36 ヴィルの抵抗
ヴィル視点です。
クワを片手に空を仰ぎ、俺はため息を吐いた。
広域呪殺テロを食い止め、ククルージュに帰ってきてから数日。
日常が戻ってきた。
今日も午前中は里の畑仕事の手伝いである。魔女が地属性の魔術で開墾した畑にソニア特製の肥料を撒き、よくなじませる。木の根や大きな岩を取り除くのは人力で、男たちの役目だ。隣の畑では見習い魔女たちが水の魔術を打ち合って遊んでいる。
なんて平和な光景だろう。最近ずっと緊迫していたせいか妙に和む。
俺とソニアが帰ってすぐ、ゼオリが所属していた組織についての対策会議が里全体で開かれた。いざというときの避難方法や、情報収集の分担について話し合われていた。ククルージュの結界はさらに強化されるという。
俺もここぞとばかりに怪事件で捕えた魔女について情報を提供した。ファントムやコーラルと模擬戦をし、鍛練をする約束もした。体を動かして、悶々とした気分を発散したかった。
帰ってきてからずっと、頭の中はソニアのことでいっぱいだった。
ただの従者のままか、従者兼恋人になるか。
以前の俺ならば悩むことなく従者で居続けただろう。でも今は……。
俺は従者として一生ソニアに尽くすつもりだった。
頬に口づけられ、「大好き」と言われるまでは。
主従の枠を超えた接触に俺は激しく動揺した。
もしかしてソニアが俺に望んでいるのは、忠誠心の厚い従者ではなく、愛情深い恋人なのか?
……心当たりはある。前々から思っていたのだ。
ソニアは俺に対して甘い。顔や性格が好みだと語ったり、一緒に遊ぼうと誘ったり、俺がいる限り結婚しないと宣言したり、好意を向けられているのは何となく肌に感じていた。
ただし、本気で恋愛感情を抱いているわけではなく、せいぜいお気に入りのペット。とても俺に恋をしているようには見えない。弄ばれているんだな、と何度遠い目をしたことか。
だが、あのときのソニアは俺をからかっている感じではなかった。傷を負って意識を失い、目覚めてすぐのことだったのだ。年相応の少女のような無邪気さで、分かりやすい愛情表現をしてくれた。
もしかしたら、あれがソニアの素なのだろうか?
絶対に口には出せないが、ものすごく可愛かった。あれから俺はソニアを意識せずにはいられなくなった。
ククルージュに帰って来るまではいろいろと大変だった。
ソニアの体調を気にしながら、口裏合わせや後処理をしている時、不意に唇が触れた感触を思い出してしまい、頭の神経がどうにかなりそうだった。不謹慎だと思いつつも頬が緩み、そんな自分に嫌悪を抱く。ものすごく精神が不安定だった。何とか感情を隠してククルージュに帰り着いた自分を誉めてやりたい。
帰ってすぐ、ソニアから超回復にまつわる過去の話を聞いた。
壮絶だった。
アロニアは実の娘を道具か何かだと思っていたようだ。ミストリア王との黙秘の契約を肩代わりさせ、実験として毒を飲ませ、挙句に体を乗っ取って殺そうとした。
ソニアは淡々と話していたが、聞いている俺は腹が煮えくり返ってしかたがなかった。
より一層ソニアのそばにいたいと思った。
ソニアは俺に生きる気力をくれた。命を助けてくれた。彼女が望む限り共にあり、尽くしたい。ソニアが笑っていてくれるなら俺は幸せだ。
もはや外聞などどうでもいい。
両親の仇の娘で、前の主であるレイン王子の元婚約者、少し前まで俺の想い人だったエメルダが敵視する魔女であっても、もう気にしない。
魔女に籠絡されたと罵られてもいい。
そばにいてくれなかった両親よりも、俺にエメルダの寿命のことを打ち明けてくれなかった王子よりも、決して俺に振り向いてはくれないエメルダよりも、ソニアの方が大切だ。
彼女を失う恐怖を思えば、かつての仲間からの軽蔑くらいなんでもない気がしてきた。
