉まっている忌まわしい記憶が心の表層に現れていた。

 あのとき、遠く距離を隔てたエメルダ嬢に記憶を覗かれたのかもしれない。

 私が母親を殺したというスクープをエメルダ嬢が婚礼の儀の時に言い出さなかったのは、その時はまだ知らなかったから。そう考えれば納得できる。


「いや、おかしい。全知って、全てを知ることができる能力だろ? ならエメルダが間違えるはずがない。お前が悪しき魔女だと思い込んでいるのは何故だ」


 ヴィルは言う。

 本当に全知の力を持っているのなら、私が悪しき魔女ではないことも、怪事件の黒幕も、ミストリア王の所業も、全て知っていないとおかしい。彼女は無知すぎる。


「彼女の全知は完璧ではないのよ。予知能力も使いこなせていないんなら不思議じゃないわ。本人の意思とは関係なく、ひどく偏った情報しか手に入れられないのでしょう」


 当たり前と言えば当たり前。一人の人間の脳にこの世の全ての知識が収まるはずない。それこそ魔力の川を辿る過程で一瞬で廃人になってしまう。一部の情報しか手に入れられないのは無理からぬ話だわ。


「それにしても情報に偏りがありすぎよね。私を悪だと思い込むような、絶妙に最悪な情報しか手に入れていないのは何故だと思う?」


 ヴィルは首を横に振った。お手上げらしい。

 

 彼女は『生まれつきの予知能力者』だとレイン王子は言っていた。

 生まれつき予知と全知に特化した人間。情報収集するために生まれた、まるで前世の“こんぴゅーた”のよう。そして“こんぴゅーた”は人間の手で生み出された便利な道具。

 そう考え、私は一つの可能性に辿り着いた。


「彼女、ご両親は?」


 突然の問いに戸惑いながらヴィルは答える。


「いないと聞いている。山奥の村で血の繋がらない老婆と暮らしていた。その老婆はジェベラの弟子で、すでに亡くなっている。それ以外のことはエメルダも知らないようだったが……」


 その設定は“あにめ”で知っていたけど、一応確認して私は頷く。


「なら、もしかしたら彼女は誰かに造られた存在かもしれない。魔女の七大禁考の一つ、生命に関する魔術――人造生命の創造によって」


 ヴィルが目を点にして固まった。


「人造生命……エメルダが人工的に造られた人間ということか? あり得ない……急に論理が飛躍したぞ」


「そうね。でもエメルダ嬢を造り出した人間がいて、彼女に与える情報を選別しているとしたら、全ての辻褄が合うわ」


 全知で必要な情報を引き出し、時には予知を行わせる。けれど決してエメルダ嬢に重要な情報を認識させず、都合の良いものだけを厳選して与える。彼女の脳そのものを完全に掌握して、感情すら操り、物事を思い通りに動かす。

 

「自分が造ったモノならば、自由自在に操作できる。いえ、自由自在に操作できるように造ったと言った方が良いかしら?」


 理解が追い付かないのか、ヴィルは頭痛をこらえるような表情になった。荒唐無稽な話をしている自覚はある。でもそれ以外に綺麗な回答がないの。


 では、誰がエメルダ嬢を造り出したのか。その目的は何か。

 はっきりしたことは分からない。私もまだ確信を持てない。

 でも気にかかることがある。


 エメルダ嬢が私へ異様な敵意を向けることと、テロ組織が私に罪を着せようとすること。

 二つの存在が私を悪にしようとする。

 この二つが無関係ではなく、繋がっているとしたら……。

 

「エメルダ嬢を造った者とテロ組織のボスは、同一人物ではないかしら。彼――もしかしたら彼女かもしれないけど、彼が全ての黒幕なのよ」


 実に壮大な計画ね。エメルダ嬢が十六歳というのが嘘ではないのなら、そんな昔から彼は悪巧みをしていたことになる。

 

「怪事件も婚礼の儀での糾弾も呪殺テロも、裏で動きながら表のエメルダ嬢を操っていた。黒幕さんの目的の一つは私を炙り出すこと。もちろん、エメルダ嬢は操られていることに気づいていないのでしょうけど」


 つまり、エメルダ嬢は何も知らずにテロに加担していた哀れな傀儡ということ。必然的に彼女とともに旅をしてきたヴィルやレイン王子も、敵の作戦に一役買っていたことになる。


