28 バンハイドの病み
アンバートとクロスの生い立ちについて、思うところはいろいろあった。
父親同士が兄弟のように仲の良い奴隷仲間だったなんてね。確かに奇縁だわ。
それに、黒艶の魔女スレイツィアが人造人間の研究をしていて、二人がサンプルかもしれないというのは衝撃的だった。
でも、妙に納得できてしまった。
私は自分の体の『特異性』を知っている。尋常ならざる魔力量や魔術に対する才能も、お母様譲りではない可能性がある。その他もろもろ、私の普通ではない部分はお父様からの遺伝かもしれない。
ヴィルだってそう。
二代続けてミストリアで一、二を争う騎士というのも、もしかしたら体に秘密があるのかもしれない。本人の血の滲むような努力を否定するのは可哀想だけど。
スレイツィアはどんな人造人間を生み出そうとしたの?
アンバートとクロスの間に何があったの?
知りたい。調べたい。自分とヴィルの体を検査し尽くしたい。
その衝動を堪え、私はヴィルとともにバンハイドに向かった。
引き受けた以上は仕事を完遂しなくてはならない。人命に関わることだし、兄様には見損なわれたくないのよね。
竜車が全速力で荒野を駆ける。ユニカは今回もお留守番。お世話はマリンたち見習い魔女に任せてきた。
「なんだ、ジッと見つめて………何か心配事か?」
「何でもないわ」
ヴィルは「何でもないならあまり見るな」と居心地が悪そうだった。
ごめんね。
ヴィルにはまだお父様たちのことは話せない。動揺させるだけだろうから。
それに、お母様だけでなくお父様までヴィルのご両親の死に深く関与していたら、さすがに申し訳ないというか……言い出しづらい。せっかく懐いてきたのに、また警戒されたら面倒なんだもの。
バンハイドは人口五百人足らずの何の変哲もない農村だった。畑と小川ののどかな風景とは裏腹に、村の中は緊迫していた。
悲壮感たっぷりの村人、四方へ忙しく駆け回る医療関係者、そして苦しげな息遣いの患者たち。
村の集会場が臨時の隔離施設になっていた。私とヴィルは到着して早々、兄様が先に派遣していた医師や術士から説明を受ける。
新種の魔障病の感染者はすでに五十人ほどいて、その中でも十人は症状が重い。従来の薬を投与しても効き目は薄く、現状手の施しようがないとのこと。
「今のところ感染者の増加は止まっています。しかし症状が改善している者はいません。このままでは体力の尽きた者から……」
最初の村人が倒れてからすでに六日。そろそろ限界でしょうね。
「ヴィルは炊き出し班や荷運びを手伝ってきて。なるべく患者に接触しないようにね」
「ああ、ソニアは……」
「一通り診察してくるわ。大丈夫よ。魔力の制御は得意なの」
魔障病の原因は、自然界の魔力の川の変化だと言われている。
川の流れが変わるとき、ごくまれに特殊な波動を発する。その波が生物の体内の魔力を大きく揺らし、体調を崩してしまうの。波動は次々と周囲の人間に伝わり、感染が広がっていくというわけね。
だから、体内の魔力を安定させれば理論上は魔障病にはかからない。
私は普通の人間よりずっと感染しにくいはず。魔力の制御ができなくては魔女を名乗れないから。
……もっとも、変化の程度によるけどね。
天気に例えると分かりやすいかしら。
小雨程度なら誰でも外を歩くことはできる。でも大粒の雨や強風に打たれて平気でいられる人間は少ない。私は大抵の天候なら優雅に歩けるけれど、激しい雷雨に見舞われればさすがに足を止めるか走り出す。つまり、魔力の制御を乱すことになる。
でも、バンハイドの印象は雨ではないわね。
まるで霧の中を歩いているみたい。不自然な魔力の動きがあるのに掴みきれない。見えない視界の先に恐ろしいものが隠れている。油断ならない雰囲気だわ。
魔障病が蔓延した地域に足を踏み入れたことがないから比べられないけれど、この村からは途轍もなく嫌な感じがする。
私は許可を得て一人一人の病床を回った。
