13 騒がしい夜の終わり
気づけば、夜空を飛竜たちが旋回していた。数は十体。小さな町なら滅ぼせるくらいの戦力だ。でも兵士自体は数人しかいない。二十年前の真実を知っている数少ない者たちでしょう。
ヴィルは宙にいるセドニールを睨み付けていたが、やがてゆっくり剣を抜いた。星の光を浴びて魔女殺しが紅く輝く。
竜たちが興奮して奇声を上げ始めた。
「まぁヴィルったらひどいわ。私を殺すつもり? 私の言うことは全然聞いてくれないくせに、あんなムカつく連中には従うのね。常識的に考えて、あなたを脅すためだけに王子や貴重な予知能力者に手は出さないと思うけど」
「分かっている。だが万に一つも王子とエメルダを傷つけられるわけにはいかない。それに……お前を王に渡すわけにはいかないんだ」
恋人同士だったら素敵なセリフだけど、違うわよね。
私の持つ不老のレシピが国王に渡るのは危険。例え不完全なレシピでも、私に研究を強要して完成させるかもしれないから。
もしも現国王が不老になれば、王太子のレイン様の立場が危うくなっちゃうわよね。
「私を殺したらその後あなたが殺されるわよ? それは分かってる?」
「もう、いい……」
もう生きていても仕方がない。
真実を知った今、自分の存在は王子たちを危険に晒す。
ヴィルは諦めきっていた。こういうときだけ物わかりが良いってどうなの?
でも、絶望に満ちた金色の瞳も綺麗。どんな宝石よりも手に入れたい。
「真実を知らなければ良かった?」
「俺が知りたいと望んだことだ。そのことでお前を恨みはしない。だが――」
ヴィルは小さく呟いた。生まれてこなければ良かった、と。
その言葉は私の頭をカッと熱くした。これほどの激情を覚えたのはいつ以来かしら。
「情けない男。てっきり私を殺して、頭上の目障りな奴らも殺して、レイン様に真実を伝えて陛下を討つって奮起するかと思ったのに。
……でもしょうがないわよね。レイン様に真実を伝えるのが怖いんでしょう? 友情が壊れるかもしれない。クーデターが起きて国が荒れるかもしれない。それとも黙殺されるかも? ヴィルの両親のことを知っても、レイン様が何もしてくれなかったらショックですものね」
王子とは少ししか話してないけれど、彼がミストリアの平和を第一に思っているのは伝わった。場合によっては恋人や親友だって切り捨てる可能性がある。王族だもの。国の平穏を保つ責務を優先するのは悪いことじゃないわ。
そういった観点から見れば、現国王シュネロ様のことだって責められないわ。
彼の即位から二十年、ミストリア王国は内乱も他国との戦争もない。シュネロ様を名君と尊ぶ民は大勢いる。
クーデターのことだってそう。卑劣な部分があるのは確かだけど、不老の宝珠を葬り、世の秩序を守ったことに替わりはない。
もしも私怨で王を討てば、後世で悪と呼ばれるのはどちらかしら?
誰が正しくて何を信じればいいのか分からない。
ヴィルは迷子みたいな顔をしている。殺意も憎悪もなく、寄る辺を探す力もなく、早く全てを終わらせたい。そんな迷いだらけの剣では、そこらの魔女だって殺せないわ。
「意気地なし。やっぱりヴィルが真実を知ったところで何もできないわね。私の言った通りだったでしょ?」
「黙れ! お前に俺の気持ちは分からない!」
その怒鳴り声は湿っていた。今にも壊れてしまいそうな青年を見て、私は微笑を浮かべる。
そうよ。もっと感情を曝け出して。我慢しないでほしい。
「ヴィル、あなた、その若さで死んでも文句が言えないような悪事を働いたことある?」
「は?」
「ないでしょ? 私も同じよ。これで終わりにされたらたまらないわ。まだまだやりたいことがたくさんあるの。とりあえず今は、あのやかましい連中を黙らせたいと思う」
私に釣られて、ヴィルも空に視線をやった。
「何をしているのです! 早く戦いなさい! 十秒以内に始めないと――」
セドニールが何かを喚いている。飛竜の鳴き声も空を貫かんばかりに高まっていた。
近所迷惑よね。村の人たちも今頃空の異変に気づいて怯えているでしょう。これ以上ご迷惑をかけるのも悪いし、そろそろ片付けましょうか。
「うるさい」
私がすっと目を細めると、途端に飛竜が鳴き止んだ。代わりに術士と思われる男が頭を抱えて呻き出す。
ヴィルとセドニールには何が起きたのか分からないみたいだった。
創脳があれば感じることができたのに。
私の身の内から放たれるおびただしい魔力を。
