3 ソニアの要求
周囲が一気に騒がしくなった。
私と王子の言葉、どちらが正しいのかと議論が紛糾している。
「では、アロニア様が先代王を殺されたということか……たとえ大義があったとしても、許されることでは……」
「直接手を下したのはジェベラだろう?」
「アロニア様はジェベラを討ち、そのまま王になり替わることもできたのに、玉座をミストリア王家に返還された」
「そうだ。あの方は多くを望まれなかった。その証拠に辺境の地ククルージュを終の住処とされた……断じて強欲ではない!」
ここは王子の味方が多い場所、というか私の知り合いは一人もいないから、五分に持ち込めれば十分と思っていたけれど、旗色はだいぶ私の方が有利みたい。
レイン王子の顔色は悪かった。
私の話をすんなり信じたわけではないけれど、迷いが生じているようね。何が真実なのか分からない。そんな顔をしているわ。思う壺。
これでひとまず安心かしら、と思っていた矢先、
「アロニアについては分からない。あなたの言う通りかもしれない。でも! でも、でも……っ!」
王子に代わりエメルダ嬢が前に出た。
「最近起こっている怪事件については!? 犯人たちはあなたの命令でやったって言っていたんだもの!」
「犯罪者の言葉を鵜呑みにするなんてどうかしているわ」
苛立ちのあまり冷たい声が出た。まぁいいか。この女に友好的になる理由ないし。
「魔女の中にはお母様を嫌う者もいる。魔女たちをまとめるために恐怖で支配していた時期があったから。そのことを恨んで娘の私を嵌めようとしているのでは? ああ、それとも麗しい王子と結婚することに嫉妬し、破談させるのが目的だったのかもしれないわね」
くすりと笑ってエメルダ嬢を見る。私の皮肉が理解できたかしら?
彼女は唇を噛みしめて俯いた。
「他に、私が悪の魔女であるという証拠はある? まさか魔女たちの証言だけで私を断罪するおつもりだったの?」
「違うわ! だって……っ!」
エメルダ嬢は覚悟を決めたように言い放った。
「わたし、エメルダ・ポプラって言います! 実は、生まれつき予知の力を持っていて、ある日ものすごい天啓を授かったんです! 紅き魔女の娘がミストリアに災いをもたらすだろうって! それを阻止するため、青き王子と四人の仲間を探せって! それで、それで、わたしは……!」
うん、知っているわ。原作“あにめ”の第一話は、エメルダがその予知を授かって、旅に出るところだった。
実際、目の前の彼女にも本当に予言の力があるのでしょう。
彼女の力を王子と従者たちが信じ込み、こうして確固たる証拠もなく大胆な行動に出たのだから。
でも私は認めてあげない。
「周知の事実だと思うけれど、予知の力はひどく不安定なものよ。時とともに移ろう数多の運命を正確に読み解くことなんてできない……あなたの言葉が全て嘘だとは思わないけど、予知が全て当たる保証などどこにもないわ」
「そんなこと……! わたしの予知はいつも怖いくらい当たって!」
「ではなぜ、今ここで私に論破されそうになっているの?」
「そ、それは……わたしが未熟で、自分の意思で好きなように予知できなくて……」
説得力がないことに気づいたのか、エメルダ嬢は涙を浮かべて言葉を切った。しかしすぐに顔を上げて国王に、賓客に訴えかける。タフねぇ。
「どうかわたしを信じて下さい! レイン様と紅き魔女を結婚させてはならないんです! ミストリアが滅んでしまう!」
しかし出てきた言葉は、鼻で笑い飛ばせるほど拙いものだった。
みんな眉をひそめている。レイン王子でさえ、なおも叫ぼうとするエメルダを止めた。
私はこっそりとため息を吐く。原作のソニアの気持ちが少し分かった。キレて暴れ出したくなるの、無理もないわ。
もうそろそろ、この茶番を終わらせましょう。白けてきた。
「そう心配しなくとも、レイン様と結婚などしないわ……できるものですか」
「え?」
