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37 ヴィルの選択

 

「お待たせ」


 着飾ったソニアを見て、俺は言葉を失くした。

 ドレスは鮮やかなピンク色だった。銀細工を飾った紅い髪と調和してよく似合っている。

 デザイン自体はシンプルだ。過度な装飾は必要ないだろう。

 豊かな胸元から細い腰へのラインが強調されていて、露出した肌からは瑞々しい色香が漂っている。それでいて娼婦のようなけばけばしさはなく、良家のお嬢様然といった気品があるのが不思議だ。

 化粧の力だろうか。普段と大して変わっていないように見えるが、今夜は一段と艶やかで眩しい。


「どうかしら?」


 愛らしい唇が感想を問うた。俺はぎゅっと目を閉じる。


「お前……本当に縁談を断る気があるのか?」


 美しすぎる。

 これでは興味本位で集まっただけの男も、華に群がる虫のように引き寄せられるに違いない。守り切れるか不安になってきた。


「ふふ、そのげんなりとした反応がヴィルなりの賞賛なのね……まぁ、いいわ。せっかく集まってもらったのにがっかりはさせられないでしょう。兄様の顔を潰すわけにはいかないわ」


 サニーグ殿が散々勿体つけた結果、男たちのソニアへの期待は高まっている。その期待を裏切るような真似も、わざと野暮ったくした姿を見せるのも、ソニアの矜持が許さないらしい。


 男ならば絶世の美少女をエスコートする栄誉に喜ぶべきなのだろうが、注目を浴びることを考えただけでどっと疲れた。しかし後には引けない。俺が気合を入れ直して手を差し出すと、ソニアはご機嫌に手を重ねた。


「ヴィル、想像以上に様になっているわね。素敵よ。正装姿もとても似合ってる」


「……あんまり見るな」


 騎士の仕事は王族や貴族に仕え、護衛することだ。式典や外交の席などの公式の場にも同行するため、主に恥をかかせないよう養成所で徹底的に教育を受ける。女性のエスコートの仕方も授業で習った。戦闘の実技と比べるとだいぶ苦労をしたが、ちゃんと所作は身についているらしい。


 ソニアは王妃教育を受けただけあって、堂々たる振る舞いだった。元は貴族ですらなく、樹海の里で暮らす魔女だというのに。


 ちなみに俺は養成所を卒業して城仕えが始まった時点で貴族の位を与えられた。一代限りかつ形だけのものだ。しかしソニアの従者になったときに位を返上し、平民に戻った。ソニアも俺もなかなか紆余曲折の人生だな、と他人事のように思うのは、現実逃避の表れかもしれない。


 広間から耳心地の良い音色が聞こえてきた。楽団を呼んでいるらしい。広間の半分はダンススペースになっていて、もう半分は食事や歓談のためのスペースだ。壁際にはテーブルがいくつもセットされ、隣接したサロンでは密談ができるようになっている。


 あまり格式ばっていないホームパーティーだと聞かされていたが、それでも招待客は多く、身なりや振る舞いを見るに地位のある者ばかりのようだ。ソニアのお見合いパーティーの側面もあるが、表向きは領主主催の交流会だと聞いている。


 こっそり深呼吸をして、俺はソニアを伴って広間に足を踏み入れた。

 その瞬間、空気が変わった。ざわめきの中に感嘆の声が聞こえる。若い男たちはソニアの美貌に釘付けとなり、それ以外の者は好奇の視線を突き刺してきた。

 まだ声をかけてくる者はおらず、ただ遠巻きに噂されている。めちゃくちゃ居心地が悪い。


「兄様とユーディアが結婚してから、こういう場に出るのを控えていたの。久々で少し緊張してきたわ」


 余裕たっぷりの表情で言われても信憑性は皆無である。それでも頼るように腕にすがられれば悪い気はしない。俯かないように俺は背筋を伸ばした。


 ほどなくしてサニーグ殿の挨拶とともにパーティーが始まった。

 豪華な料理に心惹かれつつも、今夜は我慢だ。くっ、肉が……。


 俺が歯噛みしている間に、さっそく執事と護衛を従えた青年が近づいてきた。値踏みするようにソニアの全身を見ている。

 ふてぶてしいほど自信に溢れた面構えだ。どうやら隣接する領土の貴族の次男らしい。女受けしそうな甘いマスクをしているが、レイン王子と比べれば格段に劣る。そう思ったら少し気が楽になった。

