31 魔女の決闘
※グロテスクな描写があります。
苦手な方はご注意下さい。
私が施した魔女をおびき出すための仕掛けは単純。
「ソニア様は本当に肌がお綺麗ね。やっぱり何か特別なケアを?」
「特殊な“薔薇”の薬を使っているわ。ものすごく貴重な、おそらくこの世に一輪しかない奇跡の花よ。体に合わない人が多いのだけど、私は運良く適応したの」
村の女性と美容の話になったとき、「私が薔薇の宝珠を持っている」と暗にアピールしてみた。
私は今回の呪殺テロも例の怪事件の組織が関わっていると読んでいる。その推測が当たっていれば、犯人の魔女はこの言葉に食いつくはず。材料集めをしていたくらいだから無視できないでしょう。
自分で言うのは傲慢だけど、私は持っていてもおかしくない美貌だ。確かめに来る可能性はある。
まぁ、村の中に犯人の手の者がいればだけど。いたとしても、こんな見え透いた言葉にすぐさま釣られるほど馬鹿ではないわよね。
現状、この下策しか思いつかなかった。自分の身を危険に晒すのだってスマートじゃないわ。けれど、私にも少しはラズを助けたいという気持ちはあるの。できることはしてあげたいじゃない?
「あら。意外な展開……」
呪いに倒れたヴィルを看病していると、宿屋の主人が私宛の封書を持ってきた。いつの間にか受付に置いてあったんですって。
メッセージは簡潔なもの。
――今夜、星の陰る時にバンハイドの大楠にて取引を。
まさか釣れるとはね。
私が宝珠を持っていると信じたのか、何か別の思惑があるのか。
いいわ。向こうと接触できるなら構わない。危険は承知の上で誘いに応じましょう。
私ね、顔には出さないけど、わりと怒っているのよ。
ラズみたいな子どもを利用した手口はもちろん、事もあろうに私のヴィルにまで害が及んだこと。
私は自分が一番可愛い。でもその次に可愛がっている従者を傷つけられ、今まさに命を奪われそうになっている。
ここで引くのは違うわ。矛盾するようだけど例え自分の命を危険に晒してでも、やり返さないと気が済まない。ムカついて憤死しそうだもの。それにヴィルの命をこんなことで失うなんて馬鹿げている。
「っ……」
ヴィルは息をするのも辛そうだった。
可哀想なヴィル。いつも貧乏くじを引くんだから。でも苦しい思いをしている分、ちゃんと報われるよう帳尻を合わせてあげる。私以外にはもういじめさせない。
「待っていて」
夜も更けた頃、私は苦しげに眠るヴィルの頬を撫で、部屋を出た。念のために宿屋全体に結界を張っておく。外には出られるけど核を持つ者は中に侵入できないようになったから、魔女は近づけない。一応術士にも警戒をしておくように伝えた。
日が暮れてしばらく経ち、ひんやりとした風が空に雲を広げている。
村にはどんよりとした空気が漂っていた。村人が一人急死した影響でしょう。でも表向きは急性アルコール中毒ということにしてあるから、患者たちに不安は広がっていないはずだ。
医者や術士以外はまだ真実を知らないの。呪いだと教えたらそれこそパニックになる。
ヴィルが倒れたときの状況は生き残った酔っ払いに尋ねた。正当防衛だからラズは悪くないわね、と呆れただけだ。
村人の中にも「そこまで酷いことをしていたのか」とショックを受けている者がいた。彼らはラズが冷遇されていることは知っていたけれど、見て見ぬふりをして手を差し伸べなかった者たち。無関心が今回の事件に繋がった。今後少しは罪悪感に苦しむでしょう。
そうそう、夕方に兄様からの返事が来たわ。思っていた通り、「必要最低限の犠牲で済むように対処せよ」とのことだった。明日にはラズ捜索のための人員が村にやって来るみたい。
呪殺の魔女を野放しにするのも危険だから、アズライト領各所に私兵を放ち、密かに検問と捜査を行うという。本当に手際の良いこと。
でも残念ながら本命はバンハイドにいたみたい。
兄様には悪いけど、ここまで来るともはや魔女同士の喧嘩。というか兄様の指示を待っている時間はない。私一人で片付けさせてもらうわ。
