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42 棘のとげ

 

 力尽きたエメルダ嬢はがくりと気を失い、連れ出されていった。

 部屋の温度が一気に下がった気がして、私は小さく震えた。


 平静を装いながら思い返す。

 エメルダは”あにめ”において、悪しき魔女たちに『いばらのとげ』と呼ばれていた。

 彼女は怪事件の起こる場所に必ず現れ、魔女ソニアの企みをことごとく阻止してきた。薔薇の宝珠完成への道を遮る棘。小さくて弱いとげなのに、無視できない不快さがある。 

 そのとげが私にも刺さったような気がした。


 エメルダ嬢は一体何者?

 本当に予知能力者なの?


 ヴィルがエメルダ嬢を庇って死ぬことや、私が“らすぼす”となることは、この世界ではもはや起こるはずのない未来。それを知っているということは、“あにめ”の最終回を観ている可能性が高い。   

 でも、別の時空の娯楽を予知能力で視るのは無理がある。


 では、私と同じく過去視で前世を覗き、“あにめ”の展開をそのまま口にしていたの?

 だけどそれだと辻褄が合わない。


 私がお母様を殺したことをエメルダ嬢が知っているはずがない。


 お母様の死の真相は“あにめ”では放映されなかった。私が直接手を下したと知っているのはヴィルだけで、コーラルたちも確信には至っていない。みんながエメルダ嬢に話すわけがないから、必然的に魔術的能力で情報を得たことになる。


 そもそも笑いながら楽しそうに殺したなんて、私しか知らないことよ。明かされたお母様の企みがあまりにも残酷で、時間が全てを解決してくれると信じていた自分が滑稽で、笑わずにはいられなかった。


 エメルダ嬢がその事実を知っているのはどう考えてもおかしい。

 過去視は自分の経験したことしか視ることができないもの。お母様を殺したとき、私以外誰もいなかった。


 また、原作“あにめ”ではレイン王子は呪う側ではなく呪われる側で、黒い痣は浮かんでいない。でも現実のエメルダ嬢は黒い痣のことまで言い当てたらしい。うん、やっぱり予知能力を持っているのは確実ね。


 ……ただし、エメルダ嬢は他にも途方のない能力を持っている。

 閃いた答えに、血の気が引いた。


「ソニア? 大丈夫か?」


 気づけば、部屋中の視線が私に集まっていた。親殺しの疑いをかけられた者の第一声を待っている。

 思考に没頭するのはほどほどにして、先に爆弾を処理した方がよさそうね。


「確かに……あの頃の私には何もできなかった。病に倒れたお母様を見殺しにしたと言われれば、その通りかもしれないわね。でも彼女の言っていたことはでたらめよ。どれだけ私のことが嫌いなのかしら」


 咄嗟の言い訳は上手くいったみたい。

 真実を知るヴィルも含め、全員が複雑な表情を見せた。ここに私より魔術に詳しい者はいないし、病は全員にとってデリケートな話題ゆえ、あまり突っ込んで聞いてこない。


「当てずっぽうか、妄言虚言の類か……どちらにせよ不快だな」


 割れたティーセットを使用人が片づけるのを見つめつつ、兄様が眉をひそめた。不機嫌なオーラをそのままこの場に残った少年に向ける。


「それできみは、あのお嬢さんを庇ったり、追いかけなくて良いのかな? 友人なのだろう?」


 チャロットは絞り出すような声で答えた。


「度重なる非礼、申し訳ございませんでした。エメルダ同様、オレもどのような咎でも謹んでお受けいたします。ただ……もう少しばかりお時間をいただけないでしょうか。オレにはどうしても無視できない懸念があります」


「いいだろう。この際だ、言いたいことを申して見よ」


 チャロットは深呼吸し、口を開いた。その顔は先ほどとはどこか違い、腹を据えた男のものだった。


「オレたちが涙銀雫を入手できなかったことを王都に報せれば、レイン王子はただちに火刑に処されるでしょう。それで呪いが解けたとしても、国王陛下と王妃様の仲は決裂いたします。側室の王子が王の器でないことは、貴族はおろか富裕層の民には周知の事実。国王夫妻の対立と、王位継承者がいなくなるという事態は、ミストリアに内乱をもたらしかねない」


「まず間違いなく内乱が起こるだろう。火種を起こしそうな者はいくらでもいる。そして隣国に付け入られるな」


「おっしゃる通りでございます。しかしサニーグ様のように先が読める領主ばかりではありません。特にミストリア東部には目先の利益に走り、この機に乗じて一旗揚げようとする貴族が大勢おります。自国を他国に売る者も現われるでしょう。このままではミストリア王国は戦乱に見舞われ、滅びの一途を辿ります。そしてその被害を最も受けるのは、無辜の民です」


