12 運命の力
私はヴィルの様子に注意しながら続きを話す。
「まずお母様はジェベラに王都を襲撃させるため、アンバートを仲間に引き入れることにしました」
ジェベラが愛した青年、アンバート。
元は男娼だったみたいだけど、さすがに四十も年上の老女からの求愛には辟易としていたらしい。
アンバートはお母様の誘いに乗り、ジェベラに甘く囁いた。
『魔女狩りから逃げ続けるくらいなら、いっそ国を盗ってしまおうよ。あなたが魔女の国を創り、不老の女王になればいい。僕はその玉座にひざまずく最初の男になろう』
宝珠を持って逃げられないよう、ジェベラを派手な舞台に引きずり出そうってわけね。
ジェベラはすっかりその気になって、お母様を含む弟子たちを率いて王都を襲撃した。ストムス・ミストリアの首を狙って。
「でもストムス様は、対魔女における最強の剣を持っていた。それがクロス・オブシディア。ヴィルのお父様ね」
ヴィルの顔は薄闇の中に浮かび上がるくらい真っ白だった。
私は淡々と語るよう務めた。
「ストムス様を討ち取るためには、まずクロスを倒さなければなりませんでした」
王に並々ならぬ忠誠を誓っている騎士。おそらく薔薇の宝珠についても詳しく聞かされている。
……生かしておいても禍根になるだけ。
「正攻法で戦えば無傷ではいられないからと、魔女たちは人質をとることにしました。ところがクロスは魔女の恨みを買っていることを十分自覚していて、愛する妻を王城に隠し住まわせていた。さすがに魔女たちも手出しできない。
……そこでシュネロ様がクロスの妻を騙し、魔女に引き渡しました。そうやって最強の騎士に無惨な死を与えたのです」
彼の体が大きくよろめいた。もう私では支えられない。
「……シュネロ様はヴィルのお母様に『真実を知るお前は生かしておけないが、お腹の子は助けてやってもいい』と言ったそうよ。クロスの子ならきっと強い核を持っている。いずれミストリアの役に立つだろうから、と。だけどヴィルのお母様は激昂してそれを拒絶した。……彼女の最期の言葉をご存じ?」
話を振ると、セドニールさんはにこやかにヴィルに言って聞かせた。
『この子をお前たちの好きにさせるものか……! 誰にも渡さない! 絶対に許さない! 薄汚い魔女もミストリア王家も、滅んでしまえ!』
そして短刀を自らのお腹に突き刺した。
……でもヴィルだけは助かった。最後の最後で我が子を殺すのを躊躇ったのかもね。
壮絶な行為を目の辺りにしたシュネロ様は、ヴィルの処遇を迷い、一旦遠くにおいて様子を見ることにしたらしい。
私は“あにめ”でヴィルの過去回を視たから知っているけど、彼は叔母一家に随分ひどい扱いを受けていた。
シュネロ様も報告を聞いていたはず。
でも何もしなかった。自分が不幸にした子どもなのに償う気は全くない。なんて冷たい王様でしょうね。
セドニールさんはしみじみと頷いた。
「全く、レイン殿下がきみと親しくなっていると知ったときは驚きましたよ。あのお方は何も知らないくせに、いつも抜群に引きが良い。しかもわざわざ騎士にするとはね。皮肉な話です」
ヴィルは声もなく、その場に膝をついた。
同じ騎士として父の受けた仕打ちは許せないでしょう。
どれだけ強く有能でも、邪魔だと判断されたら容赦なく切り捨てられる。
忠誠心を踏みにじられるのは、身を裂かれるよりずっと痛い。
お母様のことも衝撃だったはず。
普通の母親なら我が子の命が助かることを一番に願う。でもヴィルのお母様はそれを拒むほど王に憎しみをたぎらせた。
なのに結局ヴィルは騎士として仇の息子に仕え、ミストリア王家に絶対の忠誠を捧げていた。
残酷な巡り合わせね。
顔を覗き込まなくても分かる。ヴィルの心の中はぐちゃぐちゃになった。
