40 呪いの天秤
私の冷ややかな眼差しに気づき、正面に座ったチャロットは慌ててエメルダ嬢を着席させた。額には大量の汗の玉が浮かんでいる。
大変ねぇ。“あにめ”では陽気なお調子者で場を引っ掻き回すキャラクターだったのに、今は見る影もない。
でも油断しない方がいいわね。彼は原作では、不治の病の妹さんのためにソニアに情報を流す裏切り者となった。薔薇の宝珠を報酬にちらつかせれば、魔女のテロ組織に加担することもありうるということ。
「あ、あのさ、エメルダ。交渉事はオレに任せてくれるか? オレが良いって言うまで黙ってられるよな? な?」
「あぅ……ごめんなさい。大人しくしてます……」
エメルダ嬢はようやく場の空気に気づいたらしく、こくこくと頷いた。頬に手を当てて羞恥の火照りを覚ます仕草があざとい。
対角の席だからかもしれないけど、エメルダ嬢は頑なに私と目を合わせない。まるで存在を無視しているかのよう。
良い度胸ね?
私は首を傾げた。
何かおかしいのよね。“あにめ”のエメルダはもう少し好感が持てるキャラだった。ここまで猪突猛進で愚かな娘ではなかったと思う。
軟禁生活から解放された反動で、理性を抑えられなくなっているだけ?
……それとももしかして、予知能力の反動ですでに脳がやられているの?
もしそうだとしても同情も容赦もしないわ。私にとってエメルダ嬢はいつでもどこでも邪魔な存在。彼女も私に対して同じことを思っている気がするからお互い様かしら。
原作の流れを変えたいのに、私とエメルダ嬢の因縁だけは消えてくれない。嫌になる。
私は心の中で自嘲しつつ、チャロットの話に耳を傾けた。
「最初から順番に話します。一か月ほど前、エメルダがとある予知をしました。レイン王子が呪われて倒れる、というものです」
城の者は半信半疑だったけれど、念のために王子の出入りする場所に結界を張り、必要最低限の人間しか面会できないようにした。特に魔女の可能性がある女性は遠ざけられたらしい。エメルダ嬢もメイドのモカも例外なく、接触を禁じられた。
そんなある日、マリアラ領とアズライト領で魔障病に見せかけた呪殺テロが行われた、という報告が入った。エメルダ嬢の予知が信憑性を帯びてきて、王子の周辺では緊張が高まった。
しかしサニーグ兄様からの続報を待つ間に事件が起こった。
「王子が国王陛下と何かを言い争ったらしいです。そのときに陛下とその側近、止めようとした王子の近衛騎士が次々と倒れました。報告にあった呪術と同じ、高熱でうなされるという症状が現われたんです。そして王子の全身には黒い痣が浮かびました」
黒い痣という言葉にヴィルがピクリと動いた。
ラズと同じ症状ね。
「黒い痣が現れることもエメルダは予知していましたけど、呪われた症状に視えたそうです。王子は急激に衰弱し、昏睡状態に陥りました。そこにサニーグ様から呪術テロの詳細について報告が入ったんです。アズライト領の農村で村人たちを憎んで呪っていた少年は、全身に黒い痣が浮かんでいた、と。状況を考えても、王子が陛下たちを呪ったのは明らかでした」
おそらく痣は人を呪った証だ。
私とヴィルは、ラズと目を合わせた瞬間に呪いを受けた。激昂した王子と目を合わせたミストリア王たちもその身に呪いを受けたみたいね。
「オレは未だに信じられない……あの王子が呪うほど父親を憎むなんて。謹慎生活で思い詰めているのは知ってたけど、どうして急に……」
話の途中でチャロットがぽつりと疑念を漏らす。
私からすれば、王子がミストリア王を呪うことに何の疑問もないわ。
もしも王子が二十年前の王都襲撃の真実を知ったのなら、殺意を抱いてもおかしくない。
現ミストリア王シュネロは王位欲しさに、ヴィルの両親を謀殺し、父である前国王をジェベラに殺させ、密かにクーデターを果たした。そして共犯者であるアロニアと黙秘の契約を交わす。やがて生まれくる私と王子の命を賭けて。
さらに結局は欲に負けて不老の宝珠を求め、研究のために材料や実験体をお母様に融通していた。その中の多くはミストリアの民だ。
二十年の平穏な執政により賢王と名高い父親が、陰で鬼畜の所業を重ねていた。
真実を知った王子はどんな気持ちだったのかしらね?