飛竜の飛び方が変わった。ふらふらと体を揺らし、翼が痙攣を始める。術士の男が振り落とされて森に堕ちた。竜たちもこのままでは危険だと判断したらしく、次々と地上に戻る。
「だから竜は嫌なのよ。ご主人様のために頑張ろうって気が感じられないから」
ユニカだったらどんな強敵に出会っても、私を逃がそうと必死に走るでしょう。逃げられなければきっと立ち向かってくれるわ。
まぁ、私が敵わないような相手なんてそうそういないでしょうけど。
「お前、何をしたんだ……」
「別に。私の方が強いって飛竜たちに教えてあげただけ。野生の竜ならまだしも、飼いならされた竜なんてこんなものよ。……おいで、ヴィル。使者殿に挨拶に行きましょう」
セドニールの竜が降りた場所に向かう。
飛竜は身を小さくして私に頭を垂れていた。怖がらせちゃってごめんね。
術士は気絶していたし、核持ちの兵士も堕ちた時の衝撃で怪我をしたみたい。セドニールは地面に放り出され、座り込んでいた。
「な、あなた、一体どういうつもりで……! 王の使者に対し、この仕打ち! ククルージュが、魔女がどうなってもいいんだな!?」
私はセドニールの肩を蹴り、そのまま胸を踏みつけた。
「あなた、たくさん勘違いをしているわ。一つずつ優しく教えてあげるわね?」
そう言いつつ、足に力を入れたら彼の肋骨がぴきっと変な音をたてた。セドニールの絶叫を無視して、私は指折り数えて間違いを指摘する。
「一つ。私は今夜、国王側と対等に交渉をするつもりで来たの。私たちに手を出さずに放っておいてくれたら、お礼に真実の黙秘と西の国境防衛を約束してあげる。これ以上の譲歩はしない。一方的にそちらの命令を聞く義務なんて私にはないわ。
二つ。ヴィルはもうミストリアの騎士じゃない。私のものよ。生かすも殺すも私の勝手、彼に何かを強要するのも私だけの特権よ。
三つ。口の利き方に気をつけなさい。王の代理を名乗るからには、私への無礼はミストリアからの侮辱だと受け取る。死にたくなければこれ以上私の機嫌を損ねないことね。いい?」
セドニールは咳き込みながらも、私を蔑むように見た。
「馬鹿め! ここにいる者だけが連れてきた戦力ではない。異変を観測したら、すぐにククルージュに予備の飛竜隊が向かう。今すぐ私を解放しなければ、魔女の里に火の手が――」
「四つ。私にとってククルージュは大切な場所。どうなっても良いなんて思ってない。だから、お留守番をさせているわ。とびっきり凶暴な番犬たちに。最高種の金滅竜ならともかく、ただの灰色飛竜なんて何体いたって相手にならない」
当然でしょう。“らすぼす”の下には“中ぼす”がいる。もちろん原作よりも素直で良い子たちよ。
私に脅しが通じないと分かり、セドニールの顔はみるみるうちに青くなっていった。しかし少し離れた場所でぼうっと立っているヴィルに気づき、吼えた。
「っヴィル! 何をしている!? きみの両親の仇の娘だぞ! さっさとこの小娘を斬りなさい! エメルダがどうなっても――」
「だから、私のヴィルに命令し・な・い・で」
ぎゅうっとみぞおちの辺りを踏み込んだら、セドニールは体を折り曲げてもがいた。
「五つ。エメルダ嬢は人質にはならないわ。痛めつける? 好きにすると良い。貴重な予知能力者の寿命がさらに縮むだけよ。ご存じだと思うけど」
その言葉に一番反応したのはヴィルだった。
「どういうことだ?」
「そのままの意味。予知ってすごい創脳に負担をかけるの。無理に使い続ければすぐ廃人になる。強いストレスを受ければ脳死の危険がさらに高まる」
予知は、自然界に流れる魔力の川を辿り、そこから汲み取った膨大な情報を適切に処理することで実現する。
前世で言うところの“こんぴゅーた”みたいなものね。あちらの世界は情報処理に関してものすごく発達していたけれど、それでも万全ではなかった。天気予報が外れて何度も前世女がずぶ濡れになっていたし。
普通の人間の脳ではこなせない処理を、予知能力者は無意識に行っている。すぐにイカレるのも無理ないと思わない?
「檻の中で大切にしてあげるべきね。他の事例に当てはめて考えると、持って十年、早くて五年で使い物にならなくなるかも」
「そんな……嘘だ……」
「むしろヴィルが知らないことの方が驚きだわ。だって多分レイン様は知っているわよ。魔術の歴史を紐解けば、予知能力者が短命なことは火を見るより明らかだもの」
原作でハッピーエンドを迎えた二人。でも幸せな時は何年続いたのかしら?
