22 箱の中の蝶
一通り確認が終わると、ネフラは肩の力を抜いた。重要な使命を果たしたことでホッとしたらしい。もしかしたらサイコパスなのかと思ったけれど、年相応の若者らしいところもあるのね。
セドニールよりは気安そうだと踏んで、私は尋ねてみることにした。きっとヴィルも内心聞きたくてそわそわしているだろう事柄を。
「支障がなければ教えていただきたいのだけど、その後、レイン王子やエメルダ嬢はお元気?」
ネフラは薄い唇の端を上げた。
「やはり気になりますか。元婚約者とその恋人のこと」
「ええ一応。特にエメルダ嬢は私のことを悪の魔女だと決めつけていたし、稀有な予知能力をお持ちのようだから」
私についてあれこれ予言されていたらたまらない。
ネフラは躊躇いなくペラペラと喋り出した。
「あのエメルダという娘は、婚礼の儀以降に怪事件が収まったことで『やっぱりソニア・カーネリアンが犯人だったんだ。疑われたから今は大人しくしているだけに違いない』と主張しています。二十年前の秘密を知っている我々も、それ以外の者も含め、城の人間は誰も彼女の言葉を信じていませんよ。当然ですね。彼女はあれから何一つ予知できていません」
予知ができない?
原作から運命が変わったことで、彼女の力にも何か変化があったのかしら。
ネフラ曰く、魔女の厭い子という不安定な存在を普通の牢に入れるのは危険だから、特別に城の離れに結界を張って軟禁している。
予知能力者はストレスに弱く、寿命が短い。それに加えてレイン王子が彼女を頑なに庇うため、丁重に扱うように上から指示が出た。週に数回、王子やチャロットたちとの面会も許されているみたい。なにそれ。破格の待遇じゃない?
しかし全く予知能力を使いこなせず、それでもへこたれない姿に周囲の者は苛立っている。
特に侍女たちは「ソニア様にお仕えしたかった」「この小娘のせいで聡明な王子がおかしくなった」と憤り、密かにエメルダ嬢に冷たく接しているらしい。彼女が何を言っても基本的に無視。食事を粗末なものにしたり、王子からの贈り物を取り上げたり……女って怖いわねぇ。エメルダ嬢が短命ってこと、侍女たちは知らされていないのでしょう。
「それはお気の毒ですこと」
「自業自得ですよ。それに心配するだけ無駄です。あの娘、意外と図太い。逆境は跳ね返すためにあるんだから、と息巻いています。まだレイン王子と結婚できると信じているようですね。そういう予知でもあったのかと尋ねても、だんまりを決め込むんでいい加減キレそうです」
寿命に関しては同情しますけどね、とネフラはため息を吐いた。術士ゆえにエメルダ嬢に接する機会が多いんですって。
エメルダ嬢、予知能力の実験に非協力的なのね。命知らずというか、良い度胸してるわ。自分の置かれた立場が分かっていなさそう。
「このまま予知能力を発揮できないのなら裁判にかけて刑罰を与える、と脅しても、『正義は必ず勝つもん』と泣きながら喧嘩を売ってくるんですよ。王子が味方のうちは大丈夫だと高をくくっているようですね」
ヴィルは「エメルダ……」と小さく呟いた。心配しているのかしら。それともさすがに呆れている?
「一方、レイン王子の方はだいぶ参っているようです。あれから一歩も城から出ず、何やら考え込んでいるご様子。大人しいのは助かりますが、中途半端に賢い方ですから、真相に気づくのではと王の側近はハラハラしています。……ああ、そうそう。そういえば近々新しい婚約者を探すため、パーティーを行うそうですよ」
「あら……切り替えが早いのね」
私との婚姻が破談になってから、まだ一か月半ほどだというのに。
あれだけの醜態を晒しておいて、相手が見つかるのかしら。……まぁ、あれだけの美形、それも王太子が相手なら妻になりたい娘は山ほどいるわよね。他国からの縁談の話もちらほらあるんですって。
レイン王子は乗り気ではないみたいだけど、私との婚約破棄の件でだいぶ求心力を失くしたから、地盤を固め直す意味でも有力者の娘との政略結婚は避けられないでしょう。
「やはり早すぎますよね。申し訳ございません。ソニア様は不快でしょうが……」
「私は別に何とも思わないわ。ミストリアの民は、王太子の結婚が取りやめになって不安でしょうし」
王子がいつ誰と結婚しようが、もう私には関係ない。
「そんな……エメルダはそれを知っているのか……?」
一方ヴィルの顔は真っ青だった。
「当分知らせる予定はありませんが、人の口に戸は建てられませんから。我々も徹底して情報管理をする気力がなくなっています」
意地悪な侍女たちが今にも知らせてしまうかもしれないわね。
うーん。私としては心底どうでもいいのだけど、ヴィルにとってはそうじゃないわよね。
エメルダ嬢はレイン王子と結婚できると信じている。王子の愛と輝かしい未来を心の支えにして、軟禁生活に耐えているのでしょう。でも王子は早急に他のご令嬢と政略結婚しなければならない。それを知ったらどうなるかしら?
