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32 炎の踊り


※グロテスクな描写があります。

苦手な方はご注意ください。


ヴィル視点です。


 

 誰かに呼ばれている気がして耳を澄ますと、意識が浮上した。俺はまだ生きているらしい。

 部屋の外が騒がしい。きゃんきゃん、と犬の声がする。

 ゆっくりと目を開けると、室内がだいぶ暗くなっていた。枕元のランプがほのかに光っていて、なんとか周りを見渡せる。


 ……ソニアがいない。

 俺はそのことにひどく動揺した。

 確か、夜まではそばにいると言っていた。他の患者たちの様子を見に行ったのか、それとも事態が動いたのか。

 体が辛くて弱気になっているだけかもしれないが、胸騒ぎが止まらない。


「やめないか、病人が寝てるんだ」


 ドアをひっかく音が聞こえ始めた頃、男の声も聞こえてきた。おそらく宿屋の主人だろう。

 再び眠りこもうとする脳を叱咤し、鉛のように重くなった体を鼓舞し、俺は這うようにドアへと向かった。


「おいおい、大丈夫かい?」


 ドアを開けると、ちょうど宿屋の主人が暴れるチルルを抱えようとしているところだった。チルルは俺を見て歓喜の声を上げ、素早く部屋の中に入ってきた。


「起こしてしまってすまんね。ソニアさんから預かったんだが、いつの間にか逃げ出していて。こら、犬っころ。散歩ならオレがしてやるから来い」


 チルルは俺の足に隠れて唸った。引き剥がすのは骨が折れそうだ。


「いいです。それより、ソニアは、どこに……?」


「さっき宿を出て行ったよ。行先は聞いていない。……ああ、でも何か手紙が届いていたから緊急の用事でもできたのかもしれんな」


 誰かに呼び出され、ソニアは出て行ったらしい。

 サニーグ殿からの使者かもしれない。ラズの処遇について結論が出たのか。

 こうしてまだ俺の体が蝕まれているということは、少なくともまだラズは火にかけられてはいない。見つかっていないのだろう。


「とにかく、ベッドに戻って眠った方がいい。ひどい顔色だ。何か入用なものがあれば持ってくるが」


「大丈夫です……でも、チルルは預かってもいいですか? 動物にはうつらないはずなので」


 宿屋の主人は俺に部屋の外に出るなと言っているようだ。

 感染する魔障病だと思っているのなら当たり前の対応だ。村の患者が隔離されている集会場にもう空きがなく、仕方なくこの部屋で俺を寝かせてくれているらしい。もっともこの宿には今、サニーグ殿から派遣された医者と術士しか泊まっていないから、クレームは出ないだろう。


 俺は宿屋の主人に頭を下げ、ドアを閉めた。

 しかしチルルが何かを訴えるように俺を見上げ、外に行くようにズボンの裾を引っ張る。

 散歩をねだられている様子ではない。ラズが心配なのだろう。俺も、ソニアが心配だ。

 だんだんと「手を貸してくれ」と必死に助けを乞われているような気になってきた。これを無視して眠れるほど俺は楽観的ではない。チルルの訴えに従わなければ、一生後悔する気がする。


「分かった……行くから」


 答えるとチルルは大人しくなり、尻尾をぶんぶんと振った。

 俺は病人用の服を脱ぎ捨てて着替え、魔女殺しを手にした。何度もよろけ、床に膝をつく。もどかしい。頭がぐわんぐわんと揺れ、まともに歩くことも難しかった。


 そう言えば、と荷物の中から雷塩結晶が入った瓶を取り出す。

 気付け薬代わりだ。躊躇わず欠片を奥歯で噛み砕く。強烈な刺激にだいぶ頭が鮮明になる。塩には邪を祓う力があると聞く。呪いにも少しは耐えうるのだろうか。


 宿屋の主人の気配が廊下にないことを確認し、俺はランプを拝借してチルルとともに部屋を出た。なんとか誰にも目撃されずに宿屋を後にする。

 チルルは「こっちだ! 付いてきな!」とばかりに勢いよく裏山の方に駆け出す。俺も今できる全力の速さで後を追った。

 俺にはソニアやラズがどこにいるのか分からない。チルルを信じるしかなかった。


 何度も転び、木の枝で肌を切りながら、息も絶え絶えに傾斜を登った。チルルの向かう先に何もなかったら笑うしかない。このまま遭難して死ぬだろうな。同じ距離を引き返すだけの力はもうない。