 チャロットは顔を上げ、私をまっすぐ見つめた。挑むようでもあり、許しを請うようでもある。

 ここにきてようやく私はチャロットの言いたいことを察した。


「あなたなら、ご自分の立場の危うさを理解できるはずです。王子が処刑されれば、やがて魔女の呪いが原因であったと民の間に広まるでしょう。オレはソニア嬢が無関係であることを……よく理解しているつもりです。しかし時期が悪い。王子と派手な婚約破棄をして恥をかかされた魔女ならば、王家を呪っても不思議ではない。詳しい事情を知らない民の多くが呪いとあなたを結びつけ、憎む。あるいはそれが真犯人の狙いでしょう。世間にソニア・カーネリアンが悪だという流言が満ちる」


 悔しいけれど、チャロットの言葉には説得力があった。

 私はアズライトの領民しか知らない。彼らは領主一族の身内に等しい私に優しく、多少の噂話では動じない。いざとなれば兄様が抑えてくれるでしょう。しかし他領も同じとは限らない。


 ……このまま悪しき魔女たちが国を乗っ取ったなら、兄様とともに戦うか他国に籍を移せば良かったけれど、そう単純ではないわね。敵だって国を乗っ取る前に潰すべき戦力は潰したいはず。

 もしも呪殺テロの真犯人がこのまま姿を消せば、チャロットの懸念通りになる。


「呪殺テロを執り行う魔女組織は、ミストリア王家のみならずソニア嬢のことも狙っているかもしれません」


「あり得る話ね。怪事件の時もそうだった。テロ組織はどうしても私に罪を着せたいようね」


 悪しき魔女たちが怪事件を起こし、黒幕に私の名前を挙げたのも、今思えばこの時のためかもね。目に浮かぶようだわ。きっと今まで王子とエメルダ嬢が旅で助けてきた民が声を上げるのでしょう。

「魔女は残虐性を秘めた頭の狂った存在だ。エメルダの予知は正しく、ソニア・カーネリアンこそが悪なのだ」と。

 不安定な治世でそういった声はすぐに広まる。みなが手のひらを返せば、たちまち風向きが変わるでしょう。


 そのうち国を荒らした魔女を討とうと民が武器を手に取るかもしれない。私を庇えばアズライト領全体が非難される。兄様がいつまで私の味方でいてくれるか分からない……。


 このままではククルージュはおろか魔女全体が偏見に見舞われるでしょう。

 いずれ魔女狩りも起こり得るわ。国にそれを止める余力はない。


 国王夫妻の対立、王位継承争い、隣国の侵略、民による魔女狩り。

 ミストリアは有史以来の混沌に陥る。


 私、ちょっと考えが足りなかったかもね。

 幸せボケとエメルダ嬢への敵意に翻弄されて、危機感が薄れていたのかも。

 反省して、ため息を飲み込む。


「オレ達への協力は御身の為でもあります。どうか霊山攻略に力をお貸しださい。ヴィルだけではなく、ソニア嬢にもご同行いただければと思います」


「……私も? 信頼できない者を同行させてもいいの?」


 チャロットはそっと目を伏せた。罪悪感を隠すように。


「エメルダが同行できなくなった以上、問題はないはずです。オレはソニア嬢が悪の魔女だとはもう思っていません。しかしあなたがオレや他の人間を信頼できないというのなら、ヴィルと二人で頂上を目指してもいい。戦力は十分なはずです」


 もしかして、チャロットは途中からエメルダ嬢の暴走をあえて止めなかったの?

 私を頑なに疑うエメルダ嬢さえいなければ、私とヴィルの二人に涙銀雫を獲りに行かせられるから。

 つまり、チャロットはエメルダ嬢を裏切って切り捨てた?


 私は目の前に座る顔色の悪い少年をまじまじと見つめ、視線で問いかけた。


 あなた、どういうつもり? 何が目的なの?


 純粋に不思議だった。チャロットは何のために裏切り者となったのか。チャロットは苦しげに目を瞑った。


「オレが願うのはミストリアの平穏です。商売もできないほど荒れてしまったら、オレも家族も従業員も生きていけない」


 その声は震えていた。


「正直に申し上げれば、オレはもう間に合わないと思っている。今にもレイン王子が火刑に処されるか、国王が崩御するかもしれない……今から最速で霊山に登ったって無駄になる可能性が高い。でもとにかく今は、ソニア嬢が王家のために行動したという事実がほしい。それがあれば、少なくとも民の魔女に対する悪感情を抑止できる。エアーム商会の力を最大限に使ってその情報をばら撒いて、国が荒れる原因を一つでも減らす。それが、今のオレにできる精一杯だ」