今はヴィルに何を言っても無駄。私は話を進めましょう。
「……クロス・オブシディアを亡き者にし、ストムス様の首を取ったジェベラは、女王になるべく王都を乗っ取りました。お母様はアンバートを使ってジェベラからレシピを奪うと、あっさりと師を殺した。罪悪感なんて微塵もなかったそうですわ。そしてシュネロ様に玉座を返し、和平条約を結んで救世主となりました」
王国側に協力者がいなければ、ここまで円滑に解決しなかったでしょうね。
唯一作製に成功したという薔薇の宝珠は、ジェベラがどこかに隠していて見つからなかったみたい。シュネロ様は慌てたけれどお母様はそんなことどうでも良かった。レシピさえあれば宝珠は作れる。そう思っていたから。
お母様は名誉や権力には興味がなかったんですって。欲しかったのは永遠の美と若さだけ。誰にも邪魔されずに薔薇の宝珠を生み出すべく、田舎に引きこもれればいい。
「お母様は最後、念のためにシュネロ様と契約を結ぶことにしました。襲撃の真実を公にすることを禁じる魔術。破れば命はない。……ただし、子どもが生まれれば契約不履行の代償はその子に移るように」
「…………」
ヴィルがわずかに頭を持ち上げた。
二人ともいつまでも自分の命を危険に晒したくなかったから、生まれた子に死の代償が移るようにしたのよ。
全く、ひどいことしてくれるわよね。
陛下も、お母様も、自分の子どもをなんだと思っているの?
「私とレイン様の体に刻まれていた婚約の契約魔術がそれに当たります。もしも私たちがあのまま結婚して子どもが生まれていれば、契約は融和して消滅するはずだった。ふふ、お互いの合意で解除できてホッとしました」
親族になればさすがに裏切らないだろうと考えて結ばれた契約だ。少し浅はかだと思うけど、お互いに足元を固める時間が稼げればよかったのでしょうね。
ちなみに真実を仲間内で話し合う分には契約違反にならない。公ってほどじゃないからね。セドニールさんや私が真実を知っているのはそのため。
もちろん仲間が裏切って世間にバラしたら、契約主の命はなくなる。だからシュネロ様はよほど信頼の置ける臣下以外には話していないはず。それこそセドニールさんみたいにクーデター当時から仕えている人くらいでしょう。
レイン王子は何も知らされてないみたい。
危なっかしいわよね。彼は魔女の秘密を知ろうとずっと調べていた。もしもその過程で二十年前の真実を知り、父の非道を糾弾していたら自分が死んでいたんだから。
かと言って、知らせるわけにはいかない。契約に自分の命が賭けられていると知れば、レイン王子は父親を恨むでしょう。二代続けてクーデターなんて笑えないわ。
シュネロ様は最悪レイン王子が死んでも構わなかった。
もちろんレイン王子が真実に辿り着かないよう、完全に証拠を消してあったのでしょうけど。
「あと……これは少し信じられないのですが、陛下は母に薔薇の宝珠を一つ献上するよう求めたそうですね。その代わりに材料の提供など、お母様の研究支援をしてくれていた」
元々は宝珠とレシピを闇に葬るための計画だったのに、結局シュネロ様は欲に負けて不老を求めたということ。
呆れてしまうわ。まぁ、人間らしいといえば人間らしいけれど。
お母様としては王公認で研究できるうえにスポンサーまでついて大満足だったでしょう。
「二十年前に起こったことの確認は、これくらいでよろしいですか?」
「はい。あなたは紛うことなく真実を受け継いでいらっしゃる」
……たくさん喋ったから疲れちゃったわ。何か飲みたい。
でもここからが本番なのよね。嫌になってしまうわ。
ヴィルは地べたに座り込んだままだ。浅い呼吸の音が聞こえてくる。
やっぱり何か声をかけたほうがいいかしら?
