14 ヴィルの決意
ヴィル視点です。
全体的にうじうじしているので、苦手な方はご注意ください。
一夜にして自分の全てを否定された気がした。
不老の宝珠を発端とした魔女狩りとクーデター、両親の死の真相、王子の命を代償にした契約、エメルダの寿命……。
世界の影に隠れた真実はどれもこれも醜くおぞましい。
俺の二十年はなんだったんだ?
子どもの頃空腹と負い目を抱えて眠った夜も、騎士になるために費やした血と汗も、王子とエメルダの幸せを想って耐え忍んできた日々も、木っ端みじんに踏み潰された。
憎しみよりも虚脱感の方がはるかに大きい。
馬鹿みたいだ。
母国の王太子に裏切られて死んだ両親は、今の俺を見てがっかりするに違いない。なんてひどい親不孝をしていたのだろう。やっぱり生まれずに死んでおけば良かった。
レイン王子。国王の謀略に気づかず、秘密の契約の肩代わりをさせられていた哀れな俺の主。
全てを知ったらどんな顔をする?
俺の父を尊い騎士だと言ってくれたが、その騎士を死に追いやったのはあなたの父だ。
そう言ったらどうなるのだろう。
……きっともう以前と同じように互いを信頼することなんてできない。
いや、王子は俺のことなど大して信じていなかったのかもしれない。
エメルダの寿命のことを知っていたのなら、なぜ打ち明けてくれなかった。知らない方が幸せだからか?
俺が寿命のことを知ればエメルダを休ませるよう進言するだろう。そうなると面倒だから黙っていたんじゃないか?
エメルダの予知能力を利用できなくなると困るから。
きっとそうだ。レイン王子は薄汚いミストリア王家の血を引いている。
違う。違うだろ。
……本当は分かっている。王子を恨むのは筋違いだ。
あの人は王族。俺とは生まれつき身分の隔たりがある。対等に信頼関係を築くことなどできるはずがない。何を自惚れていたんだ、俺は。
彼は次期国王としての重責を背負っている。
一人の人間の命と、ミストリアの民全ての平穏。どちらを選ぶかは分かりきっている。本心を誤魔化してでも決断しなければならない立場にいるんだ。
俺がそうやって物事を冷静に割り切れないから、王子はエメルダのことを打ち明けられなかったに違いない。
俺に王子を責めることはできない。
ああ、一番可哀想なのはエメルダだ。
今もきっと何も知らず、王子との幸せな未来を夢見ている。
軟禁部屋からいつか出られると信じ、窮地を救う予知の訪れを待っているに違いない。
……もう彼女にその部屋にいること以上の幸せはないのに。
本当にエメルダのことを想うなら助けに行くべきだ。
卑劣な国王の城になど留まらせておけない。もう誰にも利用させないよう、真実を詳らかにし、無理矢理にでも城から連れ出し、どこか遠くに逃がすのだ。どんな汚辱に塗れてもこの身一つで彼女を守り抜き、寿命が短い分誰よりも幸せな時間を過ごせるように心を尽くす。それでこそ真の騎士ではないか……。
だが俺は動けない。
王子ではなく俺を選べと言う勇気も、現状以上の幸せを与える自信も、全てを打ち明けて絶望させる覚悟もない。最低だ。
こんな情けない男に騎士を名乗る資格はない。エメルダを愛しているなんて口が裂けても言えない。
『真実を知ったところで何もできやしないもの』
その通りだ。
今の俺に何ができる?
これからなんのために生きればいい――?