国王への不信感が高まった結果、次々と嫌な想像をしたでしょう。
もしかしたら婚礼の場で私と王が示し合わせて自分を嵌めたかもしれない。
このまま謹慎が解かれず、玉座を譲られないかもしれない。
現在進行中で極悪非道な計画が行われているかもしれない。
その不安が爆発して呪うに至ったと考えれば何の不思議もない。
問題は、自力で真実に辿り着いたのか、誰かに耳打ちされたのかだけど……当然後者よね。王子の心を憎しみに染め、呪術を執り行った魔女がいるはずだもの。
王子の周辺に女性を近づけないようにしていた、というのもどれだけ徹底していたか分からないし。
悪しき魔女組織にはゼオリ並の呪術の使い手がまだいるのね。侮れない。
私はチャロットの嘆きに同調するフリをして唸った。
「それで、陛下と王太子殿下はどうなった? 王都の現状は?」
兄様が話の先を促すと、チャロットは頷いた。
「陛下が意識不明の重体のため、現在の政は王妃様が代理で行っています。城への出入りを制限して、情報規制をしているのでまだ王都の民は気づいていないでしょう。臣下からは『国王陛下の呪いを解くためにも王子を火刑に処すべきでは』という声が上がっていますが、王妃様が王子を庇っているために執行はされていません。しかし時間の問題です。陛下のお体は日に日に弱っていて、あと数週間もこの状態が続けば……もう猶予はない」
優秀な術士を総動員して呪いの症状を緩和しているそうだけど、解呪の目処は立たないらしいわ。
国王を始め、ミストリアの中枢を担う者たちが揃って倒れた。しかも呪いの犯人は王太子。事が事だけに外部に助けを求められない。城の混乱はひどいものでしょう。お気の毒。
普通に考えれば、王子は処刑されるべきね。
全て魔女組織のせいだとしても、国王を害したのは事実だもの。それを王妃が庇って罪に問わないなどあってはならない。現国王を救うのを優先するのが当然。
まぁ、真実を知る身としては、呪われるだけのことをやってきた国王こそ処刑されるべきだと思うけれど。
このままだと王も王子も共倒れしそうね。呪いに巻き込まれた臣下が可哀想。中には国王の悪行に関わっていない者もいるでしょうに。
確か国王には側室がいて、もう一人男児がいたかしら。
ただしレイン王子と比べるとパッとしない。容姿も能力も人格も見どころがない凡愚という噂だわ。第二王子自身もレイン王子の臣下に下ることを望んでいるらしい。国が荒れそうね。
いえ、そもそも呪殺テロを仕掛けた魔女組織が、混乱の隙に国を獲ってしまうかもしれない。今王都を襲撃されたらひとたまりもないでしょう。
……まだ話の途中なのに、すっかり国王と王子が死んだ場合のことを考えてしまったわ。
ダメね。いくらなんでも不謹慎。
私は誰かさんとは違って感情を顔に出したりしないけどね。真面目なお話のときは、ちゃんと真剣な顔を作っているわ。
「オレたちは王妃様から密命を受けました。処刑以外で王子がかけた呪いを解いてほしい、と」
呪いを解くための処刑を回避するためには、別の方法で呪いを解かないといけない。呪った時点で処刑は回避不可能な気がするけれど、ひとまずその問題は置いておきましょう。
王妃様は城の人間を信用できなかったらしいわ。純粋に王子のために動く者はチャロットたちくらいしか見当たらなかった。それに、エメルダ嬢の予知の力が本物ならば今こそ利用すべき。王妃様は手段を選ばなかった。予知能力持ちの厭い子を外に出すなんて、ずいぶんと思い切ったことをしたわね。大迷惑。
