5.
学校帰り、その足で和輝は特急に乗って衝動的にやって来てしまったのだ。
龍司の消息は一ヶ月ほどまえに突き止めて、学校が午前授業で終わった日にこっそりと龍司を一度覗いたこともあった。そのときに龍司の行きつけの居酒屋は知った。職場の会社から追いかけて牧の居酒屋の前でパンを囓りながら龍司が出てくるのを待っているところで時間切れとなってしまった。その先の自宅までストーカーをしたかったけれど、帰りの電車の時間に縛られて和輝は渋々帰って行ったのだ。
だから、龍司の住まいははじめてだった。
落ち着いた雰囲気で、新しいし、高そうなマンションだと思った。
エレベーターを乗っている間も、龍司は口を開かず押し黙っていた。
和輝は龍司の横顔をこそこそと窺う状態だった。
自分が常識から外れたことをやっている自覚はあったのだ。
突然、十二年ぶりに訪れた弟だといっても血も、戸籍も繋がらない和輝だった。
戸籍が移されなかったことを当然、龍司も知っていると思っていたので和輝は、自分から話してしまった事実にしまったと後悔したが、知らされても龍司はこうして和輝を連れてエレベーターに乗っているのだ。
自分が心配することではなかったけれど感じたけれど、制服の和輝を連れて部屋に戻るところを近所の人に見られたときどんな顔をされて、言い訳などをするのだろうかと緊張したが、さいわい、深夜のために誰にも会うことなく龍司の部屋に着いていた。
「お邪魔します・・・」
小さく言って、和輝は靴を脱いでいた。
明かりが付けられ、和輝の目の前に闇に沈んでいた物が顕わになっていた。
男らしく、物のない部屋だった。
ごちゃごちゃと無いから広く感じるのかもしれないが、フローリングのダイニングリビングには中央に境のように黒いソファーの背が横切っていてソファーに合わせてスチールパイプラックにテレビやオーディオセット、テーブルが置かれてある。ダイニングテーブルも一応あったが、テーブルではなく物置になっているようで、使われてはいないのだ。
シンクまわりは使っていないようにきれいに整えられていて、積み上げられた汚れた皿が一人暮らしにはあるものだと思っていた和輝は、恥ずかしくなっていた。和輝が暮らしているじいちゃんの古屋の台所には、洗われるの静かにずっと待っている小山があるのだから。
「おまえ、晩飯は食ったのか?」
きょろきょろ部屋の中を見回していた和輝のところに、自分の部屋で着替えをすませた龍司が戻ってきていた。
背広とネクタイのかわりに、グレイのセーターにジーンズという姿に変わっていて、はじめて目にするラフな姿に見とれてしまった。
「おまえ、メシは?」
「あ、少し食べました、でも六時頃だったから・・・」
「ああ、着替えもいるのか」
和輝の返事など聞いていなかったように、龍司は部屋に戻ってゆくと着替え一式をもって帰ってくると和輝に放った。
「チビだから、合わんだろうがな」
「チビじゃないです、僕は平均です!そっちが背が無茶苦茶高いんですっ」
和輝は七十ちょっとだったが、龍司は一メートル八十を悠に超えているだろうという背丈だった。
自分は普通だと力説したあとに、龍司が先輩と呼んでいた牧という男も同じほど背が高かったことを思い出した。
「スポーツ、何かやっていたんですか?」
龍司が中学のときにも体育系の部活だったことを覚えているが、内容までは知らなかった。
「高校のとき、バレーだ」
「へえ、強そう・・・」
「背が高ければ強いというもんじゃない」
「え、じゃあ、龍司さん、スポーツできそうな感じだけど、あんまりで得意じゃないんですか?」
悪意無くて逆に親しみを持てそうだったので、素朴な質問だったのだがこれは龍司のプライドを傷つけてしまったようだ。
「俺ぐらいが選手で、俺達の時代ではせいぜい全国大会ベスト八ぐらいで、優勝には至ってなかったからな、弱かったんだろう」
「つ、強いじゃないですかっ・・・」
ぎくしゃくとした会話も途切れて、龍司は和輝に背を向けたので、和輝はもそもそと制服を脱いで、貸してもらった服に着替えていた。
やはり、上も下も大きくて袖と裾をいくつも曲げて、ウエストは制服のベルトでぎゅっと絞めないといけなかったが、そうしてとりあえず着た格好が情けない物だとは和輝も自分でよくわかった。
押しかけた場違いな龍司の部屋で、整然としたスペースに自分は不純物のように混ざっている。
暖房が効き出して暖かくなってきていた。和輝は今更のように自分の居場所の無さを感じて、ぽつっと立って龍司の背中を見つめていた。
「座って、テレビでも見てろ、気になる」
「え、でもなにか手伝うことあったら、僕も・・・」
龍司はシンクの前に立ち、冷蔵庫や戸棚を開け閉めしてなにか作業をしているのだ。
「ない、座ってテレビを見ていろ」
「・・・でも僕だけ座ってるなんて・・・」
「俺が気になるから、その方がいいと言っているっ」
「はい、わかりました・・・」
和輝は首を竦めて猫のように黒いソファーに座って、言われた通りテレビのリモコンを探してスイッチを入れた。
深夜のお笑い番組はいつも以上に面白くないことを言って自分たちで笑っていたが、和輝は画面に目を向けていただけだった。
全神経は、後ろに向かっているのだから。見ていると怒られそうだから、目を向けることは出来ないけれど、そうなると一番見ていたいものがよくわかった。
和輝は龍司を見たかったのだ。
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