「………………」
子どもの笑い声で目が覚めた。追いかけっこでもしているのだろうか。窓の外から楽しげな気配が伝わってくるが、カーテンのせいで様子が分からない。
俺はぼんやりと室内を見渡した。
見覚えのない部屋だ。俺の寝ているベッド以外は、机と椅子、クローゼットしか見えない。
机の上には魔女殺しの剣とわずかな荷物だけ。生活感はまるでない。
右手の人差し指に赤いリボンが巻いてあった。誰かに悪戯されたのだろうか。無言で解いて枕元に落とす。
頭は重く、体は怠かった。
熱はなさそうだし、特別痛む場所もない。多分、貧血か脱水症状だ。昨夜から――といってもどれくらい時間が経過したかは定かではないが、ほとんど何も口にしていない。
最後の記憶は樹海に入る直前だった。
あの女に馬から降りるように言われて地面に足をついた瞬間、視界がぐるぐる回った。
「目が覚めたのね、ヴィル。気分はどう?」
「……良いわけないだろ」
部屋にソニアがやってきた。旅装を完全に解き、ゆったりとしたワンピース姿だ。片手にお盆を持っている。心なしか晴れやかな顔つきをしているのはなぜだ。
「五日間、緊張しっぱなしだったものね。心も体も限界だったのよ」
どうやら俺が倒れてから数時間しか経っていないようだった。
ソニアがちょこんとベッドに腰を下ろしたので、俺は体を起こした。差し出された薬湯は怪しかったが、素直に飲むことにした。何かをされるなら眠っている間にいくらでもできたし、何をされてももはやどうでもいい。
俺はすっかり自暴自棄に陥っていた。
「ここは……」
「私の家。ここは今日からヴィルの部屋よ。好きに使って。足りないものは今度買いに行きましょう。……ようこそ、ククルージュへ」
魔女の里ククルージュ。
王子からどういう場所か聞いている。
元々魔女は山奥に籠もって魔術の研究に没頭しており、たまに弟子を迎えに行く以外は仲間とも人里とも交流がなかったらしい。昔話で魔女が悪役になることが多いのは、何をしているのか分からない不気味さがあったからだろう。
それが時代の移り変わりにより、俗世に染まり人間の男と結婚する者が現れた。
最初は煙たがられていたものの、薬や魔獣に関する豊富な知識は人々に歓迎され、魔女は徐々に受け入れられていった。
しかし二十年前の魔女狩りにより、魔女とミストリアの民との間に亀裂が生じた。
先代王は国民に魔女を差し出すように触れを出していた。魔女を庇えば同罪となり、磔にされる。その恐怖から民が率先して魔女を私刑する地域もあったようだ。
隣人に密告され、命からがら逃げ出した魔女たちは、安住を求めて救世主アロニアの元に集った。
ミストリアの民の元には戻れない。しかし町の生活に慣れきっていて、今更山奥では生きられない。そこで人間の町に近い場所に魔女のための里を作り、力に自信のない者同士で自衛することにした。
それがククルージュである。
救国の魔女アロニアがいれば、人間たちもむざむざと追い払ったりしない。むしろ以前以上に厚遇してもらえる。アロニアも助けを求めてくる同胞を無下にせず、手を差し伸べた。
現在ではミストリアの民とも和解し、ククルージュの魔女はアズライトの領主とも懇意にしているらしい。
ククルージュは魔女とミストリアの友好の象徴と言う者もいる。
しかし真実を知った今となっては、本当かどうかは疑わしい。
……どうでもいいか、そんなこと。
「他の場所に住んだことがないから比べられないけど、ここの暮らしはいいわよ。自然豊かでのんびりできるし、少し遠出をすればアズライトの都で遊べるし。田舎暮らしだけど退屈はしないわ。ヴィルも気に入るはずよ」
「……魔女に親を殺され、魔女を殺してきた俺が、魔女の里を気に入ると?」
「ヴィルは魔女を誤解しているわ。みんながみんな、お母様や怪事件の犯人たちみたいに性悪じゃないのよ。それにヴィルが殺してきたのは悪い魔女だけでしょう」
そうだ。俺は法を遵守する騎士だった。だから犯罪に手を染めた魔女しか斬っていない。
だが俺はもう騎士ではない。ついでに言えば、精神状態も不安定だ。
「今の俺をこの里に入れるのは危険じゃないか? 何をしでかすか分からないぞ」
自覚があるうちは大丈夫よと笑い、ソニアは俺の頬を指で突いた。
「それにしても、ヴィルったらすっかり不貞腐れちゃって。まぁ、仕方がないかしら。あの場に連れて行った私が言うことじゃないけど、昨夜のヴィルは大陸で一番不幸な男だったでしょうね。でもあなたに真実を伝えるにはあの方法しかなかったのよ」
それは理解できる。
ソニアのみから話を聞いたところで、到底信じられなかっただろう。
俺のよく知る国王の側近――セドニールがあの場にいたからこそ、冗談ではないのだと認識できた。