「どうですか、ソニア様」
付き添いの術士に問われ、私はとある男性患者の首筋に触れる。脈拍は微弱。魔力の流れは今にも途切れてしまいそう。今夜が峠というのが術士の診断だった。
「荒療治だけど、試してみましょうか」
今から薬を調合していたら間に合わない。外側から魔力の流れをコントロールしてみましょう。
私はほんの一滴分、自らの魔力を男性に注ぎ込んだ。そして体内を循環するように念じる。
患者は一瞬苦しげに呻いたけれど、すぐに大人しくなった。
「おお、体内魔力が安定しました!」
魔力を通じて全身をくまなく診る。すると、違和感を覚えた。
冷や汗が出るような禍々しい気配。
これはもしかして――。
「ダメね……乱れる力の方が大きい。しばらくしたらまた危篤状態に戻るわ」
これ以上魔力を注入すれば、拒否反応を起こしてトドメを刺すことになりかねない。これでは苦しみを長引かせるだけ。
根本的な解決が必要だわ。
次に、今のところ健康な村人たちの検査に立ち会った。みんな不安そうにざわめき、長い列を作っている。中には旅人と思わしき女性もいた。
「あら? ラズという子どもが一度も検査に来ていないようですが」
一通り検査し終わり、医者が村人の名簿を見て首を傾げた。
「あんな奴はどうでもいい」
「この村の疫病神よ。汚らわしい」
「そんなことよりもウチの娘を早く助けてくれよ」
村人たちは吐き捨てるように言った。病気への不安でイライラしているのかしら。
歳の近い青年にラズのことを尋ねたら、事情をぺらぺらと喋り出した。
私は身分を隠さず、救国の魔女アロニアの娘であることを告げてある。私が訪れることで村人たちの気持ちが上向くだろう、と兄様にも言われてしまったもの。実際、有名人が来たとはしゃぐ村人もいた。
「あいつの母親、最悪だったんですよ。俺の親父も騙されて、おふくろは鬼のように怒って大変でした」
ラズは娼婦が生んだ子ども。母親は町の娼館で盗みを働いて職を失い、客との間にできたラズとともにこの村に身を寄せた。しかし数年の間に複数の村人たちを誘惑し、財産を掠め取って行方をくらませた。詐欺罪で指名手配中なんですって。
ラズはこの村に置いてきぼりにされ、以来ずっと忌み嫌われて育ったみたい。
いっそ村から追い出せばいいのに、奴隷同然の扱いで重労働を強いている。ラズ自身は何も悪くないのに、不満のはけ口にされているというわけね。でも村人たちはそのことに全く罪悪感を抱いていない。
どこにでも似たような話は転がっている。
心が痛んだりはしないけど、あまり良い気分はしないわね。特に母親の不始末を押し付けられた部分には、思わず同情してしまいそうになった。
「もしもその子が感染していたら隔離しないと……手の空いている者で探しましょう」
村人の話では、ラズは裏の山の洞窟か畑の納屋、あるいは家畜小屋にいることが多いんですって。私も村の様子を見て回りたかったので、捜索に加わることにした。途中、ヴィルも合流してきた。二人で騎獣や家畜の小屋に向かう。
「どうなんだ? 新種の魔障病は」
村の女衆に混じって炊き出しを手伝ってきたヴィルは、子どもや夫を心配する声を聞き、すっかり村人に感情移入してしまったらしい。ものすごく心配そう。
私は周りに人の気配がないことを確認して、ヴィルに告げる。
「私の見立てだと、これは魔障病ではないわね」
術士たちが気付かないのも無理はない。体内の魔力異常を引き起こす症状自体は魔障病に酷似している。広範囲に被害が及んでいれば、感染病を疑うのが普通だもの。
でも今回の感染の仕方はおかしい。
地域によって被害が出ていないところがあるし、症状の重さにも差がある。自然じゃない。
「は……? どういうことだ」
「まだ確信が持てない、というか信じられないけれど、これは――」
そのとき、家畜小屋の扉が動いた。中から小さな人影が現れ、私とヴィルは足を止める。