指定されたバンハイドの大楠は、村の裏手の山の中腹にあった。
頭上を覆う枝のせいもあるけれど、分厚い雲で星どころか月も見えない。自分の足元もはっきりしなかった。
【ルーメニウス】
大楠の陰から現れた人物が詠唱した。宙に光の球を浮かべる初級魔術だ。真っ暗闇の中で話すのも神経削るしね。
「ようこそ。紅凛の魔女の娘ソニア・カーネリアン。あたしはゼオリ。まぁ、あんたと比べりゃ、しがない平凡な魔女さ」
ぼんやりとした明かりの中で、魔女が嗤った。嫌らしい、下品な笑みで。
見覚えはないし、原作“あにめ”にも出てこなかったと思う。
歳は四十代半ば。薄闇の中でも分かるくらい、髪にも肌に艶がない。時代遅れの黒いローブが哀れなほどよく似合っている。
いかにも呪いなんて陰湿なものを扱いそうな容姿をしているから、思わず笑ってしまいそうになった。
彼女の言葉の発音から推測するに、カタラタ帝国生まれの魔女かしら。怪事件で捕まった魔女たちと同じね。
「ご丁寧にどうも。私はあなたのこと、平凡だなんて思えない。こんな大規模な呪殺の魔術を使ってピンピンしているんだもの。内容はともかく、技術は素晴らしいわ。まさか呪いのリスクを他者に肩代わりさせるなんてね」
容姿自体は残念だけど、ゼオリの実力は肌にひしひしと伝わってきた。かなり手強い相手だ。
「くくく……ああ、気づいたのかい。そうだよ。素晴らしいアイディアだろう?」
私を呼び出した手前、少しは種明かしをする気持ちがあるらしい。
「でもねぇ、ピンピンはしていないよ。さすがに回数を重ねすぎた。右腕が麻痺して動かないんだ。これはもう元には戻らないだろうね」
「あら、そうなの。一応あなたにも術の反動がくるのね。それで? 腕一本を犠牲にしてまでどうしてこんなことを?」
ゼオリは真っ暗な空を仰ぎ、情感たっぷりに述べた。
「全ては愛しいあの御方のために」
「あの御方?」
「あの御方は醜いあたしを愛してくれた。必要としてくれた。認めてくれた。あの御方こそ、魔女を束ねて王となるべき人。この呪いのアイデアだってあの御方のものさ。本当に素晴らしい……早く事を成し遂げて、また……!」
うっとりと頬を染めるゼオリ。
お酒に酔ってるのか脳内麻薬で酔ってるのか知らないけど、寒気がする。鏡を突きつけてやりたい。
一応「あの御方」とやらの素性を聞いてみたけど、答えてくれなかったわ。悪しき魔女を束ねているくらいだから、同じく魔女なのかと思っていたけれど、ゼオリの口振りからすると男みたいね。
熟練の術士?
地位ある貴公子?
それとも……。
「とにかく、実行犯があなたで、あなたが心酔している人物がこの呪殺テロや今までの怪事件の黒幕ということで合っている?」
「……まぁ、そうさね」
「そう。純粋な疑問があるの。一体何が目的なの? まさかとは思うけど、ミストリアを滅ぼして魔女の王国を創ろうとしている、とか?」
ゼオリは笑みを深めた。当たったみたい。
動機までは聞き出さなくてもいいかしらね。興味ないし。
薔薇の宝珠で不老となった王と、狂った魔女集団が創る国。想像したたけでげんなりする。彼女たちの国に帰属する気にはなれない。
「それで、取引というのは?」
「魔女ソニア。薔薇の祝福を受けたその身をあの御方に捧げなさい。ああ、色っぽい意味ではないよ。あの御方はあんたのような子どもは相手にしないから」
どうでもいいわ。私はため息を吐く。
それにしても私が宝珠を持っていると信じているみたいね。都合が良いわ。
「要するに、薔薇の宝珠ごと体を差し出せと? 殺されて解剖でもされるのかしら」
「命を奪いはしないさ。ただあんたの宝珠を検分したいそうだ。宝珠量産計画に協力してほしいということだろう。心配ない。あの御方は魔女に優しいんだ。成果次第では褒美も与えられるね、きっと」
勧誘しているくせに、ゼオリの表情は忌々しげだった。この組織に入ったら絶対いびられる。最悪のお局様ね。