 お願いします、と必死に懇願するチャロット。演技をしているようには見えないけど……どうかしら。


 とにかく分かったのは、彼は王妃様に国の命運を押し付けられたということ。

 今までの旅で頼りにしてきた王子もヴィルもいない中、必死で行動してきたのでしょう。涙銀雫の入手に失敗すれば、王子は死にミストリアが荒れる。途方もない重責がチャロット一人に圧し掛かっていた。

 ……原作でも現実でも損な役回りね。


 エメルダ嬢はヴィルさえいれば何とかなると楽観的だったみたいね。今までずっと最後の最後で大逆転できたから今回も大丈夫。ハッピーエンドを疑わないただの足手まといなんて、見捨てられて当然かしら。


 私はちらりと兄様を見た。『あのこと』をチャロットに教えてあげたら、と。

 兄様は一つ頷き、口を開いた。


「霊山に向かう必要はない。涙銀雫は間もなく手に入る。私の兵の中で最も腕に覚えのある者たちが、すでに霊山を攻略しているからな。二日以内に戻る予定だ」


「なっ!?」


 これにはチャロットもヴィルも目を剥いた。

 自分の領地で呪殺テロが行われたのだもの。ゼオリ程の使い手はそういないとはいえ、次がないとは限らない。兄様なら間違いなく備えていると思った。


「バンハイドでの一件が収束した後、すぐにチームを編成して霊山攻略に向かわせた。万全の装備を揃え、麓で情報を集めさせ、最も安全なルートを精査して登らせたから、時間はかかったがな」


 その分、少数精鋭の彼らは一人も欠けることなく涙銀雫を手にして帰還の途に就いているらしい。彼らはもちろん、兄様も有能すぎて素敵。

 兄様のチームとチャロットたちとは選んだルートが違ったらしく、出会わなかったらしいわね。


「今夜、王都にいる部下からの定時連絡がある。城の様子を知ることができるだろう。王家の危機が真実ならば、二日後にチームが帰還次第、私が涙銀雫を王家に献上しよう。我が家の飛竜を使えば王都には三日ほどで着く。それで間に合えばいいがな」


「じゃあ、オレたちは一体、なんのために……」


 チャロットは頭を抱え、今にも叫び出しそうだった。最初から兄様に情報をもたらしておけば何も失わず、無駄骨を折らず、王家の助けになれたのに。

 でもチャロットはまだマシ。

 エメルダ嬢なんて失言と失態を重ね、ほぼ牢屋行きが確定した。損しかしてない。何をしに来たの、という感じで少々気の毒になってきたわ。


「すれ違いは仕方がない。しかしそうか……王妃様はアスピネル家を頼って下さらなかったのだな」


 兄様が皮肉っぽく笑った。あまり見かけない表情だわ。

 確かバンハイドの一件を王都に報告した後、国王陛下から労いのお言葉をもらったと聞いた。しかし時期的には国王は既に王子に呪われていた頃よね。もしかしたらアズライトに届いたのは、王妃様の指示でもたらされた偽りの書状だったのかしら?


 兄様は王家に何か思うところがある様子。ユーディアは心配そうにしているわ。何か水面下で動いているのかもしれない。

 そのまま兄様はしばし宙を仰ぎ、そして私にオレンジ色の瞳を向けた。


「ソニア、お前も一緒に涙銀雫を王都に届けるか? あらゆる危険を伴うが、今後の魔女の立場を守るために必要な行動ではある。なんなら、お前が涙銀雫を手に入れてきたことにしてもいい」


「それは……兄様の手柄を横取りするようで気が引けるわね」


「気にするな。全てが丸く収まるのなら良い。ヴィルくんとソニアで王都までの護衛をしてくれれば心強いしな。もちろん強制はせぬ」


「…………」


 難しい選択だった。

 私が涙銀雫を届け、王家を救えば魔女の立場は守られる。少なくとも良い魔女と悪い魔女がいることが民の間に広がり、魔女狩りは防げるかもしれない。王家に恩を売ることもできる。


 でも、それだって危険だわ。

 私をアズライト領から出すことが目的なら敵の思う壺。

 何より心配なのは、自作自演を疑われること。自分で呪殺テロを起こしておいて、最高のタイミングで涙銀雫を届けて王を救う。怪しすぎるわね。

 お母様同様、救国の魔女になるために全てを画策した、とか後で陥れられないかしら。真っ先に国王には疑われそう。


 いっそ間に合わなくて、助けようとした事実だけ残ればいいのだけど。

 そんな悪いことを考えながら、ヴィルを見上げる。彼の顔色は最悪に近かった。


「ごめんなさい、兄様。少しヴィルと相談させて」


「いいだろう。私ももう少しチャロットくんから詳しい話を聞きたい」


 明日までに答えを出すことを約束して、私とヴィルは応接間を後にした。




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