心の支えを失い、後ろ盾も失う。裁判で断罪されてしまうと、恐慌状態に陥るかもしれないわね。
私は小さくため息を吐く。
このままではヴィルがエメルダ嬢を助けるため、さっそく約束を破って王都に向かおうとするかもしれない。それはいろんな意味で困る。
……本当に迷惑な女ね、エメルダ嬢。
まぁ、私が王都の近況を迂闊に聞いたのがまずかった。仕方ない。
「ネフラ、一応陛下に伝えておいてほしいのだけど、私は今更エメルダ嬢がどうなろうと構わない。つまりどうでもいいの。罰を受けなくてもいいとすら思っているわ」
王子とともに私を公の場で糾弾した罪は、一番の被害者である私が厳罰を望まないことで軽くなるのではなくて?
「あと私見を述べさせてもらうなら、あの婚礼の場での失態は、エメルダ嬢ではなくレイン様が今後の行いによって償っていくべきだと思うわ。次期国王となる男が、国家の不名誉の責を小娘一人に押し付けるなんてみっともないもの。彼女が悪意を持ってみんなを騙したなら話は別だけど」
「……庇うのですか、自分を陥れようとした者を」
私だってそんなことしたくない。原作“あにめ”のラストを完全に回避するためにも、エメルダ嬢にはさっさと死んでほしい。
でも、焦ったら負け。
彼女を追い詰めすぎるとヴィルが向こう側に戻ってしまう。こちら側に引き止め、私に懐かせるためにも、ここは恩を売っておくべきだわ。
「言ったでしょう? 彼女のことはどうでもいい。でも私の可愛い従者の純情は大切にしてあげたいの」
今は他の女に向いている感情でも、近いうちに私の物になる予定だもの。失くしたり穢れたりしたら面白くない。
ヴィルが驚いて私の名を呟く。
ネフラは薄く笑った。
「分かりました。あなたのご意向、必ず陛下にお伝えいたします」
王の使者との会談は無事に終わった。
ネフラは別れ際、私に魔術の論文を大量に押し付けてきた。ぜひ読んで感想を聞かせてほしいんですって。おそらく彼が使者に立候補した理由はこれね。
私は万能じゃない。専門外の分野の魔術だったら何の感想も言えないんだけど、まぁ、ククルージュに帰ってからゆっくり拝見しましょう。
会談の後、ヴィルは神妙な面持ちで私に跪いた。自主的に頭を下げるなんて珍しい。でも嬉しくないわ。あの娘に関わることで感謝されたって。
「ありがとう、ソニア。本当に……」
「言っておくけれど、私が彼女を庇ったところで、裁判や刑罰を回避できるとは限らないわよ?」
「分かってる。だがエメルダにとって有利になる。今できる最大級の援護だ。俺には何もできないからな……」
そうね。ヴィルがエメルダ嬢のためにできそうなことと言えば、なりふり構わず力づくで助けに行くことくらいだけど、むしろ逆効果。みんなまとめて国に殺されるだけ。それが分かっていても、実行しそうな気配があるから困るのよ。
「でもさすがに、私が何を言っても王子の婚約者探しは止められないわね」
「……それは気にしても仕方がない。王子ならエメルダを傷つけないよう、自分で解決できるはずだ」
「本当に? ヴィルが一役買って出る気はないの?」
せっかく二人が破局しそうなのに、傷心のエメルダ嬢を物にしようって考えには至らないのかしら。
ヴィルは驚いたように首を横に振った。
「俺ではダメだ。第一、会いに行けない」
それは王との約束があるから?
それとも顔を合わせる勇気がないから?
