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子猫以上、弟未満。  作者:
第三章
25/32

2.

 牧は不思議そうに、こんなことを言うのだ。

「俺は、ただ見ただけだ。もうあれは終わったろう」

「・・・なんですか、それ・・・」

「あいつが、そのヒステリックな女をうちに連れてきてね。勝手についてきてしまったんだ、と言っていたが、まあ俺は、お客様は歓迎と追い返すこともしなかったが、これがとんだ客だった」

「・・・」

 顔つきを険しくした牧によると、龍司はこの店のカウンターで、お手ふきを投げつけられた。しかし受け止められてしまって思い通り顔に当たらなかったことに怒りをさらにつのらせた女によって、そのあとには龍司の頭の天辺からおでんがぶちまけられた。

「龍司は、髪から汁をぼとぼとと滴らせる文字通りにいい男になっていたぞ」

 皿はすかさず俺が女から取り上げたから被害は出なかったが、俺から言わして貰うんなら、二度と来るなクソ女って感じだなーーーである。

「先輩、すみません。彼女にはきっちり、明日、話を付けますので」

 龍司が詫びを入れた。そして、女が怒って出て行ってしまったあと、龍司が一人雑巾を借りて店を汚した後始末をしたのだという。

「・・・可哀想・・・」

「でもなあ、あいつも結構な。うちでも携帯の着信鳴っても完璧に無視していたからねえ。明日会社で話せば十分なことばかりだ、と。そういうのも、タイプにとってはかなり不安で、腹が立つことなんだろうねえ・・・」

 クソ女と言いながらしみじみと同情した声で話を締めくくった牧に、う〜ん、と和輝は気分が落ち込んでいくのだった。話を聞いているうち、果たして自分がどちらに同情しているのか、和輝には次第にわからなくなっていた。

 よくある“男の女の恋愛相談のお時間”のように極悪人はおらず、でも画期的な解決策も無い。どちらも理解出来てしまい、両方の気分が感染した憂鬱な心地に陥ってしまい、和輝は、はあっとため息を吐いていた。

 牧が笑った。

「大根、ちゃんと剥けよ」

「あ、はい・・・」

 前向きに仕事を再開した和輝に、鍋のだし汁の味見をした牧が一つ頷いて、蓋を閉めた。あとはゆっくり煮込むだけでいい、というまで完成したというところなのだ。

 牧の居酒屋は、和食に拘らない和洋折衷で、創作料理的なところもある。一度など一人のお客がメニューに無いパスタを注文して、注文を受けた和輝がどうしようと慌てたのだが、牧はいいですよと気さくに応じた。

 牧の何でもないような態度にも驚いたが、多目に作ってあってあとで残りを貰って食べた和輝が、客の美味しいという評価が、無理を言った手前のお世辞じゃなかったことにとても感動だったのだ。

 毎日、料理の下準備の皮むきなどをしていたが、料理について牧はあまり和輝に説明しないので、夕方になってできあがるときが楽しみだった。

 二人きりの時間で、気が合わなかった場合地獄のようなバイトとなるだろうが、和輝にとって牧は嫌な相手ではなかった。それに近所の一人暮らしの年輩の方々や小さなお店の従業員に昼食の配達という仕事も和輝にはあるので、適度に出歩くことになる。

「まあ、だけど。いくらなんでも俺だって、誰にでも店であったこと、べらべら喋ったりはしないけどな」

 終わったと思っていた話がぶり返して、和輝は視線を向けた。

 腰掛けに尻を据えても、長身大柄、スポーツをやってましたな空気を纏う牧は、渋い大人のーーーというより、おやじという貫禄だった。

「だけど、おまえが俺に『いきなりキスされたんだ、どうしようっ!そのあと怒らせちゃったっ』なんて、腹を割った話されたときにゃあ、こっちもそれなりな態度を見せないと駄目だろうよ?」

「そっ、それはっ・・・」

 途端に和輝の声は上擦った。

 新しく仕入れた情報に追いやられて、すっかり頭から忘れていたことを思い起こされて、和輝は顔から火が噴くかと思った。

「・・・だ、だからっ・・・」

「龍司にキスされたんだよな、でそうゆう相手を希望されていると気を回してみたけど、玉砕したーーーと」

 これ以上ちょっとでもつつかれたら、べちゃっと落ちて潰れる熟し過ぎている真っ赤な柿みたいになっていると思った。

「それね、完全におまえの失敗。考えすぎ、しかもおまえ、結構、突っ走る系であぶねえなあ〜」

「・・・僕、そんなこと、ないですっ・・・」

 和輝の反論の声はとても小さい。

「龍司相手に、そこまで思い込まなくてもいいと思うけど」

「でも、キスしたっ!」

「・・・まあ、なんか思うところがあったんだろうけど。そんなもん、俺じゃなく、龍司本人に聞いてみるのが一番だぞ。なんでキスしたのかって、な」

 俺にはわからねえよと言う牧は、とても正論だったが、和輝の返事だって間違いなく正論だろう。

「・・・そんなこと、恥ずかしくて聞けないもんっ・・・」

 自分と龍司と、あとは牧、だけという今の生活で、やっと牧に相談する勇気を持てた事柄は、龍司じゃなければ牧、という必然の状況の末であり、でもその前提として、あれから龍司の顔をまともに見られないという逼迫したものがあるのだから。

「・・・ああ・・・玉ねぎでも刻むか?いいぞ、思いきり刻んでも・・・」

 がしがしと頭を掻く牧は、龍司が「和輝のような者を苛める」と一度発言していたが、中味はちょっと違うのだ。ひ弱な細っこいものを苛めたいわけじゃない、自分と違いすぎる人種に、気になって気になって放っておけず世話を焼いてしまうだけなのだ。

 でもそういうのは端から見ると得てして、苛めているとなってしまう。

 龍司は一応、牧をわかっているから言っていることだ。自分も犬猫限定だが、似たような庇護欲を掻きたてられるタイプとして。怖面タイプとしてーーー。

 だから話を戻すが、この時、牧は感傷的になって涙目になりかけた和輝に、思いきり泣けるように玉ねぎの微塵切りを十玉ほど課したのは、優しい心遣いだったが、途中で目の痛さのあまりの不注意で、指先をさくっと切ってしまったがだからといって止めるわけにはいかない和輝に通じたかどうか。

 目が痛くて真剣に泣きながら取り組まなくてはならなかったので、牧の優しさが伝わったかどうかはとても謎である。




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