29 犠牲の袋小路
定期的に様子を見に来ることをラズに約束して、私とヴィルは小屋から引き上げた。それから夜まで患者のお世話や、村の周辺の環境を調べて過ごした。
村人とも積極的に会話をしたわ。女性陣に化粧水やアロマオイルを配ったりもした。
いろいろと思惑あってのことだけど、鬱陶しがられなくて良かった。いえ、むしろ王子との婚約破棄の件を根掘り葉掘り聞かれてくたくたよ。どんなときでも女性は美とゴシップに貪欲ね。
重症患者の容体は安定していたので、私とヴィルは宿屋で休ませてもらえた。ちなみに隣続きの一人部屋を宛がわれている。
夜も更けた頃、ヴィルを部屋に呼びつけた。私の隣――ベッドに腰かけるように示すと少し呆れ顔をされたけど、結局は素直に従ったわ。
「はぁ……」
疲れた。
だらりともたれかかるとヴィルの体が硬直した。お互いお風呂上がりで石鹸の香りがしている。
ヴィルが何秒耐えられるか試したいところだけど、さすがに不謹慎かしら。というかこれってセクハラかも、と思っていたら、ヴィルの方が労うように私の背を優しく叩いた。
……びっくりした。どんな顔をしているかと思えば、ヴィルは心配そうに私を見下ろしていた。嬉しいような、子ども扱いされて腹が立つような複雑な気分。
私は咳払いをして体勢を戻す。戯れはこの程度にしておきましょう。ヘビーな話が控えている。
まずはおつかいの報告をさせることにした。
「ラズの様子はどうだった?」
「……昼よりは具合が良さそうだった。食事も毛布も受け取ってもらえたし、明かりも置いてきた」
ヴィルは浮かない表情だった。自分の幼少時代を思い出して、やるせない気分になるのでしょう。
「ラズを無理にでもちゃんとした場所に連れて行くべきだ。感染していないのなら村を出ても良いだろ? お前が今この村を離れられないのなら、俺が――」
「ダメよ。ラズの反感を買うようなことはしないで。ひどいことになるかもしれない」
ヴィルは息を飲み、拳を握り締めた。私の声音から事の重大さが伝わったかしら。
「……昼間の話の続きを聞かせてほしい。この村に蔓延しているのは魔障病ではないのか?」
私は頷きを返す。
「この村は呪われている。いえ、この村だけじゃないわね。おそらくマリアラ領の感染地域も全部同じ」
「呪い? 一体どういうことだ」
「誰かが村人たちが病むように呪術を使っているのよ。でも、こんな大規模な呪いは前例がない。もはやテロね。いろんな意味で信じたくない」
呪いは術者の強い負の精神力が魔術的エネルギーに変換され、発現したもの。対象者を殺したいくらいの強烈な憎悪があることが大前提。
もちろん一般人がどれだけ憎しみをたぎらせても呪いは発現しない。術者に魔術の才能がなければね。それは歴史が証明している。
「呪いについては様々な種類があるけれど、人を苦しませて殺すという点は共通しているわ。今回、魔障病の症状に似せているのは狙ってやっているのかしら。だとしたら相当呪いについて研究しているわね。本来なら呪いの術者は正気を失って、まともに思考できる状態ではないはずだけど……」
さらに呪いは術者の命を削ると言われている。
精神力だけで人を殺すのだもの。それくらいのリスクは当然ね。
ましてや今回はこの村だけではない。おそらくマリアラ領の各村が呪われている。
こんな広範囲に暮らす人々を憎む人間がいる?
それも命懸けで。
普通なら、これほど被害が広まる前に術者は死ぬ。
あり得ないことばかり。でも呪い以外には考えられないから困ってしまうわ。
歴史上、最も悲惨な呪殺事件は百年前に起こった。
とある国の王族が一晩に一人ずつ死んでいき、やがて内乱が勃発して国そのものも滅んでしまった。犯人は干ばつを引き起こした容疑で投獄されていた魔女キュプラナだった。
キュプラナは呪いの負荷で衰弱死していた。干からびた遺体は国民の手によってバラバラに引き裂かれ、業火に焼かれたという。
そのとき、直接呪いで死んだ王族は十人。
マリアラ領では既に百人近く亡くなっているらしいから、もし本当に呪いが原因なら史上最悪を大幅に更新することになるわね。
「よく分からない……俺の持つ魔女殺しは術士が呪術を用いて作ったと聞いているが、それとは違うのか?」
「魔女殺しは魔術を無効化する効果を剣に付与しているだけだから、今言っている呪いとは全然違うわ。魔女の血を使っていることで、一種の魔女の呪いだと言われているけれど」
私はため息を吐く。
「呪い。正確には“リスクなしに誰かを確実に殺す呪術”の開発は、魔女の『七大禁考』の一つ。方法が確立されてしまえば、殺し放題になるから」
遠く距離を隔てていながら人を殺せたら、世の秩序が一気に崩れてしまう。
権力者を殺し尽くすことも、脅迫して従わせることもできる。世界征服だって不可能ではない。だから実現してはいけない魔術なの。
「だが、実際にその『七大禁考』が実現していると? なぜそう思うんだ」
「自然な広がり方ではないことが魔障病ではなく、呪いだと思う大きな理由ね。ああ、でも、今回のがリスクゼロの呪術だとは思っていないわ。術者の支払うリスクを軽減する工夫がされているんだと思う。それと、兄様から聞いた話が引っかかった」
兄様は言っていた。『ある日突然、村全体でぴたりと感染が止まり、患者が劇的に回復する。医師や術士が原因を調べているが、未だに理由が分からんらしい』と。
「呪いってね、術者の遺体を火にかければ消えると言われているの。呪殺を大量に行い、術者は衰弱死したのでしょうね。それを病死した者として村々で火葬したことで呪いが解けた」
「は? つまり……」
「術者は一人ではなく、大勢いるってことね。組織的な犯行……怪事件の黒幕さんが濃厚だと思う」
ミストリアにそう何個も犯罪組織があったら困るもの。
でも目的が分からない。薔薇の宝珠を造りたいんじゃないの?
