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41 災厄の乙女



 私が歓喜の笑みを浮かべる一方、エメルダ嬢は表情を凍りつかせた。


「どうしてっ、どうしてなの? ヴィルくん……」


 ヴィルは気まずそうに目を伏せた。


「俺はソニアが大切なんだ。そばを離れられない」


「も、もしかして、脅されているの? 正直に話して。今なら領主様もいるから大丈夫だよ」


 エメルダ嬢が顔を真っ青にして問う。本当に心配している声音だ。

 ムカつくけど、ヴィルを脅したのは確かだから黙っていることにした。エメルダ嬢についていくなら別れる、と暗に告げたからね。これが脅しになるなんて、彼女やチャロットには思いも寄らないでしょう。


「エメルダは勘違いしている。いや、俺も最初はソニアのことを悪しき魔女だと決めつけていた。でも、違った。ソニアは……良い子だ。怪事件にも関わってない。俺はそう確信している。ソニアの言う通り、一度城に連絡を取って正式な使者を連れてくるべきだ」


「それじゃ間に合わないよ!」


 エメルダ嬢は席を立ち、必死で訴えた。チャロットの制止はもう完全に無視だ。


「何があったか分からないけど、ヴィルくんはこの人に騙されていると思う。レイン様の命がかかっているのにどうして協力してくれないの? わたしの知ってるヴィルくんなら、絶対に助けてくれるもん!」


「すまないエメルダ。俺は今の主であるソニアを優先する。離れている間にソニアに何かあったら……耐えられない」


 ヴィルは苦しげに言う。

 バンハイドでの出来事がトラウマになってしまったのかしら?

 少し離れた隙に私が内臓を晒していたものね。それは悪かったと思っているわ。


「そんな……嘘……嘘って言って、ヴィルくん!」


「あなたの知っているヴィルはもういないのよ。それが分かったのなら、諦めて帰りなさい」


 私がきつめに言うと、エメルダ嬢は涙目で睨み返してきた。


「ヴィルくんに何をしたの!? それに意地悪なことばっかり言って断ろうとするの、おかしい! もしかしてあなたが手下の魔女に命じて呪いを……!? やっぱりミストリアを滅ぼす気なんだ……!」


 よく大した証拠もなく人に罪を着せられるわね。どうしてこうも私を悪役にしたいのか、胸倉を掴んで問い質したい。しないけど。


「私はそんなに暇じゃないわ。ミストリアを滅ぼしてどうするのよ。動機は?」


「婚約破棄のこと、根に持っていて復讐したいんでしょ。本当はレイン様のことが大好きで、王妃の座に未練があるんじゃ――」


「そんなわけない! ソニアが好きなのは俺だ!」


 ヴィルの顔が「しまった」と真っ赤に染まった。

 あー、やっちゃったわね。私は声を出して笑いたくなったけど、口の中を噛んでかろうじて堪えた。ヴィルに恨まれそうだからね。


「ど、どういうこと? ヴィルくん?」


 自棄になったのか、後戻りはできないと覚悟したのか、ヴィルはぎゅっと目を閉じて白状した。


「お、俺とソニアは主従でもあるが、その……恋人になったんだ。付き合いたてで、毎日幸せいっぱいで、四六時中一緒にいる。ソニアが呪術などといった禍々しいモノに関わっているはずがない。俺が保証する。ソニアは潔白だ」


「マジかよヴィルっち……」


 思わずチャロットが素に戻った。

 生真面目で堅物で魔女を心底憎んでいたヴィルが、耳まで真っ赤にして断言した。かつての仲間からすれば、このカミングアウトには度肝を抜かれたでしょうね。


「ほう……私は正式な交際報告をまだ受けていないが? それに、四六時中、だと?」


「今日の面会で言おうと思っていたのよ、兄様。怖い顔しないで」


 兄様は「ふむ、後ほどゆっくり話を聞かせてもらおうか」と眉間に皺を寄せて頷いた。ユーディアも無関心を装いつつも、どことなくそわそわしているわね。後で恋バナする羽目になりそう。