でもセドニールさんは待ってくれない。
「あといくつかの質問のお許しを。ソニア様、王家に恨みは?」
「特にございません。契約が解除された今、蒸し返す必要を感じませんし」
「ふむ……では、あなたは薔薇の宝珠をお持ちか?」
もう、そんなに乙女のお腹を見つめないでほしい。紳士の仮面が剥がれているわね。
「いいえ。ジェベラのレシピは不完全でした。あるいは罠だったのかもしれません。何度か試行錯誤を重ね、やっと完成した宝珠を身に着けた母は、一時は若返りました。でも徐々に毒に侵されて死にました。あれは毒薔薇だったのです。書簡でそうお伝えしたはずですが?」
お母様が病で死んだなんて嘘。自滅よ。やはり七大禁考は手を出していいものじゃない。
たった一つの完成品だって同じ毒薔薇かもしれないわ。二十年が経ち、もう存在するかも定かではないけれど。
「アロニア様の訃報を聞いたときは耳を疑いましたよ。ですが彼女の死から二年も経っている。改良し、あなたが母君に代わり献上できる見込みは?」
「不可能です。そもそも私は研究を引き継ぐ気はありません。なぜなら、この身にあれの恐ろしさが染みついているから。現代の魔女では実現不可能な幻の花ですわ。潔く諦めるべきです」
セドニールさんは鼻で笑った。私のこと、大望を捨てたヘタレ魔女とでも思っているのかもしれない。
「では、レシピや研究資料は今どこに?」
「現物は焼却してあります。知識や実験データは私の頭の中にのみ存在していますわ。墓まで持っていくつもりですので、ご安心を」
「それは御身を危険に晒すだけでは?」
「相手によっては交渉材料になりますから」
「我が主は前王同様、あのレシピが他の者の手に渡るのを最も恐れています。薔薇の宝珠は献上しない、レシピは独り占め、おまけに魔女殺しの剣を手中に収めている。とても危険な存在ですねぇ。契約が破棄された今、王があなたを殺す可能性は考えなかったので?」
ミストリアにとって、もはや私は邪魔な存在みたいね。
今この場で私を殺し、全てを闇に葬れば安心。秘密が漏れる心配はない。
魔女たちの反感を買うことになるかもしれないけど、おあつらえむきにヴィルがそばにいる。ヴィルが私を殺したことにして、不満の矛先を彼と元主のレイン王子に向かわせる。最悪の場合、レイン王子ごと切り捨てればいいと考えているのでしょうね。
「そうさせないため、魔女ソニアはミストリアの王に提言いたします」
セドニールさんは肩をすくめた。
「もしもミストリアが、今後私と私の大切な者たちに手を出さないと誓って下さるのなら、私はククルージュにて西の国境の防衛に協力します。場合によっては諜報もいたしましょう。
最近、大陸西部では戦争に高等魔術が用いられ始めています。軍に魔女を登用する動きもあるとか。聡明な陛下なら重々承知でしょうが、時代に乗り遅れてはミストリアに未来はありません」
元々魔女は、政治や国と関わりを持つのを好まない。山奥で己の魔術研究に没頭したいと考えるものなの。でも最近はお母様のように実験材料の提供と引き換えに、国家と手を結ぶ魔女が増えているらしいわ。
「確かに私を排除すれば、無用な知識が広まる心配はなくなる。クーデターの秘密も守られるでしょう。ですが、いざというときの戦力を失うことにもなりますわ」
「有事の際に魔女を頼るのは危険を伴いますなぁ。あなたが裏切らない保証はない」
「そうですね。まず有事が起こらないよう、外交に力を入れていただきたいものです。何よりミストリア王には、レイン様の手綱をしっかりと握っておいていただかないと。言っておきますけれど、こちらにはあの婚礼の場での貸しがございます」
話の成り行き次第では、暴動や内乱に繋がるほど場を乱すことだってできた。そうしなかったのは私の温情よ。
「それを持ち出されるのは痛いですが……しかしあなたが勝手にやったこと。恩に着せられる謂われはございませんな」
「……そう。では今ここで私を殺すの?」
セドニールさんはにやりと笑った。