「……協力の見返りに何をくださるの? 私に利益がある?」
「あんたの愛しい騎士、ヴィル・オブシディアを呪いから助けてやるよ」
「ふふ、話にならないわ。なぜ従者ごときのために私が身を差し出さなくてはならないの?」
ここであなたを殺せば済む話よ。
そう言って微笑むと、ゼオリは鼻で笑った。
「田舎娘が、あたしに勝てるなんて思わない方がいい。不老だからって無敵なわけじゃない。殺す方法なんていくらでもある」
「自信満々ね。でも私、あなたに負ける気がしないわ。というか、お互い最初から取引するつもりなんてないでしょう?」
一際冷たい風が私とゼオリの間に吹いた。
私はゼオリを殺して呪いを解くためにここに来た。どんな好条件を出されても、信頼できない相手と取引するはずがない。
彼女たちは私を怪事件の犯人にしようとした。ヴィルの命を脅かし、私の怒りを買った。
ゼオリだって分かっているはず。そんな私が恭順するはずないことくらい。
「残念だねぇ。せっかく生き残るチャンスをやったのに、素直に従わないのなら仕方がない。あんたを殺して腹の中から薔薇の宝珠をいただくよ。あーあ、あんたの従者も村の連中も死ぬ……いや、あんたが消えるならヴィルは生かしておくのもありかな。あの御方には劣るけれど、なかなか良い男だ。奴隷にして使ってやろう」
ひひひ、と薄気味悪い声を上げるゼオリを、今度は私が嘲笑した。
「ヴィルだって、あなたのモノになるくらいなら死んだ方がマシでしょうね。年齢考えたら? みっともない」
その瞬間、周囲の茂みから一斉に何かが飛び出してきた。
【イグニザード】
火の魔術を渦のように展開し、私は攻撃を防いだ。しゅるる、と蠢いたものをみて思わず舌打ちをしてしまった。
無数の蛇が私を取り囲んでいた。
本物ではない。木々の枝や根を生物に見立てて操る高等魔術だ。この数を一気に操れる辺り、やはりゼオリは手強い相手だわ。
でも相性は悪くない。私は火の魔術を最も得意とするから。
「あんたに何が分かる! 若くて才能もあって、おまけに宝珠を宿している! なんて理不尽な世界っ! 決めたぞ! 生きたまま宝珠をもぎ取って、ヴィルの前で裸に剥いて全身に酸をぶっかけてやるよ! 惨めな姿を晒させてやる! そしてあたしは永遠の美を手に入れ、もっともっとあの御方に愛されるんだ!」
ゼオリはキレていた。ものすごい形相だ。
薔薇の宝珠を手に入れても、ゼオリは美しくなんてなれないわ。だって心の根が腐っている。外面だけ整えたところで、腐った臭いはごまかせないわ。誰もが顔をしかめるでしょう。
「宝珠を手に入れたところで、あなたに適合するとは限らないわよ? 毒薔薇だということくらい知っているでしょう?」
「あの御方の英知を馬鹿にするな! どうとでもなるよ!」
次々と襲いかかってくる蛇を避けつつ、私は業火で焼いた。
暗かった森が炎によって明るみになる。あまり目立ちたくないのだけど、手加減はできない。
私の胴よりも太い大蛇が現れ、巨体に似合わぬ俊敏さで襲いかかってきた。でも残念。他の蛇の動きから、とっておきの一撃が来ることは読めていた。
【火花集いて灼熱の大輪となり、黄泉路への手向けとなれ――イクス・フランマ】
炎の一閃により大蛇は爆発し、文字通り木端微塵となった。
「ひぃいっ!」
爆ぜた木片がゼオリへと降り注いだ。命からがらといった様子で横に跳び、黒いローブに燃え移った炎を転がって消し、彼女は顔を上げた。頭からは血が流れていた。
「おのれっ!」
ゼオリは相当強いのだと思うけど、今は相手にならないわね。呪術の影響で創脳がくたびれているのでしょう。術にキレがない。
「そろそろ終わりにしましょうか。もう少し黒幕について吐いてほしかったけど、まともに話せる状況じゃなさそうだからいいわ」
とどめの詠唱をしようと息を吸ったとき、ゼオリがにたりと笑った。
大楠からずるりと何かがずり下がってくる。
「ラズ……」