……自分の変わりようが少し怖いな。
ソニアがもしも俺に好意を持っていてくれるのなら、応えたい。だから従者と恋人のどちらを望むのか尋ねたのだが、俺に取っては予想外の回答が返ってきた。
従者兼恋人ってなんだ。
俺の感覚では主従と恋愛関係になるのはあり得ない。
ソニアには抵抗はないらしい。俺は出会ってすぐはソニアのことを主と仰ぐ気が全くなく、最悪の態度だった。ククルージュに来て打ち解けてきた後も、主と従者にも関わらず一緒の席で食事を取り、あろうことか夕食を作ってもらっている。世間一般にいう主従とは程遠いのは確かだ。
というか俺に主導権を握らせないため、主従を解消しないのかもしれないな。未だに信用されていないのだろうか。
俺はソニアほど器用じゃない。
ぶっちゃけてしまえば、敬愛すべき主をそういう目で見ることに背徳感が付きまとうのだ。
かといってこれから長い時間ともに過ごして、そういった欲を我慢できるとも思えない。時間の問題だろう。
ソニアは、その、なんというか……女性として大変魅力的だからな。仕方ない。
どうせ結果は見えているのだから、悩まずに即座に応じていれば良かったかもしれない。俺から改めて「恋人にしてください」と申し込むことを考えると、頭を地面に打ち付けたくなる。
「はぁ、損な性格をしてるな」
項垂れた瞬間、ざぱん、と頭に水をかけられた。
魔女見習いたちが「当たったー!」とはしゃいでいる。隙を見せたら絶対やられるとは思っていたのに、不覚だ。
「こらっ! 真面目に畑のお手伝いできない子はおやつ抜きだぞぉ!」
ファントムが叱ってくれたが、効果は薄い。「ごめんなさーい」と見習いたちは里の方へ逃げていった。怒る気になれなかった。畑仕事が手に付かなくなっていた罰と思えばな。
俺は首から下げていたタオルで顔を拭く。緩慢な動作でぼんやりしていると、ファントムがそわそわし始めた。
「だ、大丈夫か……? 何か悩み事か? そ、相談、してみるか!?」
ここで「ソニアの恋人になるかどうか悩んでいる」なんて零したら、ファントムが奇声を上げて暴走するのが目に見えている。俺はぎこちないながらも「大丈夫だ」と笑っておいた。
ソニアの恋人になれば、ファントムとも一悶着ありそうだ。呪われてもおかしくない。気をつけよう。
「おかえりなさい。どうしたの? ずぶ濡れね」
ソニアは調剤室にこもっていた。ここのところ、魔障病の治療薬の素材の下処理など、薬屋に納入する準備をしている。実際には魔障病ではなかったわけだが、バンハイドやマリアラ領で薬が消費され、品薄になっている。高く売れることには変わりない。
「セラたちに悪戯されただけだ。手伝うことはあるか?」
「ありがとう。じゃあ早く着替えてきなさい。風邪を引くわ」
「……あ、ああ。分かった」
微笑み一つでどぎまぎする俺とは違い、ソニアの態度は変わらない。やっぱり俺への好意はそこまで大きくないのではないか。それとも俺がガキすぎるのだろうか。年上なのに振り回されて情けない。
着替えて調剤室で作業を手伝っていると、ソニアが思い出したかのように言った。
「兄様、ちゃんと報酬の約束を覚えていてくれたみたい。さっき手紙が届いたの」
サニーグ殿がアズローに来ている旅一座の公演チケットを手に入れてくれたらしい。希望していた通り二枚だ。一応確認すべきだろう。
「誰と行くんだ?」
「これはバンハイドで頑張ったご褒美だもの。もちろんヴィルと一緒に楽しむつもりよ」
分かりきったことを聞かないで、とソニアは優美に微笑んだ。
もしかしてデートの誘いだろうか。緩みそうになる頬を全力で叩いた。