 で、肝心のエメルダ嬢はというと、ぽろぽろと冗談みたいな量の涙を流した。もう意味が分からない。この子怖いわ。私を恐れさせるなんてさすが原作ヒロイン、とだけ言っておきましょう。


「エメルダ……?」


「わたし、モカちゃんとシトリンから聞いたの……ヴィルくんはわたしのこと好きだって。困ったときは絶対に助けてくれるって……でもわたしはレイン様が好きで、応えてあげられなくて、だからその人の誘惑に負けちゃったの?」


 場の空気が死んだ。なんてことを言うの。

 ヴィルは衝撃を受けた表情のまま硬直してしまった。

 私でさえ怯んだわ。早くエメルダ嬢の口を塞ぐべきだったけど、呆気にとられて無理だった。

 悲壮感たっぷりの声が部屋に響く。


「ごめんね、ヴィルくん……もっと早くちゃんと話し合えば良かったね。お願い……どうしてもヴィルくんの力が必要なの。帰ってきて。レイン様を助けるためなら、ヴィルくんの目を覚ますためなら、わたし、なんでもする。ヴィルくんの望みを言って……!」


 それは私たちの関係を侮辱するだけにとどまらず、ヴィルの淡い初恋まで陥れる発言だった。

 言うことを聞いてもらうためなら何だってする……例えば、ヴィルに抱かれてもいいってこと?


 ぷち、と頭の中で音がした。

 前世の“まんが”なんかで怒りの表現として使われていたわね。まさか同じ現象を自分が体験するなんて思わなかった。


 墓穴を掘ったわね、エメルダ・ポプラ。

 社会的に殺すなんてぬるいことはもう言っていられない。

 物理的に息の根を止めてやる。  


「確かに俺はエメルダのことを好ましく感じていた。好きだったと思う」


 しかし私が手を出すより早く、ヴィルの精神が立ち直った。言葉の内容とは裏腹に、彼の声には怒気が含まれていた。

 私は思わずヴィルを振り返る。鋭い視線をエメルダに突き付けていた。


「だが、もう違うんだ。かつてエメルダに向けていた感情と、今ソニアに抱いている感情は比べ物にならない」


 照れも躊躇いもない言葉が場にゆっくりと浸透する。


「ソニアがいなければ、俺は何も知らずに憎しみのまま悪しき魔女を殺し続け、いずれ戦いの中で命を落としていただろう。あの頃は誰かの幸せを守れるなら構わないと思っていたが……それ以外の道をソニアは教えてくれた。俺を助け、守り、本物の幸福を与えられるのはソニアだけだ。彼女のそばを離れることなんてできない」


「ヴィル……」


 ヴィルが私に向かって、小さく口元を緩めた。安心しろ、と言われている気分だった。

 その瞬間、エメルダ嬢への怒りが劇的に浄化された。

 さすがヴィル……私の、最愛。


「俺は、自分の幸せのために親友を見捨てる。失望されても、憎まれても、役立たずだと罵られても構わない。もう期待には応えられない。そんな俺がエメルダに望むことは何もない。強いて言うなら、心を落ち着けてもう少し自分を大切にしてほしいとは思う。このままでは全てを失ってしまう」


 エメルダ嬢はヴィルの拒絶に動揺しつつも、口を閉じなかった。頭を冷やすどころか、油を注いだらしい。


「何を言っているの!? 意味わかんないよ! 紅い魔女に騙されちゃダメ! 思い出して! わたしたち仲間の絆の方がずっと強いでしょ!?」


「……仲間だと思ってくれるなら、どうして俺の言葉を少しも信じてくれないんだ。ソニアは悪い魔女じゃない。お前の処罰を軽くするよう、王に進言してくれたこともある。エメルダは恩をあだで返すような真似をしているんだ。それを知ってもまだソニアを陥れるなら、もう容赦しない」