王子が庶民の娘を妃にできたのは彼女の寿命が短いからだと思う。エメルダが亡くなった後、改めて身分相応の娘を娶ればいいんだもの。
レイン王子はエメルダ嬢の寿命のことを知っていて、本人にもヴィルたち仲間にも話していなかったのでしょう。……言えないわよね。知らない方が幸せだから。
それに、寿命のことを知ってしまったら、エメルダ嬢は予知をしないように力を抑え込むかもしれない。王子は国の危機を知る手段を失ってしまう。本当なら旅なんかせず山奥の村に引きこもっておいた方が良かったのに、王子は彼女を表舞台に引っ張り上げた。
王子は本当にエメルダ嬢のことを愛していたのかしら。
無理を強いる罪悪感から、彼女の気持ちに応えただけかもしれない。
それとも無意識に自分の気持ちを誤魔化しているとか?
……穿ち過ぎね。きっとあの二人は本当に愛し合っている。寿命のことを知らせなかったのは、彼女のストレスになるから。そう思うことにしよう。さすがに可哀想だわ。
「でもまぁ、エメルダ嬢は生まれつきの予知能力者みたいだし、脳の造りが違う可能性が高いわ。思いのほか長生きするかもね」
「助かる見込みがあるのか!? どうすれば――」
「さぁ? 厭い子の予知能力者なんて前例ないでしょうし、下手に外部からどうにかしようとするのは危険だと思うわ。できるだけストレスがかからないように生活するしかない。結局何も知らないまま、城に閉じこもっているのが一番でしょうね」
何もできることはない。そう宣告すると、ヴィルは絶望に呑まれ、再びその場に崩れ落ちる。ついに金色の目から光が消えた。もう何も考えられないみたい。
「せっかく手に入った予知能力者をむざむざ死なせたりしない。そうでしょう?」
セドニールは答えなかった。もう自らの敗北を悟ったようだ。恐怖で眼球が小刻みに震えている。
「ソニア様、い、命だけは……っ」
「あら、命さえ無事ならいいの? じゃあこれで許してあげる」
懐から素早く小瓶を取り出し、セドニールの口に中身を流し込んでやった。じゅわっと音が弾けて、たんぱく質が焼ける不快なにおいがした。
「あぁっ! がああ!」
「あなたは使者失格だから、喋れないようにしてあげたわ。声は一年くらいで元に戻ると思うけど、それまでは筆談で頑張ってね。お仕事、クビにならないことを祈るわ。ああ、しばらくは辛いものや固いものは食べない方がいい。お酒もダメ」
喉を押さえて悶え苦しむ男にもう用はない。そばで震えている適当な兵士に声をかける。
「帰って陛下に伝えて。魔女ソニアはミストリアとの和平条約を破る気はない。それでもなお私や私の大切なモノを脅かすのなら、二十年前の襲撃以上の血の惨劇を国史に刻み付けてやる。賢明なお返事を待っているわ」
セドニールを含む使者たちが撤収するのを見送り、森の中に危険が残ってないか見回った後、私はヴィルの手を引いて天幕に戻った。
抜け殻のように悄然としたけれど、例のお香を焚いたらヴィルは素直に眠りについた。不安だったのでお互いの手首を布で繋ぎ、私も隣で寝る。
夜明けとともに出発の支度を整えた。目覚めたヴィルは朝食に口もつけず、膝を抱えたまま動かない。四つも年上の青年なのに、小さな子どもみたいに見える。
「ヴィル、村にユニカを迎えに行きましょ」
「…………」
「無視しないで」
私が髪の毛を引っ張ると、ヴィルは反射的にそれを払った。良かった。無反応を貫き通されたらさすがに困ってしまうわ。
「人生のどん底に突き落とされて、生きる希望もなくて、これからどうすればいいのか分からないのね。でも大丈夫。言ったでしょう。私がヴィルを守ってあげる。たとえ壊れて使い物にならなくなっても捨てない。あなたはただ、私を信じて付いてくればいい」
私に飼い殺されていれば安全よ。うんと優しくして、嫌なことなんて忘れさせてあげる。
そっと手を差し伸べると、ヴィルは顔を上げ、一瞬迷いを見せた。でもすぐに顔を背けてしまった。
「……もう誰も、信じられない」
深く濃い苦悩が滲む声に、私は軽やかに答える。
「ゆっくりでいいわ。長い付き合いになるんだもの」
しばらくして、ヴィルはのろのろと立ち上がった。
元気のないままだけど、とりあえず動き出してくれて良かった。
ユニカを迎えに行って、村長さんにお礼を言い、私たちはククルージュに向かった。
手綱は変わらずヴィルに任せることにした。何かに集中している方が余計なことを考えずに済むでしょうし。
「…………」
ふと、きらりとしたものが前方から流れてきた。
少し体をずらすと、ユニカのたてがみに雫が落ちているのが見えた。
気づかないふりをした方がいいのは分かっている。
でも私は、ヴィルの体に回した腕の力を少しだけ強めた。
国王に裏切られ、国に捨てられ、親友にも愛しい人にももうどんな顔をして会えばいいのか分からない。
ヴィルは守るべきモノを全て失くしてしまった。その身をどれだけ犠牲にしても愛する人を幸せにできないと知った。
その日、ミストリアの騎士が一人死んだ。
殺したのは、私。