4 最悪の主従
私とレイン王子の婚姻が破談になり、それからはもう大混乱だった。
他国からの賓客はどこか面白がっていたけれど、ミストリアの人間は恐慌状態に陥っている。
大変なことが起きているのに何もできることがない。これからどうなるのかも分からない。官僚や侍女たちが青い顔で走り回ったり、泣いたり、震えたりしている。カワイソ。
騒ぎの発端となったレイン王子とエメルダ嬢は、国王の側近に連れて行かれたみたい。触れれば灰になって崩れ落ちそうだった。
あの二人がこれからどうなるのか楽しみね。
王子はしばらく謹慎かな。あれで人望はあるみたいだから国外追放まではいかないと思うけど、今後の態度次第では王位継承権の剥奪もあり得る。
なんにせよ盛大にやらかしちゃって、末代まで語り継がれるわよ。いい気味。
一方エメルダ嬢は……王都から生きて出られるかしら?
今回のことで処刑されるという意味ではない。問題は、彼女が予知能力を持っていると宣言したところにある。
おそらくあの場にいた誰も本気で信じてないでしょうけど、検証しないわけにはいかない。
予言者は歴史を動かす力を持っている。
エメルダ嬢の力が本物だとしたら、王国は彼女を手放さない。例え予知の的中率が半分程度だとしても、半分当たるのなら儲けもの。災害や飢饉、国家への反抗勢力の情報が事前に分かるのなら何物にも代えがたい。
これからエメルダ嬢はしばらく実験漬けの日々を送るでしょう。
偽物だったらますます立場が悪くなるけど、本物だったらもっと最悪。きっと死ぬまで城から出られない。
ああ、でも、逃げる素振りをしたら殺されるかもよ?
他国に渡すくらいならって発想の人がいそうだもの。
むしろ城の中が安全かしら。予知能力なんてものがあるなら誰だってほしい。外に出たって狙われるだけ。
……私としては、正直困るのよね。
もしエメルダ嬢の力が本物だと証明されたら、疑惑が再燃するから。
ああ、今のうちに殺してしまいたい……。
やらないけどね。すぐ疑われちゃう。
それに、心配事は他にもある。
私は国王陛下が座っていた席をちらりと見て、こっそりため息を吐いた。
ううん、先のことを憂うのはやめましょう。
とりあえずすぐに悪の魔女だと断罪される心配はなくなった。
頑張ったんだもの、自分にご褒美をあげなくちゃ。
宰相の計らいで、私は急ぎ王都近郊にある屋敷にやってきた。王国が管理しているだけあって、手入れの行き届いた豪華な屋敷だ。林の奥にあって、周りに人気はない。密談にはぴったりね。
あれだけの騒動の中心人物になってしまった以上、城にはお邪魔できない。結婚後の夫婦の部屋をちょっと見てみたい気もしたけれど、用意してくれた人のことを思うと居たたまれない。王子を庇う人だっているでしょうし、城にいては絶対肩身の狭い思いをする。
本当ならすぐにでもククルージュに帰りたいのだけど、婚約解消の手続きがある。
一般人のそれとは違い、王国と魔女が取り交わした約束事だ。私とレイン王子の体には婚約に関わる契約魔術が施されている。それを解除する準備に一日以上かかるとのこと。
今夜はこの屋敷に泊まらせてもらう。
婚礼用のドレスから白地のワンピースに着替え、こってりした化粧を落とし、薄づきのものに替える。それから使用人に頼み、桶にお湯を入れて部屋に届けてもらった。慣れない靴で立ちっぱなしだっからくたくただ。思った以上に気を張っていたのかも。
私がベッドに腰かけ足湯で寛いでいると、控えめなノックの音が響いた。
「どうぞ」
黙って入ってきたヴィルは露骨に顔を背けた。はしたない、とか思っていそう。宰相は「自分の家のように寛いで下され」って言ってくれたもの。
私はドアの前に立つ青年をまじまじと眺める。
背は高く、男らしい体つき。肩まで伸びた黒髪を無造作に縛っている。切れ長の瞳は神秘的な金色で、不思議と人を不安にさせる。
唇を引き締め、眉間にしわを寄せている。少し緊張しているのかもしれないわね。
原作“あにめ”では激しく敵対するはずの男。
私が殺し、私が殺される原因となる男。
そんな二人が主従として対面することになるなんて最高に愉快ね。頬がゆるむのを我慢できない。
「改めて名乗りを」
「……ヴィル・オブシディア。ミストリア王国第一王子近衛騎士隊筆頭」
「元、筆頭ね。今日からあなたは紅凛の魔女の娘、ソニア・カーネリアンの従者よ」
ヴィルは屈辱だと言わんばかりに顔を歪めた。正直なヒト。
「私は有名な魔女の娘ではあるけれど、見ての通り特別に高貴な生まれというわけじゃない。かしこまった場じゃなければ好きに呼んでくれて構わないし、敬語も必要ないわ。体を張って守ってくれなくてもいい。ただ私が命じたことには絶対に逆らわないこと」
真意を推し量るように私を見つめた後、ヴィルはぼそりと呟いた。
「命令の内容による」
「たとえば?」
「……徽章を手放しても俺はミストリアの騎士だ。犯罪行為に手を貸すつもりはない」
「ふふ、全く信用されていないのね。私は良き魔女よ?」
ヴィルは顔をしかめるだけだった。
でもそう……騎士道精神に反しなければ、なんでも言うことを聞いてくれるのね?