 驚いた。ヴィルがエメルダ嬢にこんな冷たいことを言うなんて。

 エメルダ嬢は怯えたように肩をびくつかせ、両手で顔を覆った。


「ヴィルくん……たった数か月で、どうしてそんなに変わってしまえるの……? ヴィルくんだけはずっと味方だって信じてたのに、こんなのひどいよ……っ」


 もうだめだ。

 彼女とは何を言っても通じ合えない。いえ、通じたくもないけれど。 

 こうなったら意識ごと退場してもらいましょう。これ以上は私とヴィルの精神がもたない。殺されないだけありがたく思ってほしい。


「きゃあっ!」


 しかしまたしても私より早く、エメルダ嬢に紅茶をぶちまけた者がいた。真っ白なワンピースに盛大に飛沫が散る。

 ユーディアは優雅な仕草でカップをソーサーに置き、慌てふためくエメルダ嬢を鼻で笑った。


「もう限界です。あまりにも見苦しいですわ。あなたはアスピネル家の客人としてふさわしくありません。今すぐお引き取りを」


「……レイン様にもらったお洋服なのに! ひどい……っ! 紅茶が冷めてなかったら大火傷するところだよ!」


 もう十分に火傷しているわよ、と心の中で突っ込めるくらい私は余裕を取り戻していた。いつの間にかエメルダ嬢にだいぶペースを狂わされていたわ。暴力での解決は最終手段なのに。


 ユーディアに心から感謝する。

 私を助けてくれた、というよりも、エメルダ嬢の発言が我慢できなかっただけでしょうけど。


「口を慎みなさい。わたくしは貴族……領主の妻ですよ」


「っ、偉ければ何をしてもいいんですか? 身分を使って脅しても?」


「あなただって王太子殿下や王妃様の存在をちらつかせていたでしょう。自分自身ではなく、他者の地位を誇示する方がよほど悪質だと思いますけれど」


 ユーディアの冷笑にエメルダ嬢が眉を吊り上げた。


「あなたも紅い魔女の味方をするの? じゃあ領主様もグル……? 王家を裏切るの!? 信じられない!」


「いい加減に――」


「……このままじゃダメ! ヴィルくんやみんなの目を覚ますにはどうすれば……!」


 エメルダ嬢は頭を抱え、心の声をそのまま呟き始めた。


「おかしいよ。だってヴィルくんはずっとわたしやレイン様の味方だったのに……わたしの予知が外れたことなんてない……絶対に大丈夫だもん……わたしが正義なんだから――」


 異常だ。

 どうしてそこまで私を悪と断ずるの?

 ヴィルに強い執着を見せるのは何故?

 

 まさか王子に新しい婚約者ができると知って、ヴィルに乗り換えるつもりじゃないわよね?

 いえ、それにしては口説き方がお粗末すぎる。

 

「…………」


 私は過去視で“あにめ”を観て未来を知った。そしてエメルダ嬢は予知能力者を名乗っている。

 もしかしたら、と思いつつ、私は挑発的な笑みを浮かべて口を開いた。


「ねぇ、どうしてそこまでヴィルにこだわるの? ものすごく必死よね。私を警戒するのはまだ分かるわ。ミストリアを滅ぼすという予知があったのなら。でも、ヴィルに関しては? もしかして何か特別な未来が視えたの?」


 部屋がしん、と静まり返る。


「例えば、そうね……ヴィルに庇ってもらわないと自分が死んでしまう未来とか」


「…………え?」


 エメルダ嬢は目を見開いて固まった。


「ふふ、あなたがあまりにも私を邪推するからお返しよ。もし本当にヴィルを盾にしようとしているのならひどい話よね。自分が助かるためにヴィルを危険に晒すなんて。ヴィルの恋心を利用すれば守ってもらえると思ったの?」


「ち、ちが……わたし……」


 エメルダ嬢は目に見えて動揺していた。否定の言葉すらうまく喋れないみたい。


 私は確信した。エメルダ嬢は知っている。原作“あにめ”の最終回を。

 私が“らすぼす”として立ちはだかることや、自分を庇ってヴィルが死ぬことを。


「エメルダ……そうなのか? だから今まで俺を気にかけて……?」


 ヴィルの金色の瞳に、じわりと失望の色が浮かんだ。

 