「根も葉もない証言に踊らされ、歴史的盟約に背き、私たち親子を公の場で侮辱した……そんな愚かな男と添い遂げる気などもはや皆無。お望み通り、私はレイン様とは……いえ、ミストリアの王族とは結婚いたしません」
私の言葉にほっとしたのはエメルダ嬢だけだった。王子も、宰相も、官僚も、賓客も、何かを恐れるように顔を歪めた。
ここで私が宣戦布告をすると危ぶんでいるのかもしれないわね。
それくらい私は怒っていい立場にいる。
でもここで戦いを選んだら、原作の展開とあまり変わらなくなる。というか面倒くさい。
「お母様が身を犠牲にして実現させた和平条約を、白紙にするつもりはありません。これからもミストリア王国と魔女は争うことなく、この地に共存することを目指しましょう。ただし――」
私は一番話が分かりそうな国王陛下を仰いだ。
「この度の婚約破棄はレイン様からの、つまりミストリア王国からの申し入れです。承諾する代わりに賠償を要求いたします」
当然の権利よね。
むしろ丸く収める案をこちらから提示していること、感謝してほしいわ。
「……分かった。望みを申してみよ」
王様、声も渋くて素敵だわ。鼓膜にずっしりと響く。
うっとりしたいのを我慢して、私は考えるふりをした。もう答えは決まっているのだけど、最初からそれが目的だと思われたら警戒させちゃうから。
聖堂に視線を彷徨わせ、やがて黒髪の青年を示す。
「そこの鋭い雰囲気の方……レイン王子の騎士ですね? そしてその腰の剣は……魔女殺し」
聴衆のざわめきを無視して、私は紅い唇を歪めた。
「ミストリア王、彼を私の従者にし、故郷ククルージュに連れ帰る許可を」
青年の金色の瞳が見開かれ、顔にははっきりと嫌悪の色が浮かんだ。分かりやすいわぁ。
彼は原作“あにめ”にも登場する。
ヴィル・オブシディア。
王子の親友にして、王国で一、二を争う騎士。
エメルダに片想いし、友情との間で悶え苦しむ可哀想な当て馬さん。
しかし“おたく”の間ではメインヒーローのレイン王子を押さえ、圧倒的な人気を誇っている。
かくいう私の前世女もヴィルが最萌だったのよね。
前世女がソニアを執拗に嫌っていたのは、最終回でソニアがヴィルを殺すからだ。
正確に言えば、ヴィルはエメルダを庇うために飛び出し、ソニアの魔術の餌食となる。
最後まで愛を告げることなく、健気に一途にエメルダを想い続けたヴィル。その姿に多くの“しちょうしゃ”は心を射抜かれた。
しかもヴィルはただでやられはしない。最後ソニアに一撃を食らわせる。そのときの負傷が原因で力を出し切れず、ソニアはエメルダに倒される。
なんて美味しい役どころ。かっこよすぎるわ。
前世女は言っていた。
『私がソニアだったら、ヴィルみたいな良い男がいたら絶対殺さない! 捕まえて飼う! それでこそ悪の魔女でしょーが!』
私と前世女の間に共通点や精神的つながりはないのだけど、その点に関しては激しく同意する。
原作のソニアは常に頭に血が上っていて、エメルダとレイン王子しか見えていない感じだった。非常にもったいないことをしている。
正直見た目に関してはレイン王子の方が格上だ。王子は美しすぎる。
でもヴィルも良い。服の上からでも分かる鍛え抜かれた肉体とか、鋭くて危うい雰囲気とか、不器用で生きづらそうなところとか、ものすごく惹かれる。
直接この目で見て、決めた。
ヴィルが欲しい。
連れ帰って飼い殺しましょう。
「そんなっ! そんなのって! ヴィルくんが可哀想!」
「お待ちください、陛下! ヴィルは――!」
エメルダ嬢と王子は必死だ。そうよねぇ、二人ともお互いの次にヴィルが大切だものね。だからこそ奪う価値がある。
二人を黙殺し、国王陛下はヴィルをまっすぐに見つめた。
「ヴィル・オブシディア……どうする?」
ヴィルは苦々しく表情を歪めたが、一瞬で立て直し、騎士の礼をして跪いた。
「この身一つで王国の平穏が保たれるのならば……何の不満もございません。ククルージュに参ります」
そうこなくっちゃね。
こうして私は婚約破棄と引き換えに、騎士を手に入れた。