ソニアと国王側が結託して俺を騙しているという可能性はない。自らの醜聞をわざわざ創作してもなんの得にもならないからだ。
昨夜の話はまぎれもなく真実だった。
俺はソニアの手を払いのけ、ため息を吐いた。
「何も知らずに王家に仕える俺を哀れに思ったのか? だから昨夜、俺を殺さなかったのか?」
ソニアは俺の両親の死の真相を知っていた。つまり婚礼の場ですでに俺のことを認識していて、あえて従者に指名したのだ。
傍から見ればさぞ間抜けだっただろう。仇の息子に仕えながら、仇の娘に憎しみをたぎらせていた俺は。
「そうね。ヴィルは可哀想だわ。いっぱい努力して頑張ってきたのに、何一つ報われずに死ぬなんてあんまりよ。惨めにも程がある。見過ごせないわ」
いつもなら「同情は要らない」、「分かった風な口を利くな」と怒鳴りつけるところだが、そんな気力もない。俺は両手で顔を覆った。
「本当に俺を哀れと思うなら解放しろよ……」
アロニアの作った里になど連れてくるな。
「あら、図々しい要求ね。じゃあ聞くけど、他に行く当てがあるの?」
俺は黙るしかなかった。
王都には戻らない。……戻れない。
真実を知った俺は王家にとって邪魔な存在だ。生かしておくはずがない。
もはや命などどうでもいいが、奴らの手にかかるのはやっぱり嫌だ。そんな屈辱を受けるくらいなら、自ら魔女殺しで首を突く。……ああ、いっそ父や母と同じように腹を裂いてもいい。
王子にもエメルダにも今後会いに行くつもりはない。
エメルダの小さな幸せを壊したくない。残りの人生を穏やかに過ごしてほしい。王子から与えられる、欺瞞と偽善にまみれた愛でも何もないよりマシだ。
俺にはもう、居場所も頼れる人もない。
「ねぇ、ヴィル。私のこと、今はどう思っているの? まだ殺したい?」
その質問にも俺は上手く答えられなかった。
今さっき目覚めてソニアの顔を見たとき、憎悪や嫌悪がだいぶ薄れていた。最初から悪印象だったソニアよりも、信じていて裏切られた分、国王やセドニールへの憎しみの方が強い。レイン王子の言動に疑念を抱いたことも大きいかもしれない。
何より自分に対する怒りと失望が激しく渦巻いていて、相対的にソニアへの悪感情が弱まっているのだろう。
二十年前の襲撃のことでソニアを恨む気はない。この女は生まれてすらいなかったし、仇の子どもというのなら王子も同じだ。
関与が疑われていた最近の怪事件のことも、もしかしたら本当に無関係なのかもと思い始めている。ただの感覚だが、この女なら疑いがかからないくらい上手くやる気がする。
だからと言って、ソニアに心を許したわけではない。許すつもりもない。
昨夜のやりとりで、改めてソニアに得体のしれない薄気味悪さを抱いた。荒事に慣れていたし、まだ何かを隠している気配がある。もっと他に、途方もない悪事を働いていると思えてならない。
あらゆる面で十六歳の小娘と侮れない。貫禄がありすぎる。
ようするに俺は、ソニアの底が見えなくてビビっていた。
だがそれを本人に言えるわけがない。
「さっき自分で言っていたけれど、ヴィルは今、心も頭もぐちゃぐちゃになっているんでしょ? ならすぐに身の振り方を決めるのはやめておきなさい。まともな判断を下せるはずないもの。しばらくは当初の目的通り私の従者として、お掃除とか買い出しとか畑の管理を手伝うのが良いと思う」
ソニアの優しげな笑みから俺は顔を背けた。
「……どうしてそこまで俺に構う? お前の方こそ、俺をどう思っているんだ」
「言わなかったかしら。ヴィルの顔も声も性格も好みなの。それに私を毛嫌いしていた男を侍らせて、手懐けたら良い気分が味わえるわ」
どこまで本気で言っているんだ、この女。分からない。怖い。
「まぁ、どうしても働きたくないなら、部屋でゴロゴロしていてもいいけど……それだとただのペットね」
「ペット……っ」
そのまま絶句する俺を見て、ソニアはくすりと笑った。
「ああ、それも良いかもしれないわね。可愛がってあげるわよ。ご飯やおもちゃをたくさんあげるし、お散歩もしてあげる。それならいっそ、立ち直らなくても――」
「わ、分かった。働く。働くから仕事をくれ。ペット扱いだけは嫌だ」
思わず懇願していた。騎士としての俺は死んだが、まだ男としての、人としてのプライドは残っていたらしい。
「そう? じゃあ明日からよろしくね。里のみんなにも紹介するわ」
今日だけはゆっくり休んで、と甘く囁き、ソニアは部屋から出て行った。
……しまった。これではあの女の思う壺だ。俺は声を出さずに悶絶した。
完全にソニアの手の平の上で踊らされている。何もかも見透かされ、心を操られ、追い詰められている。
俺の中でなんとなく今後の方針が決まった。
ソニアの魔の手から逃げ出す。飼い殺されてなるものか。