小さな体に二匹の蛇が絡みついていた。一匹はラズの手首に絡まり大楠に吊るしている。もう一匹は彼の細い首に巻き、締め上げていた。ラズの肌という肌に黒い痣が浮かんでいて、見るに堪えない。
ラズが敵の魔女に隠されている可能性は考えていたけど、まさかこの場で使ってくるとは……もう命が尽きる寸前なのにまだ酷使するつもりのね。
「さぁ、坊や。よくお聞き。この紅い小娘はお前を殺すつもりだよ。あんたを虐げてきた村人を助けるために。全くひどいよねぇ」
ラズはぎりぎり呼吸できる強さで首を絞められ、極限状態に陥っているみたい。
「憎いだろう? この小娘は美味しいものを食べ、きれいな服を着て、柔らかく温かいベッドで眠り、みんなにちやほやされて生きてきたんだ。お前には何一つ与えられていないのに。そしてお前を殺し、お前を悪にして、村の救世主になるつもりだよ」
「やめなさい。そんなことをしても――」
「坊やは何も悪くない。本当は誰よりも良い子だ。だからあたしが力を貸してやる。さぁ、何をすればいいのか分かるね?」
ゼオリの言葉が脳裏に忌まわしい声を蘇らせた。
『ソニア……私の可愛い娘。あなたは賢くて良い子だからお母様のために何をすべきか、分かるわよね?』
一瞬、思考が止まる。
朦朧と揺らいでいたラズの瞳がしっかりと私を捉えた。涙がこぼれ落ちていく。
その瞬間、全身に黒い靄が満ち、激痛が走った。
これが、呪い。
不覚だわ。思わずその場に膝をつく。
「苦しめっ! くははは!」
ゼオリの笑い声が耳鳴りを呼び、吐きそうだった。でも私の自我はそんなみっともない真似を許さない。呼吸を止めるようにして耐えた。
「さぁ今度はあたしが料理してやるよ! その肌、切り刻んでさぁ、炒めてやるよ!」
再び蛇が私の周りに集まってくる。最初に飛びかかってきた一匹をかろうじて手で払ったけれど、後のは無理。私は無数の蛇に全身を噛まれた。牙が肌を食い破る音が夜の森にさざめく。
痛みが熱を持ち、私は小さく呻いた。
地面に倒れた私の背や脚に衝撃が走る。ゼオリに踏みつけられているみたい。何度も何度も。骨にひびが入ったのが分かる。
屈辱的な行為の中、私は肌をくすぐる懐かしい感覚と戦っていた。
今はダメ。耐えなくちゃ。
内側から出てこようとする『例の力』を必死に抑え込む。
「あーあ。嫁入り前の肌がボロッボロ。でもすぐに再生するんだろ。見せておくれ。薔薇の宝珠の力を!」
興奮状態に水を差すように、私は冷ややかに答える。
「……無理よ」
私はかすれた声でくすりと笑った。
「私、薔薇の宝珠は持ってないもの。そんなこと、一言も言っていないはずだけど」
「なんだと!?」
「私から宝珠を奪って、傷を治して若返るつもりだった? あいにくだったわね。麻痺した右腕も、頭の傷も火傷も治せない」
醜い姿がさらに醜くなったわね、ゼオリ。
それでもあなたボスは愛してくれるんでしょう?
「くそ! どうなっている!? だってあの御方は確かに――」
ゼオリはつま先で蹴って、私を仰向けにした。
「まぁいい……この目で確かめてやるさ。もしかしたら普通に死ぬかもしれないが……あんたの遺体を弄んでヴィルに送り、溜飲を下げるとしようかね」
大きな蛇の口が私のお腹を食い破った。
激痛に意識が飛びそうになる。
「あるはずだ。どこかに……っ」
蛇とゼオリの左手が私のお腹を探っている。
薔薇の宝珠を探している。
ぐちゃぐちゃと品のない音を立てて。
「ない! ない! 何故だ!!」
私はもう限界だった。
大量の血が失われ、痛みも感じなくなり、全身が急激に冷えていく。死の足音が聞こえてくる。
「ソニア!」
どうしてかしら。ヴィルの声が聞こえた。
こんなときに思い浮かぶなんて、私は思っていた以上に彼を気に入っていたってこと?
だとしたら滑稽だわ。
まるでヴィルの助けを望んでいるみたい。物語のヒーローみたいに颯爽と現れて、私のために戦ってくれたら、なんてね。
私を助けられる人なんて、私以外にいないのに。
でも悪くない夢だわ。そう思った途端に、頭の中でぷつりと意識の糸が切れた。