「解呪の方法は二つだけでした。呪術を扱う悪しき魔女を殺す、あるいはカテドラル霊山の頂上に向かい、涙銀雫を手に入れる。オレ達は見つかるか分からない魔女よりも、涙銀雫の入手を選択しました。でも……」
チャロットは深く項垂れ、膝に乗せたぎゅっと拳を握りしめた。
「あの山は、無理だ。うちの商会で選抜した兵士を連れて行ったけど、魔獣が強すぎて逃げ回ることしかできませんでした。それに仲間割れを誘発する幻覚の霧が立ち込めてパニックになって……」
そうそう、“あにめ”で観たわよ。
あの霊山は真の絆で結ばれた仲間と登らないと攻略できない。
予想していたことだけど、エメルダ嬢たちがどうして私たちに会いに来たのかやっと判明したわね。
チャロットが居住まいを正し、私に対して懇願した。
「命からがら下山したオレ達は、もうヴィルを頼るしかないという結論に辿りつきました。圧倒的強さを誇る魔女殺しの騎士であり、オレ達が最も信頼する仲間。国王と王子を救うためには、どうしてもヴィルの協力が必要なんです。数週間だけ彼を連れて行くことをお許し願えませんか」
霊山攻略のためにヴィルを貸せ、ということね。笑ってはいけない状況なのに笑わせないでほしいわ。
「ほら、エメルダも……まずあの日のことを謝るんだ」
チャロットから発言を許可されたエメルダ嬢は、初めて私に視線を向けた。警戒と疑心、不満がありありと詰まった瞳。私に頼み事をするのが嫌なのね。よく分かった。
それでも大好きな王子のためなら、という決意をしたらしいエメルダ嬢が口を開きかけたので、私は首を横に振った。
「結構よ。謝罪ならレイン様にしていただいたから。それと、ヴィルをあなたたちに同行させるという話ですけれど、お断りいたします」
チャロットは苦々しい表情を見せ、エメルダ嬢は目を見開いた。
兄様とユーディアは私の返事を予想済みだったらしく、落ち着いていたわ。それどころか兄様は「大いに戦うがいい」と言わんばかりの静観の構えだ。
兄様、いいのね? 『あのこと』を言わなくて。
私がアイコンタクトを送ると、兄様は素知らぬ顔をしていた。黙っていろということでしょう。承知いたしました。
「どうしてですか? この国の王様や王子様の命の危機なのに!」
対角の席からエメルダ嬢が叫ぶ。
王族の命がどれだけ尊いかなんて、私にはどうでもいいことよ。彼らは私の大切なものの中に含まれてない。
「私の従者をそんな危険なところに行かせたくないの。ヴィルはもうレイン様の騎士ではないわ。レイン様を命がけで助けるのは、今の近衛騎士の役目でしょう」
「近衛騎士さんはほとんど呪いに巻き込まれて倒れちゃったんです! 残った人たちの中にヴィルくんほど戦える人はいなくて、みんな霊山で怪我をして……ヴィルくんじゃなきゃ……」
「それはお気の毒だけど、だからといって当然のようにヴィルを頼らないでくれる? 私の従者はヴィルしかいないの。私にとってもかけがえのない存在なのよ。諦めて」
今の主を放り出して、前の主のために働く従者なんておかしいでしょう?
私の説得を早々に諦めたらしく、エメルダ嬢は涙を浮かべた瞳でヴィルを見上げた。
「ヴィルくん! このままじゃレイン様が死んじゃって、ミストリアが大変なことになっちゃう! 助けて!」
「待て、エメルダ。早まるな。ソニア嬢の許可なく行動できない立場なんだ。先に彼女に話を通さないと」
「でもチャロットくん! レイン様を助けるのは王妃様のお願いでもあるんだよ! 協力してもらえないなんておかしいよ!」
偉い王妃様の命令に従わないのは悪いことって言いたいのかしら?