顔や服の間から見える肌に包帯を巻いた少年。なんて虚ろな瞳だろう。とても八歳前後の男の子の瞳ではない。
体格もそう。この年齢の平均的な体型よりもずっと細く小さい。満足に栄養が摂れていない。
「あなたがラズね。私たち、病気の治療をお手伝いに来たの。あなたのことも診させてもらっていいかしら?」
私がニコリと微笑みかけても、ラズの顔色は変わらない。全てを諦め、疎むような無表情だった。返事がないのをいいことに私は小屋に踏み込んだ。ラズには抵抗するだけの体力がないようだった。
小屋の中には干し草が詰まれている他には何もなく、少し臭った。
茶色い子犬が飛び起きて吼え、一気に騒がしくなる。
「お邪魔するわね。大丈夫。痛いことは何もしないから」
威圧、ではなく挨拶をして黙らせる。犬はきゅうんと鳴いて、ラズの足元に隠れた。
「ここで寝泊まりしているの?」
こくり、とラズは頷き、自らの腕を庇うように抱いた。人間らしい暮らしをしていないことが恥ずかしいのかもしれない。私もヴィルも、その辺りの事情を馬鹿にしたりしない。
「怪我をしているのか?」
ヴィルが問うと、ラズは一気に小屋の角まで後退した。多分、体格の良い男が怖いのでしょう。腰に剣を差しているからなおさらね。日常的に村人に暴力を振るわれているのかしら。
「怖がらないで。彼は私の犬みたいなもの。そこのワンちゃんと一緒よ」
「誰が犬だ。……本当に何もしない」
ヴィルがしゃがみ目線を合わせると、ラズは小さく頷いた。
私はヴィルにこっそり食事を持ってくるように命じた。医者たちにも私がラズを診察していることを伝えてもらう。
私はラズの手を取り、体内の魔力の状態を確かめた。包帯ごしに伝わる体温は冷たく、指先がかすかに震えていた。
「感染はしていないわね。でもだいぶ消耗している。あなた、核も創脳もないでしょう?」
頷くラズは不安そうだった。
包帯を解こうとするとやんわり拒絶する。無理強いするのは良くなさそう。
ヴィルは卵と野菜のスープと柔らかいパンを運んできた。胃腸に優しいもので良かった。脂っこい肉の塊を持って来たらどうしようかと思ったけど、常識はあるみたい。
でも子ども一人分としては非常識な量を持ってきた。せっかくなので私とヴィルもここで食事を取ることにした。そういえばお昼を食べていなかった。
「二人ともゆっくり食べなさいね」
同時に頷くヴィルとラズ。羨ましそうに食事風景を見つめていた子犬にはミルクをあげた。
「このワンちゃん、なんていう名前?」
「……チルル」
それからラズは問いかければちゃんと言葉で答えてくれるようになった。チルルは野良犬でおそらく母犬に捨てられたらしいこと。他人とは思えなくてずっと食事を分け合ってきたこと。温かい食事を取るのは久しぶりだと聞き、ヴィルは幼少期を思い出したのか顔をしかめた。
食事が終わるとラズは干し草のベッドにだらりと倒れ込んだ。緊張して疲れたみたい。もともと具合が悪かったみたいだけどね。
「ラズ。このままここにいたら体を壊すわ。私たちの宿に来る?」
たまに冒険者が立ち寄るため、副業として宿屋を経営している農家が多く、宿泊施設には困らない。私たちはバンハイドで一番良い宿を取っている。
ラズは嫌だと首を振った。どうせ宿屋の主人に怒鳴られ、追い出されるだけだって。
「じゃあ村長に話をつけてあげるから、よその町で暮らす? この村にこだわりはないでしょう? アズライトの領主様はお優しいから、もしかしたら貴族の養子になれるかもしれないわよ」
私の言葉にヴィルは少し驚いたようだった。過剰な施しだ。もちろん、同情心でこんな提案をしているわけではない。私には確かめたいことがあった。
「いい。この村に、いる」
ラズは幼さの欠片もない仄暗い瞳で私を見上げた。
「どうして?」
「……見たいから」
ラズは小さな唇を笑みの形に歪めた。
この村が滅びるところが見たいから、と。