 よく分からない焦燥感が俺の背中を押し、暗い山を進ませた。

 もしもソニアとラズがピンチに陥っていても、今の俺では足を引っ張るだけだ。

 それでも行く。心も体もそれを望んでいる。難しいことは考えられない。


「なんだ……?」


 一瞬周囲が明るくなり、前方で爆発音が聞こえた。誰かが戦っている。チルルの呼びかけも、俺の胸騒ぎも間違いではないと確信した。

 最後の力を振り絞って俺は急いだ。


「ソニア!」


 そして、目撃した。主が血だらけで倒れているところを。

 ソニアが蛇の群れに体を蹂躙され、黒いローブの女に組み伏せられていた。魔術の光が浮いていて、その様子がよく分かる。彼女の腹の中身が無惨に晒されていた。肌は穴だらけで血塗れだ。


「あ……ああ……っ」


 嘘だ。あり得ない。

 まるでソニアが死んでいるように見える。

 全身から血の気が引き、俺は呆然と立ち尽くした。おそらく現実では数秒のはずだが、世界が止まってしまったかのように長らく身動きが取れなかった。


 チルルがきゃんと吼えて、やっと正気に戻った。チルルが駆けていった先には大きな楠があり、ラズが吊るされていた。彼もまた、生きているのかどうか分からなかった。


「どうして!? なぜ宝珠を持っていない!」


 黒いローブの女は錯乱していて、俺が現れてもさして反応を示さなかった。女の片手に肉片がこびりついているのを見た途端、頭にかっと血が昇った。


 この女がソニアを殺した。

 不思議と頭が冴え、状況を一気に理解できた。この女がラズを利用して村に呪いをかけた悪しき魔女だ。ソニアは魔女を殺すべく戦ったが、きっとラズを盾にされるなど卑怯な手を使われて負けたのだ。腹を暴いていたのは、ソニアが薔薇の宝珠を持っていると誤認しているからだろう……。


「っ!」


 後はもう、体が勝手に動いた。

 魔女殺しを抜き、俺は女に向かって斬りかかっていた。

 紅い刃の閃きに気づき、女はソニアから離れた。女の首筋に剣が掠り、血煙が音を立てて上がる。斬った相手が魔女である証拠だ。


「くっ!」


 舌打ちが聞こえてきた。俺も舌打ちしたい気分だった。普段の俺なら避けられることなく首を刎ねられたのだが、体がついてこなかった。ふらつきながら剣を構え直す。


 血管や神経が全て焼き切れてもいい。

 もう二度と体が動かなくなってもいい。

 相討ちでもかまわない。

 絶対に許さない。何としても、この女に死を与える。苦痛を味合わせてやる!


 心の底から沸き出した憎悪が、涙となって瞳に溜まっていった。


「どうやってここに……それに呪いを受けて動けるとはねぇ。……まぁ、いいさ。一足遅かったね、ヴィル・オブシディア。想像以上に良い顔をしてくれるじゃないか!」


 にたり、と下品な笑みを浮かべつつ女は肩をすくめた。体の動きが不自然だ。右腕が動かないのかもしれない。


「ご覧の通り、そのくそ生意気な小娘はあっけなく死んだ。あたしも残念だよ。せっかく宝珠が手に入ると思ったのに……もうここに用はない。あんたの根性に免じて情けをやろうかね。知っているかもしれないが、ラズの坊やを燃やせば呪いは解けるよ。生き延びるがいい。きっとあの御方もそれを望んで――」


 俺は強く地を蹴り、剣を振るった。

 呪い?