……浮かれるな、俺。里の外にはソニアを狙う者がいるんだ。まだ恋人ではないんだから、断じてデートではない。これはご主人様の護衛だ。
公演の前日に屋敷に来るよう手紙にあったので、俺とソニアは何の疑いもなくアズローに向かうことにした。
「騙したわね、ユーディア」
「人聞きの悪いことをおっしゃらないで」
ソニアに軽く睨みつけられたにも関わらず、ユーディアは涼しい表情で受け流した。
昼頃に到着すると、領主殿の屋敷は慌ただしい雰囲気に包まれていた。今夜、ここでパーティーが開かれるため、使用人たちが忙しなく準備しているのだ。
何故かソニアと俺も出席することになっていた。初めて屋敷を訪れたときに採寸し、仕立てた衣装が用意されている。
「すまない、ソニア。ユーディアは私のためを思って行動したのだ。責めないでくれ」
サニーグ殿は申し訳なさそうにこめかみを押さえた。珍しい表情だ。
なんでもレイン王子との婚約破棄後、ソニアの後見人であるサニーグ殿の元には彼女への面会の申し込みが後を絶たないらしい。そのうちの半数は縁談がらみの打診である。
自由恋愛をしたいと宣言したソニアを慮り、サニーグ殿はきっぱり突っぱねてきたが、他領土の貴族、懇意にしている商会、隣国の友人がしつこく食い下がってくる。しばらくは魔障病への対応を理由にシャットアウトしていたが、解決するやいなや矢のような催促が来るようになったという。
サニーグ殿は可愛い妹分に良い顔をしたくて頑張ってきたものの、先方との関係に亀裂が生じるレベルまで押し問答がエスカレートしているらしい。
見かねたユーディア夫人がソニアをおびき出し、いっきに面会させるための宴を開いた。つまり今夜はソニアのためのお見合いパーティーというわけだ。
余計なことを、と言わんばかりにソニアが笑みを深めた。
「いつまでも旦那様を頼りにされては困ります。ご自分のことなのですから、ご自分で誠意を持ってお断りあそばせ」
ユーディアがツンとそっぽを向くと、ソニアは小さく息を吐いた。
「……分かりました。私だって、兄様に迷惑をかけるのは嫌だもの。というか相手方がしつこく食い下がってきたのは、兄様が頑なに私を隠したがったからではなくて? レイン様と派手な婚約破棄をした魔女を一目見たいだけだったのに、引くに引けなくなったのでしょう」
「ふむ、確かに。可愛いソニアを守ろうとするばかり男たちを煽ってしまったかもしれんな」
気持ちは嬉しいけれど、とソニアが苦笑すると、サニーグ殿は肩をすくめた。
裏の事情を知っていると、二人の会話が寒々しく思える。
サニーグ殿はソニアが権力者と結びつかないよう監視する立場にある。ソニアに対する求婚者を遠ざけていたのはミストリア王の望みで、仕事だ。しかしユーディア夫人は二十年前の真実やソニアとサニーグ殿の本当の関係を知らないため、対応に苦慮する夫を助けようとしただけである。ソニアのために男たちを遠ざける夫を見たくなかっただけかもしれないが。
「兄様が手こずるような相手でしょう。どうやってお断りしようかしら」
「あら、お断りする理由には不自由しないでしょう?」
ユーディアが俺を見て、意味深に笑った。「すでに決まった相手がいる」と宣言すれば求愛者たちもさすがに引き下がるだろう、と言いたいらしい。
ソニアと俺は無言で見つめあった。
正直困る。華やかな場は苦手だ。だがここでソニアを一人でパーティーに参加させるなんてあり得ない。いろんなことが心配だ。胸がざわりとして落ち着かない。
連れて行ってくれ。絶対に役に立ってみせる。
俺の心の声を感じ取ったのか、ソニアがくすりと笑った。
「ヴィル、エスコートをお願いしてもいい?」
主が望まぬ結婚を避けるため、恋人を演じる。これも従者の仕事の内だ。
俺は力強く頷いていた。
次回もヴィル視点です。