「ヴィル、拭いて」
私が濡れた足を差し出すと、彼は固まった。
「何をしているの。冷えてしまうでしょう。タオルはそこにあるわ」
返事はなかったが、ヴィルはのろのろと動き出した。私の前に跪き、片足ずつ拭いていく。決して私の顔を見ないように、肌に直接指先が触れないように、細心の注意を払っているのが分かる。
「もう少し優しくお願い。肌に傷がついちゃうわ。指の間も忘れないで」
屈辱でしょうね。私に、魔女に、こんなことをさせられるなんて。
イライラがたまっていくのが目に見えるようだわ。
桶を片付けてもらってから、改めていくつか質問をした。ヴィルについては大体知っているつもりだけど、原作と相違点があるかもしれないし、知っていてはおかしいことを口走って怪しまれるのもつまらないもの。
年齢は二十歳。
レイン王子とは十歳のときに知り合い、十六歳の頃から騎士として仕えている。王国を騒がせる怪事件を追うと城を飛び出した王子に付き添い、ここ一年ほど各地を転々としていたらしい。
「それで、あのエメルダとかいう子とは、いつどうやって知り合ったの?」
「…………」
今まで端的ながら素直に喋っていたのに、あの子の名前を出した途端にだんまりだ。
「ヴィル、答えなさい。命令よ」
「……聞いてどうする」
「どうもしないわ。でも気になるでしょう? 私を本気で悪の魔女だと思い込んでいる相手よ」
「エメルダがそう言うのなら、そうなんだろう。あいつは嘘を吐くような女じゃない」
「別に彼女が嘘をついているとは言っていないわ。でもそうね、身の丈に見合わない予知能力に振り回され、頭がおかしくなっている可能性はありそう」
ヴィルの目が殺気を帯びる。部屋の温度が下がっていくのを楽しみながら、私は安い挑発を続けた。
「彼女にとって私は恋の障害だもの。無意識に排除しようと私を悪に仕立てあげたんではなくて? それくらいのことをしないと、国を挙げての婚姻を破談になんてできないと思って。よほど王子のことが好きなのね」
原作では、この時点で既にエメルダとレイン王子は両想い。そしてヴィルは諦めようと頑張っているところ。目の前の彼の反応を見る限り、原作通りらしい。とても苦しそう。
私を前にして、他の女に恋い焦がれるなんてね。いじめがいがありそうだわ。
「でも、王子もあの子も馬鹿よねぇ。思い込みが激しすぎる」
「……これ以上あの二人を侮辱するな」
「え? どうして? だって先に言ってくれればよかったのに。私は良き魔女だから、愛し合う二人の邪魔なんてしない。婚約破棄を望まれたら喜んで協力してあげたわよ」
実際私は待っていた。だけど彼らは一向に現れなかった。
「あなたたち、今まで何をしていたの? とりあえず会いに来なさいよ。平和的解決のためにはまず話し合いが基本でしょう」
私は隠れ住んでいたわけじゃない。
もしかしてククルージュが田舎だから来るのが面倒だった?
遊びに来てくれたら特製のハーブティーでもてなしたのに。
……なんてね。戯れはこれくらいにして仕上げましょう。
「ちゃんと手順を踏んでくれたらあんな恥をかくこともなく、『必要最低限の犠牲』で別れられたのに」
「……っふざけるな!」
ヴィルの目がかっと見開かれた。わざわざ地雷を踏み抜いただけあって、本気で怒っている。
「先ほども言っていたな……アロニア・カーネリアンは最低限の犠牲で済むように襲撃を画策したと」
「ええ」
「その最低限とやらでどれだけ死んだと思っている! 俺の両親がどんな目に遭ったか……!」
勢いのまま、ヴィルは己の生い立ちを明かした。
若くして王国騎士団の筆頭を務めていたヴィルの父、クロス・オブシディア。彼は剣の天才で、王国最強との呼び声も高かった。
しかし二十年前の王都襲撃の際、魔女に呆気なく殺されてしまう。愛する妻を人質に取られたからだ。
惨殺された騎士は全身の血を抜かれ、腸を引きずり出され、城門に逆さに吊され、三日三晩晒された。
王国最強の騎士への辱めは、魔女の恐ろしい力を示す見せしめとなった。
「変わり果てた父の姿に母は発狂し、臨月の腹を切り裂いた。そうして俺は生まれ、母はそのまま死んだ!」
金色の瞳が憎悪でぎらついている。
きれい。
人を狂わす満月のよう。
「話し合いだと? ふざけるな! 残忍で狡猾、人を人とも思わない魔女どもの巣窟に、王子やエメルダを近づけられるものか! どんな卑劣な罠を張られるか分かったものではない! だからお前が王都に来るのを待った! お前とアロニアの本性を暴き、魔女との共存を信じている馬鹿どもに知らしめるはずだったんだ!」
……へぇ、なるほど。
結構考えていたのね。
あの大聖堂の裏には警備のために王国騎士団の精鋭が控えていたし、他国要人の護衛も同様だ。いざとなれば、魔女一人を押さえるのに十分過ぎる戦力が集まっていたということだ。
そういえば王子はかなり挑発的な言葉を選んでいた。私を怒らせるためにあえて、だったのね。
確かに“あにめ”で怪事件を引き起こした魔女たちは、揃いも揃って非常にキレやすかった。特に企みを暴かれ「犯人はお前だ!」と言われると途端に……。
そういうお約束だと思っていたけど、もしかして魔女って忍耐力ないの? そういう認識?