材料集めにしても、わざわざ民衆を呪い殺す必要はない。
どう考えたってこっそり攫って殺して奪う方が手っ取り早い。
「ちょっと待て。分からない。呪殺のリスクを軽減しているのに術者が死んでいる? 意味がないじゃないか」
「一つの呪いに対して術者が二人いるってこと。役割を二つに分けているのよ。対象者に強い憎悪を持ち、命を削って呪う者と、それを魔術的才能によってサポートをする者。後者はおそらく魔女ね」
ヴィルは絶句していた。
テロを起こしたいけれどリスクは支払いたくない魔女。
リスクを払ってでも対象者を呪い殺したいけれど、その方法が分からないヒト。
手段を持つ魔女と、動機を持つ者。
二人が手を組み、呪術を行使する。
そう考えれば辻褄が合うの。
地域によって症状の重さや感染率が違ったのは、憎しみの強さや範囲が違ったから。
マリアラ領の患者の中には、のた打ち回るほど全身が痛む者もいた。それだけ恨まれていたということね。
術者の中には、村全体を憎む者もいれば、三つの家にだけ憎む者もいる。
そしてリスクを払う術者のいない地域では被害が出なかった。
犯人の魔女は、その土地ごとに強い憎悪を抱く者を見出し、利用していたのでしょう。そして死ぬまで呪わせる。協力者を使い捨てているというわけね。
「まさか……そんなことが可能なのか?」
「理論的には可能だと思う。でも実際にこうも見事に呪いを発現させるためには、数十年単位の研究が必要だわ。不老のレシピと同じく、呪いのレシピなるものが魔女の間で脈々と受け継がれているのかも」
こういうことが起こると、魔女は滅びるべきなのかもと思ってしまうわ。
ヴィルは黙ってしまった。
私も正直なところ、途方に暮れている。
この呪殺テロが魔女の仕業だと露見すればどうなると思う?
怪事件の時とはわけが違う。最悪の場合、怒り狂った民衆によって魔女狩りが再開されてしまうかもしれない。
ミストリア王が止めてくれるなんて期待はしないわ。むしろこの機に乗じて私を殺そうと考えるかも。
重々しい沈黙の末、ヴィルは恐る恐る口を開いた。
「では、ラズは……」
「リスクを支払う役割を押し付けられ、魔女に利用されている術者の一人でしょう。あの子の目、まるでこの世の全てを憎んでいるような荒んだ色をしていた。……それに随分と衰弱しているわ。じりじりと命を削られているみたい」
この村が滅ぶのが見たいという少年。あんな強い憎悪を持つ者、そうそういない。
それに、他の村人にそれとなく話を聞いてみたけれど、ラズ以外にこの村を心底憎んでいる存在はいないみたいなのよね。重症患者たちはラズを日常的に蹴り飛ばしていた大人や、肥溜めに突き落として虐めていた子どもたちだと言うし。
ほとんど確定でしょう。
「こんなこと、今すぐやめさせなければ」
「無理よ。あの子が望む限りは。妨害しようとすれば、私とヴィルまで呪いの対象になるかも」
「じゃあどうすればみんなを助けられるんだ!?」
みんな、ね。私は薄く笑った。
「村人の呪いを解くのは簡単よ。ラズを殺して火にかければいい。でも、ラズを助けるのは難しいわね。方法は三つあるけれど、どれも時間が足りない」
私はヴィルに一つずつ言って聞かせた。
「ラズの憎しみを解きほぐすか、もう一人の術者である魔女を見つけ出して殺すか、カテドラル霊山に行って涙銀雫を取ってくるか」
一つ目、ラズの心から憎しみを取り除く。
それがどれだけ困難なことかは言葉にしなくとも分かるはず。長年虐げられてきた怨念は簡単には消えない。
二つ目、もう一人の術者の魔女だって簡単に見つかるはずない。
最悪、この近辺にはいなくて、次の地域でリスクを払う者を探しているかもしれない。
三つ目、この大陸の中央部にそびえるカテドラル霊山。その山頂にいる天の遣いに認められ、涙銀雫という聖水を授かれば、どんな呪いでも強制的に解くことができる。いわゆる“ちーとあいてむ”ね。
ちなみにこれは原作“あにめ”で王子にかけられた呪いを解くため、エメルダたちが用いた手段よ。霊山には凶暴な魔獣や、仲間の絆を確かめるための仕掛けがたくさんあって、攻略するのに苦労していたわ。