「怪事件を起こしていたのは宝珠の材料集めのためだろう? エメルダにわざわざそれを妨害させたのか? なぜ?」


「そうね……材料集めは国王や私を騙すための目眩ましだったのかも。本当は魔女狩りの下準備が目的だったのではないかしら」


 民に密かに魔女の危険性を浸透させ、来たるべき時に声を上げさせるため。実際、このまま国王や王子が呪いが原因で死ねば、国が荒れて魔女狩りが起こる可能性が高い。


「ゼオリは王国を乗っ取って魔女の国を作るのが目的だと言っていたけれど、本当かどうかは分からない。王家も民も魔女もミストリアごと全て滅ぼすのが、黒幕さんの望みかもしれない」


 ヴィルは顔色を悪くして、心臓の辺りを押さえた。


「そんな馬鹿な……」


「あくまで推論よ。でもそれが的ハズレかどうかは、王都に行けばはっきりするでしょう。王族に手を出したということは計画の最終段階に入っている。きっと近くに主謀者がいるわ。……それなら私は敵の手がかりを掴むためにも、涙銀雫を届ける兄様に同行したい」


 怪事件と呪殺テロの黒幕、「あの御方」という人物に私は会わなければならない。執拗に私に罪を着せ、表舞台に引き上げようとする、その訳をはっきりさせたい。

 これ以上私の人生を荒らされるのはまっぴらだもの。決着をつけてやる。

 ヴィルは目を丸くした。


「行くつもりなのか? 危険すぎる」


「大丈夫。私とヴィルが揃っていれば、どんな魔女にも術士にも遅れは取らない。もしも敵が私を狙ってくるのならそれはそれで好都合よ」


 実際ゼオリもヴィルが呪いで倒れなければ、私に接触してこなかったと思う。“らすぼす”級の魔女と、王国最強クラスの魔女殺しの剣士、二人を同時に敵に回すのは大変でしょうから。

 ただ、向こうの組織の規模が分からないから、数に任せて襲撃される恐れはある。それでも目に見える敵と戦う分には楽。むしろ来い。一網打尽にしてあげる。


「このまま何もせずにククルージュに戻っても、危険はあるのよ。私が悪の魔女だという噂が広まれば、どうなるか分からない」


 万が一魔女狩りが始まったら、敵は一般の民になる。扇動する人物に辿り着くことは難しい。静観を続けて状況が悪化すれば身動きできなくなる。気づいたら樹海ごと火あぶり、なんて笑えない状況になるかもしれない。


「立ち向かっても留まっても危険なら、今は動くべきだと思う」


 敵の最大の情報源であろうエメルダ嬢は今こちらの手にある。圧倒的不利にはならない。まぁ、黒幕さんの手に戻ってもさほど脅威ではないわ。

 言い方が悪いけど、エメルダ嬢がもっと使える道具なら、私もミストリア王国もとっくに敵の手に落ちている。きっと黒幕さんにさえ、完璧には使いこなせないのでしょう。魔女の七大禁考はそう容易くない。

 ヴィルは困惑気味に唸った。


「もう心は決まっているみたいだな……」


「ヴィルも同じ気持ちではなくて? このままレイン王子を見捨てたら後悔する」


 分かっている。本当はヴィルだって王都に行き、レイン王子を助けたいと思っている。諸悪の根源を討ち、ミストリアの平和を守りたい。周りが平和なら気兼ねなくいちゃいちゃできるし。

 でも私の身の安全のため、王都に行きたいと言い出せなかっただけ。


 バンハイドのときとは違って、今回はヴィルの望みを却下する理由はない。むしろ利害は一致している。敵の企みを潰すためにも、王子を助けに行かなくちゃね。


「王子には恩がある……俺が人並みの生活が送れるようになったのは、王子が騎士に推薦してくれたからだ。その恩を返せれば俺はなんの未練も罪悪感もなく、お前のそばにいられる。それに……」


 ヴィルは表情を引き締めて頷いた。


「お前を付け狙う敵と決着をつけられるならば、望むところだ。……行こう。何があっても必ず守る」


 真っ直ぐな視線を受け止め、私は朗らかに笑う。


「じゃあヴィルのことは私が守ってあげる。だから信じてついてきて」


 ヴィルはやや面白くなさそうに顔をしかめたけれど、やがて力が抜けたように笑った。

 誰にも負ける気がしないな、と。


 


 

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