ミストリア王家が盟約に背いたことへの賠償として、ヴィルは私のものになった。それをまた王家の都合で連れ戻されたらたまらないのだけど。身勝手すぎる。誠意の欠片もない。
私はため息を吐いた。
「王妃様の名前を出すのなら、もちろん正式な依頼状をお持ちなのよね?」
私の言葉にチャロットもエメルダ嬢も顔色を悪くした。答えはお察しね。
兄様からそれとなく聞いているけれど、王妃様は魔女嫌いなのでしょう?
嫁と姑の関係になるはずだったのに、今まで手紙のやり取りすらしていなかった。婚礼の式にも欠席していた。嫌われているのは明白だわ。
王妃様が一人息子の危機にプライドを捨てて私を頼るのなら協力を考えても良かったけれど、そのつもりはないようね。
王妃様には魔女を信用するという発想がないのかもしれない。王子を呪術に組み込んだのが魔女だから警戒するのは当然だけど、テロリストとひとくくりにされるのは不愉快だわ。
とにかく、私とヴィルを訪ねてきたのはエメルダ嬢とチャロットの独断。なら取り合う必要はない。そもそも私とヴィルは国王の許可なしにアズライトから出られない。選択の余地なしね。
「私たちは城の現状について情報を持っていないの。王妃様からの書状もなく協力するのは不可能よ。あなたたちのことを信じられない。本当に国王陛下やレイン様は危篤なの? また私を嵌めようとしていないと証明できて?」
「……人の命を使って騙すなんて、わたし、思いつきもしないのに」
エメルダ嬢は愕然としていた。ああ、イラつく。
自分が私にしたことを忘れちゃったの?
「とにかく、正式な使者を連れて出直して下さる? それか兄様に一応交渉してみたらいかが? アズライトの兵士は優秀よ」
私が水を向けると、兄様はあっさり首を横に振った。
「難しいな。私もきみたちの要請では兵を貸せん。急ぎ城に遣いを出し、確認しなければ」
初対面の一般人に兵を貸して何かあったら大問題だから当然ね。残念でした。
「そんな、そんなっ。このままじゃ……っ!」
エメルダ嬢はすがるように私の後ろ――ヴィルを見上げた。
ヴィルくんなら私を信じてくれるよね?
そんな期待が籠っている。
……別に私だってエメルダ嬢やチャロットが嘘をついているなんて思っていないわ。彼女が自由に出歩いている時点で何かが起こったのは確実だし、私を騙せるような演技力があるように見えない。
単純にヴィルを連れて行かれるのが嫌なだけ。王子と国王を救う義理はないもの。
もしもこのまま王家が滅び、悪しき魔女たちに国を乗っ取られたら……兄様が戦うのなら協力するし、厄介事になりそうならククルージュごと他国に移籍するのも手ね。別に私が焦るような状況じゃない。
さて、ヴィルはどんな顔をしているかしら。
予想はできてる。彼は私ほど物事を割り切れない。
振り向くと、やはりヴィルは沈痛な面持ちで俯いていた。親友の危機には駆けつけたいし、初恋の女の子に頼られたら応えたい。そんな表情に見えた。
そう……分かった。
「ヴィルに選ばせてあげる。私のそばに残るか、彼女たちと霊山に向かうか」
部屋にいた全員が驚きを表した。特にヴィルは信じられない様子で固まっている。
今までと言っていることが違うからびっくりした?
私も少し驚いている。幼稚なことをしようとしている自覚はあるわ。でももう止まれない。ごめんね。
私はとびきり艶やかに微笑んでみせた。
「ただし、彼女たちと一緒に行くのなら、もう二度と私の前に現われないでね。約束を破るような男は要らない」
どこにも行かないって言ってくれた。
私はヴィルの言葉を信じたい。信じさせてほしい。
「え、ヴィルくんを従者から解放してくれるってこと?」
エメルダ嬢が期待に瞳を輝かせたのを横目に見つつ、ヴィルの答えを待つ。
……ほっとしたわ。顔を見れば分かる。
私の言葉にあなたがどれだけ傷ついたか。
「行かない。俺は、ソニアのそばに残る」
固い声が部屋に響いた。