「迷うところですなぁ。消した方がいいのは確かでしょうが、あなたはあまりにも美しい。いっそご自分の身を献上されてはいかがです? もしかしたら薔薇の宝珠よりも我が主はお喜びになるかもしれない」
男たちの舐めまわすような視線に舌打ちしたくなった。
国王陛下、話の分かる方だと思ったのに、がっかりだわ。こんな下劣な男を使者として寄越すなんて。
「手に入らないなら消す。薔薇の宝珠と同じように。いかがです?」
「お断りいたします。私は気ままな田舎暮らしがいい。それに、今のあなたたちの戦力で私を殺すことは不可能よ。
私は難しいことを提案しているわけじゃない。田舎でのんびり暮らすから放っておいてと言っているの。いざとなればミストリアの力になってあげるのに、何がご不満なのかしら?」
「我々が放っておいても、他の男たちが放っておかないでしょう。あの婚礼の場で、多くの者があなたの美しさに釘付けとなった。あなたが他の権力者に囲われ、真実が漏れるのは避けたいですねぇ」
あら。
美しさが仇になることもあるのね。
「何より我が主は、あなたとレイン殿下が手を組むことを懸念されているのです。二十年前のクーデター同様、魔女と王太子が手を組んで現国王を抹殺するかもしれない。ヴィルを手に入れたのもその一環では? ……報告によれば、今日の昼に殿下の仲間と会っていたそうですが」
本当、最悪のタイミングだったわ。
余計な疑いを持たれるのが嫌で、急いで王都を出てきたというのに。
あのエメルダって女、とことん私の邪魔をしてくれるわね。
「それは一番あり得ないわ。私とレイン様は婚約を破棄した間柄よ。今更手を組んでクーデター? 何の得があるの?」
「さぁ、老輩には分かりかねますが、我が主は心配性なのです。……ソニア様、今ここでヴィル・オブシディアを殺し、その心配を解消していただけませんか? 王子と通じていないと証明されれば、先ほどの提案を検討いたしましょう。そして、ヴィル。きみも戦いなさい」
その言葉にヴィルがぴくりと体を強張らせた。
なるほど、ヴィルに私を殺させるつもりね。確かにヴィルが相手ならいい勝負になりそう。生き残った方は満身創痍だろうから、どうとでも処理できる。
私は生け捕りにされる可能性もあるけど、ヴィルは問答無用で殺されるでしょう。
素直に真実をヴィルに聞かせたのは最初から殺すつもりだったからね。
……まぁ、ヴィルを消すつもりだろうというのは予想していたわ。
「私たち二人に殺し合えと? 思惑が透けて見えるのに、そんなことするはずないでしょう。馬鹿馬鹿しい」
「それはどうでしょう。……さて、ここには飛竜がいますね。森の中にも数体控えさせています。ここからククルージュまで目と鼻の先。闇夜に炎となって浮かぶ故郷が見たいのですかな?」
他の四人が盾となっている間に、セドニールが飛竜に騎乗した。私たちが動かないのを見て、四人も後に続く。
空の特等席から私たちの殺し合いを観覧するつもりらしい。
「ヴィル、この場から逃げたり、呆気なく死んだら、王都にいる王子とエメルダ嬢に八つ当たりさせていただきます。なに、殺しはしません。でも死より辛い出来事は無数にある。あの可憐で無垢な小娘はいたぶりがありそうですなぁ」
「セドニール……貴様!」
ヴィルは今にも泣き出しそうな顔でセドニールを睨み付けた。
私には故郷、ヴィルには仲間を楯にして脅す。
発想がゲスね。
「さぁ、戦いなさい! こちらを攻撃しようとしたら、すぐにククルージュか王都に向かいますよ!」
竜が飛び立ち、土埃が舞う。
地上に残された私たちは無言だった。
うーん、偶然かしら?
ヴィルと殺し合うシチュエーション、原作“あにめ”みたい。
運命の力を信じちゃいそう。
でもセドニール、残念だったわね。
あなたは所詮原作に名前も出てこないような“もぶ”。私の相手にはならない。小物過ぎて悲しくなるわ。
私は誰にも操られないし、惑わされない。
こんな安い展開で思い通りにはならないわ。
だって私、一応“らすぼす”なのよ?