 もはやどうでもいい。自分のことも村のことも知ったことではなかった。


 ソニアを守れなかった。一生付き従って尽くすと誓った途端に失った。

 激情が身を焼いているようだった。目の前の女を殺し、無残に引き裂かなければ気が済まない。


 しかし俺の繰り出す一撃一撃を無尽蔵に沸いてくる蛇が阻んだ。苛立ちを感じ取ったのか魔女殺しが輝きを増していく。


「はっ!」


 蛇に噛みつかれるのも構わず深く踏み込み、剣を横に薙いだ。

 派手な血煙が上げながら、女の腕が飛んだ。聞くに堪えない悲鳴が女の口から吐き出される。

 呼吸も忘れて行った攻防に俺の体も限界を超えていた。魔女殺しに魔力を吸い尽くされ、その場に片膝をつく。


「くそっ、くそ! なんて奴だ! さっさと退散した方が良さそうだっ。ヴィル・オブシディア! この腕の代価はいつか必ず払ってもらうっ!」


 立ち直るのは女の方が早かった。さほど痛みがないように見える。斬り落とした腕は神経が通っていなかったのかもしれない。しくじった。


「待て!」


 ここで逃がしてたまるか。俺は何とか立ち上がったが、光の魔術が消えて女の姿が闇に溶けた。見失ってしまった。

 俺の心が絶望に支配されかけた、そのとき。


【――闇に食われし永遠の卵よ。紡がれし流れに抗い、殻を割れ】


 凛とした声が闇の中に響いた。

 そして、強烈な光が視界を染める。


【血よ、炎よ、我が敵の命を貪り尽くせ――ラミアス・フェニコ】


 二色の火柱が上がった。

 黒いローブの女の足に赤黒い炎が巻きついている。周囲にいた蛇は一瞬で全て消し炭になった。


「ぎゃあぁああ! なぜ!? なぜだ! あぁっ――」


 炎から逃れようと女が踊る。女の目は俺の後ろ、もう一つの炎の塊に向けられていた。


「ソニア……!?」


 そこには白い炎を纏う少女が立っていた。

 その神秘的な姿は天使のようなのに、悪魔のような迫力がある。

 彼女は平然と口元の血を拭い、酷薄な笑みを浮かべた。肌も髪も白く燃えている。熱くないのだろうか、と俺は間抜けなことを考えた。


「あははっ!」


 子どものような無邪気な声を上げて、ソニアは赤黒い炎をくねらせる。黒いローブの女はもがき苦しみ、蛇を呼び寄せていたが、無駄だった。

 狂っているように見えてソニアは的確に炎を操っていた。女に抵抗を許さず、蛇は次々と禍々しい炎に呑まれていく。


 足、胴、首、そして顔。

 女の肌という肌が焼かれ、血肉が沸騰しているのが分かった。しかしまだ息絶えることができず、女は目を見開き、絶叫を続けた。


「た、助け……!」


 足が消し炭となって崩れ、女は地面で暴れるだけの火だるまになる。

 周囲に気が狂いそうな悪臭が充満し、俺は無意識に口元を押さえていた。

 ソニアが生きていた喜びを吹き飛ばすような凄惨さだ。


「助けてという言葉なら、村でもたくさん聞いたわ。全てお前が苦しめた人たちの言葉よ。お前はしてはならないことをした……消えなさい」


 ソニアが淡々と呟いた瞬間、赤黒い炎が爆散した。燃え滓は、形も色も人のものではなかった。


「あ……」


 ふわりと突然体が軽くなった。女の死とともに呪いが解けたらしい。しかし本当に今はそれどころではない。


 ソニアの体からも炎が萎んで消えていった。

 静寂がその場を支配した。地面に投げ出されたランプが頼りない光を放っている。


「……ソニア!」


 彼女のふらついた体を支えるため、咄嗟に俺は反応した。

 抱き留めると、ぬるりと生々しい感触がした。……血だ。

 しかしソニアの肌には火傷も傷も一切残っていなかった。裂かれていた腹も何ともない。服はボロボロになり、大量の血が染み込んでいるというのに。


「どういうことだ……お前、まさか――」


 思い当たることが一つだけあった。

 こんな超回復を可能にするもの……薔薇の宝珠。

 アロニアの研究は完成していたのか? それともソニアが造った? 

 俺にもセドニールにも散々持っていないと言っていたくせに。

 しかしソニアの腹の中には入っていなかったようだ。

 他の部位に隠して使うこともできるのだろうか。それとも――。


「ヴィル……まさか本当に来てくれているなんて思わなかったわ。大した忠犬ね……」


 焦点の合っていない赤い瞳が俺をぼんやりと見上げた。


「大丈夫か!? おい!」


「大丈夫、よ。……ヴィルが来てくれて、正直助かったわ。再生までの時間稼ぎになったし、あれ以上中身をいじくられたら、さすがに死んでいたかも……隙を窺うのも限界だった。失態だわ」