私や田舎の魔女たちはそんなことないと思うんだけどねぇ。
そういえば原作でも婚礼の儀の前まで、エメルダたちは逆境に立たされていた。アロニアを救世主と讃える国で、アロニアの娘を断罪するのは難しい。怪事件の犯人が魔女だと分かっても、人々には不思議と脅威は伝わらなかった。
王子たちは決死の覚悟で今日に臨んだのだ。
決定的な証拠がなくとも、どうしても私を糾弾しなければならなかった。
それくらい追い詰められ、それくらいエメルダ嬢の予知を信じていた。
婚礼の儀に招かれたのは紅凛の魔女に好意的だった人間ばかり。私に気を遣ってそういう客が選ばれているはずだし、お母様を嫌う者はそもそも出席を断るだろう。
世情をひっくり返すことも計算に入れていたのね。
……本当に良かったわ。“あにめ”を観ておいて。
でなければ今のヴィルのように、怒りに任せて敵の思惑通りに操られていたかもしれない。
「俺は魔女が憎い。一人残らず殺して腸を裂いてやりたい……お前もだ、ソニア・カーネリアン」
ヴィルは腰の剣――魔女殺しに手をかけ、震えていた。私を斬り捨てる衝動と戦っているみたい。
とにかく私が言うべきことは一つ。
「ごめんなさい。不用意な発言をしたわ。撤回します。あなたのご両親の件も、あなたが望むのなら一人の魔女として謝罪するわ」
「馬鹿にするなっ……命乞いのつもりか? それで許されると――」
「いいえ。謝罪一つで帳消しにできる程度の憎しみなら、魔女殺しなんて持たないでしょう。それくらい分かっているわ。勘違いしないで」
私は挑むようにヴィルを見上げた。
「許さなくていい。殺したければ挑戦させてあげる。それでも私はあなたをそばに置く」
「なぜだ……俺が何をしようとしているのか分かっているだろう」
ヴィルが素直に私の従者になった理由?
もちろん私が悪の魔女だという証拠を掴み、窮地に陥った王子とエメルダ嬢を救うため。そして正当な裁きを与えるため。
今ここで私を殺せば、責任の矛先はレイン王子に向かい、とどめの一撃となる。だから剣を抜けないのでしょう?
「分かっているわ。でも証拠がなければどれだけ憎くても断罪など出来ない。私情で人を殺められるはずがない。たとえ徽章を手放しても、あなたはミストリアの騎士なのだから」
苦しげに息を詰めていたヴィルは、数拍おいて剣から手を離した。
「ずいぶん自信があるようだな……」
「ええ。私は良き魔女で、良き主だもの」
「どこがだ!」と吐き捨ててヴィルは部屋から飛び出していった。
……これでいい。
一度怒りを思いきり爆発させてしまえば、そうそう次の噴火は来ない。
しばらくは背中を斬られる心配をしなくていいわ。
それに、先に謝っておきたかったのよね。
どう魔女側をひいき目に見てもヴィルの生い立ちは可哀想だもの。これから先、負い目を感じて思い切りいじめられないのも面白くない。魔女というひとくくりで、生まれる前の出来事まで恨まれるのも面白くないんだけどね。
「でもヴィル……本当は知っているでしょう?」
あなたの父親が魔女狩り部隊の指揮をしていたこと。
そして殺害後に受けた辱めは、かつて魔女狩りに遭った同胞が受けたものと同じものだと。
やったらやり返されるのよ。
あなたも私も覚悟が必要ね?
たくさんの方に読んでいただき、大変驚いています。
ありがとうございます。
次回は世界観や用語説明の回にしようと思っています。
慎重に書くと決意したので間が空きますが、お待ちいただけたら幸いです。