 青年は簡単な挨拶の後、ソニアの容姿を褒めちぎり、婚約破棄の件を憐れみ、貴族らしい遠まわしな口説き文句で求婚してきた。


 あなたのような妻がいれば私が跡取りになれる、贅沢な暮らしを約束する、私ならミストリア王家との仲を取り持つこともできる、云々。


「せっかくのお申し出ですけれど、私は心静かに暮らしていきたいのです。お互い、望みを叶えられそうにありませんわ」


 ソニアは優美に微笑んだままやんわりと拒否し続けたが、青年は執拗に食い下がった。この強引さで今まで何人もの女性をたぶらかしてきたに違いない。

 そのうち「静かな暮らしを望むなら別荘の管理を任せよう。公の場に出なくても良い」と言い募った。愛人として囲ってやる、という意味に取れる。

 領主の招待客だという手前大人しくしていたが、さすがに頭に来た。


「これ以上、ソニアに近づかないでもらおうか」


 俺がソニアを庇うように前に出ると、青年が初めてこちらに目をやった。その眼光には嘲りが含まれている。


「きみは従者だろう? 下がっていろ」


「断る。ソニアを望むのなら、俺を倒してみせろ」


 俺の言葉にソニアがこっそりと噴き出した。俺の背に隠れて相手からは見えていないだろうが、よくこの状況で笑えるものだ。俺は必死なんだが。


「倒す……? 決闘をしろと申すのか?」


「ああ。俺より弱い男に彼女を任せるわけにはいかない」


 俺が真顔で述べたことで、相手が怯んだ。


「そうね。私、強い殿方の方が好みだわ」


 ソニアの援護の一言により、青年はさらに難しい顔をした。どうやら武に覚えはないらしい。しかし女性を巡る争いの解決方法として決闘を提案されれば、貴族の男子としては受けざるを得ないはず。 


「代理を立てても構わない」


 俺の言葉に青年がむっとして振り返ると、執事と護衛が揃って首を横に振った。俺の経歴を知っているようだ。エメルダたちとの旅の間にいろいろと無茶をしたので、不本意ながら武勇が広まっているのかもしれない。

 青年は「今宵は縁がなかったようだ」と渋々引き下がった。

 俺はほっと胸を撫で下ろす。


 容姿、家柄、財産、どれをとっても貴族には劣るが、単純な強さならこの場にいる誰にも負ける気はしない。

 得意分野に引き込み、群がる男を退散させる。俺の決死の作戦である。

 それから声をかけてくる男を同じように追い払った。しばらくすると、俺を倒さなければソニアを手に入れられないことが場に浸透し、求婚者は現れなくなった。


「軟弱だな。負けることが分かってでも挑戦する男はいないのか」


 俺が密かに勝利に酔いしれていると、ソニアが苦笑した。


「そりゃそうよ。彼らは私の見た目や話題性、兄様との関係が欲しいだけだもの。命を賭けて愛を囁いたりしないでしょう」


 そんなことはない、と俺は言えなかった。

 確かに寄ってきた男たちは、ソニアを利用することしか考えてなさそうだった。必死に利益を説き、金や権力で釣ろうとしていた。純粋に惚れたという感じは一切ない。


「……俺は違う」


 思わず漏れた呟きはパーティーのざわめきにかき消され、ソニアの耳には届かなかったようだ。ホッとしつつも悔いを残すという複雑な心境に陥った。

 


 若い男たちの次は女性たちが声をかけてきた。ソニアはレイン王子との婚約破棄について質問されていた。旧い顔なじみの夫人もいるようで、一見楽しげに会話に花を咲かせている。俺にもいろいろな問いを投げかけられたが、上手く答えられなかった。社交は苦手だ。


「ソニア、ヴィルくん、こちらへ」


 サニーグ殿のおかげで、なんとか女性たちの囲み取材から逃れた。紹介したい人物がいるらしい。

 個室に入ると、一人の男が朗らかに微笑んで待っていた。サニーグ殿と同じくらいの年齢で、柔らかい空気を纏った男だった。


「私の友人、エクリーフ様だ。ルジアーロ王国の第三王子……と言っても、王位継承権を放棄して、各地を転々としている気楽な身の上だがな」


「サニーグ、何を言うんですか。僕は外交官として祖国のために働いているのに」


 隣国の王子の登場に俺は息を飲んだ。

 ルジアーロ王国は歴史の古い国で、ミストリアとの関係は良好だったはず。サニーグ殿曰く、貿易の折衝を重ねるうちにエクリーフ様と意気投合したらしい。

 隣国の友人もソニアに求婚したがっているとサニーグ殿に聞いたが、まさか……。


「ソニアさん、言葉を交わすのは初めてですね。僕はあの日、あの大聖堂にいたのですが、挨拶をすることは叶いませんでした。ようやく間近でお会いできて光栄です」


 彼はあの婚礼の場に招待されていたという。数か月前の過ちを思い出し、俺の顔からさぁっと血の気が引いた。

 一方ソニアは恥じ入るように頬に手を当てた。どうせ演技だろう。


「その節はご迷惑をおかけいたしました。お恥ずかしい……」


「そんな、お気になさらず。めったに見られないものを見せていただき、足を運んだ甲斐がありました。あのときのあなたの姿を思い出すだけで、未だに全身が痺れる心地がいたします。実にお美しかった。もちろん、今夜も素敵ですが」