 ふふ、と力なく笑いながら、ソニアは目を閉じた。俺は半狂乱になっていた。必死にソニアの名前を呼んで意識を繋ぐ。


「ヴィル、動けるなら、ラズを連れて村に戻って。今ならまだ助かるかも……」


「わ、分かった! お前も――」


「私は、後でいいから」


「は!?」


「この姿、誰にも見せるわけにはいかないの。説明が大変でしょう……平気よ。私、死んだりしないから……」


 早く行きなさい、とソニアはか細い声で命じた。

 俺は凄まじく葛藤した。今にも息絶えそうなのはソニアも同じだ。一緒に連れて行きたい。

 だが、主の不利益になるような行為をするわけにはいかない。ソニアは難しい立場にいるのだ。

 もしも薔薇の宝珠を持っている、なんて噂が魔女たちの耳に届いたら――。


「すぐ戻る!」


 大楠の根元で意識を失っていたラズを抱え、チルルとともに急いで山を下りた。ラズの体からは不気味な黒い痣が消えていた。首を絞められた痣が少し残っているだけだ。


 村に辿り着くと、サニーグ殿の派遣した医者と術士にラズを預けた。呪いで倒れていた村人が次々と回復し、集会場は深夜にもかかわらず大騒ぎになっていた。

 説明を求められるかと思ったが、俺に怪我などがないと分かるとすぐに解放された。ラズの容体が一刻を争うものだったので医者たちは延命に集中し始めたのだ。

 必ず助けてくれ、と心の中で強く願った。

 チルルが「きゃんっ」と一鳴きした。礼を言われている気分になったが、今は応えていられない。俺は積まれていた毛布を拝借し、踵を返す。


 気が気ではなかった。離れている間にソニアが死んでしまったら、いなくなっていたら。

 恐怖で心臓が潰れそうだった。


 ……元の場所でソニアは血塗れのまま眠っていた。

 俺は毛布にソニアを包んで背負い、再び下山した。その体は血と夜風のせいですっかり冷え切っていた。それに、驚くほど軽い。

 頼りない鼓動と呼吸が俺から冷静さを奪っていく。なんだかとても理不尽な目に遭っている気がして、泣きたくなった。もうわけが分からない。

 なんとか誰にも見咎められることなく、宿屋のソニアの部屋に到着した。みんな集会場の騒ぎに夢中のようだ。


「ありがとう……ヴィル」


「起きていたのか?」


「ええ。お風呂で降ろして。血が、気持ち悪い」


 言われるまま、俺はソニアを風呂場に運んだ。血で張り付いていた服を乱暴に脱ぎ始めたので、慌てて出ていく。普通に動けるようだった。ようやくいろんな意味で肩の荷が下りた気がした。

 俺も自分の部屋で血だらけの服を着替えたり、汚してしまった宿屋の廊下を拭いたり、いろいろと証拠隠滅をしてソニアの部屋に戻った。どっと疲れた。


「……おい、大丈夫か?」


 風呂場からずっとシャワーの音が聞こえているが、返事がない。あれだけこびりついた血を流すのは時間がかかるだろうが……。


「は、入るぞ?」


 五回呼んでも反応がなかったので、俺は苦渋の選択の末に風呂場に踏み込んだ。

 ……案の定、ソニアは倒れて気を失っていた。


「ああ、くそ!」


 当然、一糸まとわぬ姿だ。滑らかな白い肌に、豊かな曲線は目の毒にしかならなかった。再び呪いがぶり返してきたのかと思うくらい顔が熱くなる。無意識に首を横に振った。


 俺は忠実なる従者。主をこのまま放っておくわけにはいかない。

 考えるな。感じるな。記憶するな。


 がむしゃらにバスタオルでソニアの体を拭う。もちろん極力見ないようにした。というか正しい行いをしているはずなのに強烈な罪悪感に襲われ、それどころではなかった。

 ……服を着せるのは諦めた。そもそも下着に触れられない。俺には無理だ。

 新しい毛布でぐるぐる巻きにしてベッドに寝かせる。


 ソニアの体はまだ冷たい。顔は青白く、指先などは凍りついているようだった。脈拍が安定していても不安で仕方がない。

 やはり医者を呼んでくるべきか。だがソニアの体にはとんでもない秘密がある。下手なことはできないし、ただの医者にどうにかできるとも思えない。


 呪いで倒れた俺にソニアがしてくれたように、彼女の手を握りしめる。

 少しでも熱が戻るように。俺の願いが届くように。


「頼むから、早く起きてくれ……」


  





次回はソニアの過去回の予定です。

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