2.
驚きすぎて、箸から鮪の佃煮がポロッと落ちた。
「兄貴が帰ってくるのを弟はじっと待っていたんだよ、寒空の下で。事情を聞いてみるとびっくりだな」
「はあ、なにの冗談・・・」
「宮田和輝です」
和輝はカウンターでも、龍司から離れた縁っこに座っていたのだが、牧が作ってくれたチャンスを見過ごすことなく、龍司の横に立っていた。
「・・・宮田・・・和輝・・・」
「覚えてないですか、僕のこと・・・。少し時間がたってますし、それにあの時はまだ、六才で今とはずいぶん感じが違ってしまっていると思いますが、・・・僕は小さくても、ちゃんとあなたのこと、覚えてます」
「・・・俺だって、宮田和輝のことは忘れちゃいないさ・・・でも、おまえが・・・」
「これを」
龍司に最後まで言わさない手際の良さで、和輝はポケットから出した物を龍司の目の前に開いて見せた。学生手帳だった。写真付きの物には目の前にいる少年の顔写真の下に、第三学年の“宮田和輝”だと示していた。
「嘘じゃありません。これで信じられないなら、僕と母の写真と、あと龍司さんとも写っている写真も持ってますのでーーー」
慌てて椅子に置きっぱなしにしていた鞄に取りに戻ろうとした和輝だったが、腕を掴まれて止められていた。
「いい、要らん。見たくない・・・そういう気分じゃない」
「・・・でも・・・」
「見なくても認める、おまえは宮田和輝だ」
「はい!」
和輝はぱっと顔を輝かせたが、一瞬だった。
「・・・で、なんで、そんな奴が今ごろ俺の前に現れるんだ」
龍司の声は苦々しいものに変わっていたから。
和輝は証拠写真を見せれば解決できる問題以上に直面させられて、立ちつくしていた。
「じいちゃんが死んだんです。それで・・・」
牧の指示で、和輝は龍司の横の席に並んで座っていた。
牧が目の前にいなければ、和輝は追い払われていただろうと感じていた。そんな重くて刺々しい空気に変わっていた。
「それで、っていうが、おまえの母親はどうしたんだ。どうして俺のところに来ることになるんだ?」
「母さんは、あのあとしばらくして死んで、僕はじいちゃんのところに引き取られていました」
「死んだ?」
「はい・・・癌で・・・」
龍司は知らなかったのだ。そもそも、和輝を覚えていたが、十二年も前の話だった。
今年二十七才という龍司が、まだ中学三年生だったとき、約一年間だけという短い時間の出来事だった。
さらにその五年程前に母親を失っていたわけだが、硬派でそれまで一度も女の気配も見せないできた龍司の父親だった。
が、ある日、何を思ったか、いきなり家に女の人を連れて帰ってきて、龍司は驚きだった。
父よりずっと若くて、きれいな人だった。
父に似合わないような柔らかい雰囲気の人で、なんだろう、父はもしかしてこの強ばった表情の女の人を攫ってきているんだろかと思ったことを良く覚えている。でも違ったのだ。緊張に強ばらせていたのは、父ではなく龍司の方だったのだ。
「・・・あなたの二人目のお母さんになれたら、と思うの・・・」
父親の再婚。
田舎の古い家は二人暮らしには広すぎるものだったが、翌日には四人暮らしになっていたのだ。
おばさんと呼んだら失礼なのではと言うような若い母親に、小学生だった。
いきなり脈略なく。小学一年生、小さくてよろよろしていて、ランドセルは赤色でもいいんじゃないかという“弟”などという生き物が龍司のまわりをちょろちょろすることになったのだ。
それは、きゃらきゃら笑ったり泣いたりしながら龍司に、意味なくまとわりついていた。
でも、一年だけだった。
一年後に、龍司が父親の再婚をぶち壊したのだとほろ苦い思い出だった。
「親父は、俺とこいつらとどっちが大事なんだっ!」
ことの切欠は覚えていないほど些細だったのだろう。だけど、自分を非難した父親に爆発した龍司の問題発言。
受験時期もあってカリカリしていたと思うのだが、言ってはならない発言だったと反省している。そのあとしばらくして、二人目の母親と弟は家から出て行ったのだから。
父は理由を何も言わず、龍司を責めることもなかったがそれが一層、辛かった。なんだかまるで自分の所為みたいだーーーと憤っていたが、事実その通り龍司の所為で、無体な選択を強いたために二人は別れたのだろうと思っている。
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