私が疑わしげな視線を向けると、ヴィルは毅然と言った。
「心配するな。俺はお前に迷惑をかけたりしない。絶対に」
「……そういうの、フラグ立てるって言うのよ」
「は? ふ、ふらぐ?」
どちらにせよヴィルのエメルダ嬢への想いは、今はそこまで激しくないようね。恋が燃え上がっている状態ならなりふり構わず会いに行くってなりそうだし、衝動を我慢している様子でもない。
すっかり諦めがついているのか、それとも他の感情の方が大きくなっているのか。
私としては、頭が冷えているならいいけど。
憂鬱なイベントは終わり、ネフラは王都に帰っていった。
私もすぐ里に帰ってもいいのだけど、サニーグ兄様に「ソニアと晩餐できないなら、今年の祭りは全て中止だ!」と言われてしまったから、領民のためにも今日は屋敷に泊まることにした。
夜までまだ時間がある。兄様が張り切って仕事を片付けている間、私はヴィルを連れてアズローの都を遊び歩くことにした。
ミストリア西部一の都だけあって目新しいものでいっぱい。人と物で溢れている。
実はアズローには詳しくないの。兄様とお忍びで遊んだのはほんの二、三回だけ。あとは薬屋さんと取引のためにお会いしたくらい。
好き勝手に歩き回るのは実は初めてなのよね。どこに行きましょう。
「ヴィルは何か見たいものある?」
黙って首を横に振るヴィル。やっぱり王子やエメルダ嬢の近況を聞いて、気持ちが沈んでいるみたいね。いつもより少し表情が暗い……気がする。
励ましてあげたいところだけど、かける言葉は特にないわ。下手に慰めたらエメルダ嬢への想いを再燃させちゃいそう。うじうじしたヴィルも嫌いではないし、放っておいて私だけでも楽しむことにしましょう。
食材市場で試食をしたり、古本屋を覗いたり、取引先の薬屋に挨拶に行ったり、ここぞとばかりに歩き回った。さすが兄様の都。品ぞろえは素晴らしいし、活気に溢れているし、道行く人々も笑顔が多い。
「そろそろお屋敷に戻らないとね」
「ああ……」
ヴィルは私に付き従いながら、荷物持ちをしてくれていた。話しかければ答えるものの、口数は極端に少ない。それはいつものことなのだけど、今日はやたらと視線を感じたわ。何か言いたいことがあるなら言えばいいのに。わざわざ私から聞いてあげないわよ?
ふと小さな雑貨屋の前で足が止まった。
「今年は花と蝶のモチーフが流行っているのね」
髪飾りやイヤリング、コサージュやネックレス。キラキラしたアイテムの数々が並んでいる。チープだけど可愛い。少し前に世にも生々しいアクセサリーを見たせいで余計に素敵に見える。
同じ年頃の女の子たちが隣で楽しそうに選んでいるから、私も欲しくなってしまうわね。
そういえばアクセサリーは、アスピネル家お抱えの宝石商からしか買ったことがない。まぁ、ほとんどは兄様にプレゼントしていただいたから、自分でお金を払ったことはほぼないのだけど。
買ってみようかしら。でも里でアクセサリーは身に着けないし、きちんとした社交場にはつけていけないレベルの品だし、使いどころがないような……。
「気に入ったのなら、一つ買ったらどうだ。……きっと似合うから」
突然の同行者の一言に心臓が跳ねた。
最後の言葉は消えかかりそうなほど小声。しかも私と目が合うと、ヴィルの顔がみるみるうちに赤く染まった。
可愛い。ものすごく可愛いけど、ちょっと心配。
「え、どうしたの? 疲れた?」
ヴィルは目を閉じて首を横に振った。忘れろ、気の迷いだ、と喚いて。
「そう? でも、じゃあ、買うわ。髪のアクセサリーなら普段使いできるわよね」
試しに何色が似合いそうか尋ねてみると、ヴィルは少し悩んで「白か黒か金か銀」と答えた。どれも私の赤髪に映える色だ。うん。適当に言ったわけじゃないわね。でも選択肢が多すぎて選びきれないわよ。
結局二人でどれがいいか迷っているうちに日が暮れてしまい、晩餐の席で待ちくたびれた兄様とユーディアに恨み言を言われた。
私としたことが愚かだったわ。目についたもの、全部買えば良かったじゃない。
でも選び抜いて手に入れた金の花の髪飾りはとても気に入ったわ。小さな蝶々のチャームがついているの。
家でつけようと思っていたけど、しばらくは宝石箱に入れておきましょう。
なんだか恥ずかしくて、これを身につけた姿をヴィルにも誰にも見せたくない。