「違うよ! 適当なこと言わないで! 最低! そうやってわたしの悪口を吹き込んでヴィルくんを惑わしたの!?」


 そんな低俗な真似をした覚えはない。私は胸を張り、エメルダ嬢に軽蔑の視線を向けた。


「あなたのことなんて、陥れる価値もない。あなたが私に優っているのは、先にヴィルと出会ったことだけ。私が先に出会っていれば、ヴィルがあなたに惹かれることなんて万に一つもなかったわ。

 ……帰りなさい。ヴィルは私のものよ。これ以上惑わせて侮辱するなんて許さない」


「っ!」


 その瞬間、エメルダ嬢の髪がふわりと浮きあがった。机の上のティーセットが弾ける。

 私は反射的に魔力を放出して、エメルダ嬢のそれを相殺するように操作した。空気がピリリと引き締まり、魔力を感じられない面々たちも動揺している。


 里の見習い魔女もたまに癇癪を起こして魔力を暴走させるからね。対処は手慣れたものよ。

 見習いたちの場合はこのまま頭が冷えるまで押さえつければ済むのだけど、さすがというべきかエメルダ嬢の魔力量は厭い子とは思えないほど多い。どんどん圧が強くなる。

 怒りと混乱で完全に制御を失くしたみたい。

 ……いえ、違うわね。

 

 エメルダ嬢は唇を噛みしめ、射抜くように私を睨んでいた。明確な殺意を感じて、肌がぞくぞくする。暴走にかこつけて私を叩きのめそうとしているらしい。


 身の程知らずね。魔術の基礎すら学んでいない厭い子の分際で。

 純粋に魔力量だけで勝負してもいいけれど、二人の魔力の均衡が崩れた瞬間、部屋全体が爆散するかもしれない。それはまずいわよね。


 私は魔力を放出したまま、創脳で術式を紡ぐ。

 何度か手を出しそうになったけれど、結局先に手を出してきたのはエメルダ嬢だもの。遠慮はしないわ。覚悟はいい? 


【流転する輪よ、災厄を絡め、自戒の檻となれ――シルギリンス】


 詠唱によりエメルダ嬢を風の檻が覆う。檻の中で魔力の渦が発生し、二人分の魔力が内側に向かい、エメルダ嬢の体を滅多打ちにしていく。


「いやぁっ!」


 魔力を放出し続ければ命はないと体が先に理解したらしく、エメルダ嬢の魔力暴走が収まった。私も魔術を消し去る。床に息も絶え絶えのエメルダ嬢が転がったところで、扉の前に控えていた兵が取り押さえにかかった。

 呆気ない。私は軽く息を吐いて、少し乱れた髪を耳にかけた。


「この者を王国騎士団に引き渡す準備を。また暴れるようなら薬で意識を奪っても構わん」


 兄様の命令に、エメルダ嬢は朦朧とした声で訴えた。


「やめて……どうして分かってくれないの? どうしてみんな悪い魔女を庇うの?」


「馬鹿を言うな。私やユーディアが傷を負えば、即座にお前の首が飛んでいたぞ。むしろ暴走を止めたソニアに感謝すべきところだな」


「……! それも全部、その人の狙い、なのに……」


 私も、ヴィルも、チャロットも、運ばれていくエメルダ嬢を黙って見ているだけだった。髪はぼさぼさ、自慢のワンピースもボロボロ。痛々しい。

 結局、弱い者いじめみたいになってしまった。嫌な役回りね。

 

 でもいいわ。やっと退場してくれる。

 安堵していた私に、エメルダ嬢は最後に爆弾を投げつけていった。


「わたし、知ってるもん。その人は絶対に悪い魔女……だって、自分のお母さんを殺したんだよ……笑いながら、楽しそうに……」


   

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