「どれもこれも時間がかかるわ。でも、今日明日にでも村人たちは死ぬかもしれない。ラズだってあの様子ではそう何日も持たないでしょう。今ラズ一人が犠牲になれば、救われる命がたくさんある」
魔女を殺さない限り、他の地域で被害が出続けるけどね。その場しのぎにはなる。
「ソニアは、ラズを殺すつもりなのか?」
「私にそれを決める権限はないわ。これはもはや兄様に報告して指示を仰ぐべき案件よ」
「領主殿に……」
「私個人の意見としても迷うところね。村人を助けることも大切だけど、ラズから魔女や呪術の情報を聞き出すべきだとも思っている」
できれば全て解決したいところだけど、さすがに荷が重いわ。兄様には現場のことは現場の判断に任せると言われたけれど、魔障病ではなく魔女による呪殺なら話は別。勝手はできない。
「明日の朝一番で竜鳥を飛ばして報せるわ。……先に言っておくけど、兄様は必要最低限の犠牲を選ぶ。そういう人よ」
兄様はきっと命に優先順位を付けない。つまり、可哀想だからという理由でラズを贔屓しない。冷徹に一人でも多く助かる道を選ぶ。
ヴィルはやりきれない様子で目を閉じた。ラズにもすっかり情が移っているみたい。無理もないけれど……。
でもね、私たちは自分の身の心配もしないといけないのよ?
怪事件の黒幕は少なからず私に悪意を持っている。
ククルージュを離れている今、何か仕掛けてくる可能性がある。
兄様から返事が来たら、ヴィルとともにすぐにククルージュに帰るべきだわ。
「幸い、今はラズの心も穏やかで患者たちの容体も安定している。明日一日くらいなら猶予はあると思うわ。私が魔力コントロールで保たせてみせる。だから、兄様の返事を大人しく待ちましょう」
ヴィルは苦しげに目を伏せた。
「お前でも、どうにもならないのか?」
ヴィルの金色の瞳に淡い絶望が浮かんでいた。
鈍ければ良かったのだけど、あいにく私は気付いてしまった。
比べられた。
エメルダ嬢ならこの状況でも諦めず、全員を助けようとするでしょう。実際、今までは力業でどうにかしてきた。物語のヒロインらしく。
でも現実は甘くない。
この世界に勝利を約束された主人公はいない。私はそう思っている。
「期待を裏切ってしまって申し訳ないけれど、私は自分と大切なモノのために最善を尽くす。それだけよ……ヴィル、勝手なことしないでね」
私は酷なことを言っているわね。やっぱりヴィルを連れてくるべきではなかった。
「分かった。俺にはとても選べない。主の判断に従う……すまない」
ヴィルは沈んだ表情で部屋に戻っていった。
お互い眠れない夜になりそうね。お肌に悪い。
一人になり、とりあえず布団に入って目を閉じる。
胸がもやもやする。
ラズを救えないとヴィルに失望されてしまう。それは面白くない。かと言ってタイムオーバーで村人が死ねば意味がない。
呪いに効く薬なんて作れない。
霊山に行って帰ってくるまで最低でも二週間はかかる。涙銀雫は軽々しく譲渡できるモノではないから、どれだけ大金を積んでも手に入らないでしょう。
実は、一応魔女をおびき出す仕掛けをしてある。でも幼稚な作戦だ。引っかかるとは思えない……そこまで馬鹿じゃないでしょう。
怪事件の黒幕を叩き潰してやりたいけど、正面切って戦いを挑んだら思う壺な気がする。組織の規模も目的も分からないし。
段々腹が立ってきた。
どうして私がここまで頭を悩ませないといけないのかしら。
目先のお金に飛びつくのは今後控えましょう。厄介ごとに巻き込まれるだけだと学んだわ。
決めた。
兄様から返事を待つ間、ラズから情報を引き出す。それでもどうにもならないのなら……諦めましょう。
可哀想だけど、気持ちだけでは何もできない。ヴィルだってすぐには割り切れなくても理解してくれるはず。
私はエメルダ嬢みたいに何もかも救うことはできない。全て救おうと欲張って肝心な目的を見失うわけにはいかない。私は一人でも多く救うためにこの村に来たのだ。
でも逆を言えば、エメルダ嬢にできないことが、私にはできる。
安楽死の薬なら持ってきた。手を汚す覚悟はできている。そのときが来たら躊躇わないわ。
……エメルダ嬢と張り合うのは不愉快だけど。
翌朝未明、事件が起こった。
一人の村人が急死し、ヴィルが呪われて倒れた。
そしてラズは姿をくらました。