 エクリーフ様はため息を吐き、俺とソニアを交互に見た。


「あの場では鋭く尖っていたお二人の空気が嘘のようですね。微笑ましいです。僕は潔く身を引くとしましょう。ですが、これも何かの縁です。どうか僕とお友達になって下さい」


 にこにこと何を考えているのか分からない笑顔だ。

 俺はソニアに判断を委ねた。


「ええ、もちろんですわ」


「嬉しいです」


 それからしばらく他愛のない会話をした。下心を感じない教養のある会話内容だ。エクリーフ様は俺にも答えやすい話題を振り、場を和やかに盛り上げてくれた。楽しそうな様子のソニアに、俺は危機感を覚える。 


 途中でサニーグ殿が他の客の元へ行き、部屋には俺たちとエクリーフ様のみが残された。側近の一人もいないなんて、王族としては無防備すぎる。

 エクリーフ様がおもむろに口を開いた。


「……実は僕、本当なら今頃王都の城でミストリア王に謁見する予定だったのです。しかし、急遽謁見が中止になってしまいました。何やら穏やかではない様子でしたが」


 そのまま帰るのもつまらないのでアズライト領に滞在させてもらっているのです、とエクリーフ様は苦笑した。


「まぁ、そのようなことが? 何か変事があったのでしょうか?」


 ソニアの目がすぅっと細められる。相手の思惑を測る冷たい眼差しだ。


「ある噂を聞きました。なんでも、あの王子の恋人が予知をしたそうです。詳しい内容までは分かりません。今度はどんな騒ぎを起こすのやら、といったところですね」


 エメルダが予知を?

 予知ができなくて立場が悪くなっていると聞いたが、とても喜べない。国王の予定が変更になるくらいなら、あまり良い予知ではないのだろう。 

 ソニアは口元に笑みを浮かべたまま、相槌を打っているだけだ。


「お二人にはもう関係ないことかもしれませんね。ですが何か困ったことがあれば、僕とルジアーロ王国を頼ってください。あなたたちのことはサニーグにも頼まれています」


「お言葉、感謝いたします」







 エクリーフ様と別れた後、ソニアが一曲踊りたいと言い出した。さすがにボロが出るからやめておこう、と事前の打ち合わせで決めていたはずだが……。


「ダメ? 今夜の思い出にしたいのよ」


 く……上目遣いでお願いされたら断れない。俺は小さく息を吐いて手を差し出した。

 ゆったりとしたワルツだったので、なんとか形になっているはずだ。他のペアは頬を寄せ合って甘い会話を楽しんでいる様子。

 俺には真似できないが、振りだけでもすべきだろう。ソニアの耳元へ問いかける。


「エクリーフ様は何が目的だったんだ?」


 心得たようにソニアは微笑んだ。


「むしろ兄様の目的だったのかも。私とエクリーフ様の顔繋ぎをして下さったのよ。いざというときのために」


「……危険が迫っているということか?」


「王城で何かあったみたいだしね」


 このパーティーに俺たちが招かれたのは、ユーディア夫人の暴走ではなく、サニーグ殿の策略だったようだ。どこに王の密偵がいるか分からない状況で、たくさんの男たちに紛れ込ませ、エクリーフ様を自然に紹介できるように。


「でももう、王都で何が起ころうと関係のないことよ。そうでしょう?」


 俺は言葉を詰まらせる。

 王子やエメルダの身に何か起こったのかもしれない。心配ではある。だが、俺はソニアに災難が降りかかるかどうかの方がよほど重要だった。

 自分の変わりようが本当に恐ろしく思えた。でも仕方ない。忠誠心も愛情もたった一人に捧げたい。

 目の前の紅い瞳を見つめ返し、俺ははっきり答えた。今度はしっかり伝わるように。


「……俺はどこにも行かない。もう誰にもお前を利用させない。何が起こっても大丈夫だ。必ず守る」


 声は震え、握る手に力が入ってしまった。

 ソニアは俺の言葉を噛みしめるように目を閉じ、ふわりと笑った。


「ありがとう。嬉しいわ。でも本当に決闘をしちゃダメよ? ヴィルが傷ついたら何の意味もないの」


 言葉の意味が分からず首を傾げると、ソニアは試すように俺を見上げた。


「ねぇ、ヴィル。明日の演劇は従者として同行するの? それとも……」


 はっとして狂ったステップを誤魔化しながら、俺は小声で答えた。きっと耳まで赤くなっている。


「明日もちゃんとエスコートする。恋人として」


 踊り終わった後、男どもの視線が痛かった。見せつけられてうんざりしているようにも見える。




 

 次の日、約束通りチケットをもらい、二人で演劇を鑑賞した。

 ソニアの髪には金の花と蝶の髪飾りが留まっていた。不思議と昨日より可愛く見える。


 その日、俺とソニアは本当の恋人として一日を過ごした。

 

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